一時間で救える世界
1.
何でも、四年後に星が降ってきて、地球は崩壊するらしい。
眉唾物のその噂が現実として襲い掛かってきたのは、三ヶ月前の政府の公式発表からだった。
某国政府や国連は、衛星からの迎撃システムを用いた対抗策を用意。その中心人物に選ばれたのが、なんと一人の日本人男性だということで、一時期は脚光を集めたりもした。
……なんにせよ、遠い。
俺の見上げる青空より、更に向こうの話なのだ。あまりにも遠すぎて、現実味が無さ過ぎる。
ただ、世界が危ないってことだけは……俺にも分かって。
四年間で世界が滅ぶなら、何をしても無駄なんじゃないか。なんて、週末ムードが、世界に蔓延り始めていた。
……ああ。要するに。来るはずだった恐怖の大王は、十年遅れにやってきた。なんて、ただ、それだけのことで。
何も出来ない俺たちは、こうして何もしないで生きていくしか、ない。
「……結局俺には、何も出来ないけど」
「おいそこの少年。何一人で落ち込んでんだ。辛気くせえ面してると、幸せが逃げるぞ?」
「え……?」
唐突に掛けられた声に顔を上げる。
夕暮れの、誰も居ない河川敷。そこに、一人の男が立っていた。
歳の程は、おそらく三十前後。若々しい精悍な顔立ちに、力のある釣り目がちな瞳が印象的で、細く締まった鍛え上げられた身体をしていた。……というかこの人、どっかで見た事ある気がするんだけど。
「そんなところで何をしているんですか?」
「あん? 見てわかんねえか?」
土手を下りながら聞くと、男は口元をニヤリと歪めて、自分の後ろに並ぶそれを見せ付けた。
「……ペットボトルロケット?」
「おうよ! やっぱり男なら、一度は飛ばしてみたいもんだろ?」
いや、別に。しかし男は、少年のような笑みを浮かべて俺の近くまでくると強い力で肩を叩いた。
「お前もやってみるかい? 一発打ち上げたら、悩みなんて吹っ飛ぶぜ」
何なんだこの人……本当に、どっかで見たことがある顔なんだけど。
「……おう。ところで少年、お前の名前は?」
「あ、有音。柚瑠木有音です」
「有音? ふうん。変な名前だな」
ほっとけ。自分でもそう思ってるんだから。
「でも、イカした名前だ。ようし、有音。それじゃ、やるぞ!」
「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」
俺の言葉を無視して勝手に話を進める男を、僕は慌てて止めた。
「勝手に話を進めないでください! そもそも、貴方誰なんですか!?」
「誰って……そっか。そういや、未だ名乗ってもなかったな」
男は頬を掻くと、親しみやすい笑みを浮かべて、
「俺は撫中。撫中夏彦だ。よろしくな、有音」
「撫中……夏彦……って」
思い出す。そうだ、最近何度もニュースに出ていた男。力強い瞳と、人懐っこい笑みを浮かべた、今は訓練中の宇宙飛行士……。
四年後に世界を救うはずの、若き救世主。撫中夏彦は、テレビで見たときと同じ笑顔で俺を見ていた。
♪
「夏彦さん。材料、これくらいで良いですか」
「おう。……よしっ! オッケーオッケー」
俺が持ってきたペットボトルを見て、夏彦さんは親指を立てる。
「でも、どうしてわざわざ一から作らなきゃならないんですか? 前に夏彦さんが造ってたので良いじゃないですか」
わざわざ休日になるのを待ってまで、夏彦さんは俺にペットボトルロケットを自作することを強要した。……別にそこまで作りたかったわけじゃないんだけど。
「何言ってんだ。自分の力で飛んでこそ! だろ?」
相変わらず夏彦さんは、わけの分からない理論を展開している。何というか強引な人だ。
「……大体、夏彦さんって今は訓練中じゃないんですか? 確か一ヵ月後に、初の宇宙飛行があった筈ですよね」
「そうそう! 遂に宇宙にいけるんだぜ? 良いだろ? 格好良いだろ!?」
いや、そこじゃなくてですね。
「遂に夢が叶うんだなと思うと、やっぱこう……胸が高鳴るよな。ほら俺、空飛びたくて空自に行ったわけじゃん?」
「知りません」
そういやこの人、航空自衛隊のエースパイロットだったっけ。何しろ精度が問われる作戦だ。命中率だけは高いと言われる自衛隊のパイロットに白羽の矢が立ったのも、その辺の事情なのだろう。
「燃えてくるなぁ……。世界を救うとか、それってヒーローじゃね?」
「そうですね……」
