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6-8. 冬至の夜を

 3つあるベッドのうちの1つに腰かけ、ハルトは床に置いた装備を確認していく。ジャケットの裏に縫い付けたポケットに小ぶりのナイフを26本。ベルトの小鞘に長めのナイフを8本。ベルトポーチには軍用の魔力回復剤の小瓶を6本。そして〈夢幻の鎚〉を1本。トアさんからもらった分はこれで最後だ。

 あとは……と、ハルトは鞘に入った長剣を手に取って、柄を握って抜き出した。

 灰色の刃が、天井灯の光を鈍く返す。刃渡り80cmほどのその剣は、かつて好んで使った魔力の剣を模している。錬馬市商店街の武具師、赤ひげのドワーフ、ゴンドーに頼んで打ってもらったものだ。亜邑のエリさんに会いに行く途上で、魔術師アルクトゥスと対峙すれば、身に帯びた魔術は全て無効化されると考えていい。だからこそのこの剣だった。



 店で打ちあがった剣を渡されると、ハルトはその場ですぐに抜いて軽く振った。バランスもいい。長さも重量感もほぼ魔力の剣と変わらない。気がかりなのは1点だけだ。

「例の仕組みは?」

 ハルトは問うた。エリから学んだ基本の振りをゆっくりとなぞりながら

「ああ、ぬかりない」ゴンドーは胸を張って請け負う。「テストも済んでる。実戦で機能しなかったら、戻っておれの首を刎ねていいぞ」

 機能しなかったら、あるいは機能してもたぶん戻れないです。とハルトは思ったものの、言うのはやめにしておいた。

「しかしまあ、なんだ」ゴンドーは言った。感心と呆れの混じった目で、剣を振るうハルトを見ながら。「これまで競技用の居合刀や試斬用の刀、実剣を打ってきたが、こんな注文は初めてだわ」

「この仕事は長いんですか?」

 興味本位でハルトは訊いてみた。ドワーフ、という種族に親しい人はいない。強いて挙げるなら市庁舎のエンドーくらいか。それでも無駄話ができるほど親しいわけではなかった。

「ああ、祖父じいさんから三代続く武具師だ。じいさんたちはエルフどもの世界を跨いだ大移動に巻き込まれてな。それでこの国にやってきた」

 それはハルトも初耳だった。これまではドワーフやゴブリンといった人々は、エルフとはまた別口のルートでこの世界にやってきたのだとばかり思っていた。

「大転……大移動に巻き込まれる、なんてことがあるんですか?」

「ああ、じいさんから聞いた話だとな」ゴンドーはスツールを寄せると、腰かけてパイプに煙草を詰め始める。「当時は、貪婪たる風の何某なにがし、とかいう神だか悪魔だかと世界の命運をかけた戦いの真っ只中だったんだと。何でも食っちまう気色の悪いバッタ人間が、空からわんさか押し寄せたらしい。その世界に後からやってきて住んでいたエルフ、メルネヴェってんだけど、奴らとおれたちホロボロス―こっちの言葉で鉄火の民って意味な―と、フウブグムル―夜に囁く者ども―要はゴブリンさ―が連合を組んで戦っていたんだ。だがある日、エルフどもが抜け駆けしてな。自分たちだけで魔法を使って、世界を捨てて逃げようとしたんだ。連中の魔法はエルフの都を中心とした広い範囲に及んだ。都の近くで戦ってたじいさんたちもそれに巻き込まれちまったってぇ話さ」

 ドワーフ特有の率直なもの言いで簡潔にまとめられた話を聞いて、ハルトは驚くと同時になるほどと納得もした。ドワーフやゴブリンはエルフに近寄らない。同じこの世界への来訪者なのに、対話はおろか言及さえほとんどしない。そんな事情が背景にあるなら無理ないと思う。

 一万年もの間、多くの種族を巻き込んでメルネヴェの大転移は繰り返された。その度に〈帳の司書〉を生贄にして。

 ハルトは柄を握る手に一瞬、力をこめると、深呼吸して剣を鞘に納めた。そして自分に言い聞かせる。まだだ。まだ、エリさんは生きている。焦るな。

「それじゃそろそろ僕は行きます」剣を片手にハルトは言った。「お達者で、ゴンドーさん」

「おいおい、今生の別れみたいじゃねえか」ゴンドーは笑ってそれを受け流した。そしてつと、真剣な眼差しになる。「しかしそんな剣で、何をやろうってんだい?」

 問われてハルトは悩んだ。敵を倒すことが第一目的じゃない。メルネヴェの大転移はエリさん次第だ。この剣はただただ、エリさん(あのひと)に会うための……悩んだ末に、答えに窮してこう述べた。

