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2-2. 盗賊団

 雨雲から地上に射し込むかすかな光が絶え、雨足も弱くなってきた。

 ハルトは小さく呪文を唱え、暗視の魔法を己が両眼にかけた。夜闇の世界が曇天の日中ほどの明るさに見え、視野が広がる。一人で暮らしはじめて間もない頃、大破した兵員輸送車のノートPCから、この暗視呪文を抽出できたのは幸運だった。夜の暗闇でゾンビの活性は落ちる。何の装備も技術もない頃は、この呪文のお蔭で比較的低リスクで夜の廃墟を探索できた。

 また割れ窓に寄り、ハルトは双眼鏡を目に当て外を覗う。敵対生存者、即ち盗賊の拠点は特に変わりない。窓からうっすら漏れる灯りにゾンビが集まってこないところを見ると、近辺の掃討は済んでいるのだろう。

 その点は想定済みだった。ハルトは足元に置いたバックパックから、ぬいぐるみを掴み出して状態を確認した。

 それからまた双眼鏡で窓の外を見た。焦点を、盗賊の拠点となったビルから、二棟ほど距離を置いた中空に移す。そこにあるのは、目代大通りに渡された歩道橋。その欄干に、黒い人型のシルエットがある。暗視呪文の効果範囲を超えた位置なので、細かな部分は見て取れない。しかしハルトは知っている。なぜなら昨日、拠点の豪邸で見せびらかされたから。



「どう? 似合うでしょ」エリが得意げに体をくるりと回す。ブラックのライダースーツの上下を着た姿で。「この屋敷の倉庫で見つけたの。これといい、ここの持ち主、いい趣味してたのね」

 アーチェリー用の赤く塗られたリカーブボウを扱う手つきは慣れたもので。幾度かの狩猟で、ハルトも彼女の腕前の確かさは理解していた。それでも

「盗賊退治、本当に行くんですか?」エリの同行は、あまり気が進まなかった。「エリさんはここで待っててくれたほうが……」

「わたしを見くびってるわね、ハルト。これでも一通りの武技は叩き込まれてるの。魔法は使えないけれど、マヴド、人間の狼藉者くらい何とでもなるわ。それに」そこで言葉を切ると、エリはハルトを睨む。「このまま食べて寝てエッチなことするだけの女だと思われるのも癪なのよ」

 ハルトの脳裏を、今日までエリと過ごした日々が過ぎる。彼女の弓の技量のお蔭で、食べられる肉の量は格段に増えた。でもそれ以外はだいたい、本を読んでるか動画観てるか寝てるか一緒に寝てるかで。体質的に魔法を使えないというのは少々意外に感じたものの、人間と同じくエルフも色々なのだろうとさして疑問に思わなかった。人間にも持病のある人はいるわけだし。

「そんなこと思って……ませんよ?」ハルトは言って、睨み返す。それでもエリの問題点を強いて挙げるのなら。「でもちょっとだけ書籍の購入を控えてもらいたいかなーと」

 このご時世に紙の本の出版など望むべくもなく。廃墟の中でも書店や図書館に限って燃え落ちていることが多々あった。そのためかどうなのか、無傷の本は希少で高価な資源となっている。

「本代くらい稼ぐって言ってるの。剣だって使えるんだから」エリは左腰の鞘に収まった、刀を模した造りの山刀マチェーテを軽く叩く。「まあ見てなさいって。さ、襲撃計画を立てましょう」

 

 

 とまあ半ば強引に2人での襲撃となってしまったわけで。

 計画の骨子はハルトが前衛、エリが後衛。ハルトが闇に乗じて盗賊を拠点ビルから引っ張り出して撹乱、攻撃し、高所のエリが矢で仕留める。後は臨機応変に。敵の全滅で任務完了。生存者がいたら、余裕があれば助ける。エリには、矢の残りが少なくなったら速やかにクルマまで後退するよう言ってあった。

 ハルトはスマホを取り出して時刻を確かめた。現在は18:56。行動開始予定時刻まで残り3分と少々。掴んだぬいぐるみを改めて見る。手足を持った鹿のようなディフォルメされたそのキャラクターは、ウェンディーくん。遠い北の国からやってきた謎の生き物で、かつて幼稚園から小学生くらいの児童に妙に人気があった。

