二
時刻は大体午前八時半ほど、佐野は青山との話を終え、今は彼の自宅へ帰っているところだ。
その左手には先ほど青山から渡された名刺が持たれている。
『T大学 工学部 工学教授 青山 孝幸』
T大学というのは日本の国立大学の中でトップクラスの大学の一つであり、どうやら青山という男はかなり頭が良い人間のようだ。
「まったく、俺は推理小説の探偵役じゃないんだけどねぇ」
これ以上幸の問題に首を突っ込むべきかどうかは彼には分からなかったが、この良く分からないもやもやしたものをはっきりさせたい気持ちがあった。
「とりあえず、これが分かってから決める事にしようか」
何となく独り言として呟いてみた。『これ』とは幸がここまで他人に尽す理由だ。
そう口に出してみて、幸という女の事をここまで気にかけ、知りたくなっている自分に気づき、佐野は苦笑混じりにため息をついた。
「ああ、もうめんどくさいなぁ」
あれから佐野は家に戻り、今幸が彼の家を訪ねてきたところだ。
「おはようございます。あなたを幸せにさせてください」
「おはよう。断ります」
もはや挨拶と化したいつものやりとりを交わし、佐野と幸は彼の家の中に入った。
「とりあえず、今日は何をする?」
「あなたがしたい事をしましょう」
このやり取りももう慣れたもので、佐野は続けて言葉を紡いだ。
「それじゃあ、幸が今日何をするか決めてくれ」
その言葉に幸はしばし考え込み、その後口を開いた。
「では、前に行った公園に散歩しに行きませんか?」
「良いね。そうしよう」
幸が何となくホッとしたように佐野には思えた。
時刻は午後七時半、佐野は彼のノートパソコンを立ち上げ、キーボードをカタカタと打っていた。幸とは一時間ほど前に別れたところだ。
彼が開いているページは国際的な検索サイトで、そこの検索項目欄には『青山 孝幸 T大学』としるされていた。ノートパソコンの傍らには青山から渡された彼の名刺がある。
佐野はとりあえず、検索して表示されたページの中で最も上にある項目をクリックしてみた。
どうやら、そのページは〝青山孝幸〟についてまとめられているサイトであり、そこには驚くほど多くの彼についての情報がまとめられていた。
「青山さん有名人なのかよ」
佐野は苦笑しつつ、そのページの内容をあさった。
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ノートパソコンを立ち上げてしばらくの時間が経った。
「……ふぅ」
彼なりに青山について調べ終わり、佐野は小さくため息をついた。
また、彼なりの幸への疑問への答えも出し終わった。
その結論はあまりに馬鹿らしく、普段の彼なら一笑にふすような解答かもしれない。
けれど、そんな馬鹿らしい結論に何となくの確信を彼は持っていたのだ。
そんな馬鹿らしい結論があっているものだとしたら、これまでの幸の違和感の全てが解消される気がしたのだ。
「……」
佐野は彼の携帯電話を取り出し、青山へとメールを打った。
彼が出した馬鹿らしい結論を否定してもらうためだ。
しばらくして、入浴を終え、そろそろ寝ようかとしたころ、佐野の携帯電話に電話がかかってきた。
ピピピ、と無機質な音が彼の部屋へと響く。
「……はい」
佐野は携帯電話を開き、その電話に出た。
『もしもし、佐野くんでしょうか?』
「はい。佐野です。メールを見て貰えましたか?」
沈黙の後、肯定を意味する言葉が電話越しに聞こえた。
「それじゃあ、率直に聞きます。俺が送った馬鹿らしい結論は正解ですか?」
この言葉には逆に質問が帰ってきた。
『一つ、聞きたいのですけど、何で、そんな結論を、出したんですか?』
「青山さん、あなたの経歴を調べているうちに、ふと思っただけです。もし、この結論が正しいなら、俺が感じていた幸への違和感の全部が解消されますし。少しばかり無理やりな結論の気がしますけどね」
電話からしばらくの間、無言が響いた。
『……その結論が、もし、正しいとしたら、どうするん、ですか?』
「どうするんでしょうね? 俺も分かりませんよ。ただ、知らない事には何も出来ないでしょう?」
息を吐く音が佐野の耳に届いた。
『……佐野くんの出した、その結論は、正解です』
その言葉を聞いた佐野はゆっくりと息を吸って、またゆっくりと息を吐いた。
「……嘘では無いんですよね?」
『本当、です』
嫌な予感は嫌な時にいつも当たる。それが彼には嫌だった。
佐野は彼にしては重い口調で電話越しの青山に声をかけた。
「……出来れば、俺の送った答えが正しいっていう証拠を見せてくれませんか?」
彼が出した答えは彼自身信じたくないものであり、出来る限りそれを否定したかった。
『……分かり、ました。パソコンのアドレスを、教えてくれませんか?』
佐野は口頭で彼のアドレスを伝えた。
『十分程で、メールが、届くと思うので、それを見て、もらいませんか』
「分かりました。見終わったらもう一回電話します」
佐野はそう言って電話を切り、彼のノートパソコンを立ち上げた。
一時間半後、佐野は重苦しい表情で電話越しに青山と話していた。
佐野はもう全てを知ってしまった。
何故、幸がここまで佐野に、ひいては人に尽すのか。
何故、自分が今まで幸の言動と行動に違和感を持ち続けてきたのか。
青山から来たメールに添付された内容を一通り読み終わり、佐野は彼自身が出した推測が不幸にも不正解でなかった事に、言い知れぬ感情と新たなる様々な『何故』を頭の中に無秩序に飛び回らせていた。
そんな、混濁した感情のままに佐野は声を出した。
「……青山さん。何で、そんな事をしたんですか?」
『……』
青山は何も答えなかった。
普段の佐野ならば、これ以上詮索せず、ここで話を切るのだが、今の彼は少々冷静さを欠いていた。
「答えてくださいよ」
今度は、青山は答えた。
『……僕は寂しかったんだ』
その解答は、本当に青山の心情を表し、また佐野を納得させる物だったかもしれない。
しかし、今の佐野にはその言葉を受け入れられなかった。
佐野の口が彼の意思に反して、怒鳴り声を上げようとした。いや、それは佐野の意思だった。
が、今ここで叫ぶ事は彼の望む事ではない。
だから、佐野は自分の口が何か言葉を生んでしまう前に電話を切った。
〝ツー、ツー〟と音が彼の耳に聞こえ、佐野は自分のベットに座った。
「……ああ、もう」
ここで一息入れて、佐野は呟いた。
「それは、無責任だろ」
彼の頭にあるのは幸の姿であり、彼女の在り方である。
佐野はそのままベットに寝転がり、布団を被った。
今は何も考えたくなかったのだ。




