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ごめんなさい


「敗戦国如きの王子が、この国で偉そうにできる立場ですか?そもそも、そんな王子が僕たちの姫に選ばれるとでも?あちらの姫はともかくアリシア様は『教養のある』『思慮深い』お人。貴方のような、権力さえあれば全てが思い通り、なんていう浅はかな考えを嫌っている!」

「何たる侮辱!アルフォンスと言ったな、お前の妹も俺の妾にしてやる!青薔薇がお前の妹なことくらい知っているぞ!毎夜お前の目の前で陵辱してくれる!」

「貴様…!」


いけない。お兄様はアリシア様がどうこうされるという話には比較的冷静に対処できる。剣を抜くほどの怒りは見せない。だがしかし、最愛の、目に入れても痛くないほど可愛い妹の私のネタだと突然暴走するに違いない。剣を抜いてしまう。アリシア様も気付いたようで、躊躇せずにドアを開け放った。アルフォンスお兄様はギリギリのところで理性を繋ぎ、剣に手をかけたものの抜くまでは至らず、代わりに怒りで震えた手が剣をカタカタと揺らした。


「なんだ、2人揃って俺様を迎えているのか。殊勝なことだ。可愛がってやるぞ」


猛烈な吐き気を催す言葉にアルフォンスお兄様が剣を抜きかけた。私は必死で兄を押しとどめ、アリシア様は肩を怒らせながらデズモンド王子に詰め寄った。


「どういうおつもりですか?私のことをあれこれ言うのは仕方ありません。王がそう仕向けているのですから。でも、マリアのことは関係ないでしょう」

「関係ない?いいや、それは違う。俺様は王になるんだぞ?だったら美しい女は全て俺様に召し上げられるべきだろう?」


不快感に眉を顰める。デズモンド王子は本当に酔っているのか、強いアルコールの不快な香りがした。私やアリシア様も若干酔いがあったがこの騒動で一気に覚めたようだ。


「そんなことは貴方が王になってから仰ってくださいませ。私の庇護下にあるうちは指一本触らせません!」


まあ、アリシア様…!と私はうっとりとアリシア様を見つめた。


「なってから?それだとまるで、俺が王になれないみたいじゃあないか!俺は王になることが確約されているのだ…!お前とは違う!」


デズモンド王子は激昂してアリシア様の頬を掌でバチンと打ち抜いた。平手打ちをされてアリシア様は、慣性のなすがまま横を向き、直ぐにデズモンド王子に向き直りキッと睨みつけた。


「私に手を挙げたな…?」

「なんだ、不満か?俺様を不快にさせたお前が悪い!どうした、結婚してやらんぞ?いいのか!」

「こんな男に位を譲ろうなど…」


アリシア様は怒りに目を揺らめかせ、呪うように静かな声で告げた。


「よろしいでしょう。それではもし貴方が位にありつけなかった暁には、私は貴方の国を完膚なきまでに潰します。情け容赦は致しません。あなた方の民は私の物になるのですから丁重に持て成しますが、王族は別です。男は勿論、女子供に至るまで、公開処刑と致します」

「できるものならな」


デズモンド王子はクククと笑い、アリシア様の肩を押した。アリシア様はよろめいて部屋に後ろずさる。王子がアリシア様をさらに突き飛ばして部屋に入れ、ついでに私の腕を無理やり掴んで強い力で部屋へ引きずった。


