サラセリアのドレス
王都へ帰還を果たすとアリシア様は私やリゼリア様を放って、代わりにジョシュア様を従えてどこかへ行方をくらませることが多くなった。多分、城内にはいるのだろうけれど、ふらりと消えて、そして気付けば部屋に戻っている生活へシフトしている。リゼリア様はそんなアリシア様に対して心配するよりもむしろ、「ああいつものね」なんて言って、好きなように自分の仕事をさがしていた。リゼリア様はアリシア様から給金を貰う立場であるため、アリシア様不在の時は何処と無く気楽に見える。私もそうなのですが。
私にとって気掛かりだったのはアリシア様のことよりもむしろ、サーリヤ様のことだった。サラセリア様付きになると啖呵を切られた以上、何かしら難癖をつけて喧嘩を売ってくるに決まっている。
「気に食わん」
アリシア様不在の私室でレイモンド様が不満を前面に押し出したまま吐き出す。今日のアリシア様はジョシュア様とアルフォンスお兄様を従えて出て行った。レイモンド様は何も聞いていないらしい。未だに包帯の取れないレイモンド様の腫れた肩を見る。
「忙しいのよ、きっと」
リゼリア様が諦めたようにレイモンド様に言った。レイモンド様はリゼリア様を睨みつけ、剣の持てない右手を不安げに眺める。
「俺では役に立てないのか」
「レイモンドには別の役割があるの。たぶんね」
「だったら説明があっても良いと思わないか?」
「アリシア様はいつまで経っても人に頼るのと人を利用するの違いがわからないから仕方ないの」
リゼリア様の言葉にレイモンド様は無精無精に頷く。人を頼る、人を利用する。同じようで温もりの違う言葉に私は首を傾げた。その言葉通りの意味ならば、アリシア様にとって真の友達は存在しないことになる。リゼリア様はそこまで自分を卑下しているのだろうか。
「アリシア様がいつお戻りになるかわかりますか?」
「さあね、私にはさっぱり」
「新しいお召し物を用意したので是非合わせて頂きたかったのですが」
「マリアがいる間に帰ってきてくれたら良いのだけど」
今度の舞踏会用に卸してきたので直しがあれば困る。アリシア様も最近衣装に口を出すようになってくれたのでできればわたしの見立てだけじゃなく一緒に悩んでほしいもの。
「あら、誰かしら」
リゼリア様が顔を上げた。ドアがこんこん、とやけに大きな音を立てている。アリシア様はノックなんてしないし、アルフォンスお兄様であればこんなノックはしない。レイモンド様が仕方なくドアを開いて応待をしようとした、その瞬間に豪奢なサーモンピンクのドレスの裾が部屋に侵入した。
私とリゼリア様はそのドレスの主を見て椅子から飛び降りて淑女の礼で出迎える。
「サラセリア様…」
「ごきげんよう、マリア。久しいわね」
サラセリア様は豪奢なドレスに負けない煌びやかなルビーのペンダントと揃いの髪飾りで、アリシア様のあの陰湿な侍女を従えて入ってきた。
「こちらはアリシア様のお部屋です。アリシア様が今は外に出ておられるのでご用件がございましたら、このリゼリアが承りますわ」
「お黙り、薄汚いネズミ女」
リゼリア様が硬直した。サラセリア様はそれを気にもかけず、リゼリア様などいなかったように私をじっと見つめる。私は気圧されて慌てて頭を下げた。
「あら、化粧の流行も変わったのね。シャドーはブラウンが流行りなの?」
サラセリア様はけろりと態度を変えて私に問うた。私は自分の中で最適解を見つけるために頭をフル回転させた。
「去年はグレーで流行りましたが、今年はサロンや普段のお出かけではブラウンやゴールドのグラデーションがよろしいとされております。明るい印象になります」
「なるほど、良い事を聞いたわ。マリアのつけているものが欲しいわ。後で届けて頂戴」
「かしこまりました」
深々と頭を下げる。が、その瞬間に脳裏にサーリヤ様の悔しがる姿がちらついた。
「あの…差し出がましいようですが、化粧などもローズヒルズ家の物ではなく、スノードロップ家の物ではなくて宜しいのでしょうか」
「あれは駄目ね」
「お肌に合いませんか?」
「色合いも何もかも、ローズヒルズ家には劣るわ」
それは良い事を聞いた。サーリヤ様は怒るだろうけど。
「価値の分からないアリシアより、価値が分かってお前をもっと大切に出来る私に仕えるつもりは?」
「それは…いえ、サラセリア様はサーリヤ様を召し抱えられたと聞いておりますが」
「ふん。あんなの、お前に比べれば蟻か何かよ。自分の趣味を押し付けてくるだけだわ。舞踏会に出る衣装だってまだ決まってないんだから…」
それはアリシア様もなんですが…というのを飲み込み、ぐっと口角を上げた。お仕事、お仕事。
「そこでこのマギーが、マリアが誂えたドレスがあると言うから見に来てやったわ」