ペットボトルを並べながら笑う夏彦さんに、俺は気づかれないようにため息を吐いた。……こんな人に、世界の命運が掛かってるなんて。
「ま、そんなこと関係なく、宇宙に行けるんだからな。……ああっ! 今から一ヵ月後が楽しみだな畜生!」
「……宇宙が好きなんですか?」
「違うな。俺はただ――」
そうして、夏彦さんは空を見上げて、
「――空の向こうに、何処までも行きたいのさ」
完成した自作のペットボトルロケットを、夏彦さんは発射台に設置した。
「風もよし。用意もよし。……っと。なに疲れた顔してるんだ? ほら、これ持て!」
そういって、夏彦さんは、発射台から伸びるワイヤーを俺に渡した。
「自分で作ったんだ。自分の力で飛ばしてみろよ。きっとスカッとするぜ?」
「…………」
ワイヤーを握り締める。……別に夏彦さんの言葉に影響されたわけじゃないけど、少しだけ緊張した。
「ようし、3! 2! 1! 発射!」
夏彦さんの一言と共に、俺はワイヤーを引っ張る。解放された圧縮空気が水を押し出し、ペットボトルロケットは遥か上空に向けて飛んでいった。その姿は、推進力の違いはあっても、俺の知ってるロケットそのものだった。
「――――」
「どうよ。何悩んでるか知らないけど、人間やろうと思えば、あんなところまで飛べるんだぜ?」
多分、50メートル以上飛んだロケットは、そのうち推進力を無くして、まっ逆さまに川の中に落ちていく。それでも夏彦さんは、空を見上げたまま、
「何も出来ないなんて思うなよ? お前は自分の力で、あんなところまで飛んだんじゃないか」
そう言って、笑った。
……馬鹿な人だと、思った。
だって俺がやったことなんて、ペットボトルロケットを飛ばしただけだ。現実は何も変わってない。俺はやっぱり、何も出来はしない。
「…………」
……でも、どうしてだろう。
その言葉が、家に帰っても、一日経っても、ずっと、胸のうちに残ってる。
♪
それからというもの、俺は何故か、夏彦さんに良く会うようになっていた。
打ち上げまであと一ヶ月も無いのに、よくもまあ……。と、思う。
勿論、彼に出会ったからといって、俺の人生が劇的に変わるわけも無く、俺は今までどおりの生活を続けていた。
……でも、彼との出会いは、俺に少なからず影響を与えたようだ。
「柚瑠木くん、最近明るくなったよね」
「え……そう?」
放課後、クラス委員の仕事で僕と共に残っていた天ヶ谷が、ふと口を開いた。
「うん。前はいっつもどんよりしてたのに、最近はちょっと前向きになった」
「前向きって……そんな内面のこと、どうして君に分かるのさ」
「分かるよ。顔の角度が変わったもん」
……ああ、物理的にですか。肩を竦める。天ヶ谷とは中学入学からの付き合いだけど、どこか抜けているという印象は、六年経った今でも変わらない。
「うん……いいよ。その方がずっと」
「…………」
へにゃっと柔らかい微笑みを浮かべる天ヶ谷に、俺は頬に手を当てて顔を逸らした。……そんで、そんなところが可愛らしい。なんて印象も、ずっと変わっていなかった。
本当は告白したいけど、俺はそんな度胸も無いへタレで。……それでも、少し変わったって言うなら。
「……あの人のおかげかな」
「あの人って?」
「撫中夏彦だよ。どうしてか知らないけど、今この町に居てさ。色々あって、知り合いになったんだけ……ど……?」
視線を天ヶ谷に向けると、天ヶ谷は手を止めて目を丸くしていた。
「ゆ……柚瑠木くん、撫中さんに会ったの!? 本当に!」
「う、うん。本当だけど……」
天ヶ屋は興奮した様子で身を乗り出してきた。……えっと、この反応は。
「もしかして、天ヶ谷、撫中さんのファン?」
「うん! テレビで見てから大ファン! いいなー柚瑠木くん。私も撫中さんに会えないかなー」
「…………」
何故か、少し複雑な心境だ。そっか、天ヶ谷、アイツのファンだったのか。……だったら。
「良かったら、今日の帰りにでも会ってみる? 多分会えると思うけど」
「会えるの!?」
「うん。だからこれ、早く終わらせちゃおう」
時間を見る。おそらくこの時間なら、アイツはあそこに居るはずだろう。
俺が初めて出会い、ロケットを飛ばした河川敷。夏彦さんは相変わらずそこに居た。
「夏彦さん」
「お?何だ有音か。……って、女連れかよ! やるなお前」
煙草を吹かしていた夏彦さんは、俺の後ろまで来ると、背中をバンバンと叩いた。いや、痛いです。
