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7-5. 帳

 エリィルラルが歩いてゆく。首の座らぬ赤子のように、グラグラと頭を揺らしながら。〈導きの塔〉の頂、〈司書の演台〉の中央へ、覚束ない足取りで。

 その様を見つめながら、リーヴェロンはメルネヴェという種族の命脈をつないだこの秘儀に思いを馳せた。

 エリィルラルは今、入神状態にある。意識が深層、存在の根源へと深く沈みこみ、精神が肉体を越えて拡大した状態だ。より深い入神は、その者の精神に次元の壁すら越えさせる。かつて王国期の魔術師たちは、この入神状態を駆使し、多元宇宙に遍在する神々や、世界の別層に住まう精霊たちと交渉し契約を交わし、今の魔術では不可能と考えられることも容易に成し遂げた。

 しかし一万年余を彷徨し続けたメルネヴェの民は、その術を失って久しい。僅かに星霊アストラル領域の魔術にだけ、その名残があるくらいだ。王国の崩壊を招いた邪神と接触する術を断つため、意図して放棄したとも伝わっている。

 唯一の例外が〈帳の司書(フェイアラ)〉だった。彼女らは内なる〈百万の帳の書〉に接触し帳の御業を振るうため、入神状態へと至る。

 エリィルラルはアルクトゥスによって、強制的に入神状態へと押し込まれ、今、帳の御業を執り行おうとしていた。

 義姉あねと慕った女が、帳を上げる。メルネヴェの民を救うために。その様を見て、リーヴェロンの内に矛盾した感情が湧きおこった。喪失の痛みと、昏い悦び。これで義姉上あねうえは誰のものにもならない。彼女の夫だった兄は死んだ。彼女が愛でたマヴドの子どもも死んだだろう。

 エリィルラルが東を向き、背筋を伸ばす。両手が上がり、定まらぬ目を夜空へと向ける。そして彼女の口から聞こえてくる。歌のように、歌うように。


 LaLaLaRuLa……


 澄んだ女の声が、夜空へと吸い込まれてゆく。そして今のメルネヴェびとでは理解の叶わぬ上古の言葉と、定命者モータルには理解の及ばぬ上位のことばで呪文が紡がれてゆく。それを間近で聞くリーヴェロンも理解はできない。しかしその音に込められた意味は朧げにわかった。

 それは別れの歌だった。自らを生み出し育んだ世界への、哀切な惜別のことばだった。

 東の空の星々が、一つ、また一つと消えてゆく。そのすべてが消えると、光なき暗黒の宇宙の一点から一筋、白い光の筋が海へと下った。

 やがて東の暗闇を縦に割る一筋の光から、左右に向けて色とりどりの光があふれ出した。さながら蝶の翼のように。赤や緑、紫に青、黄……暗黒の空から下り、色彩の帳は風を受けたかのようにゆれている。かつて目撃した者の記録どおり、それは極地のオーロラに似ていた。

 エリィルラルが呪文を紡ぎながら両腕を振るい、指を複雑に動かす。精緻にして速く。それはいかなる魔術の達人とて、意識してやれる動きではなかった。

 海面に至ったオーロラの裾が翻る。その瞬間、垣間見えたのは橙色のきらめき。夜明けの色だ。

 間もなく帳が上がり、播神にも異次元の神々にも汚染されていない世界が現出する。船出の時は今。もう機関が始動を始めてもいい頃だ。

 なのに、その気配はなかった。大転移の予定が発された時から、いつでも始動できるよう準備していたはずなのに。

 何かがおかしい。胸騒ぎを覚えたリーヴェロンは、階下へ向かう螺旋階段へと急いだ。そして昇降口に差し掛かると、逆に階段を駆け上がってきた通信術師に出くわした。

「何が起きた?」

「申し上げます!」荒い息をつきながら通信術担当の兵、メネルトゥスは言った。まだ少年と呼んでいい若い顔を蒼白にして。「マヴドの軍勢が東区へ侵入! 主機関上層の破壊を始めました! その上……」




