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3-1. 夢の跡地

 厚い雲で覆われた夜空に月はなく、街灯はおおよそ2ヶ月前から切れたまま。普通の現代人なら歩くことも覚束ない闇の中を、ハルトは走った。遠くに聞こえていたゾンビ犬の吠え声が、どんどん大きくなってその接近を知らせる。

 しまった。欲張らずにもっと早く切り上げるべきだった。と少年が後悔しても、もう遅く。

 ガッシャガッシャとバックパックに詰めた缶詰と瓶詰が鳴る。覚えたての暗視呪文のお蔭で、物資集めが捗るようにはなった。それでも調子に乗って不用意に街の深部に踏み込めば、結果はこのとおり。音と匂いに釣られてゾンビどもが寄ってくる。運がなければ、牛豚サイズに大きくなった蜂や蜘蛛、犬猫サイズのゴキブリも。

 ハルトは街路の突き当りの塀に手をかけ乗り越えて、戸建ての家の庭を突っ切ってまた塀を越える。街を彷徨うゾンビを撒くため、パルクールじみた動きが勝手に身についた。

 隣家の広い池付きの庭を通り抜け、次の隣家の生け垣に体を押し込んでまた庭に出る。あの池にいた鯉、食えるかも。と頭の隅で考えつつ、ハルトはそこでようやく足を留めた。身を低くし、息を潜めて呼吸を整え、耳をすませてゾンビ犬の様子を探る。

 ゾンビ犬どもの吠え声が小さく、遠い。ハルトは安堵の息をつくと、バックパックを下ろしてしゃがみ込んだ。タクティカルシャツの袖で額の汗をぬぐいつつ、バックパックからペットボトルを引っ張り出して口をつけた。スポーツドリンクの柑橘系の甘味が喉に心地いい。六月の暑さのせいでぬるくはあるものの、こんな世界で贅沢は言ってられない。

 改めてバックパックの中身を検分する。ツナ缶に鯖缶、ヤキトリ缶にフルーツ缶等、缶詰は手当たり次第、詰めるだけ詰め込んできた。ジャムと蜂蜜のボトル、強力粉のパック……は破れてネズミか何かに荒らされた跡はあったものの、今更気にしない。火を通せば何も問題ない。富島園とみしまえん駅前のスーパーは当たりだった。まだまだ無事な食料が残ってたから、また行かなきゃ。

 そこで問題が一つ。ここからどうやって拠点まで帰ろう? ハルトは手首のダイバーウォッチで時刻を確かめた。夜光の針が3:52を示す。夜明けまで30分あるかないか。この荷物を背負って、夜闇に紛れて拠点まで戻るには少々心許ない。

 この辺り一帯は広い庭付きの家が多い高級住宅街で、その大半が塀や柵で囲まれている。家屋の中に隠れて夜まで過ごす、がゾンビや変異生物相手にどこまで通用するか。と考えるハルトの耳に、徐々に、嫌というほど聞き覚えのある悍ましい吠え声が近づいてきた。

 ここにも長居はできない。ハルトはバックパックを背負い直して立ち上がると、行き先を定めるべくこの周辺の地形を思い起こした。住宅街は隠れる場所が多いものの、その元住民だったゾンビも多い。駅に向かえば遊園地とみしまえんがあり、園の中央を横断するように石神夷川が流れている。とみしまえん敷地内の川沿いには鬱蒼とした林があったはず。

 よし、とハルトは胸の内で言うと、生け垣と家屋の間を通って路地に出た。周囲を見渡し、聞こえてくる音全てに神経を注ぎながら遊園地へ向かう。林はゾンビの視界を遮り、足止めとなる障害物も多い。それにあの遊園地周辺は、不思議とゾンビを見かけなかった。

 駅前通りを駆ける。遠くあちこちに、フラフラと彷徨う元人間たちが見える。その視界に収まらないよう放置車両の陰に身を屈め、ハルトは石神夷川にかかる橋の欄干を越えると、川沿いの茂みに潜り込んだ。

 そのまま川に沿って進むと、遊園地と川を隔てる高い柵に行き当たる。4m近くあるその柵を越えることはまずできない。が、ハルトは知っている。柵の下の土を掘った箇所があり、そこは恐らく今でも枯れ枝と木切れで覆われていることを。

 そこはハルトの記憶のまま。小学校に上がったばかりの頃、悪友たちと堀った侵入口は遊園地の管理者に見つからぬままそこにあった。

 心の中で快哉を叫びながら、ハルトは枝と枯れ草を除けた。穴は浅いが、無理やりなら通れなくはなさそうだ。バックパックを下ろして穴の向こうへ押しやると、自身も腹ばいになって頭を押し込んで穴を抜けた。