 ハルトは床のロッドケースからスクラップウォーハンマーを出して肩のフックに引っ掛けると、ぬいぐるみを持って階段を下り、ビルを出た。

 まばらな雨のなか、盗賊が拠点とするビルのエントランス前に門番が1人。他に2人が、各々得物を手にして拠点ビルの周りを巡回している。

 暗視魔法を自身にかけているからわかり難いものの、こちらは暗所で、あちらは明所。雨雲のお蔭で月明かりはない。暗視装置か呪文に頼らねば、こちらは見えない。ハルトはそのまま足を忍ばせ、盗賊拠点ビルのかすかな明かりと暗所の境界ギリギリまで接近し、〈魔力の鎧〉の呪文を唱えた。

 そしてまたスマホを見た。時刻は18:59:23。ぬいぐるみの底、生き物なら肛門にあるスイッチを確認する。時刻は18:59:52。ハルトはスマホをしまい、ぬいぐるみのスイッチを入れると、盗賊拠点ビルのエントランス目がけて投げ込んだ。

 ぬいぐるみはアスファルトに落ちると、ボヨンと弾んで門番の足元に転がった。

 怪訝に思った門番が鉄筋槍でぬいぐるみを突いた瞬間、陽気なBGMがけたたましく街路を鳴り渡り、メモリに書き込まれた自己紹介台詞を大音量で繰り返し始めた。


 ごーんにーぢわー! ぼーぐヴぇんでぃーくーん!!

 わるいごわー、おぞらにづれでっでだべぢゃうぞー!!


 ハルトは速やかに後退し、盗賊拠点正面の建物の窓枠を越えて中に身を潜める。

 続いて遠く方々から、掠れ、喉の穴から零れるような奇怪に湿った吠え声が上がった。

「ちっくしょう! なんだってんだ!」

「なんでもいいからそこのオモチャを黙らせろ! ゾンビどもが来るぞ!」

 門番と巡回の盗賊たちは焦った様子で周囲を伺う。内1人が急いでドアを開け、拠点ビル内へと駆け込んでいった。

 夜は視界が狭くなるためか、ゾンビの動きは鈍くなる。しかし例外的な状況もある。強い光源、大きな音がある場合だ。これらはゾンビが生者を襲う道標となる。ハルトはかつて紗枝とともに探索について、それを学んだ。点けた懐中電灯やノイズを垂れ流すラジオは、投げればデコイになる。

 吠え声が徐々に大きくなる。近づいている。元人間のゾンビなどよりはるかに危険な存在が。何頭もの吠え声が無秩序に混ざり合い、奇怪な合奏となって突進してくる。ゾンビはおろか、正常な人間をもはるかに超えた速さで。

「はやくそいつをぶっ壊せ!」

「今、やって……ぁああああっ!!」

 突如暗闇から現れた牙が、門番の喉に喰らいついた。

 脳天気なオモチャの音楽が流れるなか。体のあちこちの肉が削げ、眼球がこぼれ落ちた犬の群れが、牙から赤黒い涎を滴らせながら門番と巡回の盗賊に襲いかかる。

 幾重にも巻いたマフラーのお蔭で、門番は絶命には至らなかった。しかし次から次へと現れるゾンビ化した犬に腕を、脚を喰いつかれ、門番は鉄筋槍を振り回す間もなく地に引きずり倒された。

「あっ、がっ、んがっ……」

 ゾンビ犬から逃れようと、門番の男はもがいてのたうちまわる。悲鳴とも怒声ともつかない鳴き声を上げながら。

 消火斧を持った巡回の男は、戦い慣れた動きで迫りくるゾンビ犬を打ち払い、次のゾンビ犬の頭に斧の刃を喰い込ませた。が、その斧をゾンビ犬の頭蓋から抜こうとする一瞬の隙を突かれ、肩を、足首を喰いつかれた。

