2-3. あでやかなけもの
転がっていた軍装の盗賊の手から板金剣をもぎ取ると、ハルトは先行してビル正面のドアを蹴った。
ゾンビたちの圧で脆くなっていたため、ドアは枠ごとあっさりと内側に倒れた。
三階建ての小さなビルなので、入ると廊下に沿って会議室、ミーティングスペースと思しき二部屋があるだけ。すぐ突き当りに階段がある。脇にエレベーターもあったが、当然動いてなどいない。
一階に動くものの気配はなく、ハルトは剣先を前に指し出しながら階段を上る。その後をエリが、山刀を携えて音もなく従った。
そして二階は、階層ほぼ全面を使ったオフィススペース……だった。デスクと椅子は脇に除けられ積み上げられ、タイルの床には缶詰の空き缶や空のペットボトル、略奪物資と思しき栄養バーの包み紙が散乱している。電池式のランタンが室内の中央と壁際で灯り、空いた空間にベッドマットが無造作に置かれていた。
そしてベッドマットの中央には、若い、恐らく二〇代くらいの裸の女が横たわっていた。放り出されたその四肢に力はない。全身に斑紋のように散る青黒い殴打の跡が、ここで何が行われていたのかを雄弁に語った。剥き出すように見開かれた目は涙で濡れ、半開きになった口の端から血が垂れ落ちた。
息は、していなかった。
念のため、ハルトは横たわる女の首に手を当てた。脈はない。まだ少し、ほんの少しだけ温かみがあった。
この女性はほぼ間違いなく、避難センター間で物資を融通し合うために動く輸送隊の人員。その生き残り。だったひと。
「ハルト」
小さな声で呼びかけられて振り向くと、エリがしゃがみこんで何かを見ていた。
ハルトが彼女の視線を追うと、床に男が倒れていた。体をくの字に折り曲げて、男自身のものと思しき血だまりのなかに。その顔面は、年齢も何もわからないくらい腫れあがっている。左右の手、左右の足は結束バンドでまとめられ、きつく締め上げられていた。
こちらも確認のために、ハルトは男の首筋に手を当てた。脈はない。離した手のひらに、赤黒く固まった血がこびりついた。
あの盗賊たちは、見せつけ合いながら嬲ったのだろう。この二人は親子か夫婦か、あるいは恋人同士だったのかもしれない。それが盗賊たちを一層悦ばせたことは想像に難くない。人間には、そういう者がいる。
最悪。邪悪。ろくでもない。畜生以下の廃棄物。どんな言葉を並べ立てても、今、目の前の惨状を表現しきれない。
「こんなもんなんですよ、人間なんて」
ハルトはそんな言葉しか出てこない自分に、笑い出しそうになるのをどうにか抑えた。恰好つけて何言ってんだ僕は。自分自身もその一員であることを棚上げして。賢き種族たるエルフからしてみれば、人間なんてサル以下の下等動物だろうに。
この2人が盗賊と観測された可能性は低い。上階から聞こえてきたかすかな足音に、ハルトは天井を見上げた。
「行ってさっさと片付けましょう」エリは横たわる男の頭をひと撫ですると、ハルトの傍らに来て女の瞼を閉じる。そして言った。冷たく、とても静かな声音で。「ここにはもう、誰もいない」
再びハルトが先行し、階段を上って最上階へ。閉まったドアの向こうから、小さな話声、女2人の罵り合いが聞こえてきた。
「アユムが帰ってこない。どうしたの? もしかして……」
「あの人が殺られるわけないじゃない。また遊んでるだけよ」
「そう思うなら、あんたが見にいってよ!」
「嫌よ!」
「エリさん、下がっててください」
エリが無言で頷くのを確かめてから、ハルトは呪文を唱えて左腕を前に出す。
周囲の空気が冷え、ハルトの左腕に氷の大盾が顕れた。
ドアを開けた瞬間に銃弾を撃ち込まれても、この氷の大盾と魔力の鎧は数発程度なら耐えられる。後ろのエリさんまでは届かせない。ハルトはドアノブに向かって、板金剣の柄頭を思いきり叩きつけた。
1度目で中の話し声が止んだ。そのまま2度、3度と繰り返す。4度目でドアノブは砕け落ち、ハルトはドアを蹴破った。
急には踏み込まない。ハルトは大盾を前に背後のエリを庇いながら、一歩踏み込んで中の様子を伺う。
電池式ランタンの照らす室内は、雑然とした二階と異なり小奇麗に整頓されていた。光が漏れぬようカーテンのかかった窓。壁に寄せて、物資の詰まった段ボール箱、樹脂ケースが積み上げられている。樹脂ケースに敷かれた黒布の上には、チェーンやリングのアクセサリーが載り、その手前の床の上にはウイスキーやワインのボトルが並ぶ。
