7-2. 突入
第2ゲート消失の報は、〈守護者の庭〉に詰めるアルカ・ィム・ダウェアラの兵士すべてを動揺させた。
ここ数日、日に何十人もの民がひっきりなしにここを訪れ、根拠のない悪夢話で大転移を止めろと訴えてきた。それは現在進行形で続いており、今も「赤い星が地を翔けた。我々はもう終わりだ!」と叫ぶ予見者気取りたちを何人も牢に放り込んだところだった。
そこに飛び込んできた報せは、兵士と予見者もどきたちを一瞬、時の停まったような静寂に落としこんだ。
「それは誠か?」
動揺を鉄面皮で覆いつつ、リーヴェロンは問う。この亜邑の完成より300年間、ただの一度も、防壁とゲートが破られたことなどなかった。マヴド同士の大戦中も持ちこたえた。だというのに消失とは何なのだ。近頃、湾岸のマヴドどもが妙な動きをしていると報告が上がっていたが、まさかこんなことが起こりえるとは。
「はい。警備塔の最上階から〈鷲の目〉の術者が確かめました。間違いありません」通信術担当の若き兵士は答えた。「第2ゲートと付近の構造物が消失しています。跡形もなく。現在、マヴドの軍勢がゲートを越え、攻城兵器を運び込んでいるとのこと。目標はここ、東部かと」
「数は?」
「目視でおおよそ400。交戦中の兵からの報告では、その多くが〈播神の相〉の出た変異者と異能者、魔術士もいると」
現在、人工島の東西に展開しているアルカ・ィム・ダウェアラの兵の数は、ここも含めておおよそ700名。数では勝るものの、第2ゲートへの集結にまでには時間を要する。ただ幸いにも、大転移の期日が確定し、民のほとんどは持ち運べる資産とともに人工島東部のシェルターに移っていた。
「南西部を守備中の兵を第2ゲートへ集中させよ。他は中央幹線道付近の各拠点に配置。できるだけ西部からの道を挟むようにな。東部へは一匹たりとも通すな」
「では第1ゲートは?」
問われてリーヴェロンは思案する。抜かれる、と考えるのが適切だろうが、第2ゲートから来る敵はただのマヴドではない。あたら兵を分散させて東区への侵入を許したくはない。
何がどうなろうと、東区と〈導きの塔〉さえ守り抜けば、我々は新たな次元へと旅立てる。
「マヴドのオモチャと呼地使いの工兵を回せ。頭数は最小限で戦果を期待できる」言ってリーヴェロンは席を立った。「おまえたちも向かえ。遊んでいる暇はないぞ」
部下たちが動き出す。通信術師を介して部隊に指示を出しながら。そのうち一人が問うてきた。
「将軍はどちらへ?」
「アルクトゥス師のもとへ行く」答えたリーヴェロンは僅かに、ほんの僅かに顔を顰めた。そして視線を逸らす。内なる小さな棘の痛みを意識から逸らすように。「大転移を早めるよう上申にな」
トレーラーのコンテナで揺られながら、ハルトは装備を身に付けていった。前腕に、板金装甲を入れたレザーのアームガード、脛には同じ加工を施したレッグガードを。軍用ヘルメットを被り、大変動を生き延びた初期からずっと使い続けているポーチをベルトに取り付ける。これをくれたのは紗枝さんだったな、と懐かしく思い出しながら。そしてトアさんの館の庭で回収、加工したエルフ兵のボディアーマーを付けて、ナイフを山盛りに積んだジャケットを羽織る。左腰にゴンドーの打った長剣を佩いて、とりあえずはこれで完了。ゴーグルとフェイスガードは最後の最後にしたい。
ポーチの魔力回復剤を開けて飲む。続けて3本。これで万事元どおり。とはいかないまでも、現状で求められる最高のコンディションにはなった。
フィムは隣の簡易座席にいるものの、あれからずっと黙ったきり余所を向いている。怒らせちゃったかな? と思うも、ハルトはもう何も言えなかった。何を言っても傷つけてしまう。そんな気がした。でも最後に言いたいことが一つだけある。
トレーラーが減速し、停車する。そしてコンテナのハッチが開くと
「終点だ」セイウチ牙の変異兵、カジマが顔を覗かせた。「やっぱりエルフってのは目がいいな。俺らみたいなのはたいてい夜目が利くが。やっこさん……」
言ってる傍から銃声が響く。銃弾がトレーラーの装甲に命中し、乾いた音を立てて明後日の方向へ弾かれた。
「とまあこっちは捕捉されてる。さくっと仕事にかかってくれると助かるな」
ハルトはカジマに向かって頷くと、コンテナ内の大部分を占めて鎮座する、ブルーシートに覆われた小山に向かって話しかけた。
