青薔薇の令嬢
淑女にあるまじき肩より短い美しい銀の髪。その髪にはおおぶりの真っ青な薔薇が飾られておりそのアンバランスさが端正な少女の顔によく似合っている。大きな瞳は深い海のように澄んだ青色。肌は陶器のように白く透き通り小さな唇は薄桃色の紅を載せてつやつやと輝く。舞踏会用の髪の薔薇と同じ色のドレスは最新のトレンドをバッチリ押さえているし、頭のてっぺんから足の先までぬかりなく整えてある。少女の堂々とした佇まいは気品を感じさせ、周りの女性はそのオーラに圧倒されたのか惚れ惚れとその姿に見惚れていた。
「これはこれは。ローズヒルズの今代の青薔薇様」
「お招き頂きありがとうございますわ、ラインラルド伯爵」
腹に脂肪を蓄えた恰幅の良いロマンスグレーの髪をした中年の男が私に声をかけた。ドレスを持ち上げて完璧な礼を取る。顔を上げて完璧な角度の口角を維持し微笑みながら嫌味で伯爵を突き刺す。
「折角の縁を台無しにしてしまいましたもの。もう呼んでいただけないかと思いましたわ」
「まさか!ローズヒルズの今代の青薔薇様をお呼びしないわけがないでしょう…!勿論息子との婚約が成立しなかったことは残念でなりませんが…さあこちらへ」
ホストのラインラルド伯爵に連れられて人集りに飛び込む。あくまで優雅にドレスの裾を捌きながら伯爵の背を追うと伯爵によく似た体型の、そしてこれまたそっくりの冴えない顔が出迎えてくれた。伯爵がでっぷりした腹を撫ぜながら彼を私の前に押し出す。
「レオナルドです。私の次男で、」
「ご紹介は不要ですわ」
私は言葉を切った。そういえばこの前勧められたのは兄の方だった。…何度断ればこの人は諦めるのか。
「一度だけ、踊っていただけませんか」
「…構いませんが、本当に踊るだけにしてくださいますわね。他意はございませんから」
レオナルドは親譲りのでっぷりした腹を撫ぜながら頷いた。腰に腕を絡められ鳥肌が立ったが笑顔を崩さずにフロアに出る。音楽に合わせてステップを踏むが、レオナルドは腹がつかえているのかステップは私の半分も踏めていない。おまけに力が強いのか女性を引っ張って密着するポーズでは私を引っ張りすぎて熱い恋人のような態勢を取らされて辟易した。
やっと音楽が終わり、解放されると思って形ばかりの礼を取ろうとするとレオナルドが跪いた。
「…なにか」
「息の合ったダンス!熱い視線!」
レオナルドが大声を出した。自然と注目が集まり、私たちの周りがあからさまに拓けてギャラリーが円になった。
「やはり私とあなたは結ばれる運命にある!…指輪を受け取ってくださいますね?」
レオナルドは懐から腹の肉を避けて小さな箱を取り出す。それを開くと中には小さなダイヤの嵌め込まれた指輪が表れた。世話好きでゴシップ好きなご婦人方がまあ、とそれはそれは嬉しそうに息を飲んだ。感動する場面ではない。
ここで彼を振ると自分に気があると見せかけたのに袖にした酷い女としての名が社交界に広がり我が家の名も廃る…が、結婚などする気はない。
私は指輪を箱ごと取り上げた。そしてしげしげとその中身と箱を眺める。指輪の中を覗き、箱を裏返す。
「…これはグレナンで作られたものですね?」
「ええそうです。職人があなたの為を想い…」
「失礼にも程があるわ」
私は指輪の箱を突き返した。レオナルドは驚愕の表情でそれをみる。
「私はマリア・ローズヒルズ。ローズヒルズ伯爵家の、それも青の薔薇。…わかりませんか?私はローズヒルズ領で採られる希少なローズクリスタルでしか求婚は受け入れられません」
「そ、そんな…!私に恥をかかせる気ですか…!」
「馬鹿な真似をしたのはあなた自身よ」
求婚を一蹴し、顔を青くしている野次馬なのかグルなのかわからない面々に深々と頭を下げる。