「あ、あのっ!」
「うん?」
天ヶ谷が勇気を振り絞って声を掛けると、夏彦は俺の背中から手を離し、振り返った。
「あの……撫中夏彦さん……ですよね? ……あ、私、天ヶ谷あかりと申します!」
「そうだけど? なに、もしかして俺のファン?」
「はい!」
俺には見せたことの無い笑顔で返事をする天ヶ屋。……まあ、幸せそうだし、良っか。
「それで、あの、サインとかっ!」
「サインねえ。……別に有名人じゃないんだけどなあ」
頬を掻きながらも、夏彦さんの頬は緩んでいる。……エロ親父め。
「あ、ありがとうございます! 柚瑠木くんもありがとう! じゃあね!」
天ヶ屋はノートにサインを貰うと、照れていたのか、凄い勢いで走り去ってしまった。
「何だよ、可愛い子だなおい」
夏彦さんは煙草を携帯灰皿にしまうと、俺の肩に腕をまわした。
「なに? 付き合ってんの?」
「……違います」
「ふうん。じゃあ、片思いか」
……何でコイツ、こんなに鋭いんだ。
「そりゃ、お前のあの様子を見てたらねぇ。……ま。なんにせよ、自分から動かないと、何も変わらないぜ? あっちもお前のこと嫌いじゃないみたいだし、ここはがんがん攻めてみろよ」
「無理ですよ」
「決め付けるなよ。やって出来るかなんてわかんねえが、やらなきゃ出来ない。これは当たり前だ。忘れたか? 何も出来ないなんて言ってたお前は、あそこまで飛べたんだぜ?」
そう言って夏彦さんは、真上を指差した。……夏彦さんが、俺の事を励ましてくれてるのは分かってる。わかってるけど……。
「なんだ? ……お前、もしかして、どうせ告白しても死んじまうなら意味無い。何て思ってねえか?」
「…………」
思わず、息が詰まった。夏彦さんの顔を見ることが出来ない。
そう、俺は、ずっとそう思っていた。いや、今もそう思っている。
……だって、四年後の、隕石迎撃作戦は。失敗する可能性のほうが、遥かに高いんだから。
でも、そのことは夏彦さんには、知られたく無かった。……だって、四年後に空を飛ぶのは、この人なのだから。
「……はあ。仕方ねえな」
沈黙していると、夏彦さんはため息をひとつ吐いて、俺の背中をぽんと叩いた。
「天気予報じゃ……明後日が晴天だったな。よし、有音。お前、明後日の夜九時にここに来い」
「え……?」
「絶対来いよ? 来なかったらぶっ飛ばすからな」
俺が何かを聞き返すより前に、夏彦さんは念を押してから、去っていった。
♪
「お、やっと来たか」
夜、河川敷に着くと、既に夏彦さんは待っていた。
「んじゃ、行くぞ」
「は?」
踵を返す夏彦さんに、首を傾げる。だって、今着いたばっかりなのに。
「ちょっと待ってください夏彦さん。何処に行くんですか?」
「何処って、決まってんだろ、山だよ」
慌てて後を追う俺に、夏彦さんは振り返ると、何時もの子供っぽい笑顔を見せて、
「天体観測さ」
「この辺で良いだろ」
俺たちは近くの小さな山の山頂まで、徒歩でたどり着いていた。
「よし、シートを敷いて……と。ほら、何バテてんだ。お前もこっち来て寝転がれ」
そういうと、夏彦さんはシートの上に仰向けに寝転がった。仕方なく、俺もその隣で同じように仰向けになる。天体観測と言ってはいるが、道具なんて何も無い。ただ、星空を見上げているだけだ。
「北斗七星があるだろ? あれの柄の部分からまっすぐ先にあるのがうしかい座。その下が乙女座。右が獅子座。三つの星座の中で一番輝いてる星が、それぞれアクトゥルス。スピカ。デネボラで、春の大三角だ」
「詳しいんですね」
「当たり前だろ。俺は何時か、あそこまで行く男だぜ?」
いや、無理だろ。と思ったけど口にはしなかった。……だけど態度には出ていたのか、夏彦さんは右手を真上に伸ばしながら言った。
「無理とか初めから決め付けるなよ。確かに不可能に近いかもしれねえが、何もしないよりはよっぽどマシだろう?」
「…………」
「それに、俺は初めからあの空の上に居るんだよ。俺の名前、夏彦だろ? この名前ってのは夏彦星……夏の大三角のアルタイルから来てるんだ。……今は見えないけどな」
だから俺は、あの星に向かうんだ。と、夏彦さんは笑った。
「因みに……お前も、あの空に居るんだぜ?」
「え?」
思わず夏彦さんの方を向くと、夏彦さんは人差し指を立ててひとつの星を指差した。