「くそっ!くそっ!こんな……」

 巡回の男は消火斧を手放し、肩に喰いついたゾンビ犬を引きはがそうとする。が、頭蓋が剥き出しになった男のドワーフゾンビに組みつかれ、前へと押し倒された。

 ドワーフゾンビは、巡回の男のバイク用ヘルメットを引きはがすと、頭に咬みつき頭皮と肉を齧り取る。

「いてえ! やだ、いやだ! どうして……オレ、かあちゃん……がっ、たす、げ……」

 鳴り渡るオモチャのBGMと子ども向けの台詞のリフレインが、悲鳴と哀願、助からぬ我が身への嗚咽を覆い潰す。

 それをハルトは見続けた。平静なまま。この程度で揺れる心はとうにない。まずは2人。寄ってきたゾンビたちが残りも片付けてくれれば、手間がかからなくていいと思う。ゾンビ犬は元が犬のためか鼻もいい。この距離ならビル内の盗賊たちを嗅ぎつけているはず。

 そんなことを考えていると、ビルの一階に群がったゾンビ犬の群れが、板の張られた窓に体当たりし、前肢の爪でひっかき始めた。遅れてやってきた元人間、元亜人のゾンビたちも、ゾンビ犬に加わって板張りの窓を、エントランスのドアを破壊し始める。

 ハルトの中に不意におかしさがこみ上げてきた。かつてゾンビから逃げ回っていた自分が、今はゾンビを使って同じ人間の生存者を追いつめている。怪物だらけのこの世界で、今やどっちが怪物だかわかりゃしない。

 メキメキと、ゾンビ犬の爪が窓板を割る乾いた音が鳴る。押し寄せるゾンビたちの圧力で、エントランスドアの強化ガラスに罅が入った。

 もう少しで、ゾンビの群れと盗賊たちの死闘が始まる。さっさと共倒れしてくれと、ハルトが思ったその時

「!?」

 盗賊の拠点ビルの一階窓の外に、紫色に光る小さな球が顕れた。

 次の瞬間、光の球は弾け、紫電の火花を散らしながら爆散。窓に群がったゾンビを吹き飛ばした。

 〈破裂の雷球〉、招嵐ハストゥーラ領域の呪文!? ハルトが驚く間も、光球は次々とビルの周囲に顕現し爆発。押し寄せるゾンビたちを吹き飛ばす。

 けたたましく鳴っていたぬいぐるみも巻き込まれ、煙を上げて停止した。

 一帯のゾンビがおおよそ吹き飛ばされると、状況は一転。盗賊たちがビルの窓やドアから路上に飛び出した。盗賊たちはスクラップメイスやバール、板金製の粗造剣といった各々の得物でゾンビたちに止めを刺してゆく。

 ゾンビたちはビクビクと痙攣するだけで動けず、簡単に頭を潰され手足を切断された。

 招嵐領域の雷系の攻撃呪文を受けると、筋肉が麻痺ししばらく動けなくなる。ゾンビとて例外ではない。ハルトもその感覚は嫌というほど知っていた。

 ドローンの観測で、盗賊の推定人数は12。ゾンビが2人仕留めたから残りは10人前後か。ゾンビ潰しに集中している今が好機だ。ハルトは呪文を唱えて二振りの自律剣を召喚し、盗賊たちに向かって駆け出した。