「お騒がせ致しました。私に求婚される場合は当家を通してローズクリスタルの指輪を手に入れてからにしてくださいませ。今後ともご贔屓に」
一礼してから顔を上げ、輝くような笑顔を振りまいてから出口に向かって歩き出す。
大広間はざわざわと婦人の語らいと噂の温床となり私が出て行くのを見守っていた。明日の夜会でこの話がどう転がるか楽しみだ。きっと帰ったらお兄様には怒られるだろう。それとも私が嫁がないことを、損をしなくて済んだと喜んでくれるだろうか。
広間を出てほっと一息つく。息がつまるような空間だった。いつだって、私は注目されて休む暇もない。だけどそれが最高に気持ち良い。気持ち良くて、苦しくて、最高にやりがいのある。
「あの手の告白は初めてでした?」
まるで私が出てくるのを待っていたかのように扉の影に隠れていた男が私に声をかけた。全く予想もしていなかった私は驚いて肩を上げる。それでも余裕を取り戻して振り返り、優雅に微笑んだ。そこには柔和な笑みを、胡散臭いものを浮かべたプラチナブロンドで琥珀色の瞳をした優男を絵に書いたような美形がいた。その顔を見た瞬間場が白けて私は顔を真顔に戻し優雅さなど取り払う。
「あらお久しぶり。見ていたなら割り込んでくれて良かったのよ、アルフォンスお兄様」
「そんなことをすると今度は僕が君の恋人だと思われてしまうのではありませんか?」
アルフォンス・ローレライはプラチナブロンドを靡かせてにっこりと悪戯っ子のように笑った。馬鹿みたいに絵になる男だった。
アルフォンス・ローレライ。ローレライ男爵家の次男で、私マリア・ローズヒルズの実の兄である。ずっと昔から城で騎士見習いをしていたため、私が青薔薇と呼ばれるようになる少し前からほとんど会うことはなかった。現在は城で王女殿下に仕える騎士で、かなりの出世株との噂がご令嬢の中で広がっている。
そして私、マリア・ローズヒルズはローレライ男爵家の末娘として16年前に生を受けた。自分で言うと嫌味や聞こえるが、母譲りの美しい銀髪に深い青のひとみ、そして類い稀なる美貌を持つことで社交界の話題をかっさらった。欠点を上げるとすれば頭が少々弱いくらいのもの。そんな私が目指したのは分家のローレライから本家のローズヒルズ伯爵家の、ローズと呼ばれる女主人だ。
ローズとは社交界のおいては外せない、社交界きっての流行の発信源だ。服飾関係においてローズヒルズの右に出る者はいない。その宣伝頭がローズと呼ばれ、それはローズヒルズの一族で最も美しく才能がありさらに着飾るに相応しい美貌を持つ社交界デビューできる年の未婚女性に限られている。ローズに選ばれれば、分家のものは養女として本家へ籍を移す。私もそのためローレライからローズヒルズへ名を改めている。もしローズになれば誰よりも早くはやりの服をきて、誰もが私を憧れて真似をし、そしてローズヒルズ家では一番偉い人の一人になれる。欲の深い私はそれを5つの時から夢みていた。
かくして数々の審査とライバルを蹴落とし射止めたこのローズという立場は本当に厳しく、そして華やかだった。夜会には常に呼ばれ誰もが私の頭のてっぺんから足の先まで観察して流行を探すのだ。これからしばらくは今の私がつけているような、花を飾った髪が流行る。
ローズになると色が与えられる。それぞれの身体に似合った色をパーソナルカラーとして、印象付けを行うためだ。私は青がよく似合うため青い薔薇、ブルーローズと呼ばれる。前任は緑の薔薇と呼ばれていた。
そして、なによりもローズをローズたらしめるものがある。髪型だ。
ローズは選ばれたその日からローズの名を返上するまで髪を少年のように短く切る。肩より上にしておかねばならないという掟だ。これが似合うような整った顔をしていなければならないという一種の要素でもある。ローズにしか似合わない、ローズの特権。