「シルエレィドさん、行けますか?」
『ああ、いつでも大丈夫だ』くぐもったシルエレィドの声が、ブルーシートの中から聞こえた。『外部音声にはやや難ありか。カジマ、やってしまっていいんだな?』
「おう、派手にやってくんな。こっち側にも兵どもは控えてんだ。あっちはとっくに始まってんのに。連中、暴れたくでうずうずしてんだろうよ」
遠くかすかに、南の方角から銃声が、砲撃や重量物の落ちる轟音が地を伝うように響いてくる。
『わかった。では行くとしようか』シルエレィドの言葉とともにブルーシートが剥がれ、太く巨大な鋼の腕が現れた。『フィム、ハルト君と降りてるんだ』
頷くフィムを伴って、ハルトはハッチからコンテナを降りた。運河沿いの道路を遮るように、トレーラーが停車している。その先には鯨背橋が、亜邑人工島第1ゲートと本土を結ぶ橋がある。橋際には橋を守備するエルフの兵たちがいた。
トレーラーへの銃撃ペースが増してくる。そのさなか
ゴキャと鋼板がひしゃげる音とともに、コンテナの天板がめくれた。続いてゴギギバキリとコンテナを破壊してそれは現れた。人型の四肢を備えた巨大な姿を、多脚戦闘車両の防弾装甲で覆って。全長8m余、両腕それぞれに7.62mm機銃を一門ずつ、右肩には52口径105mmライフル砲1門を備えた巨人は、その威容で橋際のエルフたちを見下ろした。
『もし亜邑のメルネヴェびとが生き延びるなら、私は大反逆者として記録されるのだろうが』戦車ゴーレムを中から操るシルエレィドは、動揺を誘うためか、外部スピーカーからメルネヴェ語で告げた。『家族のためさ』
右肩のライフル砲が閃光と白煙を放ち、轟音とともにエルフ兵たちもろとも防御陣地を粉砕する。直撃を免れた数名のエルフ兵が反撃のためにライフルを構えるも、戦車ゴーレム右腕の機銃弾に追い散らされて橋へと後退してゆく。
『では行こうか、ハルト君』言うとシルエレィドはゴーレムを跪かせ、背部のハッチを開けた。『叶う限りの位置まで君を届けよう。フィムは……』
ここから先は、更なる危地となる。父シルエレィドもハルトも、フィムはここに残るほうがいい。そう考えた。が
「行けるところまで行くわ!」フィムは力強く宣言すると、ハルトに向き直る。「わたしはあなたを見届ける。そう言ったでしょ?」
もうここまで来れば是非もない。共に行けるところまで行くのは、きっと巻き込んだ側の責務でもある。ハルトは大きく頷くと、戦車ゴーレムの背部ハッチに取り付いてフィムへと手を伸ばした。
「行こう、フィム」
ハルトは満足気な笑みを浮かべるフィムの手を取ると、戦車ゴーレム内部に引き入れた。
ハッチが閉まる。内部は狭い。ぼんやりとした薄明かりに照らされて、シルエレィドが重機のシートを利用した座席にいるのがわかった。ハルトはその後ろの1.5畳ほどの空間にフィムと並んで立った。足元には先に積んでおいたSAFU-0074がある。
「二人とも、しっかり掴まってなさい」
言うが早いか、シルエレィドは戦車ゴーレムを立ち上がらせる。安全バーを掴んだハルトが浮遊感に驚くのも束の間、勢いよく駆け出した。ゴーレムと感覚を同期しているシルエレィドは周りが見えているが、ハルトには何も見えない。フィムは呪文を唱えて戦車ゴーレムの直上に観測霊を呼ぶと、それを目にして状況を解説し始めた。
「今、橋際を越えて橋に入った。このまま直進すれば第1ゲート。守備兵は第2ゲートに集中してるのかな。まだ出てこない。あ、父さまが機銃を撃った。逃げる守備兵が運河に落ちたわ」
戦車ゴーレムの揺れが一定になる。ハルトは準備にかかった。SAFU-0074の固定ベルトを引き出し、背負って胸から腰に回して固定する。ユニットのコントロールスティックを腰のベルトの定位置へ。1度試運転しているからこれでもう問題ないはず。
そして頭の中で、亜邑人工島の地図を思い描く。今、橋を渡っているところなら、東端の〈導きの塔〉は……
「防御壁の上に守備兵が出てきた。撃ってくる」
フィムが言った直後、カンカンと銃弾が装甲に弾かれる音が聞こえてきた。元が多脚戦車なので、ライフル弾など至近距離でも物の数ではない。
「防御壁を越える。舌を噛むなよ!」