「北斗七星の柄杓の水汲みの側から五番目。大熊座のひとつ。あの星はな、『アリオト』って名前なんだよ。どうよ、中々面白いだろ?」
そう言って、何時ものように笑う夏彦さん。だけど、俺は未だ、夏彦さんの真意が掴めない。……どうして俺をここに連れてきたのだろう。
「……お前、それなりに詳しそうだから聞くけどさ、……あの作戦時間、どのくらいか知ってるか?」
「え……?」
突然の質問に、首を横に振った。迎撃作戦の情報はネットを使えばそれなりに集められたけど、そこまでは知らない。
すると、夏彦さんは再び空を見上げて、
「一時間だ」
「一時間……?」
「そう。俺がこの星を出発してから、空から降ってくるデカブツをしとめるまで、一時間。分かるか? 一時間もあれば、あの空の向こうにいけるんだ。一時間あれば、世界だって救えるんだよ」
そして、夏彦さんは、また笑った。
「それで、お前とあの娘の間にはどれだけの猶予がある? 世界が滅びるまで四年? それとも卒業するまで一年? それだけあれば十分だ。何躊躇ってやがる。最初から駄目と思うな、男なら信じた道を突き抜けろ!」
「…………」
ああ、この人は……。
「俺だって、何度か諦めかけたことがある。俺の夢は、何処までも高く行くことだった。でも、結局俺は空自だ。エースだ何だともてはやされても、俺が飛べたのはこの星の空までだった。……でも、それでも諦めなかったら、見ろよ、この歳になって、夢をかなえるチャンスが舞い込んできやがった」
夏彦さんは身体を起こし立ち上がると、俺を見下ろして、
「それにな、世界は滅びねえよ」
「…………」
「何しろ、俺が行くんだからな」
「……そうでしたね」
俺も身体を起こして、苦笑した。まったく……根拠なんて全く無いのに、どうしてこんなに、安心できるのだろう。
「良いか。俺の空を塞ぐような天井は、何が何でも叩き潰す。……だから安心しろ。そんなどうしようもなく邪魔なものは、俺がぶち破ってくるから」
「……はい」
「なあに。たかが一時間の事だ。ぱっと行って、すぐに帰ってくるから。何も気にする必要はねえよ。お前の人生には関係ない。そんなことより、もっと大切なこと、お前にはあるだろ? だから頑張れ。有音。俺が空に向かうように、お前はお前の進むべき道を行け」
そして、夏彦さんは僕の肩を強く叩くと、にっこりと笑って、踵を返した。
「……本当に、あの人は」
最後まで、俺の事を応援していきやがった。
世界は滅ぶって思い込んで……あの人の事を信じていなかった俺を、責めることもせず。
「……ありがとう。ございました」
去っていく夏彦さんの背に、礼をする。
自分を信じて進み続けたら……何時か、あの背中にたどり着けるのだろうか。そんなことを思いながら。
肩に、未だあの力強い感触が残っているような気がした。
♪
翌日は夏彦さんに出会わなかったと思ったら、その次の日には、夏彦さんが現地入りしたというニュースが流れた。時間的に天体観測を終えてからすぐに出発したんだろう。
俺なんかの為に、ギリギリまで残ってくれていたのだ。……なんというか、最後まで頭が上がらない。
「行っちゃったんだねえ、撫中さん」
「そうだね」
放課後、何時かのように、僕と天ヶ屋はクラス委員の仕事で放課後の教室に残っていた。
「あーあ。もう少し話をしたかったなあ」
「というか、君が逃げたんじゃないか」
残念がる天ヶ谷に苦笑しつつも、俺は同じ思いを抱いていた。突然現れたと思ったら、突然去っていって……本当に、挨拶もお礼も、まともに出来なかった。
でも、……どうせアイツのことだから。
「心配しなくても、また来るよ」
「本当に?」
「うん」
多分だけど。アイツは、またここに来てくれるような気がした。その時には、夢をひとつ叶えて。
……だから俺も、アイツに笑われないように前に進もう。
アイツみたいにするのは無理でも。……自分のペースで、ゆっくりと。
「ねえ、天ヶ谷」
「うん?」
俺は、何時かのアイツみたいに、笑って、
「夏彦さんの晴れ舞台……一緒に見ない?」
そう、誘った。
アイツが夢に見た所に向かう姿を……一時間で行ける所を、一緒に見ようって。
天ヶ谷は、少しだけぽかんと口を開けると、
「……うん!」
そうして、笑った。
……撫中夏彦を乗せたロケットが、空中で爆発、大破したのは、それから二週間後のことだった。
2.