そして室内の中央には、何処から持ち込んだのかクイーンサイズのベッドが組み上げてあった。
既視感のあるその光景に、ハルトは苦い記憶を思い出す。緋雁ヶ丘のショッピングモールでボスを気取っていた男も、こんな部屋を作っていたっけ。ちょうど今、目の前にいる2人みたいに、ベビードール?とかいう煽情的な下着を付けた女たちを侍らせて。
「あ、あんたたち何よ!」
「死にたくなかったら出て行って! アユムが帰ってきたら、あんたたちなんかすぐ殺されるわ!」
髪の長い女が、次いで背の高いショートボブの髪の女が吠える。ハルトとエリを見る女たちの目には怯えと、あるかなしかの侮蔑がこもっていた。
おおよその状況を把握して、ハルトは緊張を緩めた。2人とも人間の基準なら可愛い、美人と言われる容姿の持ち主だ。それを活用して生きてきたことはまあ、責められることでもないのかもしれない。
「アユム? あの刺青の男なら死んだわ」エリがハルトの背から歩み出て言った。「わたしたちが殺した」
「嘘よ!」
女が、艶やかに手入れされた黒髪を振り乱して叫ぶ。
「そう思うなら、そこの窓からランタンで外を照らしてご覧なさい」
エリが山刀の先で正門側の窓を示した。
ショートボブの女はランタンを引っ掴むと、エリの示す窓へと駆け寄った。カーテンを引き開け、窓を開けて恐る恐る外を照らして見る。
途端に女は床にランタンを落とし、甲高い悲鳴を上げて窓際にくずおれた。
「そんな……」
続いて髪の長い女もランタンを拾い上げ、窓の外を見る。すると眼下の光景にショックを受けたのか。硬直したまま動かなくなった。
強い雄に庇護されて生きる雌、か。ハルトは思う。現在の状況を考えれば不思議なことは何もない。紗枝さんならこう言うのだろう。「人もサルなのだから、むしろ自然な行動だよ」と。ボスの雄が見目良い雌を独占し、価値が低いと見定めた雌を配下の雄に下げ渡す。雌は安全と安寧を得るために雄にすり寄る。本当に、どこも似たり寄ったりで虫唾が走る。
女の手からランタンが落ち、光跡を残して転がった。
はてさてこの2人をどうしたものか。抵抗の手段がなさそうな者を殺すのは寝覚めが悪い。拘束して復興庁に突き出すか。スドオさんも人材、人体だっけ?はいくらでもほしいとか言ってたし。
ハルトがそんなことを考えていると、髪の長い女が何気なく自身の内腿に右手を差し入れた。
次の瞬間、女は護身用と思しき小型拳銃の銃口をハルトに突きつけた。血走った目に激情をこめて。
「アユムの仇!」
剥き出しの憎悪を向けられながら、それでもハルトは冷静だった。氷の大盾は既に銃口を向いていて、魔力の鎧もまだ効果が持続している。一発くらい撃たれてやってもいいか。この仕事も、こっちが絶対正義だなんて思っちゃいない。何人も殺したのだし。見るからに口径の小さい拳銃弾なら、余裕で防げる。
ハルトは引き金を待つも、銃声は鳴ることなく。
きらめきがランタンの光を返して弧を描いた。
「ャアアアアアァァッァァァアアア!!」
先の悲鳴に輪をかけた高さの、断末魔とも呼べる凄まじい絶叫が女の喉からほとばしる。女の右手のあった場所は切り株のような断面だけとなり、床に落ちた右手と拳銃に鮮血を振りかけた。
エリは山刀を振るい、刃にしたたる血の雫を弾き散らす。
ハルトから見えるのはエリの後ろ姿だけで、彼女の表情は見えない。
そのままエリは、山刀の切っ先を女たちに突きつけ、言った。
「おまえたちは上層地獄さえ迎え入れない。死の安息すらない混沌の汚物として永劫を彷徨いなさい」
長い髪の女は激痛と恐怖に歪んだ目で、床に転がる拳銃を持った右手と、階段に続くドアを交互に見た。そして階段へ向かうにはエリとハルトの間を通り抜けねばならないと悟るや、開いた窓へと脱兎のごとく駆け出し、夜の街路へと身を躍らせた。
ゴシャッと重く湿った破裂の音を聞いて、ハルトは思う。ここは三階だ。まず助からない。けれどゾンビや盗賊の死骸の上に落ちたら案外死なないかもしれない。〈審判の日〉後も生き残っている人間は、それ以前より頑丈になる傾向があった。