「こじらせた挙句のストーキング、かな」

 聞いたゴンドーは咥えかけたパイプを落とした。



「そんなものでいいの?」

 唐突に訊かれてハルトが振り返ると、フィムがハルトの並べた装備品を肩越しに覗き込んでいた。

「ええ、なるべく軽くしたいんで」ハルトはゴンドーの打った剣を鞘に納めた。「亜邑に入ってしまえば、僕の用事はさほど長くはかかりません。他にあれこれ持ち込んでも、使ってる時間がないですよ」

 長くかかるようなら、きっと目的を遂げられずに終わるだけ。ハルトはそこまでは言わずに言葉を止めた。フィムが眉根に皺を寄せて睨んできたから。あれ? 何か気に障るようなこと言ったかな僕。

「ちょっと付き合って、ハルト」

 フィムはそう言うと、強引にハルトの左腕を抱えて引っ張った。

「ちょ! ちょっとフィムさ、フィム?」

 そのまま、王妃アルシェンナに割り当てられた三人部屋を出る。ひと気のない廊下を抜けて、フィムがエレベーターを呼んだ。エレベーターに引きずり込まれて、ようやくハルトは解放された。

 フィムが押したボタンは14。この城、市庁舎の最上階だ。いまだ残っていたエレベータ脇の案内板には、確か展望台があるとか記載されていた。

 エレベーターがゆっくり上昇を始める。そこでようやくフィムが口を開いた。

「外を歩いてると、ジロジロ見られてしかたないの」嫌悪感を顕わに言うと、フィムはハルトを見て安堵めいた息をついた。「でも部屋にいても息が詰まるし。気晴らしに付き合って。あなたのためにここまで来たようなものなんだから」

「それはまあ、そうですね」

 苦笑しつつ、ハルトは従った。確かに事がここに至っては、もう明日までせねばならないことはない。彼女はこんなところ、暴虐で知られる魔王の城にまで付き合ってくれた。少々の時間なら彼女に割くべきだと思う。

「なんだか合わないわ、ここ」そう言うと、フィムは己が身を抱き締める。「あなたと魔王の会談の後、手は出されてないから、統制は取れてるんだと思う。けどなんだか力が、暴力が全てって空気が嫌」

「そう、ですね」

 ハルトは同意しつつも自覚する。同意する資格は僕にない。僕も暴力を求めた者の一人だ。復讐のために、生きるために。そして、あのひとに会うために。

 稼働している復興庁の避難センター周辺が例外で、むしろ他のほとんどの地域では、限られた資源を巡って僅かな生き残り同士が争っている。そんな状況では、暴力こそが最大の物差しになってしまう。否、そうでない時代が人類に果たしてあったのだろうかとも思えてくる。弱者を保護する司法とて、刑罰という暴力がなければ機能しない。紛争戦争の絶えない全世界に目を向ければ猶更に。

 するとハルトの内心を見透かすように、フィムは言った。

「これは次元を経めぐってきたわたしたちだから言えることかもしれない。生きものの強さは、暴力だけでは測れない」

 そうだといい。ハルトは心から思った。

 二人で上がっていくエレベーターの階数表示を眺めながら、しばしの沈黙。決して不快ではないものの、ハルトはその時間を勿体なく感じる。こうして彼女と話せる時間も、もう……だから共通の話題を探して振ってみた。

「シルエレィドさん、今、どうしてます?」

「夕方見かけた時は、栄養バー齧りながら格納庫でアレの整備やってた。その後で〈魔王軍〉の幹部と軍議だって」

 それを聞いたハルトは思う。シルエレィドは亜邑人工島の計画段階から携わった、都市開発のトップだ。エルフたちの都、亜邑の攻略には何をもってしてもほしい人材だろう。

 シルエレィドは大人だ。きっとこの世界で生きるためにと割り切って、僕と、魔王とその軍勢に協力してくれている。

 でもフィムはどうなのだろう? ハルトは聞いておくべきだと思った。この企てに巻き込んだ者として。

「フィムは、その、大丈夫なの? 亜邑には知っている人もいるんでしょ?」

 事と状況によっては、彼女とその父は友人知人と戦うことになる。

「まあ、そうね」フィムは気のない返事をした。つまらなそうに階数表示を見上げながら。「友だちもいた。けれどこれが生えてきて」彼女はそこでフワフワの獣毛の尻尾を立てて見せた。「それが知れ渡った時から、誰とも連絡が取れなくなった。〈播神の相〉は伝染する。狂える神々を呼び込む。そう伝えられているの」

