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一葉  作者: 野口 ゆき
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「【童子教(どうじきょう)】について。


(とうと)い人の前では、目立つような行動をとってはならない。

もし尊い人に道で会うことがあれば、敬意(けいい)(ひょう)して通り過ぎなければならない。

招待(しょうたい)されれば、(うやま)って(うけたまわ)らなければならない。

両手を胸に当て、(つつし)んで()()見据(みす)え、問われない限り答えてはならない。


もし言葉を(たまわ)れば、(つつし)んで聞きなさい。

三宝(さんぽう)(ほとけ)(ほう)(そう))』には三礼(さんらい)(三度拝礼(はいれい)すること)し、『神明(しんめい)(神)』には二礼(にれい)し、『人』には一礼(いちれい)しなさい。

特に、()主君(しゅくん)には尊敬(そんけい)()を示して礼をしなさい。


墓の前を通る時は、(うやうや)しくしなければならない。

お寺の堂塔(どうとう)の前に向かって、不浄(ふじょう)なことをしてはならない。

聖人(せいじん)の『(おし)え』に対して、無礼(ぶれい)なことをしてはならない。


神社の前を通る時は、乗物から()りなければならない。

『神明』を冒涜(ぼうとく)すれば、必ず天罰(てんばつ)(くだ)る。


人倫(じんりん)秩序(ちつじょ))』には必ず『(れい)礼儀(れいぎ))』があり、『朝廷(ちょうてい)政府(せいふ))』には必ず『(ほう)法律(ほうりつ))』がある。


『礼』の無い人は、必ず『(あやま)ち』を(おか)す。


多くの人と話す時は、(きたな)い言葉を使ってはならない。

汚い言葉は人を傷つけ、自分の信頼(しんらい)を失わせることになる。


事が済めば、(すみ)やかに()の場を離れなければならない。

執着(しゅうちゃく)を手放しなさい。

『心』が軽くなる。


事ある(ごと)に、友人と対立してはならない。

価値観(かちかん)の違いは、誰にでもある。


自分が『思ったこと』を素直(すなお)に話しなさい。

相手も『思ったこと』を素直に話してくれる。


言葉多き者は、あまり品が無い。

まるで、()いた(いぬ)が友である他の犬を()えているように見える。

自重(じちょう)しなさい。


無精者(ぶしょうもの)は、食事のことしか考えていない。

まるで、疲労(ひろう)した(さる)が木の()(むさぼ)()らうように見える。

恬淡寡欲(てんたんかよく)無着無欲(むじゃくむよく))な人となりなさい。


猛者(もさ)は、災難(さいなん)見舞(みま)われる。

まるで、夏の虫が火の中に飛び込むように。

無謀(むぼう)な行動は慎みなさい。


鈍感(どんかん)な人は、あまり過ちを犯さない。

まるで、春の鳥が林の中で優雅(ゆうが)に遊ぶように。

鷹揚(おうよう)(かま)えていなさい。


たとえ(ひそか)であっても、人を中傷(ちゅうしょう)してはならない。

(かべ)に耳を当てて聞いている人がいるかもしれない。

常に警戒(けいかい)していなさい。


隠れて悪事(あくじ)を働いてはならない。

上の方から見ている人がいるかもしれない。

清廉(せいれん)に生きなさい。


車の車輪(しゃりん)三寸(さんずん)(約九センチ)の(くさび)(車輪を車軸(しゃじく)()める為のもの)で(しっか)りと留められているから、長い距離(きょり)を走ることが出来る。