 エルフたちが呼地クトーニアの呪文で造り出した岩の防壁を、中型弩砲(バリスタ)の斉射で放たれた鉄骨の群れが突き崩した。

 その身が露出したエルフの兵士たちは、死に物狂いでライフルを撃ち、攻撃呪文を放つ。

 その豪雨のごとき銃弾と炎、氷針と破壊光線の激流のなかを、タケハヤは独りで駆け抜けた。鱗を削る銃弾を、獣毛を焼く炎をものともせずに。体躯と膂力の差ゆえに、彼の肩が軽く触れただけのエルフ兵が、邸宅の柵に叩きつけられ絶命した。

 タケハヤは跳躍すると、エルフたちの戦列を軽々越えて彼らの背後に立った。そしてエルフの兵士が振り向く間も与えず、太く鋭い鉤爪で首を裂き、蹄でその腹をボディアーマーごと蹴り砕く。すれ違いざまに角を引っかけ、エルフの体を吹き飛ばす。その腕が、足が、頭が動くだけでエルフの死体が積み上がってゆく。

 たまさかに死の嵐を逃れたエルフの兵士が、自軍の装甲車両に取り付いて機銃をタケハヤに向けた。人体では発射の反動に耐えられない火力の銃弾の列が、タケハヤの巨躯に襲いかかる。

 タケハヤの人のままの左腕が千切れ飛び、胸部の甲皮が割れて抉れて血がしぶく。左脚の肉が削げ、太く白い大腿骨が剥き出しになった。

 仕留めた。これでこの異常なマヴドの怪物は止まる。エルフの兵士は喜色を浮かべてトリガーから指を離した。

 次の瞬間、エルフの兵士の頭がなくなった。首から下を機銃座に残して。

「陛下御自らが単騎駆け。控えてほしいものなのだけど」

 タケハヤの後に続いて、アルシェンナが現れた。優美な魔力の鎧をエルフたちの血で染めて。

「兵は拙速を尊ぶ」タケハヤは首のないエルフの死体を引き裂くと、鉤爪で肉と臓物を抉り取った。「それにそなたにはもう一つ仕事があろう。そのためにもさっさと片付けねばな」

「お見通しなのね」

「なに、培養槽からの付き合いだ」

 タケハヤは左半面に人の笑みを浮かべると、エルフの肉を口に運び臓物の血を啜った。血肉が腹へと落ちるたびに、抉れた腹が、削げた左脚に肉が盛り上がり、元の形へと急速に再生していく。左腕のあった部分にはもう、小さく細い手が生えていた。

 〈魔王軍〉の兵士サムライたちが、周辺を制圧し攻城兵器とともに進んでくる。第1ゲートを越えた兵士たちと合流しながら。ここは亜邑東区の中心からやや西にずれた地点。後退してゆくエルフの守備兵が、最も守りを厚く固めた場所だった。

 シルエレィドの知識が確かなら、ここの真下には機関が、この人工島東区全体を船として動かす主機関がある。太古にメルネヴェの民が次元を越える際に使った渡界船、その主機関は、製法と共に彷徨の途上で多くが失われた。今はもう、ここにある一基しかない。かつてアルシェンナは、これを人間マヴドドワーフ(ホロボロス)の技術者と共同で次元外技術アウターテクノロジーを用いて再現しようとして、歪次元発電機関を造り出した。

「ここに私たちがいるだけで、彼らには悪夢でしょう」アルシェンナはほくそ笑む。「私たちを船に乗せたまま帳を越えるなら、播神を持ち込み争乱を続けることになる。先の大転移のように、周囲の空間ごと帳を越えても同じ。主機関を押さえてしまえば、エルフたちだけで帳を越える望みは完全に絶てる」