「なんだてめぇ、はっ!?」

 スクラップメイスでゾンビを潰していた盗賊が、ハルトを捉えて得物を構え直す。更にその隣、伸び放題のちぢれ髪のデブが、バールを手放しボウガンに持ち替えた。

 異変を察知した盗賊たちの視線が、一挙にハルトに集まる。

 自律剣の一振りが、高速で回転しながらメイス持ちのフルフェイスヘルメットに斬りかかる。もう一振りはボウガンを持つデブの手を打ち据えた。

 自律剣が作る隙に、ハルトは短く呪文を唱え、打ち払うように右手を振るう。

 次の瞬間、ハルトの右手を頂点に爆炎が円錐状に拡がった。

 ハルトの目前にいたフルフェイスヘルメットの盗賊とデブの盗賊が、炎の直撃を受けて後ろに吹っ飛んだ。

「ぅあばっ! ぎゃひぃ!!」

 直撃を受けたフルフェイスヘルメットの盗賊は、己を包む炎を消そうと、わめき散らしながら地面を転げ回る。しかし魔法の炎はちょっとやそっとでは消えはしない。

「あぢぁっ! ひ、だっ……たすっ!!」

 もう一人、デブの盗賊は髭と蓬髪を燃やしながら仲間の盗賊に抱きついた。

「ふざけっけんなって……んなっ?」

 デブの炎は仲間にも燃え移る。巻き込まれまいと他の盗賊たちは散開し、ハルトを囲んで身構えた。

 髪と化繊の焼ける嫌な臭いの煙をまとい、自律剣を従えてハルトは様子を伺う。〈焔の右手〉で3人仕留めた。残るは7人前後。今、自分を囲んでいるのは4人。招嵐領域の術を使う魔術士らしい者は見当たらない。魔術士がどんな手合いかわからない以上、魔力はできるだけ温存したいところだけど。

「こいつ、魔術士だぜ!」

 ハルトの左方で、野球のキャッチャー防具に身を包んだ男の盗賊が、金属バットを手に寄ったり引いたりを繰り返す。

「復興庁の犬かよ」ハルトの正面、ハルトと同じ帝国軍兵の装備に身を包んだ盗賊が舌打ちした。「サワさんはまだ出て来ねぇのか!」

 その一際大きな怒鳴り声に被せるように、後ろで動く気配。ハルトが振り向くよりも速く、自律剣が反応してハルト護るように飛んだ。

 が、回転するその刃が届くことはなく。

「ふ……ごぶっ……」

 バイクジャケットの盗賊がナイフ槍を落とし、膝をつく。喉と右脇腹にジェラルミン製の矢を生やし、鮮血をアスファルトに吐き散らしながら。矢はプロテクターに覆われていない箇所を見事に射抜いていた。

 エリさんお見事。ハルトは素直に驚嘆する。エルフは暗がりでもモノが見えるって本当だったんだ。

「ちきしょう! 仲間がいっ」

 ハルトの右方。闇の中の射手を探そうと、上を見回した野球ヘルメットの盗賊の目を矢が穿つ。止めとばかりに追加の矢がその喉を切り裂いた。

 矢を警戒して、この場に残った2人の盗賊がじりじりとビルに向かって後退する。

 1人は軍装、1人はキャッチャー防具。

 ハルトは迷わず自律剣二振りを軍装の盗賊に向かわせると、自身はキャッチャー防具の装甲目標に肉迫した。風を切る矢の音を聞き流しながら、ウォーハンマーに手をかけキャッチャー防具の盗賊に真っ向から振り下ろした。

 盗賊の金属バットとウォーハンマーが噛み合い、鈍く重い金属同士の打撃音が廃墟の街に鳴り響く。

 ハルトはそのまま二度、三度と打ち合いながら考える。打撃は重いが、自身の力と魔力の鎧で充分凌げる。自律剣とエリさんの矢が軍装の盗賊を仕留めてくれれば、魔力に余裕をもったまま、こちらの盗賊を制して呪文を使う敵に備えられる。

 ならばさっさとこちらを片付けてしまおう。キャッチャー防具は面倒だ。ハルトは魔力消費の軽い目くらましの閃光呪文を唱えかけて、違和感に気づく。

 頬に触れる空気がおかしい。かすかな風の流れが妙にくるくると回って感じる。

 その時ハルトの視野の端で、矢がふわりと浮いて逸れ、回転しながら地に落ちた。

「ハハッ! ありがてぇ!」

 軍装の盗賊が喜色に溢れた声で叫ぶ。

 ハルトの頭に、かつて読んだ魔法研究史書の記述が浮かんだ。恐らく招嵐領域の矢避け呪文。火器のフルオートの射撃に対応しきれないため、軍では採用が見送られたはずのもの。そんな呪文でも、銃火器の大音量が命取りになる怪物蠢く廃墟の中では役に立つ。