「きゃあ!なんてことを!デズモンド王子!」


強引なデズモンド王子の横暴さにリゼリア様の悲鳴が響いた。デズモンド王子は煩わしそうに叫ぶ。


「うるさいうるさいうるさい!俺様の言う通りにしろ!死にたくなければ立場をわきまえて俺様に誠心誠意奉仕することだな…!」

「はああ?」


リゼリア様も不快そうに眉を寄せてベッドから飛び降りた。デズモンド王子は私とアリシア様と、それからリゼリア様に指をさして自信たっぷりに機嫌良く命令した。


「早く服を脱げ」

「いいえ、王子。これ以上はアリシア様の護衛騎士として見過ごせません。あと一歩でもアリシア様に近付いたら剣を抜きます!」


アルフォンスお兄様が怒鳴り、王子は足を止めた。デズモンド王子は高笑いし始め、アルフォンスお兄様に指をさし、フェンシングのポーズを取った。


「お前等怖くないぞ!王に剣を向ける等、死と同じ!お前は俺に剣を向けた瞬間に死刑が決まる…!純潔どころか命すら風前の灯火であるアリシア如きの為に死ねるのか?」

「…」

「俺様に媚びへつらうしか、お前たちに残された道はないのだ!退け、役立たずの護衛騎士め!」


アルフォンスお兄様は一言も口をきかずに手を剣の柄にかけたままデズモンド王子を睨みつけた。一歩も引く様子がないアルフォンスお兄様に痺れを切らしたデズモンド王子は床に唾を吐き、忌々しそうに吐き捨てた。


「興醒めだ。ふん、来い」

「私?!」


アリシア様に背を向けたと思うと、今度は私の華奢な腕を無理やり掴んで引きずるように部屋から出て行く。アルフォンスお兄様が本気で剣を抜こうとした瞬間に、デズモンド王子はアルフォンスお兄様を睨みつけ、捨て台詞を吐いた。


「アリシアは確かに王女だが、この女は違う。俺様に抱かれて喜ぶべき女だ。それにお前に文句を言われる筋合いはないだろう!違うか?側室にしてやる、来い!」

「嫌…ッ!」

「アルフォンス、動くな!」


アルフォンスお兄様が剣を3センチ抜いた瞬間にアリシア様が刺すような声で叫んだ。


「デズモンド王子、私の庇護下にある者には指一本触れさせないと言ったでしょう…!」

「お前が悪いんだアリシア!お前が拒否ばかりするからこうなるとこの女の体に教え込んでやる!」


デズモンド王子はさも当然といった顔をしたが、私が暴れるのに気分を悪くして、私の髪を掴んで叫ぶ。


「強情な女め!大人しくしろ!」

「きゃあ…っ」


バチン!と音が響き、頬に痛みが走る。平手打ちをされたせいで、無理やり首が曲がり、首まで痛い。学生時代に女のか弱い力で殴られたことは正直あるが、男の筋力で殴られたのは初めてだ。目の中がチカチカと光り、激しく目眩がする。頭が揺れて、くらくらと視界が揺れた。


「これ以上の抵抗は外交問題とさせてもらう!勿論、これは陛下にも報告させてもらうしかあるまいな?」

「そんな馬鹿なことが…!」

「次期王である俺様にそんな簡単なこともできないと思っているのか?どうなんだ?アリシア?」


これは絶対的に、不利だ。外交問題と言われてしまえばアリシア様にはもう対処できない。そんな権限はないし、そもそもアリシア様は王からデズモンド王子をもてなすように婉曲的ではあるが命を受けているのだ。ここで下手に邪魔をすればサラセリア様が女王になるより先に処罰されるかもしれない。

だからこそここまでされてもアルフォンスお兄様は命令や立ち位置で動けないし、動けば不利になるアリシア様も私を助けられない。私は窮地に立っていた。純潔を無理矢理散らされる恐怖と、それがデズモンド王子という嫌悪感に涙が出る。助けてお兄様、助けて、と涙声で小さく口の中で叫ぶ。お兄様の顔は怒りに紅潮していくが、アリシア様が手で制していて動けそうにない。ここにいる誰がどう動いても後々不利になる。だとしたら私がこのまま手篭めにされるのが一番簡単な解決策であると言えてしまう。脳裏によぎるのは、冷たい目をするジョシュア様。私を請うのはジョシュア様が良かった、ジョシュア様でないと嫌だった。


粘ってもついに部屋から出る、というところで、不意にドアの影からジョシュア様が姿を見せた。デズモンド王子はジョシュア様を挑発的に睨みつける。ジョシュア様は素知らぬ顔でひらひらと手に持った本を揺らした。


「いいのか王子、俺は今のやり取り全部記録したぜ。お前の振る舞いは後世に伝えられるだろうな。歴史を遡ってもここまで女にひどい扱いをする王はもちろん、王子もいないな。大スキャンダル間違いなし」