 魔王タケハヤは集う部下たちに命じた。

「呼地の術者を集めよ! この地を穿って穿ち抜け!」

 変異特徴のある者、見た目普通人と変わらぬ者、呼地クトーニアの掘削呪文を使える兵士たちがタケハヤとアルシェンナの前に出ると、詠唱を始めた。

 複数人が異なるタイミングで呪文を完成させるため、地響きが不協和音を奏でて響く。アスファルトが砕け砂となり、礫がのけられ穴が開く。絶えず唱えられる掘削呪文が穴を拡げてより深くへと掘り進む。やがてすり鉢状の大穴が開くと、特殊鋼の装甲版が剥き出しになった。

 それを目にして、タケハヤは次段階をこなす兵たちを呼んだ。

「レンカ!」

「あいよ!」

 黒炎の刺青を顔に入れた女が、配下の発火能力者たちを引き連れて穴の底へと躍り込む。発火能力者たちは溶接ゴーグルを装着すると、両手に白い超高熱の炎を纏わせて装甲版に突き入れた。バチバチと盛大な音を立てて火花を散らしながら、発火能力者たちの手が装甲版に食い込む。白熱した手は食い込んだまま装甲版を溶断。5分もすると、切り取られた装甲版を下に落として、下階層へと続く穴を開けた。

「あとは余と兵士サムライたちに任せるがいい」タケハヤは主機関へと続く大穴を見下ろすと、アルシェンナに告げた。「そなたの行くべき場所へゆけ」

 アルシェンナは一瞬、驚いた顔をする。そして言った。

「それではしばしのいとまを頂戴します。主機関は今後の統治に必ず必要になります。無傷で確保してください。叶うならばエルフの技術者たちも。犯し殺すのは控えてくださいますよう……ではまた後ほど」

 一礼すると、アルシェンナは魔力の剣を手に駆け出した。東区東部に聳えるメルネヴェの塔群へ、唯一人で。




 この亜邑人工島東区が大転移の際に分離し、渡界船として機能することは、メルネヴェの民の秘中の秘だった。歴史上、例え袂を分かったとしても、共に旅してきた同胞を危うくする秘密を漏らす者はいなかった。その一線だけは今日まで守られてきた。

 その一線が破られた。主機関の位置など、一般の民草は知り得ない。誰か、高位階の者がマヴドどもに通じて漏らしたとしか考えられない。そんな真似を一体誰が?

 しかし犯人捜しをしていられる状況ではない。帳が上がるのだ。至急、現場に急行して指揮を執らねば。リーヴェロンは昇降口へと足を速めた。

「メネルトゥス。今、現場はどうなっている?」そしてこちらを向いて立つ通信術師に訊ねる。が、様子がおかしい。それに先ほどは、続けて何か言いかけていたはず。「メネルトゥス?」

 話しかけても、通信術師の若き兵士は答えず、立ったまま微動だにしない。嫌な違和感に、リーヴェロンは立ち止まった。頭の中で警報が鳴る。何かがおかしい。何が?

 そしてその違和感を裏付けるように、周りに白い靄が漂い始めた。メネルトゥスの口の端から血が垂れ落ちる。同時に彼の胸から、艶のない黒い切っ先が伸びてきた。

 リーヴェロンはメネルトゥスの死体を蹴り飛ばしながら、後ろへ跳んだ。黒い刃が追ってくる。仰け反り後ろに倒れながら、反射となるまで身に叩き込んだ呪文を詠唱した。〈魔力の鎧〉並びに〈万応の剣〉。間髪入れず、二条の銀光が弾丸のように迫り来る。右肩を浅く裂かれるも、受け身を取って転がり立つ。致命傷を受けない内に、魔力の鎧の装着が間に合った。かろうじて。

 万応の剣を大剣の形態に固定し、侵入者へと切っ先を向ける。その不格好な魔力の鎧を見たのは、これまで二度。一度目は錬馬市近郊の廃墟で。そして二度目はつい先ごろ、この〈司書の演台〉の上空に。

「生きていたのか。マヴドの子ネズミ」

 エリィルラルが手ずから鍛えたマヴドの子どもがそこにいた。

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