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1-3. エルフの女

 ミラーを確認するフリをしながら、ハルトはチラと横目で助手席を見た。

 西に傾いた陽射しを受けて、彼女の横顔は悪臭の地獄のなかで見た時よりも更に美しく見えた。ゆるく波打つ銀髪から覗く、細長い耳先を認めて思う。

 エルフなんだ、このひと。

 TVやネット番組でしか見ない、本来なら生涯縁がないだろう美貌の種族が隣にいる。クルマに乗り込む前に渡した、野営用の毛布を羽織って。

 なんだか妙に現実感がない。〈審判の日〉前はフィクションとして、人間とエルフの恋愛物語はさまざまなカップリングでよく消費されていたけれど。そんなことはそうそうあり得ないからフィクションとして求められるわけで。

 恋愛だって? ハルトは自問自答した。何を寝ぼけたことを考えてるんだ僕は。こんな時代と状況だって、そんなことありえるわけがない。単に今は、日が落ちると危険だから僕の拠点に向かってるだけだ。



 ミ=ゴ戦士の死を確認した後、ハルトは散らばった荷物から使えそうなもの、持ち出せるものだけを抱えて彼女と出口へ向かった。

 首尾よく全滅を達成したようで、追撃はなかった。悪臭の地獄を抜けて空を見上げると、日がだいぶ傾いていた。腕時計を見ると、16時を過ぎたところ。移動時間を考えると、市庁舎に報告に行くには遅い時刻だ。

 そしてハルトは、所在なげに傍らに立つ彼女を見て思う。いやほんと綺麗だな……ではなくて、どうしよう。わけもわからず衝動的に助けた。助けられもしたけれど。彼女をどうしよう。彼女はどうしたいのだろう。

 そんなハルトの煩悶など知るはずもなく、彼女は興味深げに当たりを見渡していた。

「とりあえず」考え抜いて、ハルトは言った。「夜になると危険だから、僕の拠点に行きませんか? 野営よりは安全ですから」

「……そうね。お願いできる?」彼女はハルトを見てかすかに微笑んだ。「それと、何か羽織れるものがあれば貸していただける?」

 言われてハルトは気づく。彼女は全裸だ。ただその白い首筋に、チョーカーか何かなのか、絡まった黒い蔦のような模様が廻っていた。

「ご、ごめんなさい!」ハルトは慌てて顔を背けると、クルマのトランクから野営用の毛布を引っ張り出して手渡した。「拠点には女性の服もありますから」

「あら、一緒に暮らしてる女性がいるの?」

「いえ、そういうわけじゃなく……」

 意外そうな彼女の表情に何と答えたものかと悩みながら、ハルトは彼女を助手席へと促した。

 

 

 廃墟を照らず陽射しが、夕暮れの色を濃くする。

 錬馬市内の主な道路については、ゾンビの多寡込みでおおよそ把握している。拠点までの最短かつ比較的安全なルートを辿って、ハルトはクルマを走らせた。

 彼女はサイドウインドウを開けて、車外の景色を眺めている。

 今からおおよそ400年前、この国に魔法をもたらした種族、エルフ。争乱のさなかにあったこの国の平定に助力し、賢者知恵者として繁栄に尽力した彼らは、時の将軍より厚遇を受け今に至る―とハルトは歴史の授業で習った。

 確か奥多魔にエルフの魔法研究都市があったはず。そこが〈審判の日〉の混乱を切り抜けていれば、彼女が身を寄せるにはいいかもしれない。あるいは統京湾上にある亜邑人工島か。あそこには国内最大のエルフの居住区がある。

 ハルトはそれらの選択肢を頭の中で消した。問題は、そこに辿り着く手段がないこと。錬馬市内とその周辺であれば、この一年弱の探索でおおよそ把握できている。けれど、それ以上先は完全に未知の領域だ。亜邑人工島については、湾岸で勢力を強める〈魔王軍〉の脅威もある。

 あるいは復興庁なら……と考えて、ハルトはそんなことを考えている自分に驚いた。誰かに何かしたいなんて、どうして考えているんだろう。他人を気にかける余裕なんてないクセに。