 軍装の盗賊は、板金剣を振るって自律剣二振りの攻撃を凌いでいる。結構な手練れだ。この悪夢のような世界で一年余を生き抜いているのだから、当然そんなヤツも現れる。

 斜めに振り下ろされた金属バットを、ハルトはウォーハンマーで受け止める。打撃とかかる重圧に、留め具のボルトが軋んだ。こっちもこっちで体格と自重を巧く使ってくる。

 自律剣の呪文効果が間もなく切れる。距離を置いて再詠唱を、と考えたハルトに向かって

「へえ、おまえの仲間は女か!」キャッチャーマスクの奥の顔が、歪んだ笑みを浮かべた。「サワさんのあとでたっぷり味わってやるよ」

「!?」

 ハルトは瞬時に呪文を詠唱。キャッチャーマスクの顔面に理力弾を叩き込んで蹴り飛ばすと、軍装の盗賊のいる位置を見た。

 ビル二階窓からの明かりに照らされて、軍装の盗賊が自律剣を弾く。自律剣は回転しながら空気に溶けた。もう一振りも時間切れか既にない。

「来やがれ! 女ぁ!」

 軍装の盗賊が、板金剣の切っ先を右肩上に突き上げるように構えた。

 その正面から、山刀マチェーテを右肩に担いだエリが襲いかかる。

 歩道橋から降りてきたのか? どうして? ハルトは湧き上がる問いを押し込めて、とにかく呪文を、と考えるも、既に間に合う距離ではなく。

 軍装の盗賊がエリに向かって鋭く踏み込み、板金剣で斬り込んだ。

 エリは地を這う黒い獣のように沈み込むと、山刀を斬り上げすれ違う。がつん、と鈍く何かを断つ音が鳴り

「あ、が……」

 軍装の盗賊の右手首から先が消え、壊れた蛇口のように血が噴き出した。

 膝を着き呻き喘ぎながら。盗賊はそれでも必死に出血を抑えようと、左手で右手首を握り締める。

 そんな彼を、しなやかな漆黒の影が覆って

「メルネヴェの剣技で逝けること、名誉に思いなさい」

 エリの山刀の切っ先が、ずぶりと盗賊の喉に潜りこんだ。

 ともに暮らす女の凄惨で強烈な一面を見せつけられ、その衝撃にハルトは思考が一時停止してしまう。ベッドで睦み合う時のフワフワしたイメージとのギャップがすごい。まあ確かにミ=ゴの戦士種相手に、怯まずフルオートでライフルぶっ放してたけどさあ。

 それはそうと、敵はまだいる。特に魔法を駆使する首魁、恐らくはこの盗賊たちのリーダーが。ハルトは警戒心を新たに敵拠点ビルに向き直る。

「エリさん、下がっててください」

「そうね」言ってエリは山刀を鞘に収めると、腰に留めた弓を持った。「で、そこのそいつ、どうするの?」

 エリの視線の先には、理力弾を顔面に受けた盗賊が四つん這いで彷徨っていた。

「……さん、サワさん、助けてください。サワさん、助け……」

 目が見えてないのか。地面を手探りしながら何とか棲み処を目指している。

「矢がもったいないですから、僕が」

 ハルトは這い回る盗賊に歩み寄ると、ウォーハンマーを振り上げた。

 盗賊のキャッチャーマスクの後頭部は、板金で補強してあった。それでも2、3回ぶち込めばまあ死ぬだろう。両目を損傷しほぼ無力化されているので、放っておいてもゾンビが片付けてくれる。だから無視でもよかったのだけれど。

 なんとなく、ハルトはこの盗賊を放置したくなかった。なんとなく、エリに下卑た欲望の目を向けたこいつを、一瞬でもこの世に留めておきたくなかった。

 重量のあるハンマーヘッドを落とそうと、ハルトは軽く力を溜め、振り下ろしかけて

 左腕でエリの細い腰を抱えると、横っ飛びに跳んだ。

「ハル……!?」

 戸惑うエリの声を余所に、ハルトとエリ、そして視力を失った盗賊のいた位置を紫電の稲妻が襲った。

「ぎゃぁっ!」

 断末魔の絶叫を上げ、キャッチャー防具の盗賊は背を仰け反らせ、硬直したまま息絶えた。

 ハルトはエリを背に立ち上がると、盗賊拠点ビルの上階を見上げた。招嵐領域呪文〈稲妻の槍〉は、頭上から一直線に襲ってきた。事前にごくわずかに感じた、肌がピリピリと細かく震えるような違和感。嫌な記憶とともに馴染んだその感覚がなければ、直撃していた。