自分の中に()るぎないものがあれば、長く生きることが出来る。


舌先三寸(したさきさんずん)の人(口先くちさきだけで本心(ほんしん)を隠す人)は、必ず身を(ほろ)ぼす。


口は『(わざわい)の門』

舌は『禍の根』


必要最低限(ひつようさいていげん)しか鼻を使わないように、慎重(しんちょう)に言葉を選んで注意して口を使えば、失言(しつげん)によって身を滅ぼすことはない。


一度放たれた『言葉』は、取り消すことが出来ない。


(きよ)らかで白く美しい(ぎょく)のような『言葉』が少し傷ついたとしても、(みが)けば美しくなる。

(けが)れた『悪言(あくげん)』は、(いく)ら磨いても(きら)めくことはない。


禍福(かふく)』に門はない。

ただ、人が(まね)いているだけである。


天災(てんさい)』は、準備をしていれば()けることが出来る。

しかし(みずか)ら作る『人災(じんさい)』は自分の『心』から(しょう)じるものなので、避けることが出来ない。


善行(ぜんこう)』を積み重ねてきた家には、子々孫々(ししそんそん)に至るまで『幸運』に(めぐ)まれる。

悪行(あくぎょう)』を積み重ねてきた家には、末代(まつだい)まで『災禍(さいか)』が(もたら)される。

 