「忌々しい語り部め…王になったら真っ先に取り潰してくれるわ」

「なってから言え」


ジョシュア様はメモ書きしていたページを破いてひらひらと振った。デズモンド王子は私を強く押して捨てた。私はどさりと床に投げ出され、打ち付けた腰を痛めてぽろりと涙を零した。デズモンド王子はそのままページを引ったくって部屋から出て行く。


「ジョシュア…!なんと言ったら良いのか、本当に…本当にありがとう。僕のマリアのことを助けてくれて」

「助けたわけじゃない」


恐怖に涙が止まらない私をアルフォンスお兄様が抱き上げてソファに座らせた。アリシア様とリゼリア様も座り、私を慰めるように抱きしめる。お兄様が右からぎゅっと私を抱いて、左にアリシア様とリゼリア様がそっと抱きしめていた。


「可哀想なマリア。あんなに強引に迫られたことはないでしょう。私のせいで酷い目にあわせてしまったな…」

「殴られたところは大丈夫ですか?痛みますか?」

「そういえば、痛いです。お兄様、離れないで、おねがい」


痛いと言えば冷やすものを持ってこようと立ち上がる兄を私は引きとどめた。ここで一番安心できるのは兄だから、離れたくなかった。怖い思いをしたせいか、いつになく兄が頼もしく見える。俺が行く、とジョシュア様がタオルを濡らしに廊下へ消えた。


「すべての男がああいう馬鹿ではないので、安心してください。僕やレイモンドみたいに盲目的に優しい馬鹿もいます。かわいそうに。僕が剣を抜きさえすれば」

「駄目だ、アルフォンス。お前は私に必要だから、ボロを出してはいけない」

「マリアのためでも、ですか?」

「いいのです、お兄様。それは仕方ないことでしょう」


アルフォンスお兄様はアリシア様にカチンと来たようだが、私が一言添えると不精ながら唇を引き結んで恭順の意を示す。


「あの馬鹿はアリシア様だけじゃなくて、侍女たちにも手を出そうとするから困るんです。特にジェシカを気に入っていて、すぐに手を出そうとするから…」

「ジェシカは対策を打ってあるから大丈夫だ」


アリシア様がアルフォンスお兄様を嗜め、アルフォンスお兄様は諦めたように私の頭に唇を落とした。小さい子供のように扱われて安心しきった私はお酒が回ったのもあって眠くなってしまった。アリシア様やリゼリア様も眠くなったのか、二人は先にアリシア様の広いベッドに寝転んでうとうとと微睡み始める。


「アルフォンス、大変だったな」

「ジョシュア、マリアのためにわざわざありがとうございます。座りますか?」

「絶対に嫌だ」

「さっきは助けた癖に、へそ曲がりですね」


ジョシュア様はアルフォンスお兄様に桶とタオルを渡し、アルフォンスお兄様はテキパキと冷たい水で湿らせたタオルで私の頬を冷やした。冷たい水で目が覚めた私はアルフォンスお兄様に寄りかかりつつ、ソファの前に置かれたテーブルに座ったジョシュア様を見つめた。


「助けてくださって本当にありがとうございます。本当に、本当に…」

「勘違いするな、あれを止めないと次は調子に乗ってリゼリアにでも手を出すだろうから止めただけだからな」

「ええ、なんでも構いません…ただ本当に助かりました」


涙で酷い顔もタオルで拭き取って、綺麗に整える。ジョシュア様は口では酷い事を言っても、非情にはなりきれず心配そうに私の頬を見ていた。


「しばらくは腫れるでしょうから、仕事は休みなさい。ローズヒルズの邸ならデズモンド王子も手を出さないでしょう」

「はい、お兄様」


腫れてきたのか、頬がじんじんと痛んだ。タオルを押し当てて冷やすと気持ち良い。しばらく外に出られないのは残念だけど、この顔を誰かに見せたいとも思えなかった。平手打ちでも馬鹿力でやられるとここまで腫れるのか。