「マギー…?」
「私の母の侍女よ。アリシアにくれてやったけど」
さらに首を傾げる。件の陰険なクソババア侍女が誇らしげにない胸を張っているのを見てようやくマギーがその侍女であることを理解した。年齢がスゴイと思っていたらそういうことか。
ん?さっきサラセリア様は私が誂えたドレスがあると言いました?その言い方だとまるでアリシア様のドレスがサラセリア様のためのもののように聞こえるのですが。
「ああ、これね。マギー、開けなさい」
「へえ、かしこまりました」
陰険な侍女改め、マギーは水を得た魚のように嬉々としてドレスを覆うカバーを剥がした。いつもならあり得ない速度でそれを恭しくサラセリア様に向かってかざす。サラセリア様はうっとりとそれを眺めた。
「美しいわ。手触りも最高ね。これはサテンかしら。色も朝焼けの中の白薔薇のようだわ。この薄布を重ねるのは最近の流行りよね」
「よくお分かりですね」
「私に似合うと思うわ」
あ、やっぱり。固まる私をよそにリゼリア様が眉を吊り上げて静かに告げた。
「…サラセリア様、このドレスはマリアがアリシア様に選んだものです。サラセリア様はサーリヤ様のご用意したものがございます」
「内側から色が滲むよう。素敵ね、誰の作品?」
リゼリア様を完璧に無視したままサラセリア様は私に問う。私がさらに固まると腕をマギーが摘みあげた。
「これっ!恐れ多くもサラセリア様の御前であるぞ!はよう答えんか!」
「い、いった!な、何をするんですか!」
声を荒げるとマギーは顔をぐしゃりと歪めて恐ろしい声色で言った。
「何たる無礼!不敬罪であるぞ!これレイモンド!はよう捕らえんか!」
「ええっ?!」
なんで?!素っ頓狂な声を挙げるがマギーは喚くだけでもはや意味もわからない。逮捕されては敵わないとばかりにレイモンド様を見るとレイモンド様も目を見開いてどうしたものかと思案していた。
「不敬罪は貴方よ、マギー。一介の侍女に過ぎない貴方が伯爵位のマリアに楯突いたのだから」
リゼリア様が諭すとマギーは怒りの矛先を遠慮なくリゼリア様に向けた。
「汚らわしい女、親を殺して兄妹揃って土足で城に上がり込んだ。変わり者のアリシアに拾われなかったらお前なぞ…」
「ちょっとちょっと、今の不敬罪でしょ」
「お黙り!この乳臭い餓鬼が!孤児が偉ぶって」
「この…っ!」
「きゃーっ!ストップ!やめてくださいリゼリア様っ!レイモンド様も止めてください!」
あろうことかリゼリア様が激昂しマギーに殴りかかろうとしたのをすんでのところで止める。レイモンド様もそこでやっと硬直を解いてリゼリア様とマギーの間に立った。サラセリア様はそれを見てころころと笑った。
「あーら、やっぱり下賤な者は卑しい手段しか持たないのね、怖いこと」
「サラセリア様、はよう帰りましょう。こんな所にいると身も心も腐ります」
「ええそうね。それじゃ、マリア。今度はお前が私の部屋に来るのよ」
私は返事をせずに、押し黙っていた。行くわけない。でも行かないとは言えない。できる抵抗は無言だけだった。
サラセリア様はマギーを連れて、来た時と同じ様に豪奢なドレスを揺らして堂々と部屋から出て行った。マギーはしれっと私の持ってきたドレスを強奪して行ったらしい。部屋から消えたドレスはローズヒルズの全仕立て屋から選んだものだったのに。労力が水の泡。サラセリア様があれを着るならアリシア様はまたテーマから選び直しだ。被らせちゃダメだし。
「なんだかスゴイ事になってたようだから、入るに入れなかったわ」
「アリシア様ぁ!」
アリシア様が部屋に顔を出した。リゼリア様はわっとアリシア様に抱きついて、悔しさに泣きそうなのを堪えていた。レイモンド様はそのリゼリア様の背中を撫でて落ち着かせている。アリシア様もよーしよーしと母のように抱きしめていた。見る人が見れば立派な逢引現場だ。
「いやー、サラセリア様、相変わらずですね」
アルフォンスお兄様もひょっこりと現れた。若干荒れた部屋を見て心を痛めたのか眉を顰めている。
「マリア、悪かったな。私もドレスを返せとは言ったのだが、ダメだった」
「ええ…途方に暮れている場合ではありませんね。ドレスを調達しないと」
「いいんだ、最悪舞踏会は欠席すれば良いことだし」
「良くないわ!ガーディン国から王子か来るのよ!外交もできない姫だと思われるわ!だめよアリシア様!私のドレスを着たら良いのよ!」
「その必要はありません。私に1日ください。必ずや前のより良いドレスをお持ちします」
1日でドレスを一箇所には集められないし、ということは広い範囲から選び出すことはできない。そしてドレスの在庫が多いローズヒルズ領へ帰って探すことも不可能だ。ローズヒルズ領へ行って帰るだけで明後日が来てしまう。時間がない。できることは…
