七
六月二十三日、土曜日。
そのまま三十分ほど調べ続け、佐野が青山という人物について分かった事は
・T大学工学部情報工学科を飛び級かつ首席で卒業。
・その後、T大学の大学院に進み、そのまま博士号をとる。
・専門は人工知能、人工AI。
・独創的かつ天才的な発想でAI技術の発展を大きく進める。
・二十九歳。
今のところこれらだけである。
「いやいやいや、経歴すごすぎるだろ」
佐野は頬を掻きつつ、苦笑いをした。あの彼と会話するのに何度も何度もつっかえるような男がここまでの経歴を持っているとは思わなかったのだ。
一応は佐野も理工系の学部に通う学生である。そのため、青山の経歴がどれほどすごいものかはそれなりに分かる。
佐野幸喜と言う人間が逆立ちしても届かない地位と実力を青山孝幸という男性は持っていたのだ。
「まあ、それは良いとして、この情報から何が分かるか」
そう、佐野は呟いてはみるが、何となくだが、彼なりの結論は出していた。
もしその結論が正しいならば、幸に佐野が感じ続けてきた全ての違和感が解消される。それは確かだった。けれど、その仮定はあまりに馬鹿らしい。
まあ、そろそろソレが出来るころだとは彼自身思っていたが、まだ少々早すぎる。
佐野は彼なりに馬鹿らしいと思いつつも、その彼が出した結論を口に出した。
「幸は――」
彼とすればこの解答は不正解であってもらいたかった。
六月三十日、土曜日。
「いや、僕も、幸がああするとは、思わなかった」
青山の言葉は本当に意外そうで、嘘はついていないように思えた。しかしながら、佐野とすれば、彼に恨み言を言う気は無いが、文句ぐらいは言いたかった。
佐野はため息を吐きながら、疲れたように口に出した。
「幸を〝作った〟のはあんたじゃないですか?」
六月二十三日、土曜日。
十分ほどして、青山からメールが届いた。文面は無く、ただ一つのファイルが添付されているだけだった。
佐野は自らが出した結論が間違いであると望みながらも、そのファイルを開いた。
そのファイルはどうやら何かの観察日記のような物が記載されている物だった。
タイトルは『人工生命体試作機、幸、製作過程』何とも直球過ぎる見出しだ。
ページを読み進めた佐野はある数ページ絶句した。
彼はまだ大学に入って一年も経っていない学生であったから専門的な方程式やら何やらは正直訳が分からなかった。しかし、彼が絶句したその数ページだけは別だった。
その数ページには、幸が生まれるまでの写真が日にちごとに、合計百枚ほど記載されていたのである。
分かりにくい表現を無くせば、培養液に入った肉片が機械の骨格を包み込み、内臓や皮膚を形成していきながら、人の形を成すまでがそこに記載されていたのだ。
六月三十日、土曜日。
そう、幸は人工生命体、アンドロイドだったのである。
何とチープな響きではないか。B級映画でももっとマシな伏線を張っているだろう。
幸があそこまで自らを省みなかったのは、自己犠牲を美徳と思っているからでもメサイアコンプレックスでも無い。それが彼女の『幸というモノ』としての在り方で、使用用途だったからだ。ハサミは切るためのモノ、鉛筆は書くためのモノ、コップは飲むためのモノ。
そして幸は幸せにさせてもらうためのモノだったのである。
しばらくの沈黙の後、青山がぽつりと言葉をこぼした。
「佐野さん、何で今日、幸に僕を、会わせたんですか?」
佐野は空から視線を離さなかった。
「…………幸を俺の物にしようかと本気で考えたんですけどね」
そこで、一息入れて、数秒ほど時間をかけて息を吐いて、言葉を続けた。視線は浮雲から離れない。
「……でも、幸が見ているのは俺じゃ無いじゃないですか」
「……」
青山は何も言葉を言わなかったが、その眼が一瞬だけ見開かれたのを視界の端で佐野は見た。
「あいつが、幸が幸せにしたかったのは俺じゃない」
佐野は浮雲から視線を青山の顔に向けた。彼と『彼』の眼がはっきりと合う。
彼女が言わなかった言葉を、彼女が言えなかった言葉を、傲慢だと自覚しながら、身勝手だと理解しながら、望まれないと思いながら、彼は『彼』に言った。
「幸が幸せにしたかったのは、青山孝幸さん、あんただよ」
青山は苦々しい表情で瞳を閉じた。
「…………佐野さんでも、良いんじゃないですか? 幸が、幸せにするのは」
佐野は苦笑した。そうなのだ。別に佐野でも良かったのだ。彼自身それを望む気持ちは確かに存在して、その気持ちを否定する事も出来ず、否定する気も無かった。
「……そうですねぇ。多分俺でも良かったでしょうね」
「なら、何故――」
佐野は青山の言葉に被せた。
「青山さん。俺は〝妥協〟で、あんたが〝理想〟なんですよ」
彼は胸が何となく抉れるような気分になった。
(まったく、俺には自虐趣味でもあるのかね?)