 思い出しかけた〈審判の日〉直後の嫌な記憶を振り払うべく、ハルトは意識を運転に集中させた。




 周囲の家並みより少し高い位置にある拠点―かつての大地主の豪邸が見えてきた時にはもう、青白い三日月が空に顔を覗かせていた。

 ハルトはクルマを降りて拠点の鉄格子を引き開けると、高い壁に囲まれた庭内に車体ごと乗り入れた。

「着きました」

 助手席のドアを開け、彼女を伴って扉へ向かう。トランクに放り込んだ荷物のことを思い出すも、整理は明日でいいやと先延ばしにすることに決めた。今日はもう疲れた。あちこち痛いし。

 扉を開けて、彼女を中に入れてから手製の閂をかける。辺りのゾンビは掃討済みではあったものの、用心に越したことはない。

 いつもなら一階の作業場兼勉強部屋に向かうところを、今日は二階に向かった。

「ここは女のひとも暮らしていたみたいで」寝室の扉を開け、ハルトは懐中電灯で室内の箪笥を示す。「あそこに女性服がありました。サイズが合うかはわからないけど」

「ありがとう。助かるわ」

 懐中電灯を手渡して、ハルトは一階に降りた。

 作業場にしている一階の広間に入ると、ハルトは作業台横のスタンドライトのスイッチを入れて、ソファにどっかと腰を下ろした。立ち上がるのも億劫なので、そのまま腕甲と脚甲、胸甲を外して防弾ベストを脱ぐ。ヘルメットを脱いでみると、右横が抉れて割れていた。恐る恐る自身の額の右に触れると、手が血に濡れた。

 治療の前に、傷を含めて全身を洗いたくなった。ミ=ゴ拠点内の灼熱のせいで、全身血と汗でドロドロだ。

 いつもなら中庭プールの水を被って終わらせる。のだけれど。

「初めてのお客さま、か」

 幸い魔力は回復している。

 仮の血止めに裂いたシーツを頭の傷に巻くと、ハルトはバケツを持って中庭へ向かった。中庭のプールには雨水が溜まり、一人では使いきれない生活用水として役に立っている。プールからバケツで水を汲み上げ、広間に隣接したバスルームへと運ぶ。何度か繰り返しているうちに、バスタブがいっぱいになった。

 ハルトはそのバスタブに張った水に向かって呪文を唱えた。

 さしたる間もなく湯気が上がってくる。師もなく勉強中の氷焔クトゥギズム領域の呪文でできるのは、今はせいぜいが種火作りと湯沸かし程度。それでも燃料の節約には重宝した。

「何をしているの……あら?」

 背後からの声にハルトが振り返ると、上下グリーンのスウェット姿のエルフ女性がいた。

 少し服のサイズが大きくだぶついて見えるものの、それなりに似合っても見える。首筋から胸元までの空間が悩ましい。綺麗な人だからなおさら。

「お湯を沸かしたんで、先に入ってください。そこにタオルと石鹸、シャンプーもありますんで。気に入るかわかりませんが」

「自由になって、お風呂に入れるだけでも幸運を使い切ってしまった気分よ。これ以上を望んだら、未来永劫、混沌の神々の玩具にされても文句は言えないわ」

 ハルトは彼女を置いて、顔を見られないようにそそくさとバスルームを出た。不意に微笑まれると落ち着かなくなる。

 彼女の入浴中に夕飯を作ってしまおう。ハルトは蓄電装置の残量を確認した。冬が終わって日が長くなってきたので、余裕がある。

 ハルトは食堂に向かい、床下収納からベーコンと豆の缶詰、フルーツジャムの瓶とクラッカーの袋を出すと、作業場に戻って調理を開始した。アルミ鍋に水を張り、豆と切ったベーコンを入れてホットプレートにかける。煮えるのを待つ間、食器を準備し……一人分しかなかったのでまた食堂に行った。