語気強く、シルエレィドが言う。次の瞬間、乗り込んだエレベーターが上昇する時に似た、圧しつけられるような感覚がハルトたちを襲った。続いて衝撃。次の衝撃は足元から。
「第1ゲートのある防御壁の上に着いた。亜邑の西区が見渡せる。第2ゲートから先、大炎上中よ」
心もち興奮気味の声で、フィムが語る。亜邑人工島の防御壁の高さは12m。そこから更に8mある戦車ゴーレムの上からの光景は、さぞかし壮観なんだろう。
「父さま、守備兵が来る!」
「わかってる。『死にたくなくば退け!』
シルエレィドがメルネヴェ語で言った途端、戦車ゴーレムの機銃音が左右から鳴り響いた。
「防御壁から飛び降りる。二人とも衝撃に備えろ!」
シルエレィドの言葉に続いて、今度は落下の浮遊感。即、足下から衝撃。そのまま右回りに回転、ライフル砲の発射音が耳を打つ。
「戦車ゴーレムの砲が第1ゲートを破壊したわ!」
「これで魔王から頼まれた仕事は終わりだ」フィムの言葉に続けて、笑みを含んだ声でシルエレィドが言う。「ゲートの防御呪文は、亜邑内部からの攻撃については効力を発揮しない。評価を気にして予算と工期をケチるからこうなる。まったく、ユナルヴァスのヤツが……」
これで間もなく、鯨背橋周辺に控えた魔王の軍勢が突入してくる。エルフ、メルネヴェびとたちの都に血の嵐が吹き荒れる。ハルトはそんな地獄を想像したが
観測霊で周囲を探索しつつ、フィムが言う。
「変よ父さま、誰もいない」
「……アルクトゥスめ。大転移の準備にかかったな」
シルエレィドの言葉に、どきりとハルトの心臓が強く鼓動を打った。嫌な汗が首筋を伝う。もう行ってしまうのか? ハルトは自問自答する。いやまだだ。まだ……
「シルエレィドさん」
「ああ、急ごう」
ハルトが名を呼んだだけで全てが伝わる。シルエレィドは戦車ゴーレムを亜邑の東へ向けた。
いつものように窓辺に寝そべり外を見ていると、その光景に変化が現れた。大転移の日取りが発表され、亜邑の民衆は東区地下のシェルターに家財と一緒に避難した。そのため夜の西区にはもう、灯りが一つもない。完全な暗闇。
もうすぐなのね。エリィルラルはその事実だけを意識に置いた。置くだけで何も感じない。わたしは帳を上げ、メルネヴェの民びとを狂える神々の手の届かぬ次元に導いて、帳を下ろす。それだけ。窓を開けて飛び降りようかと幾度考えたかわからない。ハルトを痛めつけたアルクトゥスとリーヴェロンの思いどおりになりたくなくて。でもわたしが死んだら、マルティスル、若いあの子が代わりになるだけ。お腹に子どもを抱えた彼女を、その子の顔も見ぬうちに死なせるのはさすがに寝覚めが悪い。事が済めば寝覚めようも何もないだろうけど。
今がいつかもよくわからない。わかる意義も感じない。ただ、今夜は妙に心が騒いだ。窓辺からの光景は相変わらず、ではなかった。かすかな銃声と砲声、重量物の落下する鈍い音がここまで届く。炎に包まれた車が明るい尾を引いて飛んできた。炎上する車が東区西端に立つ塔にぶち当たる。轟音が響き、塔の外壁が崩れてグラグラと揺れた。
戦? エリィルラルがまず連想したのはそれだ。亜邑で戦いが起きたことなど、この世界での歴史上ない。けれど眼下の光景は明らかに……
異変が起きている。アルカ・ィム・ダウェアラの兵が階下にいる今は動けない。けれどもしかしたら、混乱がここまで波及したら? それに乗じてここを脱することができるかもしれない。数ヶ月ぶりの期待に、エリィルラルの胸は高鳴った。しかしすぐに冷たく重く沈みこむ。ここを出られたとて、どんな顔をしてハルトに会えばいいの? 話せばきっとわかってくれる。でも死ぬような傷と痛みを受けたら、誰だって心は変わる……
ああ、本当に愚かな女。あの時、彼の言葉に喜ぶだけでなく、彼が寝ている間にでもさっさと二人で別の次元に行ってしまえばよかったのに。こんな場所の記憶なんて、砂粒ひとつだって要らないのに。
ノックもなしに、扉が開く。エリィルラルが重い頭を上げて見遣ると、アルクトゥスが、その後ろにリーヴェロンが立っていた。
「〈導きの司書〉よ、お迎えに上がりました」仰々しく一礼しつつ、アルクトゥスは言った。「予定が早まりました。今宵、大転移を執り行っていただきたく」
逃げ場はない。本当にいつも手遅れ。自分自身に嘆き、呆れながら、それでも弱さは見せまいと、エリィルラルは椅子から立ち上がった。




