三
*
今日は失敗してしまいました。やはり突然訪ねてしまってはアナタも驚いてしまいます。次からはもっと上手くやる事にしましょう。
今、あなたは何をしているのでしょう? 今の私の所有者はあれからどのように過ごしているのでしょうか? 明日が約束の期日です。
あの日、あなたが私に始めての命令を下したあの時になって初めて、私はあなたが優しい人間であると分かりました。
あなたはいつも考えていたのですね。もう少し考えないほうが楽だと分かっているのに、あなたはいつも相手と自分の事を考え続けていたのですね。
あなたはきっと私の事も色々考えてくださったのでしょう。
明日までに私の望みを叶える方法を考えてくるよう、あなたはおっしゃいました。
今日は少し先走りすぎて『彼』に会いに行ってしまいましたが、明日になればあなたに良い報告が出来そうです。
ああ、私に心というものがあるかは分かりませんが、何と心が軽いのでしょうか。
あなたの命令の下で『彼』を幸せにしようとするという事は。
今日、私がアナタに会いに行った時、あなたは酷く驚いていました。今考えると当然です。
そして、第一声にこう言いました。
『幸、何でここに?』
私はこう答えました。
『アナタを幸せにしに来ました』
アナタは一瞬酷く呆けた後、なにやら混乱した様子で視線を左右に振りました。
『え、だって幸は、佐野さんの物になったんだろう?』
『はい。ですから彼の命令の下でアナタを幸せにしに来ました』
アナタの体は硬直し、しばらくした後、アナタはこう言いました。
『……幸。悪いんだけど、今日は帰って』
『はい。では、また訪れします』
私は踵を返し、その場を後にしました。
やはり今考えても、少々会いに行くのが唐突過ぎた事は否めません。反省です。記録しておきましょう。
? 部屋のチャイムが鳴りました。誰かが訪れに来たようです。
「……おーい、幸、いるかー」
あなたでしたか。ああ、今の私を所有してくれる人。今の私を拒絶しないと言ってくれた優しい優しいあなた。その人が私を呼んでいます。
玄関に行き、ドアを開けました。
あなたは手提げ袋を片手に立っていました。
「よ、久しぶり」
「……六日ぶりです」
と、あなたの後ろにアナタを見つけました。
アナタはソワソワと視線をさ迷わせています。
私はつい二回ほど瞬きをしてしまいました。
何故、あなたとアナタが一緒に居るのでしょう?
私がそれを尋ねると、あなたは答えました。
「ほら、今日はせっかくの七夕じゃん? まあ、都会の空じゃ天の川は見えないだろうけど、三人で星でも見に行こうよ」
ああ、なるほど、分かりました。あなたは機会を作ってくれたのですね。私がアナタと話せる機会を。
「……分かりました。ご一緒します」
ええ、断る理由はありません。あなたが私のためにしてくれた事です。
私の答えにあなたは楽しそうに笑いました。
「ん、じゃあ、あの公園に行こうぜ」
私が頷くと、あなたは再び笑いました。
私達は今、何度もあなたと訪れた公園へと足を進め、誰が話すわけでもなく沈黙を味わっていました。
ああ、今日はとても星が綺麗で、とりわけベガとアルタイルが強く輝いています。
「……ありがとうございます」
気づいたらポツリと右を歩くあなたに呟いていました。
あなたは空から私に視線を向けました。優しげな微笑が私の視界に入ります。
「……」
私は言葉を続けました。
今ここで言わなければならない事だと思いました。
「私をあなたの物にしてくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして」
あなたの眉根が小さく上がりました。
私は私とあなたから少し後ろの方で、付いてきているアナタに意識を向け、
「私に『彼』の幸せを求めるよう命じてくれ、私はとても嬉しく思いました」
「それは良かった」
何処か飄々とあなたは返事してくれます。
本当にあなたは優しいのでしょう。
あなたの足が少しだけ速まり、私より半歩分前に出ました。顔が私から前方に向こうとしています。
どうやら、これで最後のようです。
私は四回目の言葉をあなたに伝えました。
この言葉があなたに届く〝願い〟を込めました。
「……幸喜さん、私はあなたを幸せにします」
あなたが息を呑んで、驚いた事が分かりました。
何か、私の言葉に驚愕するような事があったのでしょうか?
*
「……幸喜さん、私はあなたを幸せにします」
佐野は息を呑んでしまった。
幸が彼に礼を言い始めた事に恥かしさと寂しさを感じ、少し足を速めようとした直後の言葉だった。
「?」
幸は無表情に不思議そうに小首を傾げ、彼を見ていた。大方、自分の発言におかしな事が無かったか確認しているのだろう。
佐野は慌てて――努めて動揺していないフリをして――前方へ視線を逸らし、足を速めた。
「……じゃあ、幸せにしてもらうよ」
声を震わせないようにするのが、今の佐野にはとても難しかった。
自分の顔がにやけそうに成るのを必死で押さえようとしながら、佐野は空を見上げた。
都会の空では天の川は見えない。
しかし、織姫と彦星が一際輝いているのが眼に入った。
〝幸喜さん〟ああ、初めてである。幸が初めて自身の名を呼んでくれた。その事に佐野は顔が綻ぶのを押さえられなかった。
けれど、それとは別にもう一つ、佐野 幸喜が決定的に動揺した事を先の幸はし、それを彼は正面から眼を逸らす暇も無く見てしまったのだ。
おそらく、というかほぼ間違い無く彼女の無意識の内の行為であり、もう一度やってくれと言っても聞き届けられない行為だろう。
しかし、彼女のその行為は佐野幸喜を驚愕させ動揺させ顔を綻ばせるのに充分すぎるほどの威力を抱いていたのだ。
佐野は報われた気がした。
彼がした全ての自己満足が、自己嫌悪が、その幸の行為一つで報われた気がしたのだ。
「……今日は、星が綺麗だな」
「はい」
佐野の言葉に背後の幸はいつもの調子で返事をした。
見なくても佐野には分かる、今の幸はいつもの様に無表情を顔に張り付かせているのだろう。
ここで、佐野は気取ったセリフを言う事にした。
意識は背後の幸と青山に向けてのセリフだ。
「織姫と彦星は出会えたかな?」
「きっと出会えたと思いますよ」
そうか、と小さく息を吐きながら、佐野は空をもう一度見上げた。
アルタイルとベガが、織姫と彦星が一際強く夜空に輝いている。
一体、幸の何を見たのか? それを佐野は秘密とする事にした。きっと自分だけが見た、自分がずっと見たかった幸のそれを、少なくとも今だけは、誰とも共有せず、自分だけの物とするくらい許される事だと思ったからだ。
眼には見えない天の川の下、月明かりに照らされた三つの影はぎこちない。
けれど、幸せそうに歩いていた。