窓際でくずおれていたショートボブの女は、エリの顔を見上げて「ひ!」と恐怖に顔を引きつらせた。怯え切った女は足元に転がったランタンを引っ掴むと、よろめき転がるように階段に続くドアを抜けてゆく。
女を追うこともなく、窓の外の闇を見つめたまま。エリはゆっくりと山刀を下ろした。
カーテンが窓外からの風を受けてはためいた。湿った空気の匂いに、ハルトは雨脚が強まる気配を感じ取る。雨音にゾンビ犬の咆え声が混じり、続いて女たちの悲鳴が上がった。
「……終わりましたね」
エリに声をかけて、ハルトは氷の大盾を脇に置くとベッドに腰かけた。次いで魔力の鎧も解除して床に置く。ヘルメットも抜いでベッドに置いた。神経賦活呪文の副作用でまだ体が重い。今は少しでも身体を軽くしたかった。
暗視呪文の力で、ランタンがなくとも室内の様子はわかる。ハルトは積まれた物資の箱、並ぶ贅沢品を見て思う。盗賊のボス、サワという男は物資をここに集め、配下の男たちに適宜配分していたのだろう。使い切れもしないものを、ただ権力を保つために溜め込むのもまた人間だ。そんなヤツらのせいで……
そこでまた昔の苦い記憶を思い出しかけ、ハルトは拳で軽く己の頭を叩いて思考を切り替えた。
「ここの物資、どうしましょうか?」この場の物資、結構な量がある。ハルトはエリに向かって何気なく問うた。「希少なものだけもらって、残りはもう復興庁に任せようと思うんですが」
エリは黙ったまま、窓の向こうの暗闇を見つめていた。ハルトからは後ろ姿しか見えず、その表情はわからない。
「エリさん?」
なんだか様子がおかしい。ハルトが名を呼ぶと、エリは背を向けたまま山刀を床に落とし、ヘルメットを脱いでこれも落とした。
一休みしたいのだろうか? そりゃそうだとハルトは思う。今日の仕事では何だかんだ結構な負担をかけてしまった。自分だけでは恐らく死ぬか撤退していたわけで。一人で完遂できる気でいた自分が情けない。
「ここで少し休んでから帰りましょうか? 夜明け前までにクルマに戻れれば問題ないですから」
幸いここには飲料水も食料もある。敵の抱えた物資を使うことへの抵抗感などとうにない。休んで消耗した体力を幾分か回復させるのは合理的だ。
そんなハルトの言葉を聞いているのかいないのか。
「ハルト、装甲を外して」
エリは言った。自身、鞘とポーチの付いたベルトを外して落としながら。
一休みしていこうということ? エリの真意を測りかねながら、ハルトは言われたとおり腕甲と脚甲、胸甲を外し防弾ベストを脱いだ。体が軽くなったのは良いものの、雨と汗に濡れた着衣が冷たく感じる。タオルでもあればな、と思って周囲を見渡した。室内隅のポールハンガーに、黄色いバスタオルがかかっているのが目に入る。
「タオルがあります。体を拭きましょう」ハルトはタオルを取ってこようと、重い腰を上げて立ち上がって「冷やすと体に」
毒ですし、と言おうとした口をエリに塞がれた。
「!?」
ぬめる熱い舌で舌を絡め取られる。強引に快美感を引き出されながら、ハルトはベッドに押し倒された。呪文の副作用のせいで、まだ体に力が入りにくい。
レザー越しにふっくらとした胸を圧しつけながら、エリは右手でハルトのベルトのバックルを探る。
え? ちょっと待ってよエリさんこんなところで? と言いたい口はエリに塞がれていて何も言えない。彼女の銀色の髪が顔にかかる。シャンプーの香りに混じる汗の匂いと、かすかに甘い女の匂いに包まれて、ハルトの体は勝手に期待し準備を始めてしまう。
それを見越したように、バックルを外したエリの右手は軍用パンツのファスナーを下ろし、中で硬くなり始めたハルトのものをゆったりと押し揉んだ。
舌はほぼ一方的にエリの舌に絡め取られこねられて。ハルトは上になったエリから流し込まれる唾液を嚥下した。そのほんのりした甘さと酸味に思う。エリさん、携帯食のビタミングミ食べたんだ。じゃなくて。
ハルトの口内をねぶり、こね、撫ぜまわし、ひとしきり蹂躙してようやくエリは顔を離す。雫の橋が、長く糸を引いて切れた。
「っ……どうしちゃったんですか、エリさん」
大きく息を継いで、ハルトは問うた。ひと月ほどの付き合いでも、何の意味もなくこんな行為をするひとではないことくらいわかる。