ロケット打ち上げ失敗から、三ヶ月が経った。
世界を救う英雄の死亡は全世界で生中継され、世界は再び、どうしようもない終末ムードに逆戻りをはじめている。
失敗する可能性の高い作戦だって事は、皆わかっていた筈だ。だけど今、こんなにも世界は絶望に包まれている。……それはつまり、世界中の彼に懸ける期待が、それだけ高かったと言うことで。
いや、その気持ちは俺も……彼に出会ったことのある僕だからこそ、誰よりも理解できる。
だって、あの人は……馬鹿だけど、前向きで。何があっても突き進んでいくような人で。
『可能性』なんて曖昧な言葉、軽く蹴っ飛ばして、絶対にどうにかしてくれるって……何よりも信じさせてくれるような人だったから。
……それが実際には、目指したところにたどり着く事も無く、どころか、戦いの舞台が来るよりも前に、唐突に命を散らしていった。
俺たちは、戦うより前に剣を無くした。国連は改めて世界中からパイロットを募集しているが、志願するものは未だに現れなかった。
改めてあの人の凄さを見せ付けられる。たった一人で、世界の命運なんてものを背負い込んで……その上で、『面白ぇ』と笑っていた、夏彦さん。本当に、あの人しか、俺たちの希望になれる人は、居なかったのに……。
「すぐに戻ってくるって、言ってたじゃんか……」
もう、今の俺たちではどうすることもできなかった。
♪
「天ヶ谷は今日も休み? 最近多いね」
「そうだね」
教室で女子の会話を小耳に挟んで、天ヶ谷が居ないことを知った。
ここ最近、天ヶ谷は頻繁に学校を休むようになっていた。たまに来ても、顔は暗く沈んでいて、俺が好きだった天ヶ谷の面影は無い。
あの日。俺と天ヶ谷は、俺の家で一緒にテレビを見ていた。俺としてはかなり勇気を出した方だし、彼女を部屋に居れた時は、とんでもなく緊張していたものだ。……だけど、結果は散々なもので。
夏彦さんの死を一緒に見ていた俺たちは、自然とその話題を避けるようになり、そのうち会話自体が少なくなり……天ヶ谷が学校を休むようになってからは、喋ることも無くなってしまった。
アイツに言われて、俺は、頑張ろうと思ったんだ。少しだけ、前に進もうと思ったんだ。……なのに、結果は進むどころか、後戻りしてしまった気がする。
どうして、上手くいかないんだろう。
どうして俺は何時も、こうなんだろう。
……やっぱり俺には、何も出来ないんだ。
♪
「……ふう」
顎をつたう汗を拭って、空を見上げる。
そこにあるのは、星空だ。
何時か夏彦さんと一緒に星空を見上げた場所。……あの時よりも季節が過ぎて、星座は変わっているけれど……。
「――――」
――遠い。と、思った。
あんなに輝いていて、手を伸ばせば掴めそうなのに……実際にあの輝きまで、一体どれだけの距離があるのだろう。
こんなに遠いのに。とてもじゃないけど、たどり着けそうに無いのに……。どうして夏彦さんは、あんなに自分を信じることが出来たんだろう。
「…………」
無数に光る星々の中で、一際輝く三つの星。
夏の大三角。デネブ、アルタイル、ベガ。
その内のアルタイル……彦星を見上げた。
……夏彦さんは、あの星に居るのだろうか。
だとしたら、遠い。あまりにも、遠すぎる。
その輝きは、俺には、凄く羨ましくて。
いつか俺も、あんな風になりたくて。その場所に、追いつきたくて。
……でも。彼が今いる場所は、俺には遠すぎて……目指すことすら、出来そうに無い。
♪
「…………」
何となく、河川敷に来てしまう。……アイツ、この町に居るときは、大抵ここでロケットを飛ばしていたっけ。
「まったく何がしたかったんだか……」
毎日ロケットを飛ばしては、昨日よりも高く飛んだら喜んで、飛ばなかったら落ち込んで……だけど直ぐに立ち直って、新しいロケットを飛ばしていた。