人に『陰徳(いんとく)(かげ)ながら行う徳行(とっこう))』あれば、必ず良い(むく)いがある。

人に『陰行(いんこう)(陰ながら行う善行)』あれば、必ず名声(めいせい)を得る。


(おもて)』に見えているものだけが、『(すべ)て』ではない。


『陰』ながら、(こと)なる『形』で行っている『善』もある。

『陰』ながら、異なる『形』で行っている『悪』もある。


目に見えている『全て』のものが、『善』であるとはとは限らない。

目に見えている『全て』のものが、『悪』であるとはとは限らない。


天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして()らさず』


たとえ『人』が隠しても、『神明』に見えないものは無い。


『神明』は『全て』を把握(はあく)し、理解している。


『神明』は、『全て』の『真実』を知っている。


『神明』は『善』を行う者を必ず守り、天佑(てんゆう)加護(かご))を(さず)ける。

『神明』は『悪』を行う者を断じて許さず、必ず報いを受けさせる。


『善』には必ず、光が当てられる。

『悪』は必ず、白日(はくじつ)(もと)(さら)される。


此れは、『定理(じょうり)』である。

永遠に変わることは無い。


信心(しんじん)堅固(けんご)であれば、『災禍』に見舞(みま)われることはない。

信念(しんねん)強固(きょうこ)であれば、『幸福』が舞い込んで来る。


『心』の動きは、表情に表れる。

まるで、水が容器(ようき)によって形が変わるように。

決して隠すことは出来ない。


他人の弓を引いてはならない。

他人の馬に乗ってはならない。

他人の『悪行』に巻き込まれる可能性がある。


もし前の車が(くつがえ)るのを見たら、後ろを走る車は其れを『(いまし)め』としなければならない。

以前の『過ち』を忘れず、其の『過ち』を必ず後に()かさなければならない。


『善』を行えば、『名』が知れ渡る。

寵愛(ちょうあい)』が深過ぎると、『禍』を招く。

危機意識(ききいしき)を持ち続けなければならない。


虎は『皮』を残し、人は『名』を残す。

虎が『美しい皮』を残すように、人も『美しい行跡(ぎょうせき)』を残すべきである。


国を(おさ)める賢王(けんおう)は、弱い立場の人を(かろ)んじてはならない。

君子(くんし)が人を(たた)えなければ、(たみ)(うら)みを買うことになるであろう。


『国に()っては国の法律を聞け』


(ごう)(土地)に入っては郷に従え』


(きょう)地域(ちいき))に入っては境の禁戒(きんかい)規律(きりつ)規範(きはん))を聞け』


(ぞく)風俗(ふうぞく)慣習(かんしゅう))に入っては俗に従え』


『門に入っては先ず(いみな)(実名)を聞け。

 主君の緯は尊いものである。

 決して主君の緯を呼んではならない』


其の国、其の土地、其の地域、其の組織(そしき)、其の家の『法令(ほうれい)』『規則(きそく)』『しきたり』は、絶対に守らなければならない。


愚者(ぐしゃ)』は、将来(しょうらい)について考えない。

(ゆえ)に近い将来、必ず『不運(ふうん)』が降りかかる。

深謀遠慮(しんぼうえんりょ)をもって行動しなさい。


(せま)視野(しや)』で世の中を見ていては、広い世界を見ることは出来ない。

其れは、細い(くだ)を用いて『天』を(うかが)うことと同じである。

多角的(たかくてき)に世界を見なければならない。

俯瞰(ふかん)して見ると、見えなかったものが見えるようになる。


『狭い知識(ちしき)』で大きな物事を判断してはならない。

其れは、針を用いて『地』を指すことと同じである。

多くの情報(じょうほう)を得て、綿密(めんみつ)に、慎重に、周到(しゅうとう)に計画を立ててから、実行に移さなければならない。


『神明』は、『愚者』を(ばっ)する。

しかし、『神明』が『愚者』を罰するのは殺す為ではなく、()らしめる為である。


()弟子(でし)に対して厳しく接するのは、(にく)いからではなく、弟子を『尊い人』に育てる為である。


生まれながらにして『尊い人』はいない。


『尊い人』とは、『智徳(ちとく)』がある人のことである。


『智徳』とは学問(がくもん)から得た『知識』や、経験(けいけん)から得た『智慧(ちえ)』を(もっ)て、『物事を正しく判断できる能力』のことである。


『智徳』は誠心誠意(せいしんせいい)学び、直向(ひたむ)きに修練(しゅうれん)し、地道(じみち)努力(どりょく)して得るものである。


『尊い人』が、必ずしも『裕福(ゆうふく)な人』というわけではない。

『裕福な人』が、必ずしも『尊い人』というわけではない。


たとえ『裕福な人』であっても『欲』が多ければ、其の人は『心の(まず)しい人』である。

たとえ『貧しい人』であっても『心』が満たされていれば、其の人は『心が豊かな人』である。


師が弟子に『(おし)え』を伝えないことを、『破壊(はかい)(『戒律(かいりつ)』を破る行為)』と言う。

師が弟子の『(あやま)り』を(きび)しく指導(しどう)することを、『持壊(じかい)(『戒律』を守る行為)』と言う。


()しき弟子』を養えれば、師弟(してい)諸共(もろとも)地獄(じごく)()ちる。

()き弟子』を養えば、師弟は共に『(さと)り』を開くことが出来る。

もし弟子が『訓え』に従わないのであれば、其の弟子は早々(そうそう)に父母のもとへ返すべきである。

『訓え』ても、無駄である。


不仲な人々を仲介(ちゅうかい)すると、(かえ)って(うら)みを買う。

安易(あんい)な気持ちで『悪人(あくにん)』に関わると、後で大きな代償(だいしょう)を払うことになる。

軽率(けいそつ)な行動は、慎むべきである。


『悪人』に従い、関係を続ければ、柱に(つな)がれた犬の(ごと)く柱の周りを走り回って永遠に逃げることが出来ない。

善人(ぜんにん)』に(した)しみ、常に(そば)にいれば、大きな船に乗っているように安心して生きることが出来る。

 