「それと、アルフォンスお兄様をお貸しくださいませ」
「わかった。できることはなんでもしよう」
「それでは私は失礼させていただきます。お兄様、行きますよ」
「はい、それでは僕も失礼します」
2人で礼を省略して部屋を出る。向うのはエントランスだが、今日は馬車ではない。私は連れて来た馬車から自分の馬を一頭離し、鞍を城から借りて取り付けた。私の馬は大変気位が高いので、あまり手荒に扱うと怒り出す。仕方ないので丁寧に宥めすかしながら鞍を取り付けた。実は私、馬に乗れるのだ。それどこか遠乗りは趣味だったりする。アルフォンスお兄様も自分の馬を連れてきたので2人で馬の腹を蹴った。
「どうするんですか!ていうか、どこに行くんですか」
並走するアルフォンスお兄様が訊ねる。私は思案しつつ叫び返した。
「ローズヒルズ邸です」
王都から遠い領であるローズヒルズ家は王都の郊外にかなり豪奢な屋敷を持っている。馬をかればものの30分で着く距離だ。大きな屋敷でそこに私が使うドレスを作るデザイナーや針子がたくさん常駐している。行くならもはやそこしかない。
馬に無理をさせて全力疾走で屋敷に戻る。私もアルフォンスお兄様も息を切らしながら屋敷に転がり込み、慌てる侍女に水!と叫んでデザイナーが駐在する部屋へ駆け込んだ。
「新作!出してください!」
「ええっ、新作ですか?」
私が最近贔屓にしているエマというデザイナーは面食らって片手に持っていたカップを思わず机に叩きつけた。
「マリア様の着られるドレスはもう部屋にありますよ?」
「ちっがーう!他にもありましたよね!」
「それなら隣の部屋に…来月にお披露目する用のものがあります」
「丁度良いわ」
ちなみに来月お披露目するのは、ふわふわもこもこの羽毛を使ったデザインで、肩を隠すように袖があるデザインになっている。この袖以外は今まさに旬のデザインだ。
この屋敷には私のドレスと、アリシア様に献上するものの2種類しかない。そしてアリシア様のものは全て舞踏会などのイベント用ではなく普段着か、よそ行きのドレスしかない。つまり、私のドレスをリメイクすることしか道はないということたま。
「袖を取って」
「ええっ」
「それから…取った袖には短いレースをつけましょう」
「で、でも…」
「ぜったいにサテンはつけちゃダメですからね」
怖い顔をするとエマは苦笑した。
「お兄様、街でうちの店から布を貰ってきてください。大至急。レースはこの型番、あとはオールドブルーの…」
「メモをください」
「分かりました」
アルフォンスお兄様は両手を挙げて降参の意を示した。確かに型番だの色だの分かるわけがない。
サラセリア様は滲むようなほんのりした赤を着る。ならばアリシア様には青を着せる。アリシア様ははっきりした色より濁ったような、はっきりしないくすんだ色がよく似合う。
「刺繍を追加します。今すぐよ!明日アリシア様に渡すわ!サイズ直しも!」
「は、はい!」
待機していた針子を全員動員し、臨戦態勢を取る。その間に私は小物集めに奔走した。アリシア様のサイズの小物も家にはいくつか揃っている。この中からある程度探し、本当に無ければ明日中に街で探すことになるだろう。髪型も考え直さなければ…時間が、足りない!
目を見開いて家中を駆けずり回る私を侍女が戦々恐々とみていた…
家中見回ってようやく見つけた履けそうな靴をひとつ、アクセサリーも一揃い、あとはドレスの完成を待つのみになった。この時点で日付を跨いでいる。なのに、針子達は手を休めることなく作業を続けていた。ざ、残業代出さなきゃ…遠い目をしながら針子たちに近づいて行く。
「ご苦労様です。私も手伝います」
「いいえ、お嬢様。アルフォンス様も手伝ってくださっていますし」
「お兄様が?」
部屋を見回すと部屋の隅で布を一定の角度で持ち上げる兄がいた。すごく眠そうな顔をしている。
「お兄様、ありがとうございます。代わりますから、もうお休みになってください」
「いえいえ、マリアこそ。家中ひっくり返したら疲れるでしょう」
「ではみんなでとっとと終わらせましょう。刺繍もかなり進みましたね」
少ない指示でかなり的確に動いている。流石ローズヒルズお抱えの針子軍。エマも指示を飛ばしながら忙しそうに手を動かしている。
「アリシア様のサイズはおかわりありませんか?」
「ええ、ないと思います」
あっても時間がないから無理です。ばっさり考えを切り捨てて、エマの指示を仰ぐ。
「絶対に間に合わせますよ!」
「はい、お嬢様!」
眠気を一切見せない瞳が私を見上げた。
…間に合わせるとは言ったけど、お、おわるのかな…一抹の不安が拭い去れないまま徹夜の覚悟だけは決めた…肌荒れしてたらサラセリア様絶対に許さない…