青い鳥について、彼の見解
有名な童話に幸せの青い鳥というものがある。これはチルチルとミチルという二人の兄妹がお婆さんの、重い病気にかかった娘さんのために青い鳥を探しに行くという物語だ。
思い出の国、夜の精が住む御殿、森の中、不気味な墓地、天国、未来の国、様々な世界を訪れ、様々なモノ達と出会い、紆余曲折を経てチルチルとミチルは自分たちの家に帰る。そして、自分達が飼っていた鳩が青くなっていることに気づき、それをおばあさんに渡して娘さんは助かったというハッピーエンドの代表作の一つと言える作品だろう。
この話は、幸せは気がつかないだけで身の回りに潜んでいる物であり、しかも他人のために求めるとき大きくなるものであるということを私たちに教えてくれるというありがたい教訓に満ちた物語らしい。
けれど、これを青い鳥の視点で見てみればどうだろう?
青い鳥たちは人々を幸せにすることを強要される。
彼らはただ単に彼ら自身のために生きたいだけだというのに、彼らの羽毛が青いというだけで、彼らはチルチルとミチルに追いかけられたのだ。
思い出の国の青い鳥は色が変わってしまった。夜の精が住む御殿の青い鳥は日の光を浴びて死んでしまった。森の中の青い鳥はチルチルとミチルに戦いを挑んだ。不気味な墓地の青い鳥は真実であれ嘘であれ墓地の下に埋まっているとされた。
そして、天国で世界には青い鳥以外の幸福があると教えられ、未来の国では生まれてからの準備をする者たちを知ったというのにチルチルとミチルはひたすら青い鳥を求め続けた。
青い鳥たちは空の飛び方しか人の知らないものを知らないというのに、人を幸せにする仕方など知らぬというのに、人を幸せにすることを強要され、彼らが望まなかったかもしれない結果を押し付けられた。
それはあまりにも不幸せな青い鳥ではないだろうか。