 ハルトがもう一人分の食器を持って戻ると、入浴を終えたエルフ女性が本棚をしげしげと眺めていた。

 三月の気温に、その無防備な肢体から湯気が昇っている。うなじから胸元へと肌を滑る水滴が目の毒だ。

「あなたが魔術士なのはわかっていたけど」本の背表紙から目を離さぬまま、彼女は言った。「理力ウムラタウィル氷焔クトゥギズム造技テクノロス……三系統ともに魔力支配の領域ね。あなたが都内の学習者なら、導師はセイトクリフかノジリ、オムウォーグ辺り?」

「えっと」ハルトは列挙されたどの名前も、憶えはなかった。でもまあ訊きたいことはなんとなくわかった。「すみません。ぶっちゃけますけど、独学です。呪文書は放棄された魔法学校から……」

 〈審判の日〉前なら、正規の魔法学校で学び、資格を取得して初めて呪文を行使できる。それ以外は違法。違反すれば術に応じて罰金ないしは禁錮刑だ。この国の魔法の祖たるエルフが、無資格の魔法使いにいい顔をするわけもなし。

 どうせ彼女との縁も、せいぜい明日の朝まで。どう思われてもいいさ。と思う反面、どうしてか軽蔑されたくないと思っている自分もいて。ハルトはそんな自分に少し驚いた。

 恐る恐る彼女を見れば、その瞳には軽蔑の色も咎めの意志もなく。

「たいしたものよ。あなたくらいの年齢の人間で、あのレベルの魔力の鎧を編めるのは」

 ハルトを見つめるエルフ女性の目には、驚きと感嘆が見て取れた。

「独学なら尚更ね。戦士相のミ=ゴを相手どれるんだから、軍でも通用する。誇っていいことよ」

 言われたハルトはしばし思考を停止してしまった。僕もしかして、誉められた? 随分と長い間、味わってこなかった感覚に、わけもなくこみ上げるものがある。

「風呂に入ってきます! 鍋、見ててください!」

 ハルトは言うと、顔を見られないようにそそくさとバスルームへ向かった。

 服を脱ぎ捨て、頭に巻いたシーツ切れを捨てて湯を浴びる。頭から赤く染まった湯がこぼれ、排水口に流れ出てゆく。頭の傷を洗ってしばらくすると、出血も落ち着いてきた。そのまま石鹸で体を洗うと、あちこち滲みた。女性が近くにいるせいか、ハルトはいつもより念入りに体を洗ってしまった。何かが起きるわけもなく、何をするでもないクセに。そんな自分に呆れてしまう。

 ハルトが頭に包帯を巻き直しながら広間に戻ると、エルフ女性が残りの調理工程を済ませてくれていた。

 それから二人一緒に豆とベーコンのスープ、クラッカーサンドの食事を摂りながら、当たり障りのないことばかりを話した。最近の食糧事情や探索の範囲と内容、生存者たちが作りはじめた勢力、派閥について。

 あまり互いの過去に踏み込むことはしなかった。ただ名前だけを交換した。

「僕はハルト、です」

「わたしはElyi……エリでいいわ」

 そうこうしているうちに21時を過ぎ。ハルトはエリを二階の寝室へと案内した。

 非常用梯子までの避難路を説明してから、一階の広間に戻る。作業や勉強中に眠くなった時のために、この広間にも大きめのベッドを置いてあった。分かれて寝るのはもちろん、女性と同じ部屋で寝ることが憚られたからではあるのだけれど。

 ハルトはスタンドライドを切り、ベッド横のサイドランプをオンにした。淡い光の下でノートPCを開いて起動する。

 蓄電装置からの給電は充分。ノートPCの中には、これまでの探索で得た知識や覚え書きの他に、探索で見つけたPCやスマホ、DVDディスクから抜き出した秘蔵動画が詰まっている。

「よし」

 ハルトは小さく呟くと、小さな灯りの元で動画サムネイルをチェックし始めた。今日はどれで抜こうかな。戦闘で、特に今日のように死の瀬戸際から生還した後は、昂った精神が猛烈にはけ口を求めてしまう。食事中、彼女の首筋や手首、胸元の肌を見ないようにするのに、どれだけ精神力を費やしたかわからない。