『悪しき友』と共に生きれば、(やぶ)の中で(いばら)が曲がって育つように、『悪しき友』の影響によって少しずつ『悪人』に変わっていく。

『善き友』と共に生きれば、(あさ)の中で(よもぎ)が真っ直ぐ育つように、『善き友』の影響によって自然と『善人』に変わっていく。


『尊い人』を(こころざ)すのであれば、『善人』を選びなさい。


両親から離れ、厳しい師のもとで『(かい)(戒律)』『(じょう)禅定(ぜんじょう))』『()(智慧)』を学びなさい。

生まれつき才能が無くとも、一生懸命(いっしょうけんめい)努力を続けていれば、必ず『道』を(きわ)めることが出来る。


全て、自分の『努力』次第(しだい)である。


一日一字を学べば、三百六十字覚えることが出来る。

一字は千金に(あたい)し、たとえ一字という些細(ささい)なものであっても、少しずつ続けていれば将来必ず役に立つ日が来る。


たとえ師から一日しか『訓え』を受けていなくとも、其の師の『訓え』が素晴(すば)らしいものであれば、『訓え』を受けた師への『恩』を忘れてはならない。

()してや数年もの間、師から『訓え』を受けたのであれば、敬意(けいい)を払うことは当然(とうぜん)のことである。


人を裏切(うらぎ)り、『恩』を『(あだ)』で返すようなことをしてはならない。

其れは『人の道』に(もと)る、卑怯(ひきょう)卑劣(ひれつ)な行為である。


断じて許されない。


師と弟子の(かか)わりは、『三世(さんぜ)前世(ぜんせ)現世(げんせ)来世(らいせ))の(ちぎり)(かた)約束(やくそく))』である。

両親との関わりは、『今生(こんじょう)』のみである。

弟子は師の影を()まぬよう七尺(ななしゃく)(約二メートル)離れて後ろを歩き、礼儀(れいぎ)()くしなさい。


観音菩薩(かんのんぼさつ)は師である阿弥陀如来(あみだにょらい)の『訓え』を守る為に、(みずか)らの宝冠(ほうかん)に阿弥陀如来を(いただ)いている。

勢至菩薩(せいしぼさつ)は『親孝行(おやこうこう)』を忘れない為に、頭上(ずじょう)宝瓶(ほうびょう)に父母の白骨(はっこつ)(おさ)め戴いている。


朝早く起き、確りと手を洗って心身(しんしん)を清め、『心』を込めて経書(けいしょ)儒教(じゅきょう)経典(きょうてん))を読みなさい。

夜遅くとも、確りと足を洗って心身を清め、『心』を静めて『真理(しんり)』について熟考(じゅっこう)しなさい。


いくら読んでも、いくら考えても『心』に入って来ないのは、()って睦言(むつごと)(親しい会話)を語っているようなものである。

たとえ千巻(せんかん)の書を読んだとしても、身に付くことはない。

やる気が無いのであれば、やっても無駄(むだ)である。

其れは、財も無いのに繁華街(はんかがい)歓楽街(かんらくがい))へ行くことと同じである。


土台(どだい)』となるものが無ければ、何も()し得ない。


冬の夜に薄衣(うすぎぬ)を着ていても、寒さに()え、夜通(よどお)勉学(べんがく)(いそ)しみなさい。

食物の(とぼ)しい夏の日も、空腹(くうふく)を忘れるくらい一日中勉学に(つと)めなさい。

(ただ)し、無理をし過ぎて体を壊してはならない。

心意気(こころいき)を高めることが重要である。


深酒(ふかざけ)は心を(みだ)し、過食(かしょく)享楽(きょうらく)は人を怠惰(たいだ)にさせる。

自制心(じせいしん)を持って行動しなさい。


偉人(いじん)は苦しく(つら)い環境の中でも、粉骨砕身(ふんこつさいしん)(骨が粉々(こなごな)になるまで、一生懸命努力すること)して自ら『道』を切り開いた。


匡衡(きょうこう)の家は貧しく、(あか)りの為の油が買えなかった。

(ゆえ)に匡衡は夜に勉強する為、(かべ)(あな)をあけて月光(げっこう)を部屋に取り入れた。


孫教(そんけい)は学問に集中する為、戸を閉じて家の中に誰一人入れなかった。


蘇秦(そしん)は学問の為に眠気(ねむけ)(おそ)って来た際、(きり)で自分の(また)()した。


俊教(しゅんけい)は学問の為に自分の首と家の(はり)(なわ)で結び、眠りそうになって前のめりした際に首が()めつけられるようにした。


車胤(しゃいん)は夜に勉強することを好んだので、(ほたる)を集めて蛍から発せられる光を灯りとした。


宣士(せんし)は夜に勉強することを好んだので、雪を積んで月光で雪に反射(はんしゃ)した光を灯りとした。


休穆(きゅうぼく)は読書に没頭(ぼっとう)するあまり、自分の(かんむり)が落ちたことに気付かなかった。


高鳳(こうほう)は読書に没頭するあまり、干していた麦が雨で流されていることに気が付かなかった。


劉寔(りゅうしょく)(はた)()りながらも、()えず音読(おんどく)した。


倪寛(げいかん)は畑を(たがや)しながらも、常に腰に書物を()びていた。


此れらの人々は学問を好み、昼夜(ちゅうや)問わず勉学に励むことにより国中に其の才能が知れ渡り、ついには『碩学(けんがく)の位(学問に精通(せいつう)した人)』にまで達した。


