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……それから彼女、幸は私が暮らしているセセラギ荘へ毎日訪ねてくるようになりました。お父さんとお母さんからすればそのような見ず知らずの人間が息子に連日訪ねてきていたということは衝撃の事実だと思いますが、あなたたちの息子は割と流れに身を任せて生きているので、こうなったのもしょうがないっちゃあしょうがないでしょう。私も新しい大学での環境に適応しようと必死だったのです。


 少々話が逸れました、話の続きを書きましょう。そう、あれは幸が私の家でご飯を作ってから十日ほど経った六月七日木曜日、朝から雨が降っていた日の事です……



六月七日、木曜日。



 幸と共に夕食を食べてから早くも十日間、彼女は連日佐野の家を訪ね、彼はもはや完全に幸という人物が訪ねてくることに慣れてしまった。


 毎日毎日飽きることも無く彼女はただの一度も佐野が『また来い』と言っていないのにある意味甲斐甲斐しく彼を尋ねてくるのだ。


 そんな、ある意味非日常が日常化し始めた青年、佐野は現在黒板に書かれていく数式をノートに写し取っていた。その席は黒板から最も近い一列目の真ん中の席。基本的に授業は真面目に受ける男なのだ。


「――――、――――」


 黒板の前でチョークを持ち――四年後の進路しだいでは――間違いなく将来役に立つ機会は皆無である数学の美しさを、教授は楽しそうに語っている。佐野自身面白いとは思うが、将来を研究に捧げようと思うほど学問に魅入られているわけでは無い。


 彼は真面目な男で、授業後に教授に質問しに行くくらいの学問への興味は持っているが、それはどちらかというと自分は頑張っているという安心感が欲しいというのが理由である。それを彼自身自覚しており、そこまで考えてしまう自分を嫌いにはならないが、偶に嫌になることはあった。


(俺は幸せなのかな?)


 連日彼を訪ねてくる幸の影響か、佐野は授業中にふとそのようなことを思った。


 今、ここで手首が痛くなりながらも一生懸命黒板の内容を写し、ただ真面目に生きようとしてしまう自分は果たして幸せなのか、少しばかり佐野は考えてみた。


 しかし、自身が幸せであるかなど、自問している時点で分からなくなる物だ。それゆえ、佐野は考えることを止め、再び板書に集中することにした。



 講義も終わり、佐野は宮代と共に学食で昼食を食べていた。話題は件の幸のことだ。


「で、その後、幸さんとは最近どう?」


「どうもこうも一切変わらず俺を幸せにさせてくれって言いまくってるよ」


「本当に面白い状況に巻き込まれてんなお前」


 確かに佐野の状況はどう考えても普通の大学生が味わうような日常ではない。


 しかしながら残念ながらその非日常を楽しみ始めていることも事実であり、彼自身それを否定することはできなかった。


「まあ、そうだな」


 だから佐野は正直に言うことにした。それに宮代はニヤッと笑う。


「おお~、佐野さんどうやら幸って人にまんざらでもないようですね? とうとう彼女持ちになるのか?」


「ニヤニヤ笑うな。そんなんじゃ無いよ」


「……佐野は彼女欲しくないのか?」


 確かに今の佐野と幸の関係を聞いただけなら、男女の仲に発展してもおかしくない、むしろ発展していない方がおかしいとさえ感じるだろう。


 だが、佐野は幸という人間から一欠けらの恋慕の情さえ感じ取る事ができなかった。


「何か、幸はさ、俺の事が好きだから俺に尽してる訳じゃ無いと思うんだよ」


 佐野が幸への見解を宮代に話すと、宮代は水を一口飲んだ。


「どういう意味? まあ佐野の話を聞く限り、中々にヤンデレチックなお嬢さんだが、流石に好きでも何でも無い相手に此処まで尽す事は無いんじゃね?」


「前に話したと思うけどさ、幸は公園でたまたまため息を付いていた俺をたまたま見つけて、これ幸いにと俺へ尽す事にしたらしいって話をしただろ」


「それは幸さんがお前に近付くための方便かもしれないじゃんかよ。まあ、佐野の話が本当だとしても、この十日間ぐらいで幸さんの好感度が上がってないってのは流石に無いだろう。これで上がってなかったら攻略不可能なギャルゲーだ」


 佐野は眉を潜めた。上手く彼が宮代に伝えたい事が伝わらないからだ。


 得てして、相手の知らない第三者の事を語るのは難しい物である。説明すればするほど主観が混ざり、混ざった主観のせいで一番伝えたい事柄が覆い隠されてしまうからだ。


 ふと、佐野が食堂に掛けられた時計を見ると後十分で昼休みが終了だった。そろそろ次の講義の教室へと行かなければ成らない。


「うーん。こればっかりは幸に実際に会ってみないと分からないと思うよ。あいつは俺を幸せにしたいから尽すんじゃなくて、誰かを幸せにしたいから俺に尽すんだよ。多分」


「ふーん。そんなもんかね」


 佐野と宮代は立ち上がり、食器をカウンターへと返しに行った。

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