 話している内に階数は14を示し、エレベーターのドアがスライドして開いた。

 ハルトはフィムと並んでエレベーターを降りた。弱い照明に照らされたフロアの全面がガラス張りで、かつての世界なら統京湾岸の美しい夜景が臨めたのだろうと思う。しかし今は市庁舎周囲にだけ、僅かな火灯りと思しき光がチラつくのが見えるだけだ。

「父さまは、わたしのせいで亜邑を離れた……」

 フィムはフロアの南面に向かうと、ガラスの向こうの夜を見遣った。ハルトもその視線を辿る。運河と海を越えた向こうで、遠くかすかに街の灯が見える。ゆらめくキャンドルの火のように。

「でもこれでよかったのよ。じゃなきゃ、あなたとここの軍勢を相手にしなきゃならないところだった」フィムはハルトに振り返る。「あなた見た? ここの連中、呪文の詠唱もなしに火炎や電撃を操るヤツ、念じるだけでダンプカーを投げ飛ばすヤツ、銃撃を食らっても平気なヤツや酸の体液を撒き散らすヤツ、他にも妙な力を持った連中がたくさん。あんなの相手にしてたら命が幾つあっても足りないわ」

「でもエルフは、メルネヴェのひとたちは皆、魔術士や魔術師でしょ? そう簡単には……」

 住民全員が呪文を使う都市に攻め入るのだ。ゲートを突破し防御壁内に入れたとしても、地の利を考えればエルフたちが有利。ハルトはそう考えていた。

「皆が皆、戦いの呪文を唱えられるわけでも、戦い慣れてるわけでもない。あなたたちマヴドだってそうでしょ? 銃を持ったからっていきなり撃てて当てられるわけじゃない。アルカ・ィム・ダウェアラの戦士だって、あの日に少なからず死んでる。そこに命知らずの野蛮なマヴドが乗り込んできたら……」

 〈魔王軍〉側の一方的な蹂躙になる。そう彼女は考えているのか。

「だからたぶん、亜邑は大転移を急ぐ。父さまはそう考えているわ」フィムは再び、暗黒の海の向こうに目を遣った。「わたしも同じ考え。この建物の周辺で、しょっちゅう観測霊が見つかる。アルシェンナとここの魔術士は撃退してるようだけど、その行為がもう、こっちが何を企んでるのか証明しているようなものよ」

 そう聞いてしまえば気持ちが逸る。ハルトも夜の海に浮く人工島を見た。その東の突端〈導きの塔〉にいるはずの彼女に、胸のうちで語りかける。エリさん、僕はあなたと話したい。あなたが帳を上げるその前に。早く、早く……

「あなたの頭にあるのは〈帳の司書(フェイアラ)〉のことばかりなのね。わかってたけど」呆れ果てた口調で、フィムが言った。「女と二人きりで話してる時くらい、他の女のことは考えないでほしいわ。メルネヴェでもマヴドでも共通のマナーよ」

「あ、うん。ごめん」

 そうなの?と思うも、有無を言わせない圧に、ハルトは謝った。紗枝さんとエリさんに会うまで女子に縁がなく、童貞だった高校中退者には難しいよ。

「ねえ、今日って何の日だか知ってる?」

 楽し気にフィムが問いかけてくる。ハルトは考えた。ここに至るまで毎日全力疾走するような日々だったので、日付の感覚があまりなかった。12月には入っていたと思う。この前カレンダーを見た時、いつの間にか誕生日、過ぎたなあと思ったから。