たとえ博打(ばくち)(つつ)の中の(さい)を振っている時でも、経典きょうてん(仏教の『訓え』が書かれた書物)や論語(ろんご)孔子(こうし)や其の弟子が(のこ)した言葉)を唱えなさい。

たとえ弓を(けず)って矢を作り戦闘(せんとう)準備している時でも、腰には常に書物を帯びて、いつでも勉強できるようにしていなさい。


(たゆ)まぬ努力をした偉人には、不可思議(ふかしぎ)な『力』が宿(やど)る。


張儀(ちょうぎ)が新旧の書を唱えると、()れ木に実が()った。


亀耄(きもう)史記(しき)(歴史書)を唱えると、古い骨に(あぶら)が戻った。


伯英(はくえい)は九歳から学問を始めたので、若くして博士(はくし)の位を得ることが出来た。


宗吏(そうり)は七十歳から学問を好んだが、其れでも功績(こうせき)を残すことが出来た。


たとえ身分が低くとも、『智者』は高い位に()くことが出来る。

たとえ身分が高くとも、『愚者』は地獄の底まで堕ちる。


『智者』が大きな(つみ)(おか)したとしても、『智者』が地獄に堕ちることはない。

『愚者』が犯した罪はたとえ小さなものであっても、『愚者』は必ず地獄に堕ちる。


『智者』の『心』の中には、常に『喜び』がある。

まるで、『光音天(こうおんてん)(『三界(さんがい)(『欲界(よくかい)』『色界(しきかい)』『無色界(むしきかい)』)』の一つである色界十八天の第二(ぜん)第三番目の天界(てんかい))』に住む住人のように。


『愚者』の『心』の中には、常に『(うれ)い』がある。

まるで、獄中(ごくちゅう)(とら)われ(びと)のように。


父の『恩』は、山よりも高い。

其の『恩』は、須弥山(しゅみせん)(世界の中心に立つ聖なる山)さえも凌駕(りょうが)する。


母の『徳』は、海よりも深い。

其の『徳』は、大海(たいかい)よりも(はる)かに広く深い。


子供の白い骨は、父の『情愛(じょうあい)』である。

子供の赤い体は、母の『慈愛(じあい)』である。

『父の白』と『母の赤』、二つの『愛情』が和合(わごう)して子供の五体(ごたい)(身体)が出来る。

子供は母の胎内(たいない)十月(とつき)過ごし、母は身を削って子供を守る。

生まれてからも数年間、子供は父母から『愛情』を一身(いっしん)に受けて育つ。


昼は父の(ひざ)に乗って、頭を()でてもらうこと多年(たねん)

夜は母に(いだ)かれながら、多くの母乳を飲ませてもらう。


人は、朝、山野(さんや)()け回って生き物を殺し、妻子(さいし)を養う。

人は、()れに川や海に(もぐ)って魚を(つか)まえ、妻子の命を(つな)ぐ。

人は、家族の命を守る為に日夜殺生(せっしょう)などの悪業(あくぎょう)を重ね、朝夕の食料を調達(ちょうたつ)する。

人は、生きる為に多くの罪を犯す。

人は、罪を犯せば報いを受ける。


誰であろうと、罪を犯せば罰せられる。

其れが、『法の(もと)の平等』である。


『恩』を受けて其の『恩』を忘れることは、鳥が自分の()む木の枝を枯らすことと同じである。

『徳』を受けて其の『徳』を忘れることは、野鹿(のじか)が草を食い荒らして草を枯らすことと同じである。


善因善果(ぜんいんぜんか)