 ビルの二階、明かりの漏れる窓が開く。

「チッ、役に立たねぇヤツらだな」金と黒まだらのスパイキーヘアの男が姿を現した。上半身裸のまま。「ん? ガキと女じゃねぇか。復興庁もよっぽど人がいねぇんだな」

 トライバルタトゥーの入った筋肉質の裸体を見せつけながら、若い男が不敵に笑う。

 ハルトは一目見て確信した。こいつが魔術士、確かサワとか呼ばれていた。それなりに整った顔つきに、不敵に人を見下す目つき。いかにもボス猿といった風情だ。この手の手合いはだいたい同じ面構えをしている。

 さて、アレをどうこっちに引っ張り出すか。ハルトが考えるまでもなく、エリが窓辺のサワに向かって速やかに矢を放つ。

 サワが窓の向こうに引っ込んだ。と思った途端、ビル側面の窓を突き破って飛び降りて来た。その全身を青白い電光の幕で覆い、手に紫電の火花を散らす結晶の戦鎚を携えて。

 まだ距離がある。ハルトは自律剣を召喚しよう呪文を唱えかけて

「っ!?」

 突如、右真横に出現したサワの振るう紫電戦鎚の一撃を頭に受けた。

 いつの間に? 理力領域ウムラタウィルの加速呪文? テレポート能力? それとも……自身に何が起きたか考察する間もなく、ハルトは二撃、三撃と続けざまに紫電戦鎚を頭に叩き込まれた。魔力の鎧が雷を伴う打撃を相当な割合で削いでくれるものの、頭に幾度も叩き込まれれば、意識を保っていられない。たまらず手にあるスクラップウォーハンマーで受け止めるも、固定のボルトが弾け飛び、ウォーハンマーはバラバラに砕けた。

「ガキが! イキってんじゃねぇよ!」

 サワの怒鳴り声もよく聞き取れない。立っていられず、膝が落ちる。ダメだ、意識を保て。ハルトは自分に言い聞かせるも、体は崩れ、視界が白い粒子に塗りつぶされていく。こんなヤツらに、また……

 つと、頭に受ける衝撃が止まった。白く幕のかかったような視界に薄っすらと、かろうじて輪郭が捉えられる。戦鎚を持つ男に、剣を手にした女が突っ込んだ。

 響くエリの悲鳴。そう、ダメだ。ヤツの電光の幕は、防御呪文なしに触れると麻痺を受けてしまう。

「へぇ、珍しいな。エルフの女か!」

 舌なめずりの聞こえてきそうな、サワの言葉が聞こえた。回復してきたハルトの視界に、倒れ、ヘルメットが外れたエリの姿が映る。

 ここで僕が死ぬのは、まあいい。この狂った世界に未練なんかない。死者も生者も沢山殺してきたから自業自得だ。自分の番が巡ってきただけ。

 ただ、とハルトは思う。ただ、それだけは許さない。彼女は本来、僕と居ていいひとでも、僕と居て酷い目に遭っていいひとでもない。

 残存魔力を確かめる。ギリギリだけど、足りる。この間のミ=ゴ討伐の報酬で手に入れた呪文書で学び、ようやく覚えた呪文にかろうじて足りる。

 作れる機会は一度だけ。習得して間もない呪文だから、効果は維持できて数秒。

 膝立ちになって呪文を唱える。唱えながら、イメージする。魔力が脳から足の指先の皮まで全身に満ちる。広大に拡がる神経網を強化し、加速された信号に耐えられるよう造り変える。