「血を見てたら、昂ってきたのよ」ハルトの視線を受け留めるエリの瞳は、心なしか赤みが混じり紫の光を帯びていた。「付き合いなさい、ハルト」
エリの語気は荒く、見下ろす視線も怒気が混じっているように見える。
エリを拒む理由はないものの、ハルトは理由を聞きたかった。
「僕、何か怒らせるようなことしちゃいましたか?」
「あなたは何もしてないわ。あなたは」
答えなのか何なのか。ハルトには理解できないことを言いながら、エリはハルトを股の下に組み敷いて体を起こした。
エリがライダースーツのファスナーを下ろしてゆく。飾り気のないスポーツブラに支えられた、豊かな双丘がこぼれ出た。
触感と視覚の両方で欲望が強引に高められてゆく。エリはそんなハルトの昂りを解き放つと、股間を押しつけ、ゆっくりと前後に揺らしはじめた。
しっとりと湿り気を帯びてゆくショーツ越しに、ハルトは熱さと潤みを感じ取って陶然となりかける。それでも、いつもと異なる一方的な快感の押しつけに釈然としない。
エリの口がハルトの頬を愛撫して首を甘噛み、肩に軽く歯を立てた。
かすかな痛みと共にもたらされた奇妙な感覚に、ハルトは掠れるような声を漏らした。僕は気持ちいい、のか? 判断しかねているところで、エリの手がハルトの滾りを内へ、女の体の潤む深みへと導き入れた。
肉食獣が獲物を喰らうように、エリはハルトを貪った。少年の体に幾度も歯を立て咬み跡を刻んで。その一方的な、理不尽な快感に火を付けられ、ハルトもエリを攻め返す。エリ以上に強引に。もうどう思われても構うまいと、後ろから組み伏せ、雄の本能の赴くままに一方的に快感を貪る。なのに
振り向いたエリは、うっとりと快感に耽りながら笑っていた。
その不思議な色の瞳はハルトを見つめ、更なる行為へと艶めかしく誘っていた。
そこから、ハルトの理性は消失した。激しい交合のなかで、エリの汗ばんだ白い肌が目に入る。すると突如ハルトの肚の底から、これまで自覚してこなかった衝動が湧き上がってきた。
このひとを、僕のにしたい。誰にも渡さない。
身勝手で狂暴な欲望のままに、ハルトもエリの白い左肩に歯を立てた。その瞬間、エリは一際大きく咆えた。まるで周囲に、誰かに何かを宣言するように。
そのまま震えとともに最後の一滴まで欲望を吐き出し切ると、ハルトは体から力が抜けるのを感じた。エリの体を抱えていられず、ベッドに転がる。急激な疲労感に、体勢を立て直すこともできない。無理もない。盗賊集団との戦闘、神経賦活呪文とその副作用、そして思いのほか激しかった行為……体力はとっくに限界を迎えていた。
昂奮が鎮まってくるにつれ、ハルトは後悔に苛まれた。調子に乗って僕は何をやった? きっかけはどうあれ、あんなことして嫌われないわけがない。隣に横たわるエリの息遣いが、徐々に落ち着いてくるのがわかる。彼女の顔を見るのが怖い。きっと怒ってる。もしかしたら、もう会えなくなるかもしれない。
そろそろと、ハルトは顔を横にねじ向け、横目でエリを伺った。
既にエリはハルトのほうを向いていた。彼女の目に浮かんだ表情は予想外のもので、ハルトは驚くよりも困惑した。上気した美貌にあるのは、嬉しそうに笑みを含んだ目。まるで高いところから見下ろすような。それはエリがよく、ゲームで勝ったときに浮かべるもの。勝ち誇っている時の表情、によく似たものなのだけれど。
エリさんのこの視線の先にいるのは、僕ではない。ハルトは直感でそれがわかった。僕ではない、けれど見ているのは僕だ。
何なのだろう? ハルトは訊いてみようかと思うも、極限の疲労がもたらす睡魔で瞼が重い。おまけに暗視呪文も効果が切れてきた。徐々に辺りが暗くなり、室内に闇の帳が降りてくる。少し仮眠しよう。でも夜明け前にはここを離れなきゃならない。スマホに目覚ましのバイブをセットして……
起きているのか眠っているのか、ハルト自身でもわからない暗闇のなか。指に、エリの指先がちょんと触れた。おずおずと手を伸ばすと、手が重なって指が絡み合う。
雨の音はもう、聞こえなかった。
官能シーンについては、R15化のためにだいぶ削っています。18歳以上の方で、もし原文にご興味がありましたら、ノクターンノベルズに公開済みのR18作品「ゾンビアポカリプス世界で少年がエルフのお姉さんと一緒に強盗団と戦うお話」をどうぞ。




