03
次の日の夜。ホストクラブ「ノクターン」はいつもと変わらずに店を開くための準備に追われている。
一日休んだこともあり、今日はいつもより人が多いだろうと予想しているのか、店内は慌ただしい雰囲気に包まれている。その様子を壁に寄り掛かりながら、左京はいつものようにどこか感心したように、楽しげに笑みを浮かべながら眺めていた。
変わらない言い合いがあり、それを止める制止の声があり。変わらない店の雰囲気だ。
昨日は定休日であったのもあるのか、変わらない日常が少しだけ楽しく見せる。左京はそれを満足に思いながらも、ふと昨日というのを考えれば自然に咲姫のことを考える。
――昨日は一体、何があったのだろうか。
よほどのことであるには違いないだろうし、多分大切な日なのだろうということも漠然と分かる。でもどういう意味での特別なのかは分からず、それが決して良い意味であるのかさえも分からない。
改めて考えてみれば咲姫は自分のことを良く知ってくれているけれど、自分は彼女のことを何も知らないのだと思う。彼女の性格は良く知っているし、どんな過去があろうとも自分の気持ちが変わることはないということも断言出来るけれど。それでも、やっぱり何も知らないのだ、自分は。
(……まぁ、聞いても答えてくれないことは知ってるし、ね)
彼女のことであれば何でも知りたいと思う。聞いて答えてくれるのであれば、何でも問い掛けたい気持ちがあるのも確かだ。
でも、そうすることによって咲姫が傷付く結果になるのであれば知らない方がいいのかも知れないとすら思うのも事実。笑顔の裏にどれだけの涙を零しているかは分からないけど、それを拭う役目を自分にくれるのであれば全てを受け止めてあげたい。
そこまで考えてから、はぁ、と左京は深々と溜息を吐いた。
今はまだ、ホストと店長。または救われた人と恩人。その域を超えられずにいるのだから、そう思うことですらもおこがましいことなのかも知れない。
それでも、そう思わずにいられない。聞いて貰えなくても、心の中には愛しいという気持ちが溢れているのだから。
「皆、準備お疲れ様。もうそろそろ、開店だから急いでね」
ふと考えに耽っていた左京の耳に届いたのは、店長でもある咲姫の声。今日は挨拶ぐらいしか言葉を交わしていないので、せめて姿を見ておこうと左京は咲姫が居る方へと視線を向けて、自分の表情が和らごうとした時だったろうか。何か、少し違和感を感じた。
否、違和感と言えるほどものじゃないかも知れないが、そう、ただ何となく、咲姫の様子がいつもと違って少しおかしいような気がした。
元気がないというよりは、無理矢理笑顔を浮かべているような。声ですらも震えないように必死に張っているような、そんな感じ。
左京はざっと辺りを見回したが、自分と同じように思った人は居ないのか咲姫の言葉に作業をしながら返事をしているメンバーがほとんどだ。
――自分の勘違いだろうか。
周りの様子を見て考えを改めようとしたものの、くいっと横からスーツの裾を引っ張られたことに気付き、そちらに視線を向ければ、同じホストクラブで働いていて、ある程度の友好関係がある蒼夜だった。
「蒼夜? どうかした?」
「……咲姫さん……」
「咲姫さん?」
「……悲しそうに、見える」
「え?」
何か言いたいのだろうと思い、左京は首を傾げて問い掛ければ蒼夜はぽつりと思ったことを零す。蒼夜の言葉を聞いた左京は一瞬不思議そうな表情をしてから、もう一度咲姫へと視線を向けた。
視界の中に入って来たのは、準備をしているホスト達を手伝いに行っている咲姫の姿で、その表情にはいつもの笑顔が浮かんでいる。
いつもの、というにはやはり、自分の中の違和感は拭えずにいる。そう考えたとき、ふと蒼夜も同じ違和感を感じたのかもしれないと思った。蒼夜は人の感情に敏感だということは分かっているし、自分よりも正確にそれを捉えたのかも知れない。
(だけど……)
蒼夜が言ったことが正しいとして、正しいのであれば何故、悲しいのだろうと思う。
一昨日までは変わらない様子に見えた。違和感という違和感はなかったし、蒼夜も何も気付いていないのだから、それは確かなのだろう。
「泣きたそうな……そんな、顔」
「……咲姫さんが?」
「うん。……オレも、同じようになったから、分かる」
「……」
考えている左京に助言をするかのように蒼夜がまた言葉を零せば、左京は思わず確認するように問い掛ける。その問い掛けには表情を変えず、だけど僅かに俯きながらぽつりと呟けば、左京は苦笑を浮かべ、裾を掴んだままの蒼夜の頭に手を置いて、優しく撫でる。
撫でる手はそのままに、左京は視線を咲姫へと戻しながら僅かに悲しげに、寂しげに表情を歪めた。
――泣きたいのならば、泣けばいいのに。
自分じゃなくたっていい。片割れである咲一だっていいし、このホストクラブの誰でも良い。誰でも良いから、泣きたいときぐらい甘えればいいのに。
そんな事を思いながら、左京はこの違和感が続くようであれば、理由を咲一に聞いてみようかと考えた。