一
……まあ、そんな経緯というか、間違いなく私自身の自業自得で、私は彼女、幸の在り方に干渉する事になった、いえ干渉する事に決めたのですが、ここからまた一波乱、それは大きな一波乱が起こります。とは言ってもそんな波乱が起きる事を私は予想しており予測しておりました。
なぜなら、私の話を読んだあなたたち、またはあなたなら私が彼女に何をしたかは分かるでしょう。私は幸と青山を会わせたのです。その日、六月最後の日である三十日の土曜日から私と幸のこの話が終息に向かいます。
では、長いこの話もそろそろ終幕です。後少しお付き合いください。
あの日の私は目覚ましの音が鳴る前に眼が覚め、……
六月三十日、土曜日。
取り留めの無く、特に変化の無い平日の日々が過ぎ、今日は佐野にとってとうとう――来て欲しくは無かったが――来てしまった待ちに待った日である。
佐野は五時半ごろに眼が覚め、今は外着に着替えて幸が来るのを待っているところだ。
彼の顔はとても楽しんでいるようには見えず、強張っていた。今日自分がしようとしている事を思い出し、後悔とも緊張とも言える感情を感じていたのである。
未だ彼はまだ何も彼女にしていない。それは確かである。しかし、おそらく数時間後の自分は自分がしたくないとしても自身が決めた行動をするという確信を佐野は持っていた。
自らがそういう、決めた事は実行してしまう人間だと佐野は知っていたのだ。
「まったく、本当に俺はめんどくさいな」
何となしに呟いて、佐野はため息をついた。
今日、彼がしようとする行動がどのような結果を導き出すとしても、佐野と幸との関係は決定的に変化する事は確定事項だ。
佐野は幸との今の関係が好きだった。彼女がいつも変わらず彼を訪ね、いつものように生産性の無いやり取りをし、いつものように彼女を見送る、
そんな関係が心地よかった。
その――彼にしては珍しく――心地よいと感じられる関係を壊すかもしれない事を今日の彼はしようとしている。いや、するのだ。
その事を思って、佐野は再びため息をついた。馬鹿な自分が少し嫌になった。
彼はベットに腰かけ、天井を見ながら、この一月と六日間の彼女との日々を思い出した。
初めて、幸と出会った時、佐野は困惑した。当たり前である。いきなり見ず知らずの女が訪ねてきて、訳の分からない要求をして来たのだ。これで困惑しないのであったら、間違い無く佐野は十八の若者では無いだろう。
次の日も彼女は彼の家を訪ね、その次の日には、訳の分からない、今読むと納得できる履歴書のようなものを持って来た。しかし、あの時の佐野とすれば本当にデンパな内容でしか無かった。
あの雨の日、彼女は全身を濡らし、鉄のように冷えた体で佐野を訪れた。その日、佐野は初めて幸の表情を見た。それは泣き顔であった。佐野は初めて幸に幸せになってもらいたいと思った。
それからしばらくして、今度は青山という男が佐野の家を訪れた。彼は幸が初めて幸せにしようとした人間だった。人と話すのが苦手な男性だったようで、佐野は彼に幸の様子を知らせる事にした。
その一週間後、佐野は幸が他者に尽す理由を知った。それは彼からすればあまりに哀しい事だった。
「ああ、俺はこんなにも幸の事を考えている」
口に出すとより一層佐野は自覚してしまった。この一月以上、大学での事以外で佐野が一番に考えていたのは幸の事である。
初めは困惑、次に恐怖、そして、決して共感は出来ない同情のようなものへと感情は変化していった。
「そろそろかな?」
そこで一端考えを止めて、携帯を開いて時刻を見てみると五時五十五分。ちょうど綺麗にゾロ目である。
「さてと、お茶でも準備するか」
呟いて、腰かけていたベットから立ち上がった。
ポッドに入れた水がお湯に変わった頃、階段を上り、佐野の住む202号室の前に向かってくる足音が聞こえてきた。時刻は五時五十九分。おそらく幸であろう。
佐野は玄関に向かい、ドアを開けた。
「……おはよう、幸」
「おはようございます」
彼女は出会った時と同じ青いワンピースを着て、出会った時と同じ無表情で彼の目の前に現れていた。
「あなたを幸せにさせてください」
もしかしたら、もう聞けなくなるかもしれない、いつもの言葉を幸は発した。
佐野はその言葉に一度瞳を閉じ、答えた。
「今日、後で言いたかったらもう一回、その言葉を言ってくれ」
幸は無表情のまま、二度まばたきをした。
「後で、とは、何時ごろの事でしょうか?」
「そうだねぇ、十二時過ぎた後なら何時でも良いかな」
「分かりました」
佐野は口元を笑みの形にした。
「んじゃ、部屋に入ってくれ。お茶飲んだら散歩しに行こう」
「はい」
佐野は今日で最後になるかもしれない朝のやり取りを終えた。