 社長秘書監禁、泥酔CAお持ち帰り、美人女教師と雨の午後、金髪美人上司と出張相部屋……この辺りでいこう。全部年上お姉さんものなのは気にしない。僕は16だから女優のひとが年上なのは当たり前なんだ。

 ハルトは後処理のためのゴムをズボンのポケットに入れて、イヤホンを耳に装着した。動画ファイルのサムネイル、最初は金髪美人上司モノをプレーヤーで……と操作して

 近づく気配に、瞬時にノートPCを畳んで床に伏せた。ハルトは全身を耳にしながら、そろそろとベッド下の山刀マチェーテに手を伸ばす。何が来る? 大きな足音も窓ガラスやドアの破壊音もない。どこから入り込んだ? 蜂か肉蠅か猛禽ゾンビか、それとも用心深い略奪者か。

「ハルト、まだ起きてる?」

 声の方向、広間の扉のほうを見てみれば、サイドランプの弱い光にうっすらとエルフ女性の輪郭シルエットが浮き上がっていた。

「エリさん……」ハルトはほっと安堵して山刀を手放し、立ち上がった。そうだ、この家には今、彼女もいた。オカズ動画の厳選で忘れかけてた。「ゾンビでも出ましたか?」

 僅かに逡巡する素振りを見せたエリの目が、ハルトの傍らのベッドに移る。

「近くで寝て、いい? その、まだ怖くて……」

 ハルトはエリを見つけた場所のことを思い起こす。彼女があの悍ましい檻にどれほどいたのかわからない。想像を絶する恐怖の時間を過ごしたのだろうと思う。躊躇いがちに言われてしまえば、拒むことなどできなかった。

「その、どうぞ」

「ありがとう」

 エリがベッドに横たわり、毛布をかぶる。

 欲求の行き場を失ったハルトはやむをえず、ノートPCに保存した電子化呪文書『造技術応用I』を読み進めた。

 始めは集中できないかなと思っていたものの、結局小一時間ほども読んでしまった。さすがに瞼も重くなる。そろそろ寝なきゃ。と思ってベッドを見て、ハルトは自問自答する。いやどこで寝るのさ? そりゃベッドさ。だからベッドにはエリさんが寝てて。でも近くで寝たいって言って……

 まあ深く考えるのは止そう。寝るだけだ。寝るだけ。そう思い切ると、ハルトは眠るエリを起こさぬようにと、そろそろとベッドに潜り込んだ。

 そして驚く。春は近づけど、三月下旬はまだまだ寒い。冷たいマットを覚悟していたところに、ほんのりとした温かさがあったから。

 そりゃそうだ。エリさんが寝てるんだし。変な気を起こさないよう自制しつつ、ハルトはエリに背を向けて横になる。誰かがいる隣で寝るなんて、小学校に上がる前が最後じゃないかな。

 余計なことを考える間もなく、睡魔が押し寄せてくる。今日はほんとに疲れたな……ハルトは意識を手放そうとして

 できなかった。

 背中から柔らかく暖かなものに包まれる。ハルトの警戒を溶かすように、繊細な手が肩から腕、腰へと滑ってゆく。

 慌てて、けれど彼女を傷つけないようにゆっくりと。ハルトは横たわったまま身を巡らせてエリと向き合った。

「エリさん? 何を?」

「助けてもらったお礼が、まだだったから」微笑むエリの手が、今度はハルトの胸を撫ぜてゆく。「今のわたしには、あなたにあげられるものが何もない。だから……」

 ハルトにとっては、復興庁の依頼を片付けるついでの救出。思い返せば、確かに多少のスケベ心はあったかもしれない。それでも彼女が提供しようとしているものは過ぎた対価に思う。けれど胸に触れる手の感触と彼女の甘い香りに、ようやく鎮まりかけた昂りが戻ってくる。同じ石鹸とシャンプーを使ったはずなのに、なんでこんなにいい匂いするんだよ。