悪因悪果(あくいんあっか)


此れを、『因果応報(いんがおうほう)』という。


何人(なんぴと)たりとも、『因果応報』の(ことわり)から(のが)れることは出来ない。


酉夢(ゆうむ)は父を殺し、落ちてきた(かみなり)によって其の身が引き()かれた。


班婦(はんふ)は母を(のの)しり、(へび)(れい)に命を吸い取られた。


郭巨(かくきょ)は貧しさで自分の母が食を減らすのを見て、口減(くちべ)らしの為に自分の子供を土の中に埋めようとした。

すると、掘った穴の中から黄金(おうごん)が出てきた。


姜詩(きょうし)は母の為に遠くまで水を()みに行っていたが、ある日突然(とつぜん)、庭から水が()き出てきた。


孟宗(もうそう)は母の為に真冬に(たけのこ)を探していた時、深い雪の中から筍を見つけた。


王祥(おうしょう)継母(けいぼ)が生きた魚を食べたいと言ったので、魚を捕りに氷が張る川へ(おもむ)いた。

氷の為に魚が捕れず(なげ)きながら氷を(たた)いたところ、氷が割れて魚が飛び出てきた。


舜子(しゅんし)盲目(もうもく)の父を養いながら嘆いていると、父の両目が見えるようになった。


刑渠(けいきょ)が老いた母の為に食べ物を()(くだ)いて食べさせると、老母は若返った。


董永(とうえい)は自らを売って、父の葬儀費用(そうぎひよう)を作った。


楊威(ようい)は、山で出会った虎に老母を思いながら命乞(いのちご)いした。

すると、虎は(だま)って立ち去って行った。


顔烏(がんう)が両親の墓を作る為に土を運んでいると、鳥が飛んで来て土を運ぶのを手伝ってくれた。


許孜(きょし)は松と(かしわ)の木を植えて、両親の為に立派(りっぱ)な墓を作った。


此れらの人々の『願い』が(かな)ったのは、『心』から両親に孝行したいという『思い』が神や(ほとけ)に届いたからである。


純粋(じゅんすい)な心』で願えば『思い』は届き、『願い』は叶う。


しかし、全ての『願い』が叶うわけではない。


人の命は、『永遠』ではない。


生きている人は、必ず死ぬ。


人の命は蜉蝣(かげろう)と同じく、(はかな)い。


朝に生まれて、夕べに死す。


人の身体は、芭蕉(ばしょう)のように風に吹かれれば(やぶ)れてしまう。


出会った人との『別れの苦しみ』は、必ずある。


長命(ちょうめい)である(つる)(かめ)(ちぎ)りも、命がある間だけである。


仲睦まじい夫婦も、『この世』に身体がある間だけである。


早く涅槃(ねはん)(『悟り』の境地(きょうち))に(いた)りたいと願っても、命が足りない。



最も『()けるべきもの』は、『欲』に満ち(あふ)れた『この世』である。


美しい織物(おりもの)も衣服も、『あの世』への(たくわ)えにはならない。

黄金(おうごん)珠玉(しゅぎょく)も、一代限りの財宝である。

官位(かんい)寵愛(ちょうあい)を受けて得た職は、現世だけのものである。


栄耀栄華(えいようえいが)は、『悟り』を(さまた)げるものである。



最も『恐れるべきもの』は、死後に転生(てんせい)する『六道(りくどう)』である。


『六道』とは、『天道(てんどう)』『人道(じんどう)』『阿修羅道(あしゅらどう)』『畜生道(ちくしょうどう)』『餓鬼道(がきどう)』『地獄道(じごくどう)』のことである。