「幸運とは言えませんが、ジョシュアがいたので彼のしたことは追及できるくらいの証拠があります」

「追及するのか?」

「もちろん今ではありませんが」


アルフォンスお兄様は本気の怒りを滲ませた声色でデズモンド王子の出て行った方角を睨みつける。


ジョシュア様は私のことを本気でまだ怒っているし、憎んでいることだろう。エミリアのことがあったばかりで、失恋の痛みで元から嫌いな女が関わっていたと信じ込んで嫌い抜いた直後だ。それなのに、私を助けてくれた。感謝の気持ちしかないし、同時に申し訳なさも感じる。私は目の前のジョシュア様に伏し目がちに謝った。


「ごめんなさい」

「は?」


ジョシュア様は何のことだかわからない、という顔をして首を傾げた。


「マリア、傷に障るからもう寝ましょう。この部屋で良いですか?一人になりたければ僕の部屋でも良いですよ」

「変な噂が立つでしょう。ここで寝させてもらいます」

「分かりました」


お兄様は私の身体を簡単に抱き上げてベッドへ連れて行った。リゼリア様の隣に転がされ、優しく布団を掛けられる。アルフォンスお兄様は私の額にキスをして、おやすみなさい、と囁いて扉の向こうへ消えた。警護の為に見張りに立っているのだ。ジョシュア様も一緒に出たのか、部屋は静寂に包まれた。アリシア様とリゼリア様の寝息がやけに耳に響く。暫く目を閉じていると、アリシア様が消え入りそうな声でミハエルと呟いたのが聞こえた。


「ジョシュア、さま」


…デズモンド王子に触れられて、心の底から嫌だと思った。目の前にいたお兄様に助けてほしいと思ったけれど、縋り付きたいのはジョシュア様。

どうすれば私はジョシュア様に赦してもらえるだろうか。



****************



目が覚めるとすっかり朝日が昇り、カーテンから光が漏れていた。既に起きていたリゼリア様が冷たい水を侍女から受け取って布を冷やしている。


「おはよう、マリア。酷い顔だわ」

「おはようございます…鏡をください」


リゼリア様は私に鏡と冷やした布を手渡してくれた。鏡を覗くと頬を真っ赤に腫らして、瞼も腫れて分厚くなった一重瞼のブスが私を見つめていて絶句した。起き上がろうとすると腰が鈍く痛んで力が入らない。痛みに呻くとすぐに気づいたリゼリア様が心配そうに眉を寄せた。


「大丈夫?昨日腰を打っていたから、痛めてしまったのね」

「こんなに酷い顔、生まれて初めてです…外に出れません」

「バカ王子のせいで散々な目に遭ったわ」


話しているとアリシア様が煩わしそうに目を開いた。


「おはよう二人とも…今は何時?」

「10時よ。今日は急ぎの仕事がないからゆっくり寝ていても構わないわ、アリシア様」

「そうか」


アリシア様は安心したようにまた目を閉じた。

暫くするとリゼリア様の指示で朝ご飯の準備を終えたジェシカが呼びにきた。私はとても食べられそうにないので、おとなしくベッドで眠ることにした。リゼリア様はアリシア様を叩き起こして朝の支度をさせ、私の分の料理を持ってくることを約束して食事をしに行った。ひとりぼっちになった私はぼうっとまた目を閉じる。冷たい布が気持ち良い。残った侍女のフィリスが布が温もるとすぐに変えてくれるので、動かなくても楽だった。ほっと一息ついて布を顔から離す。


「よ、ブスになったな」

「………………き、きゃああああ!!!!???っ…んぐっ、痛い…」


突然ベッドサイドからジョシュア様が私を覗き込み、驚いた私は飛び上がって腰の痛みにさらに驚いてベッドに逆戻りした。


「腰を痛めたのか。待ってろ、良い薬があるから」

「え、ええ…待っていますわ」


ジョシュア様は部屋から出て、そしてすぐに戻ってきた。手には異常に匂う薬品が握られていて、それを遠慮なくフィリスに渡した。フィリスは鼻を摘みながら嫌々受け取り、私をうつ伏せにしてネグリジェを思いっきり引きあげた。