 それでも自制しつつ、ハルトは言った。

「もっと自分を大事にしてくださいよ。彼氏なり旦那さんなりいるでしょ?」

 当てずっぽうだったものの、それなりに自信があった。常識的に考えて、こんな綺麗な大人の女性にお相手がいないわけがない。生きているかは定かでなくとも。

「……夫は死んだわ」エリは顔を背けると、抑揚のない声で言った。彼女の表情は翳となって読み取れない。「避難キャンプが食屍植物カムヅミカズラ群の侵攻ルートにかかったの。あのひと、今頃はきっと養分ね」

 こちらを向いた彼女の顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。

「夫を見捨てて逃げ延びる途中で、ミ=ゴに攫われて。どう、軽蔑した?」

 胸でかすかに震えるエリの指に、ハルトは期し方を思い起こす。僕は今日まで生きるため、汚い真似なんて幾度もやってきた。〈審判の日〉後の間もない頃は、他の生存者に見つからないよう食料を隠した。ゾンビの群れを他の生存者に押しつけもした。他にも挙げれば切りがない。そして何より、大事にしたかったひとだって……

 こんな状況では、責められる謂れはないと思う。でも正しい事などとはとても言えない。それほどまでに世界は狂っていて。そんな世界に僕らは生きて。

「お礼、なんて大げさね」エリは並んで横たわると、手をハルトのシャツの下へと滑り込ませた。「嫌でなければ、楽しまない? 今は誰かに触れていたいの」

 蠱惑的に細められるエルフの女の瞳。その美貌の持つ強烈な引力に、人間の少年など抗えるはずもなく。戦いの後の滾りに衝き動かされながら、ハルトはエリの体に腕を回した。拙いながらも、精いっぱい乱暴にならないように気をつけながら。AVの行為が、男に都合のいいファンタジーであることくらいは知っている。現実の女の体の扱いなど知らないハルトは、エリに導かれるままに触れ、熱に浮かされたように快感を探ってゆく。同じかそれ以上の熱と快感を返されながら。そして最後の一線を越えようとして、気づく。こんな状況で子どもなんてできたら一大事なんでもんじゃない。脱いだズボンのポケットに手を入れてゴムを取り出す。するとその手をエリに押さえられた。

「メルネヴェとマヴド、エルフと人間の間に子ができる確率はゼロに近いの。秘薬を使って子ができたことはあるけど。だから」エリはハルトの耳たぶを甘噛みしながら囁く。「思う存分、楽しめるわ」

 その一言が、少年の中に無駄に残った最後の箍を弾き飛ばした。

 ハルトはエリに覆いかぶさるも、下から口を塞がれた。するりと唇を割って入ってきた彼女の舌が、舌を絡め取って嬲るように蠢く。生まれて初めて味わう深く甘いキスに、その心地よさに頭の芯が痺れたようになってくる。ゆるやかに腰を引き込まれた後はもう、ひたすら貪り貪られて。互いが互いを絞り尽くすような時は、長くも短くも感じられて。

 熱が鎮まり、ハルトは脱力して仰向けに倒れ込んだ。覆いかぶさってきたエリともども、まだ息が荒い。体を重ねて、ゆったりと相手の鼓動と体温を感じながら、呼吸が落ち着くのを待つ。不思議と穏やかな気分になってゆく。

 お互いの胸がゆるやかに上下し始めた頃、エリの手がハルトの額に触れてきた。

「もう、治ってきているのね」

 彼女の言葉を確かめるように、ハルトは己の額に触れた。風呂上がりに交換した包帯は、激しい交合の間に解けたようで、ベッド脇に落ちていた。ミ=ゴ戦士に負わされた傷を触って確かめてみると、血は止まり、もう薄皮が張っていた。

「そうみたいですね」〈審判の日〉の後、特に一人で生活するようになってから、傷の治りが速くなった自覚はあった。「別に呪文を使ったとかじゃないんですが。サバイバルしてる内に鍛えられたんじゃないかな。一応まだ成長期だし」