 体についた土を払い落とすと、ハルトはバックパックを背負い直して歩き出した。川を越えたお蔭か、ゾンビ犬の声は聞こえない。園敷地内の樹々と蔦で茂る林の中は、死者の闊歩が嘘のように静かだった。林に満ちる雰囲気のようなものさえも、どこか密やかで、園外の狂気と隔絶した感じがした。

 林、とはいえ決して広くはないので、5分もかからず遊園地のエリアに出る。

 茂みから顔を出し、ハルトは注意深く周囲を窺った。遊園地とはいえ人の施設。ゾンビ化したスタッフや客たちがいる可能性は高い。

 が、動くものの気配はなかった。遊具の合間に身を隠しながら、ハルトは拠点を目指す。アフリカ館にカートレース場、ミラーハウスに観覧車……幼い頃に遊んだ遊具は、時間が凍りついたかのように記憶のまま。遠く、世界最古と言われたメリーゴーランドの辺りに人影が幾つか見えた。ゾンビかと思って身を低くして警戒するも、人影に動く素振りはなかった。人間サイズの人形か何かが、あの辺りにあったろうか? ハルトはここで遊んだ子ども時代の記憶を掘り起こす。しかし該当する物は思い出せなかった。

 念のために人影の方角を迂回して進む。そうして園内でも最大の遊具、かつては振り子のように揺れた、双つの鋼鉄の巨船に近づいた時

「ワォン!」

 唐突な犬の鳴き声に、ハルトはビクンと体を震わせた。ゾンビ犬? こんな場所で? 焦る心のままベルトに吊るした鉈の柄に手を伸ばすも、違和感があった。何かがおかしい。鳴き声は涎まみれでも悍ましくもない。ずいぶんと昔に聞いたもののような。

「アォン!」

 再び犬の声。アスファルトを蹴ってこちらに向かってくる、小さな獣の姿が目に入る。腐臭もなければ、肉や毛皮が崩れてもいない。黒い毛並みに白い毛の腹、耳の尖った犬だった。

 ただし、その眼は四つ。通常の眼のある位置の上に、もう一つずつ。

 四つ眼の犬に敵意はないようで、丸まった尾を振りながら、しきりにハルトの背中側に回ろうとしてくる。

 ゾンビ犬ではない? でも明らかに異常な犬を避けようとハルトは身体を翻す。何がなんだかわからない。そこへふわりと柔らかな風が吹き抜け、少年の頬を撫ぜた。

 今度は何さ? とハルトが振り向こうとした瞬間、背からの衝撃に前へと押し飛ばされた。

 前転しながら地面を転げ、痛みに呻きながら上体を起こす。中学の時の体育の柔道、受け身の授業真面目にやっててよかった。ハルトはそんなことを思い出しながら、元いた場所を見て、固まった。

 真っ白い羽毛で覆われた、全長3mはありそうな大きな生きものがそこにいた。おおよその体型はクマに似ているものの、頭は鋭い嘴と大きな丸い眼を持つフクロウのそれだ。

 クマともフクロウともつかない大きな生き物は、破れて転がったバックパックに前肢を突っこんだ。そして鉤爪で器用に蜂蜜のボトルを取り出すと、蓋をこじ開けて中を啜り始める。

 何これ? 目の前に光景に戸惑いながら、ハルトが呆然と真っ白いフクロウクマを見ていると

「あらあら小さなお客さま」すぐ傍らから、穏やかな女性の声が聞こえてきた。「うちの子がごめんなさいねぇ」

 ハルトは座り込んだまま声の主を見上げた。背丈は自分と同じくらいか。編んで垂らした亜麻色の髪に、ひと房、白い髪が混じる。着ている服はゆったりとしたカーキ色のオーバーチュニックで。紫のロングスカートと合わせると、まるで昔の欧州(ユーロピア)の絵画に描かれた登場人物のよう。

 その時、厚い雲が割れ、月の光がハルトを見下ろす女の顔を照らし出した。端整な鼻立ちと口元は美しい、のだろうけど

「あなた大丈夫? 痛いところはない?」

 返事がないのを勘違いしたのか。心配げな言葉が続く。

 ハルトは何とも奇妙な女の顔を見て、返すべき言葉がすぐには出てこなかった。

 女の顔の鼻から上は赤黒い、何某かの獣の革帯のようなものが巻かれていて、何かが見えていそうにはとても見えなかったから。

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