「たぶん12月の半ばを過ぎたくらい?」ハルトは言った。「ごめん、わからないや」

「今日は12月24日、クリスマス・イヴよ」またもフィムは呆れ顔で。「あなたたちの聖者の誕生を祝う前夜祭の日。あなたマヴドのクセにそんなことも忘れちゃったの?」

「忘れてたというか、去年も祝ってる余裕とかなかったからなあ」

 一緒に祝う相手もいなかったし。ハルトは思い出す。去年の今頃は何をしていたっけ? 寒いので拠点に引きこもっていたはず。周辺巡回とたまに狩りで外に出るくらいで。燻製肉を齧りながら、呪文書の勉強してるか溜め込んだ動画を漁ってるかだった。

「冬至の祭り、太陽の再生を祝う風習は、わたしたちメルネヴェにもあったと言われてるわ。次元を経めぐる旅の中で、忘れ去られてしまったけれど」フィムはクルリと体を回転させながら、ガラスの向こうの街を手で指し示す。「だからあなたたちマヴドがこの時期に浮かれ騒ぐのを見て、ちょっと羨ましいと思うメルネヴェも少なくなかったの。家族や友だちと集まって真似してみたりね。わたしも友だちとお酒持ち寄って騒いだわ」

 ハルトは驚いた。賢く優雅なエルフたちが、人間の振る舞いを羨ましく思うことがあるなんて。そんなこと思ってもみなかった。

「僕は家族とケーキ食べて鶏もも焼いたの食べて、くらいだったなあ。お酒は未成年だったから飲めないし」

「え? 飲めないの?」

「人間、マヴドがお酒飲めるのは20歳からです。父さ、両親の世代だとこっそり買って飲むくらいはやったらしいけど。僕らの世代だとお酒を買うのも色々厳しくなったんだ」

 こんな話をしていると、寿命や能力の違いはあれ、人間とエルフ、マヴドとメルネヴェって、それほど違いはないんじゃないかと思えてくる。そこでハルトは思い出した。ショッピングモールの最上階に空いた次元の穴の閉じた後のこと。顛末をトアに報告すると、土下座せんばかりの勢いで平謝りに謝られた。そしてお詫びと謝礼を兼ねて、小さな樽をひとつもらったのだ。「飲み過ぎないようにね」との忠告とともに。

 小樽にはウイスキーが、味見したエリさん曰く「かなり上等」なそれが入っていた。そして不思議なことに、酌めども酌めども尽きることがない。エリさんはけっこうお酒好きのようで、ロックにハイボールにとちょいちょい飲む。そして勧めて来た。まだ未成年だからと固辞していると、ある夜、強引に口移しで飲まされた。

 喉が、腹が熱く焼ける感覚に驚き、手足が妙に軽くなった。そして妙にエリさんが可愛く見えて。

 気づけば朝で、二人でベッドの上でシーツもろともどろどろのぐちゃぐちゃで、体力が根こそぎなくなっていた。それ以来、不思議な小樽は拠点の地下室に封印されている。結論、お酒は魔物だ……痛っ!

「何ひゅるんれすか」

 ハルトは左頬をフィムに抓られていた。

「また〈帳の司書(フェイアラ)〉のこと考えてたでしょ? 女にはわかるのよ」

 フィムの目に宿る怒気に、ハルトは既視感があった。いつだか魔術士のいる盗賊団を退治した夜に、エリさんがこんな目で襲いかかってきた。

「えーと、ごめんなさい?」

「……いいわ、もう」フィムは抓る手を放して俯くと、深々と溜息をついた。そして顔を上げるとハルトを見つめて「あのね、もし、もしもよ? もし〈導きの塔〉で……」

 何かを言いかけて、止めた。

 どうしたんだろう? とハルトが抓られた頬をさすっていると、フィムはハルトに向かって微笑んだ。少しだけ寂しそうに。

 フィムの言葉と表情に、ハルトは勘違いしそうになる。まさかとは思うけど、僕は彼女に特別な好意を持たれてるのかも、なんて。でも仮にそうだとしても、きっとそれは、近くに年齢の近い親しいひとがいないせい。たぶん。そう思おう。今は。

 エレベーターの稼働音が鳴る。すると足音もなく、メイド服に身を包んだ猫めいた女性がやってきた。耳は尖り、目は大きく瞳は縦長。肌が覗く箇所からは黒くしなやかな体毛が出ている。

 彼女は淑やかに一礼すると、二人に告げた。

「御二方、ささやかながら晩餐の用意が整いました。陛下よりお越しくださいますようにと」

 ハルトとフィムは互いに目を見合わせ、どちらからともなく笑い合った。

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