『天道』とは、『天の世界』のことである。

『人道』とは、『人の世界』のことである。

『阿修羅道』とは、『闘争(とうそう)の世界』のことである。

『畜生道』とは、『(けもの)の世界』のことである。

『餓鬼道』とは、『飢餓(きが)の世界』のことである。

『地獄道』とは、『罪人(ざいにん)の世界』のことである。


人は死後、『この世』での『(ごう)(行い)』に応じて、此の『六道』の(いず)れかに輪廻転生(りんねてんせい)する。


全ての『世界』が、苦しく(おそ)ろしい。


『欲界』の一つである忉利天(とうりてん)宮殿(きゅうでん)に住む人でさえ、人々の死は避けることが出来ないと嘆く。


『色界』の一つである大梵天(だいぼんてん)楼閣(ろうかく)に住む人でさえ、人々が畜生や餓鬼や地獄に苦しむことを悲しむ。


須達長者(しゅだつちょうじゃ)釈迦(しゃか)を支えた富豪(ふごう))の『十徳(じっとく)(『姓貴(しょうき)』『位高(いこう)』『大富(だいふ)』『威猛(いもう)』『智深(ちしん)』『年耆(ねんき)』『行浄(ぎょうじょう)』『礼備(れいび)』『上歎(じょうたん)』『下帰(かき)』)』があったとしても、『無常(むじょう)』を止めることは出来ない。


阿育王(あいくおう)(インドを統一(とういつ)し、仏教を保護した王)の『七宝(しちほう)(『(きん)』『(ぎん)』『瑠璃(るり)』『玻璃(はり)』『珊瑚(さんご)』『瑪瑙(めのう)』『硨磲(しゃこ)(シャコガイ)』)』があったとしても、寿命(じゅみょう)を買うことは出来ない。


