六
*
『…………』
ああ、アナタが呆然と私を見ています。その目から視線を逸らす事が出来ません。
気づいてしまいました。解答を出してしまいました。その解答が正当であると、判断してしまいました。
出してはならない解答を、求めてはならない正答を、見つけてはならない想いを、出して、求めて、見つけて、しまいました。
ああ、何という事でしょう。私は願ってはならない望みに気づいてしまいました。
そうです。私が幸せにしたいのは、いえ、私が幸せにしたかったのは、
「……」
ダメです。これを言ってはなりません。これ以上アナタを苦しめてはなりません。今だってアナタは唖然と私を見ています。そんなアナタに更なる重荷を背負わせてしまう事を許してはいけません。
しかし、これもまた何という事でしょう。呆然としているアナタの口が何か言葉を生もうと動き出そうとしていました。
その口から今にも生み出されてはならない言葉が生み出されようとしています。ダメです。いけません。一度口にしたらもう取り消す事が出来ません。今ならまだ勘違いだったと思う事が出来ます。お願いです。その言葉を口にしないでください。
アナタがその言葉を発してはなりません。
ですが、私の思う事とは反対に、アナタの喉は、口は、言葉を生もうと動き出しました。
嫌です。嫌です。これ以上アナタが苦しむのは嫌です。止めてください。
けれど、その言葉は存外あっさりと、空気の抜けた風船のように、螺子巻き式の時計の針が止まるように、アナタの口から生れ落ちようとしています。
どうすれば、どうすれば、どうすれば良いのですか!? 私はどうすれば良いのですか!?
アナタの幸せのために私はどうすれば良いのですか!?
気づいたら私は立ち上がっていました。
*
佐野の右手から幸の左手の感覚が消失し、彼の右側から何かが派手に割れる甲高い音が響いた。
一瞬何が起きたか佐野には分からなかった。今、彼の眼には、彼に背を向け、人間離れした速度で遠ざかっていく青いワンピースを着た黒髪のショートカットが映っている。
おかしい。今、佐野は通路側の席に座り、幸はその奥に座っていたはずだ。そして、この店に入ってから佐野は一度もこの席を立っていない。だというのに、何故、彼の瞳に彼から遠ざかっていく彼女の姿が映っているのだろうか?
答えは至極簡単である。
唐突に立ち上がった幸が、助走も無しにガラスへ体当たりし、それをまるで薄氷のように突き破って外に飛び出したからである。
(何やってんの!?)
確かに大抵のガラス製品に割れ物注意という注意書きがつくほど、ガラスは割れ易いものだ。しかし、助走も無しに、力も溜めずに、一撃で、あっさりと、この二十二世紀初頭のガラスを割る事など、普通の人間には出来るはずが無い。
店内からどよめきがたった。当たり前である。彼らからすれば突然脈絡も無く、ワンピースを着た女が窓を突き破って外に飛び出しのだ。驚かないほうが無理であろう。
こんな時だとしても佐野の頭はそれなりに理性的に思考する。
今この場では佐野と青山はどう見えているだろうか?
アンサーは窓を突き破った訳の分からない女の連れである。
では、彼らはこのままではどうなるだろうか?
アンサーはとりあえず警察には捕まるだろう。
ではでは、警察に捕まったらどうなってしまうだろうか?
アンサーはものすごく面倒くさい事になり、間違い無く大学及び親へと連絡が行くだろう。
ではではでは、佐野はここでどうするべきだろうか?
「…………」
アンサーは三十六計逃げるに如かず。佐野は立ち上がって青山の腕を掴み、その場から駆け出した。
あれからおよそ一時間、佐野は青山を引っ張りながらガムシャラに走り出し、今朝、幸と訪れた公園を何故か再び訪れていた。どうやら彼もそれなりに冷静さを欠いていたらしい。
今、青山はベンチに腰かけ、佐野はそのすぐ近くで立って空を仰ぎながら、揃って肩で息をしていた。こんなに全力で走ったのは久しぶりである。爽快感など清々しいほどに皆無だ。
数分ほどして、彼らの息は整い、沈黙が訪れた。青山は地面に視線を向け、佐野は空を仰いだままである。
ふと、佐野は朝とは違う新しい浮雲が生まれている事に気づいた。
その浮雲を見上げながら、佐野は、愚痴を言うように、独り言のように、意味の無い呟きのように、言葉を出した。
「青山さん、あんた一体どんな設定にしたんですか?」
佐野はあの日、幸の秘密を知ってしまったあの時の事を思い出していた。