 ハルトはあまり気にしたことがなかった。傷の治りは速いに越したことはない。

「……そう」

 とだけ言うと、エリはハルトの横で目を閉じた。

 ハルトもまた、やり過ごした眠気に再び追いつかれた。眠りに落ちる前の浮遊感に身を任せながら考える。初めての行為を2回戦。それもこんなに綺麗なひとと。こんな時代にこんないい目を見られるなんて、明日は目を覚まさずにあの世に行ってるんじゃなかろうか。でもこんないい気分のまま逝けるなら、案外悪くない。彼女が僕を殺して装備を奪うなら、それもまあ別に……

 そしてハルトが眠りに落ちる、その間際

「ハルト」エリは少年の耳に口を寄せると、小さな小さな声で訊ねた。「『あなたといて、いい?」』

 目を閉じたまま聞く彼女のかぼそい声は、ついさっきまで交わっていた艶やかな大人の女のものでなく、迷子になった少女のもののようで。でもどうしてか二重に重なって聞こえた。エリの声のほかにもう一つ、幼い誰かの声が重なっていたような。

 ハルトは何かを答えたのは覚えていた。けれど、何と答えたかは眠りの底に置き忘れてしまった。

 胸に落ちてきたあたたかな何かを抱き留める。その日は久しぶりに彼女の、紗枝の夢を見なかった。




 それから一週間も経ったか。ハルトは殺されることもなく生きていた。そして、隣で眠るエリの穏やかな寝息を聞きながら思う。僕らの関係は何なのだろう。恋で始まったわけじゃない。愛なんて高尚な感情とはほど遠い。きっと危機的状況がもたらした吊り橋効果みたいなもので。日々の死と隣合わせの恐怖から逃れるために、他の選択肢がなかっただけ。互いの体に溺れ合いながら、快楽で恐怖と孤独を紛らわせてる。

 かつて市街の探索中に、シャッターに閉ざされたホームセンターを見つけたことがあった。建物裏に回って板の打ちつけられたドアを打ち破り、中に入るとゾンビだらけ。床には使用済みのコンドームが散乱していた。

 あそこへ避難した人々が追い込まれて何をやったのか。今のハルトにはわかる気がした。

 もぞもぞと動く気配を感じて、ハルトは首だけ回して隣を見た。

「眠れないの?」

 問いかけてくるエリの髪は、出会った日よりも短い。あの日の翌朝、彼女は「手入れが大変だし、邪魔だから」と言って、見事な銀髪をばっさり切ってしまった。

「少し、考えごとしてた」ハルトは適当に当たり障りのないことを言おうとして、止めた。彼女の不思議な色の瞳は魔法のように嘘を見抜いてくる。「いつまで、こうしていられるかなって」

 エリは黙ってハルトを見つめると、少年の腰に脚を絡めながら。

「明日のことはわからない。アルカ評議会さえも。あいつらに未来がわかるなら、世界はこうはならなかった」

 あるか?評議会? 知らない言葉に戸惑うハルトを、エリの手が弄ぶ。既に弱点を知り尽くしたその手つきは、瞬く間にハルトの硬さと大きさを取り戻してしまう。

「楽しみましょう、ハルト。今だけは……」

 エリの乞うような目と甘い体臭に誘われて、ハルトは先端で熱く潤んだ感触を探り当てると、屹立を深く奥へと埋めてゆく。幾度となく繰り返された情事で馴染んだ体が、痺れるような快楽に飲み込まれてゆく。

 あの日から、こんな世界に生きる希望なんて見出してない。けれど死にたいわけでもない。それでもこうしている間だけは、生きててよかったと思える。男なんて単純だ。

 無事、明日の朝を迎えられるだろうか。僕だけではなく、彼女と。

 願うように祈るように、男は女をかき抱いた。

第1話はノクターンノベルズに公開済みのR18作品「ゾンビアポカリプス世界で少年がエルフのお姉さんと暮らしはじめるお話」を長編化に合わせて改修、R15化したものになります。

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