そうして、遂に自分も乗り込んで、今までで一番、高いところにいけるはずだったのに……。失敗して……次のロケットが飛ぶことは無い。だってもう、ロケットを飛ばす人は居ないから。あの人みたいに……空を目指す人は……。
「……ん?」
川を見つめていると、その中ほどに、夕日を浴びて輝いている何かがあった。
「……なんだろう」
理由はわからない。だけど、どうしてか気になった。俺は仕方なく靴や靴下を脱ぎ、裾を捲ると、川へと入っていく。
「これは……」
膝の半ば程度までしか水が無い川。岩に引っかかっていたそれを引き上げる。
「……夏彦さんの、ペットボトルロケット?」
打ち上げたあとはちゃんと回収していたはずなのに、し忘れがあったのだろうか? いや……これは彼のじゃない。夏彦さんが作ったにしては、随分と不恰好で、素人が作ったかのような……というか、これは。
「俺……の……?」
あの日、夏彦さんに無理やり作らされた、俺のロケットだった。あの後夏彦さんが回収して……それから、僕は行方を知らなかったのに。今になって、俺のロケットが……。
「……そうだ」
そうだった……ここからロケットを飛ばしていたのは、夏彦さんだけじゃない。
俺だって、飛ばしたじゃないか。
たったの一回だったけれど。不恰好に飛んで行ったけれどだけど、俺だってロケットを飛ばしたんだ。
……空に向かって、進んだんだ。
「…………」
どうして、こんなことを忘れていたんだろう。あの日、アイツは俺に言ったじゃないか。
何も出来ないなんて、初めから思うなって。
俺は自分の力で、あんな所まで、飛べたんだって。
「……そうだよ。俺が居るじゃないか」
アイツは居なくても……ここには、俺が居る。アイツみたいには出来なくても、世界を救うことは出来なくても……でも、今の俺には俺で、出来ることがある筈だ。
♪
数日後。
「……えっと、柚瑠木くん? どうしたの、こんな所に呼び出して」
夜の九時。俺は天ヶ谷を、河川敷に呼び出した。
「ん。来てくれてありがとう」
僕は笑顔を見せるが、天ヶ谷は何だか警戒しているようだ。……そりゃそうか。夜中に男に呼び出されたなら。でも、俺は全然そんな気じゃなくて。
「よし、じゃあ行こうか」
「え……何処へ?」
俺は荷物を抱えながら、天ヶ谷に振り返り、
「天体観測だよ」
俺は、何時もの山の上にたどり着くと、シートを敷いてその上に座った。
「天ヶ谷も、どうぞ」
「…………」
相変わらず天ヶ屋は警戒した様子で、それでも、距離を置きながらも、俺の隣に座ってくれた。
「……あの、柚瑠木くん。私、出来るだけ早く帰りたいんだけど」
「わかってる。どれくらい?」
「えっと、せめて一時間くらいで……」
「うん。わかった」
安心させるように微笑んで、俺は空を見上げた。
「天ヶ谷、夏の大三角って、わかる?」
「え……? デネブと、アルタイルと、ベガでしょ?」
「そ。ここから見上げて、あれがデネブ、あれがベガ。……そしてあれが」
アルタイル。と、俺は星を指差した。
「『あの星は俺だ』って、夏彦さんが言ってたんだ」
「え……?」
驚いたように小さく声を上げる天ヶ谷に、俺は苦笑しながら言葉を続ける。
「夏彦っていう名前は、夏彦星から取ったんだって。彦星ってアルタイルだろ?だから、あれは夏彦さんなんだってさ」
「あれが……」
呟くと、天ヶ谷はアルタイルを見上げる。
「――何もしないで諦めるなって。無茶だと思っても、やると決めて突き抜けてみろって、夏彦さんは、そういってた。だから……」
だから、俺は当たり前のように。
「……だからさ。俺は、世界を救うことにするよ」
「は……?」
星を見上げていた天ヶ谷が俺に振り返り、目を点にした。
「柚瑠木くん……大丈夫?」
「大丈夫だよ」
だからそんな、頭がおかしい人を見る目で見ないで欲しい。