「キャアアアァアア!!」

「うわあああ!」


…ジョシュア様がまだいたのにネグリジェを捲られ、私はジョシュア様に下着を丸々見せてしまった。可愛いやつ履いてたっけ…と気にする余裕はなかったが頭の片隅には一番可愛い最新の物を付けていないことを本気で後悔した。叫ぶ私とジョシュア様を放ってフィリスは涼しい顔で私の腰の痛む所に薬を塗り、その上から包帯を巻いていく。ジョシュア様は慌てて後ろを向いて目を押さえた。押さえると目に薬品が入ったらしく痛みに悶え始め、侍女に促されるまま私の冷水で目を洗っていた。ネグリジェを正し、更に上からガウンを着込んで、顔を布で隠してからジョシュア様に向き合う。ジョシュア様は先ほどの薬品のせいで目が真っ赤に充血していた。


「ジョシュア様も随分ブサイクになっていますよ」

「お互い様だな」


ジョシュア様は笑って、私に絵葉書を手渡した。絵葉書はローズヒルズ領のデートスポットである薔薇が咲き誇る噴水公園の絵で、『マリアお嬢様へ』と読みにくい字で書いてあった。


「エミリアからだ」

「エミリアがジョシュア様にお手紙を?」

「ああ、そうらしい」


絵葉書にはそれ以外の文字はなかった。エミリアはただ、無事に着いたことを私に報告しただけのようだった。それからジョシュア様は分厚い便箋を取り出し、私に向けた。


「こっちはマシューとエミリアからのメッセージ。俺宛てだから見せないけどな。マリア、お前があの二人を逃したんだな」

「もう少し口止めしておくべきでした…」

「ふーん、やっぱりな。馬鹿だな、あの二人は上手く隠していたのにお前が喋っちゃうなんて」

「…騙しましたね」


恨めしそうにジョシュア様を見上げる。ジョシュア様はさして気にせず、晴れ晴れとした顔をしていた。


「エミリアが死にたくないほど幸せなんだと言ってる。俺じゃ彼女を幸せにしてやれなかった。鳥籠の中で飼い殺しにするのが精々だったな。でもマシューは違う。空へ鳥を放ってやる強さがあった」

「ジョシュア様…」

「やっと分かったよ。時間をかけてエミリアを探したり、マシューを殺す算段を立てても、俺は満足しないし、俺らしくない。巻き込んで悪かったな」


ジョシュア様はぐしゃぐしゃと私の頭を乱暴に撫でた。


「ではこれで仲直りしてくれますか?」

「ああ、勿論」

「貴族アレルギーも治ります?」

「それは無理だな」


ジョシュア様は私に慣れてきたので気分が悪くなったり、わざわざ避けたりすることはなくなっていたけれど、それ以上のことはやっぱり無理らしい。だから私と罷り間違っても恋仲になることはないんだと優しめに教えてくれた。控えめに言っても凹む一言ではあったが、それでも友達にはなってくれるらしい。ジョシュア様と握手をして、仲直りをして、エミリアとマシューの話を洗いざらい話した。ジョシュア様はすっきり吹っ切れたのかエミリアの話を聞いても、穏やかに笑っていた。何日か失恋の痛手に苦しんで、それから私のことを思い出したらしい。なんだか可哀想になってしまった、と困ったように言っていた。


「その延長で私を好きになりませんか?」

「俺の好きになるタイプじゃないからな」

「やっぱりエミリアみたいな、純粋無垢な可愛い系ですか?顔立ちならエミリアに負けない自信はありますが」

「その顔でか?」


ジョシュア様はめちゃくちゃ良い顔で笑った。私はむすっと頬を膨らませて拗ねる。


「今は勘弁してください」

「悪い悪い、普段の顔は勿論タイプだし、可愛いと思う」

「私もジョシュア様の顔とっても好きですよ」


心を許してくれているようで、ジョシュア様はごく自然に私の手を握った。私は嬉しくって握り返す。ジョシュア様はまたしても困ったように笑った。


「顔がなあ…」

「どこかのバカ王子のせいですよ、全くもう」

「ああ、そのバカ王子のことだけど、暫くは顔を見ることもないと思うぜ。デズモンドがアリシアにちょっかい出したことにサラセリアと妃殿下が激怒して、デズモンドを軟禁してるんだ」