 ハルトの視界から色が消えた。モノクロームの世界は、少年の周りで徐々に流れを遅くしてゆく。

 サワがエリの胸元に手を伸ばす。

 それを認識した瞬間、ハルトの神経は爆発的に加速した。体が重い。思考に肉体がついていかない感覚。それでも周囲の世界よりは速い。腰の鞘から銃剣を引き抜く。

 ハルトの接近に気づき、サワが振り向いた。

 その動きも、ハルトには随分のんびりしたものに見えた。サワの目が驚愕に大きくなってゆくのが、昔、教育TVで観た花の開花映像のようで。

 ハルトの頭の中には、ただ一つの意志しかなかった。


 エリさんに、触れるな


 手足は重く遅いけれど、振り被られる紫電の戦鎚はもっと遅い。

 ハルトは左手でサワの顎を掴んで捻り、右手の銃剣をタトゥーまみれの喉に突き入れた。深く、深く刺しこんでから、捩じる。ブツリと太い血管が切れる感触が、肉を割り裂く感触が、指と手のひらで明確に感じ取れる。噴き出す血液が、手で掴めそうなくらい遅い。

 銃剣を引き抜き、更にもう一撃を脇腹に加えようとした途端

 ハルトの世界に色が戻った。

 全身の筋肉からすべての力が抜け落ち、倒れ伏す。目の前に迫りくる地面に、手をついて顔を守ることさえできない。ハルトは渾身の力を振り絞って顔を僅かに左に背け、鼻を打つことだけは避けた。それでもだいぶ痛い。鼻の奥が重く、呼吸が辛い。鼻腔のぬるりとした感触と鉄錆びの匂いに、鼻を打ってもないのに鼻血が垂れているのがわかる。

 それはいい、そんなことよりヤツはどうなった? ハルトは視線だけ上に動かした。

「ぶぁ……がっ……」

 首から噴き出す血を手で押さえつけながら、サワはフラフラと覚束ない足取りで歩く。充血しきった眼を剥いてハルトを見下ろして。そして言葉を吐くようにパクパクと口を開け閉めすると、崩れ落ちた。

 やった。と安堵しつつも、ハルトは焦った。まだまだゾンビが徘徊する廃墟の中で、行動不能に陥っている。この呪文を拠点の地下で実験した時は、3、4分で立てるようにはなったけれど。それより何よりエリさんは……

「ハルト!」

 聞きなれた声に安心していると、エリの手で上体を起こされた。見上げた先の顔に浮かんだ表情を見て、ハルトは思う。いいもの見たな。怒ったような表情も、やっぱり綺麗だ。

 大丈夫です。体はすぐに戻りますから、周囲の警戒を。ハルトはそう言おうとして

「らいほうふへふぅ。ふくひぃほ……」

 舌の筋肉がまともに動かず、喃語とも何とも言えない奇妙な発話になってしまった。呪文発動後の副作用だ。不可抗力とはいえちょっと恥ずかしい。

「あなたね……」ハルトの有様に、エリは呆れたように安堵したように大きな溜息をつくと。ベルトポーチからガーゼを出してハルトの鼻血を拭き、小さく千切って鼻に詰めた。「〈神経賦活〉の呪文は、思考も加速する。昔、研究効率を上げるために使い過ぎた魔術師がいたんだけど。どうなったか聞きたい?」

「ひえ、けっこうれす」

 ハルトは拒否した。自身の有り様を顧みて、楽しい話ではないことは明らかだった。

「覚えたての呪文は、みだりに唱えないほうがいいの」そこで言葉を切ると、エリはうっすらと微笑んで「でも、ありがとう」

 エリの言葉に触発されたかのように、徐々に筋肉に張りが戻り、少しずつ力が入るようになってくる。単に呪文の副作用が切れてきただけなのはわかっていても、何だか嬉しい。無茶してよかった。とハルトは思った。

「そろそろ、だいじょう夫です」

 ハルトはそっとエリの手を除けると、自身で体を起こして立ち上がる。

 サワ、あの招嵐の魔術士を数に入れて、仕留めた盗賊はちょうど10人。復興庁が盗賊の人数を実際より多く見積もることは、経験上あり得ない。ドローンの観測情報から推測して、2人ほどがまだ残っているはず。

「行きましょう。まだ、仕事は残ってます」

 エリに言うと、ハルトは盗賊の拠点となっているビルを睨んだ。

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