「天ヶ谷、知ってる? あの作戦の時間、たったの一時間なんだよ? 一時間あれば世界は救えるんだ。これから地球が滅亡するまで、四年もある。それだけあれば十分だよ。それまでに努力して、努力して、ずっと、諦めないで突き進めば――」
もちろん。俺だって本気で信じてるわけじゃない。ただ、天ヶ谷を励ますことが出来ればと、出任せを口にしているだけだ。
俺に世界が救えるわけがない。……でも、初めから何も出来ないと、決め付けるよりは、
「俺は四年後に、世界を救うよ」
馬鹿みたいな話でも、口に出して進み続ければ……何時かはどうにか出来るんじゃ無いだろうか。
「柚瑠木くん……」
天ヶ谷が俺のほうを見ている。だから、俺は小さく肩を竦めた。
「安心して……なんて言えるほど、頼りにはならないかも知れないけどさ。……だけど安心して。今の俺には、一時間で世界を救うことは、出来ないかもしれないけど……」
……でも、今の俺にだって、目の前で泣いている女の子を、励ますくらいは出来るはずだ。
「柚瑠木くんは、世界を救えるよ」
気がつくと天ヶ谷は、俺が好きだった微笑を浮かべて、
「だって……私のこと、救ってくれたもん。……だから、柚瑠木くん。……ううん、有音くん」
「え……? は……っ!? な、何……?」
一瞬、何が何だかわからなかったけど、天ヶ谷は俺の事を、名前で呼んだ……? え、それってどういう……。
「……やっぱやめた」
「え、えー……?」
「ふふ……そうだなぁ。……それじゃ、もしも四年後に、まだ私達が生きてたら、」
その時に、続きを言うね。と、天ヶ谷は頬を染めて、微笑んだ。
「……わかった。待ってて、ぱっと行って、すぐに帰ってくるから」
「信じてるからね、有音くん」
星空の下、俺たちは約束をした。叶えられる根拠も無い。むしろ無理な可能性の方が遥かに高い。
……だけどそれは、ちょっとは頑張っても良いかなと思えるくらいには、俺にとって大切な約束だった。
「そういや、さっきから気になってたんだけどさ」
そういって、天ヶ谷は僕が隣に置いたスポーツバッグを指差して。
「それ、何?」
「ああ……そうそう。忘れるところだった」
言いながら俺はバッグを開けると、それを取り出した。
「……ペットボトルロケットと、発射台? もしかして、ここで発射するの?」
「うん。実は、水が重くて大変だったんだ」
言いながら俺は、水の入ったペットボトルを幾つか取り出す。
「俺の自作だから、あんまり形は良くないけどさ……。前祝いって言うのも変だけど、一発、夏彦さんに挨拶しようかなって」
「挨拶って……ああ、なるほど」
暗がりの中で、俺は慣れない行為に四苦八苦しながらも、どうにか準備を終えた。
「それじゃあ、行くよ?」
「うん。そういや私、初めて見るや」
瞳を輝かせてロケットを見つめる天ヶ谷の横で、僕はワイヤーを持つと、
「3、2、1……発射」
僕の合図と共に、ロケットは遥か高く――アルタイルに向かって飛んで行き、そのうち、夜闇に紛れて消えた。
「次は、有音くんが乗っていくんだねえ」
「気が早いよ」
天ヶ谷の言葉に苦笑する。俺は未だ、何も行動していない。ただ決めただけだ。
だから……これから。
「ところで、有音くん」
「ん?なに?」
「さっきのロケット、どうするの?」
…………。ロケットは、夜闇に紛れて消えてしまいました。
「……明日の放課後、探しに来ようか」
「うんっ!」
元気良く返事をする天ヶ谷の横で、俺は肩を竦めた。
これから俺は、多分何度もロケットを飛ばすのだろう。その度に、何かに挫折して……それでも、立ち上がって。
無理かもしれない。
多分、無理だ。……だけど、それでも俺は……。
「夏彦さん……俺、行くよ」
あんたがいけなかったところまで。
この空、の向こうまで。