「家名は変わりましたけれど、私とあなたが実の兄妹であるということは調べればすぐにわかるでしょう」
「エディはお元気ですか」
「エディお兄様はとても忙しいけれど、元気よ。会いに来る?」
アルフォンスは首を振って否定した。エディはローズヒルズ家の長男で、一人息子だった。ローズヒルズ家は養女はそれなりに定期的にいるが、本当の子供はエディだけだ。経営方針にうるさくて苦手といえば苦手だが、私のやりたいことを理解してくれる唯一の人でもある。
「アルフォンスお兄様こそ、城はどうなの」
「最近はどうにも…事情が複雑なのだけれど、姫様が塞ぎ込んでおられる」
「まあ。どちらの王女殿下なのかしら」
「アリシア様だよ」
「第一王女殿下ね。…となると、アルフォンスお兄様は第一王女殿下付きの騎士なの?」
「そうだよ」
順当にこのままいけば、第一王女殿下がこの国を治めることになるだろう。そうなると今度は兄は女王に仕えることになる。これはローレライ家始まっての出世だ。まさか兄がここまでできる人間だとはいままで一度も思わなかった。私は目を回しそうになっていた。
「アルフォンス」
鈴の鳴るような声が廊下の端から聞こえた。かつんかつんとヒールの音が反響し、その音源に私とアルフォンスお兄様が振り返る。
表れたのはそれはそれは美しい令嬢だった。闇と同じ黒い髪を優雅に結い上げ、紫のドレスを着こなし瞳と同じキラキラ光る黒い石をつけていた。お兄様の恋人かしら、と小首を傾げ、だったら誤解されたかしらと思い一歩後ろに下がる。令嬢は私を頭のてっぺんから足の先までぐるりと見ていた。
「リゼリア、どうしましたか?」
アルフォンスお兄様は事も無げに尋ねた。令嬢の名前はリゼリアというらしい。令嬢はアルフォンスお兄様を見ながら言った。
「私のエスコートは?」
「もうしたでしょう」
「最後までするのが普通よ」
「見ての通り僕はこちらのご令嬢を口説いているんです」
兄は私を指差した。この兄は痴話喧嘩に実の妹を使った。口説くだなんて?私はまた一歩退いた。バカな喧嘩に巻き込まれてローズヒルズの名を落とすなんてことは絶対に嫌だ!
ところがご令嬢はそれを聞いてふふふと笑った。私はご令嬢を逆に見てしまった。
「あーやだ面白い。あなたって近親相姦の気があるの?やだやだ、アリシア様に言わなきゃ」
「…ばれてましたか」
アルフォンスお兄様は諦めたように首を竦め、離れ始めていた私の手を掴んで引き寄せた。ご令嬢の前に突き出され、私より背の高い彼女の顔を見るために顔を上げた。
「知っているようですが、彼女はマリア・ローズヒルズ伯爵令嬢。僕の妹です」
「うふふ、さっきは大変だったわね。あなたの勇ましい姿を見られて本当に面白かったわ」
「ええっと…」
「マリア、こちらはリゼリア・サンローラン・リール侯爵令嬢。僕の同僚のようなものです」
リゼリア様はにっこり笑ってよろしくねと言った。リール侯爵家、といえば、宰相だ。彼女の兄が宰相をしているはずだ。歳の離れた兄は30歳になるはずだがそれでも若すぎる宰相…しかもとても有能だと。その妹まで王城にいて、兄が彼女をエスコートしている。私の兄が!
「…色々考えているところ申し訳ないんですが、僕とリゼリアはそんな関係じゃないんで」
「アルフォンスお兄様…身分違いで遠慮なんてなさらなくてもお兄様は出世株ですからきっと拒まれることもないと私は思うのですが」
こそこそと耳打ちするとアルフォンスお兄様は露骨に嫌な顔をした。
「可愛いのは顔だけ」
特にリゼリア様に隠すわけでもなくアルフォンスお兄様は吐き捨てた。リゼリア様はそれを涼しい顔をして受け取り、扇を広げてパタパタと顔を仰いだ。
「お互い様よ」
たとえそんな関係じゃなくてもここまで親しい!その事実に私は震えた。私はローレライ家から上り詰めたと思ったが、兄はさらにその上を行っていた。悔しい!