そう思いながらも思いながら佐野は言葉を続ける。
「もし、人生にセーブポイントがあったら、妥協の未来と理想の未来、両方の選択肢を選ぶのも良いんですけど、残念ながら人生にセーブポイントは無いんですよ。なら、俺はハッピーエンドを見たいです。俺はハッピーエンドが大好きですから」
青山が口を閉じた。何を考えているかは佐野には理解できるはずが無い。だから佐野は彼が言葉を出すのを待つ事にした。
幸いに彼は暇な大学生なのだ。
佐野が見上げていた浮雲の形が変わった事に気づいた頃、青山が口を開いた。
独白ようでもあり、佐野に向けた物かどうかは判断が付かなかった。
「…………でも、僕は、彼女を、幸を、拒絶してしまった」
青山はそこで佐野と同じ様に空を見上げた。彼がこのあまりに青い空の何を見ているかは佐野には分からない。
「僕が、僕のために、生み出した幸を、僕が勝手に嫌になって、身勝手な我侭で、拒絶した。幸には、僕しか、いなかったのに、誰よりも、知っていたのに、僕がそう、設定したのに、そんな幸を拒絶した」
幸の生みの親は眼を閉じた。
「そんな僕が、今更、三年以上経って、今更、幸と一緒に、成れるはずが無い」
佐野は浮雲から視線を離さないまま聞いた。
「……幸にも聞きました。青山さんは幸と一緒に居たいんですか?」
青山は答えた。
「仮に、幸と共に在れたとしても、また僕は、幸を、拒絶してしまう」
佐野は続けて聞いた。浮雲はまだ悠々と漂う。
「じゃあ、何であなたは俺に幸の事を聞きに来たんですか? 幸が幸せになって欲しかったからじゃないんですか?」
「ええ、僕は、あまりに身勝手に、幸を不幸にした。だから、せめて、彼女には幸せになって、貰いたかったんです」
佐野は浮雲を見ながら笑ってしまった。皮肉気な笑みだ。
「まるで、イタチゴッコですね。あなたは幸を幸せにしたい。幸はあなたを幸せにしたい。そして幸の幸せにはあなたの幸せが不可欠なのに、あなたは幸と共にいると幸せになれない、何て面倒くさい状況なんでしょうか」
そして、そのイタチゴッコには佐野は含まれていない。
「…………」
何も答えない青山に佐野はこう言葉を放った。これは幸が逃げた時からずっと考えていた事だ。
「青山さん。俺は明日の午後八時、幸に俺を幸せにしてくれるよう頼みに行きます」
青山が自分を見上げたのが佐野には分かった。佐野は浮雲から青山に視線を移す。
「だから、それよりも前にあなたが幸を訪れるかどうか決めておいてください。幸は育友荘というアパートの203号室に住んでいます。タクシーでも呼べばここからすぐに行ける距離です」
「…………」
佐野と青山の視線が合う。
彼は大きく息を吸って、『彼』に宣言した。
「明日の午後八時までに、幸がまだ誰のモノでも無かったなら、俺が幸を貰います」