月氏国(げっしこく)(インド)のように月を(かえ)すことが出来る力があったとしても、閻魔大王(えんまだいおう)の死者を返すことは出来ない。


龍帝(りゅうてい)のように龍を投げる力があったとしても、獄卒(ごくそつ)(地獄に堕ちた亡者(もうじゃ)を責める鬼)の杖に打たれてしまう。


たとえ『この世』で地位(ちい)名誉(めいよ)(とみ)権力(けんりょく)を得ていたとしても、『六道輪廻』から逃れることは出来ない。


況してや道義(どうぎ)に反する行為により得た富貴栄華(ふうきえいが)が、『悟り』を開く為のものになるわけがない。


強欲(ごうよく)』は、『悪徳(あくとく)』である。


『強欲』な人間は、永遠に『悟り』を開くことは出来ない。


『強欲』な人間は、『阿修羅道』『畜生道』『餓鬼道』『地獄道』を永遠に(めぐ)ることになる。



煩悩(ぼんのう)欲望(よくぼう))に満ちた不浄(ふじょう)の身では、『悟り』を開くことは難しい。


煩悩は、『輪廻転生』からの解脱(げだつ)(解き放たれること)を(はば)む。


限りある命の中で早く『菩提(ぼだい)(悟り)』を開きたいのであれば、『悟り』を開く為の『努力』をすべきである。


人は、他者に『(ほどこ)し』を行うべきである。


布施(ふせ)無償(むしょう)の施し)は、『悟り』を開く為の(かて)である。


人は、自らの財産を惜しんではならない。

財産は、『悟り』にとって阻害物(そがいぶつ)でしかない。


もし自分が貧しい為に『施し』が出来なくとも、他の誰かが『施し』ている姿を見て共に喜びなさい。

同じ『心』であることが重要である。


慈悲(じひ)の心』を以て一人の人へ『施し』を行えば、其の『功徳(くどく)』は大海のように深く広がる。

但し、『慈悲の心』を悪用(あくよう)して『施し』をすれば、『無限地獄(むげんじごく)』に陥ることになる。

断じて、『慈悲の心』を私利私欲(しりしよく)の為に利用してはならない。


見返りを考えて多くの人に『施し』を行なっても、其れは芥子粒(けしつぶ)のように小さなものである。

無私無欲(むしむよく)』でありなさい。


砂を集めて仏塔(ぶっとう)(きず)く人であっても、『敬う心』があれば黄金(おうごん)の身体を得て『悟り』を開くことが出来る。

無心(むしん)』でありなさい。


花を折って仏に(そな)えるという些細な行為であっても、極楽浄土(ごくらくじょうど)へ行くことが出来る。

『量』ではなく、『質』が大切である。


たった一句の短い『言葉』でも、其の『言葉』を『信じる力』があれば転輪王(てんりんおう)(インドに於ける理想の王)の位を超えることが出来る。

不動(ふどう)の心』を持ちなさい。


仏の『訓え』の半分でも聞くという『功徳』は、三千世界(さんぜんせかい)(全宇宙)の財宝をも凌ぐ。


自らは、只管(ひたすら)仏道修行に励みなさい。


そして、『四恩(しおん)(父母・師匠・国王・三宝)』に報いるよう努めなさい。


其の後、『六道』にいる全てのものに対して『訓え』を広めなさい。


そうすれば全てのものが『悟り』を開き、『仏』となることが出来る。



【童子教】は子供たちを『仏の世界』へ(みちび)く為に、『因果(いんが)道理(どうり)』を説いたものである。


【童子教】は、『内典(ないてん)(『仏典(ぶってん)』)』や『外典(がいてん)(世間一般の『訓え』)』から引用(いんよう)したものである。


此れを読んで、【童子教】を批判(ひはん)してはならない。


此れを読んで、【童子教】を嘲笑(あざわら)ってはならない。




以上が、【実語教】と【童子教】についてである。




日本の≪教育≫は『人の道』を説き、『人』を育てる為にある。


日本の≪教育≫は、日本人が求め続けてきた『理想の人』を育てる為にある。



高度な『知識』や様々な『智慧』があるということは、とても素晴らしいことである。


並々(なみなみ)ならない努力をしなければ、其れらを得ることは出来ない。


しかし、単に『知識』や『智慧』を得れば良いというわけではない。


学問から得た『知識』や、経験から得た『智慧』は、ただ『有る』だけでは役に立たない。


「国や人にとって何が『善』であるのか、何が『悪』であるのか」

「国や人にとって何が『(せい)』であるのか、何が『()』であるのか」

「自分の『知識』と『智慧』は、いつ、どのように、何の為に

 生かすことが出来るのであろうのか?」

「自分の『知識』と『智慧』は、いつ、どのように、何の為に

 生かすべきなのであろうか?」

「自分は今まで、何の為に学んできたのであろうか?」


日本の≪教育≫は『知識』や『智慧』の【生かし方】を自分で学び、自分で考え、自分で見極め、自分で判断し、自分で選択できる『能力』を持つ『人』を育てる為にある。


得た『知識』や『智慧』は、『善』と『正』の為に生かさなければならない。


『知識』や『智慧』を『善』と『正』の為に使えば、其れは必ず『守り』となり『強さ』となる。

『知識』や『智慧』を『悪』と『誤』の為に使えば、其れは必ず『狂気(きょうき)』となり『凶器(きょうき)』となる。


『知識』や『智慧』を『善』と『正』に生かす為に、日本は≪教育≫によって『人』を育ててきた。


『日本人としての在り方』や『人としての在り方』を説き、『知識』や『智慧』を『()(みち)』『(ただ)しき(みち)』へと導いてきた。


『善き道』『正しき道』は、『国家安泰(こっかあんたい)』『国泰民安(こくたいみんあん)』『天下太平(てんかたいへい)』に通じる。


そして其れは、平和で、(おだ)やかで、静かな世界へと繋がる。



日本の≪教育≫は、国家の安寧秩序(あんねいちつじょ)(たも)ち守る『人』を育てる為にある。


日本人の良心(りょうしん)を利用して日本の≪教育≫を悪用するなど、断じて許されるべきことではない。


【実語教】と【童子教】は、≪教育≫の悪用を(ふう)じる為に在る。


【実語教】と【童子教】は、此の先も受け継いでいかなければならない日本の≪教育≫の(もと)である」

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