「ねえマリアさん」
「はい?」
「あなた、アリシア姫の昨日のお召し物、どう思われた?」
そういえば昨日、アリシア姫が珍しくサルース公爵家で開かれた舞踏会に出席されていた。勿論私も参加していたので覚えている。彼女は髪の色に合わないけばけばしいピンクの、それも型遅れも甚だしいものを着ていた。私の記憶が正しければあれは私たちのお祖母様世代が若い頃に着ていた形だ。流行は繰り返すとはいえ今の私たちには早すぎた。…とは素直に言えないか。
「私なら、アリシア様の瞳に合うような緑のものを…形も肩パッドの入らないものをお出しいたしますわ」
批判はしていない。だが回答に困っているのは見え見えだ。リゼリア様は口角を上げて小首を傾げた。
「アクセサリーや髪型はどうだった?」
「まずヘアケアからです。アクセサリーは…その…国宝を付けるのは…もう少し…大切な場所でよろしいかと」
アリシア王女はお世辞にも美しい髪をしていなかった。
そしてその髪を飾る宝石はあの場には似つかわしくない大きなティアラで、誰もが見たことのある国宝のそれだった。胸元を飾るルビーの石も大きく博物館で展示されてもおかしくないレベルで、逆にそれがいやらしく見えてしまったのだ。
「アルフォンス、どう思う?」
「何がですか?」
「彼女にアリシア様の世話をさせるのよ」
「は?」
「私がお世話?」
リゼリア様の言葉に私とアルフォンスお兄様は固まった。リゼリア様はまた私を上から下まで観察し、アルフォンスお兄様に向き直る。アルフォンスお兄様は目を白黒させていた。
「マリアさんならアリシア様ときっと仲良くなれるわ。それに、あのオシャレに無頓着で侍女任せ…私、どうしてもあの侍女を辞めさせたいのよ。だけど私じゃ力不足だわ」
「大変名誉な話ですが…私には家の務めがございます。侍女にはなれませんわ」
「あら、誤解させたわね。侍女にならなくていいのよ。話し相手になってほしいの」
話し相手?
私がまたも疑問符を浮かべて立ち尽くすとアルフォンスお兄様がやれやれと首を振った。
「確かに、そろそろ重い腰を上げて動く時でしょうね。姫様が動かないなら僕たちが動かないと」
「お兄様?」
「マリア、僕からもお願いします。姫様と、この国の為にも城へ来てくれませんか」
アルフォンスお兄様と、リゼリア様は揃って真面目な顔で私を見つめた。
「条件を付けてよろしいかしら」
私は震える声を吐き出した。国の権力者に連なる人にこんな鷹揚に話すことなど、絶対にない。この先には絶対に。そして私は見た目よりずっと小心者だ。怖いものは怖いし、嫌なものは嫌。だから条件を飲んでもらえないからば私は引く。この話しはなかったことに、なる。
「ええどうぞ」
「…妹姫のサラセリア様は我が家の物をお召しになっていると聞きます。ですが姉姫のアリシア様は、違いますよね。今後は私がお持ちする我が家のものを、お召しになっていただきたいのです」
「あら、もとよりそのつもりよ」
リゼリア様はなんでもないように笑った。
「それはむしろ私からお願いしようと思っていたくらい」
「ほ、本当に??!で、ですが、これで我が家の勢力がより強くなるということになるんですよ?!」
「構わないわよ。どうせもともと一強なんだから」
リゼリア様はアルフォンスお兄様の腕に手を回してにっこり笑う。アルフォンスお兄様は満更でもなさそうな顔をしていた。さてはお兄様、先ほど否定はしたがリゼリア様をお慕いしているのね…
「そうと決まれば私達は城へ帰らなきゃ。話を通してくるわね。また明日にでも、使いを送るわ」
「ええ、お待ちしております」
ひらひらと手を振って二人は退出した。優雅に、王宮の使いの馬車に乗り込むのが見える。やはり絵になる二人だった。美男美女とはあのことだ。私も自分と並んで絵になる男を探さねば…
「ここにいたか、マリア!」
「エディお兄様…いつも言っているけど、うるさいわ…叫ばなくっても聞こえるんだから」
私の付き添いの兄が私をさがしていたらしく、大慌てで駆け寄ってきた。難聴気味の兄は大抵のことには気付かないので私の婚約騒動もまだ知らないのだろう。それならそれで良い。
「お兄様、私、城へ行くことになりましたの」
「城へ?!」
「ええ、第一王女殿下の、話し相手になります。明日までに最高級のお召し物を用意しなくっちゃならないわ」
颯爽と歩き出すと遅れてエディお兄様が追いかけてぶつぶつと納品リストを声に出していた。兄、誰にも聞こえていないと勘違いしているが、ダダ漏れだ。ばかめ。