「軟禁ですか?」

「それもサラセリアの部屋に、だ」

「それだとまるでデズモンド王子はサラセリア様の夫ではありませんか…」

「デズモンドに選択の余地がないことを教え込んでるんだろうな。どう考えても逆効果だけど」


バカ王子の奔放さを分かっていないからこその策である。根無し草でしかない王子だからこそ、自由であることに重きを置く。退屈な軟禁生活でさぞかしサラセリア様に嫌気がさし、アリシア様を望むことだろう。


「サラセリアはどうしようもないアホだが、妃殿下は狡猾だ。サラセリアの誘いを断ったお前を決して許さないだろう。サラセリアの治世になればまず間違いなくローズヒルズは別の者に乗っ取られる。だから、アリシアを守れ」

「…ご忠告ありがとうございます」


さらりと怖いことを言われて腰が余計に重くなった。妃殿下か。何度か顔を合わせたことはあるが、話したことはない。


「今まで隠れていたアリシアがついに表舞台に立つ時に来ている。それに衣装はかかせないだろ?お前の存在っていうのはアリシアの強い武器なんだ」

「…でも、アリシア様が何をしているのか、未だに分かりません。何にも言ってくれないもの」

「アリシアは馬鹿だからな、お前達を巻き込みすぎないように、一人で背負いすぎてるんだ。…尤も、アルフォンスに限ってはその限りではなさそうだが」

「お兄様が?」

「アルフォンスは出来が良すぎる。それからジェシカも。あの2人だけはアリシアの考えを丸ごと全部知っているんだろうな」


私には何も分からない…アリシア様が何を考えているのか、私をどう使いたいのか。これまで通りの接し方で構わないのだろうけれど、アリシア様が何かを仕掛ける気に、そして仕掛ける時期にさしかかっているなら私だって知りたい。お兄様ほど頭が良いわけでも、剣が使えるわけでもないけれど…


「俺はお喋りだってよく怒られるから、喋るのはここまでにしておく。ああ、ところで、エミリアに薬代を渡してくれてありがとう。それで代金を返したくて持ってきたんだ。エミリアにどれくらい渡した?」

「…それはお気になさらず。気を悪くなさらないで欲しいのですが、あれは私からのお祝いだったのですから」

「そうか。随分気前が良いな」

「身勝手な嫉妬に対する謝罪でもありましたから」


目を伏せるとジョシュア様はまた私の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。少し笑っていた。とても悲しそうな顔で笑っていた。



ちょうどアリシア様とリゼリア様が朝食を持って帰ってきてくれたので少しだけ食べて、それから帽子を被って顔を隠して邸に帰った。家人は私の顔をみてギョッとしたけれど、深くは追及しなかった。勿論本家に報告することは止めたけれど。


腰を痛めて動けないし顔の腫れも酷いので、治るまではベッドで唸る日々が続いた。

大事を取って2週間、邸から一歩も出ずにベッドの上で過ごした。ジョシュア様は一週間に一度ずつお見舞いに来てくれたので、比較的退屈しなかったように思う。手土産にこの前の臭い薬だった。この薬は本当に臭いけれどよく効くのは間違いなかった。現にかなり腰が楽になった。その日もたわいのない話をして、忙しいジョシュア様はすぐに帰った。頬の腫れはひどかったけれど、それはローズヒルズ家御用達の塗り薬で比較的早く治った。『女性に恨まれやすい』ローズ候補生の為にできた薬なんだそうだ。確かにローズになるには数々の試練だけではなく女の戦いも待ち受けている。私の代ではなかったが、ライバルの顔に怪我をさせる時代もあったようだ。


ようやく顔も腰も全快したところで、ローズヒルズ邸に手紙が届いた。差出人は、デズモンド王子だ。


『風邪を引いたので見舞いに来るように』


手紙にはその一言しか書いていなかった。手紙はビリビリに破り捨てたけれど、王族の直接の誘いを断ることはできない。ましてや隣国の王子の誘いを一介の貴族が断れば外交問題になりうる。深いため息を吐き出して、私は準備をし始めた。

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