6-6. この世の王国
2、3、4……エレベーターの階層数字が上がっていくのを眺めながら、ハルトは思い出した。アルシェンナ、アシナ……芦那。その名は確か、ショッピングモール内に秘匿された研究所で、アツロウさんがサーバの中から見つけ出した名だ。KBC―カヅノ・バイオテック・コーポレーション社の顧問魔術師。そして、禁を破ってエルフたちの社会から追放されたという、元評議会の魔術師。
彼女はなにをやったのか。かつてハルトはエリに訊いてみたことがあった。するとエリは「そうね、今なら彼女の気持ちがわかるかも」とだけ言って、ベッドに押し倒してきた。
あまり話したくないことだったのだろうか。ハルトがそんなことを考えていると、階数表示が12を示し、木目調に塗られたドアがスライドして開く。
「電力、どうやって賄ってんのよ?」フィムがドアの動きを目で追う。「亜邑のインフラは半ば魔術仕掛けだし、〈造技〉呪文で魔力を変換して使ってるわけでもないでしょうに」
「……統京地下の発電機関からの供給よ。他の市庁舎、避難センターと同じね」アルシェンナが先に立ってエレベーターを下りる。「ここを占拠した時に、復興庁から供給をカットされるものとばかり思っていたのだけどね。使えるうちは使わせてもらってるの」
その事実はハルトにも意外だった。〈魔王軍〉と復興庁は敵対しているはず。他の復興庁直轄の避難センターが、いくつも〈魔王軍〉の兵に襲撃されている。犠牲者も出ているのに。
「うっかり切り忘れた。なんてのは考え難いですね」エレベーターを下りて、ハルトは明るい天井灯に照らされたフロアを見た。「復興庁には何か目的がある?」
「そうね」前を行くアルシェンナは頷いた。「これは恐らく"彼女"からの挑戦状。それが正しいと思うなら、やってみせなさいってね」
エルフ、メルネヴェの魔術師アルシェンナは、復興庁の本体が〈誘彌〉であることを知っているのか? ならば彼女を妃とする〈魔王〉タケハヤは間違いなく、単なる強力な統率者というだけではない。
果たしてどんな人物なのか。思いつつハルトは廊下を歩む。カーペット敷の廊下は手入れと清掃が行き届いていて、この時代と環境には不釣り合いなほど清潔に見えた。
アルシェンナを先頭に、ハルト、シルエレィドとフィムが続く。そうして両開きの扉の前に着いた。すると
「入れ」
しわがれつつも重厚な男の声が、扉の向こうから響いてきた。扉にはドアスコープもカメラも見当たらないのに。
「お連れしました。陛下」
アルシェンナが扉を開け、ハルトを中へと促す。そして彼の後に続こうとするシルエレィドとフィムを遮った。
「ちょっと!」
フィムが不平の声を上げる。ハルトはシルエレィドに向かって頷くと、謁見の間に入った。
元、市長室だったのだろう広間の奥はガラス張りで、外の風景がよく見える。壁には絵画がいくつもかかっていた。その多くが、〈審判の日〉以前の風景や人々の生活を描いたものだ。
そんな広間の中央に、彼はいた。異形の巨躯にローマのトガ風の布を纏って。2.5mを優に超える巨躯には、他に合うサイズの服を見つけるのは難しいだろう。はだけた部分を獣毛と甲皮、鱗のまだらが覆う。裾からはサイのように太い三指の奇蹄が覗く。右腕は太く、やはり獣毛と鱗に覆われ、右手の指には鷲のような鉤爪がある。しかし左腕はよく鍛え上げられているものの、普通人の男のそれだ。
頭の右には太く渦巻く角が生え、右顔の上顎からはサーベルタイガーのような大きく長い剣歯が生え伸びる。しかし左の顔は美しく整った青年のそれだ。その恐ろしいほどに整った美貌は、ハルトにある人物を連想させた。
〈魔王〉。彼を見た者がその言葉を使ったのも、納得の威容であり異様だった。
彼の座す椅子もまた大きい。その巨躯と体重は木材では支えきれないのか、鉄骨を曲げ溶かし椅子の形状に造り上げたものに、クッションが敷き詰められている。
魔王の玉座。その鉄骨のメッキはあちこち剥げかかっている。ブリキの玉座―ハルトにはそんな風に見えた。
そしてその玉座の左右には、薄いブルーのスモックを着た幼児がいた。肌は白く、短い髪はそれ以上に白い。歳に見合わない大人びた二人の目は、ぼんやりと灰色の光を帯びていた。
幼児二人は、ハルトを見上げて口を開いた。
「王さま、こいつ一つのことしか考えてないよ」
「王さま、こいつ王さまのこと利用しようとしてるよ。言ってくれれば脳みそ焼くよ」
精神感応者か。ハルトは思う。この子らがいる限り、虚偽はすぐに看破されるのだろう。敵対者の接近もわかる。差し詰め魔王の情報的護衛といったところか。
「これ、二人とも」魔王は二人の子らを見下ろし、穏やかに言った。「これからこの者と話がある。エコ、メレ、そなたらはアシナのもとへ行っておれ」
「気をつけて、王さま」
「殺したほうがいいよ、王さま」
エコとメレ、二人の子どもはパタパタと軽快な足音を立てて、扉に控えるアルシェンナのもとへと駆けて行く。
「気分を害させてしまったならすまんな」魔王からの言葉は、驚いたことに謝罪から始まった。「なにぶん子どもの言うことだ。余はああいった歯に衣着せぬもの言い、嫌いではないのだが」
「同感です。陛下」ハルトは言った。「あの子たちの言葉も真実ではありますし」
そしてここで初めて、ハルトの視線と魔王の視線が正面から合った。魔王が座していてもなお、体格差からハルトは見下ろされた。魔王の右獣面にある右眼は、爬虫類めいた縦長の瞳孔がある黄金色。美貌の左顔の瞳は人間らしいブラウン。そのアンバランスな双眸は、前にした者の不安をかきたてる。しかし過剰な威圧はなく、むしろ巷の暴虐の噂に反して、穏やかで思慮深い者の視線だった。だからこそハルトの中に疑問が湧く。こんな人物が何故、生存者の女たちをモノとして扱うのかと。
しかし今はそんなことを考えている場合じゃない。例え一時のことでも、この人物の信頼を得なければ。
「若輩ゆえ、至らぬ言葉があればご寛恕を」前置きして、ハルトは言った。「私はハルト。魔術士です」
「余の名はタケハヤ。もう何処かで聞いておろうが、〈魔王〉などと呼ばれている」魔王タケハヤの声に少し、苦い笑いが滲んだ。「貴公が、此度の我が戦の助力者か」
「そのようです」
明後日に開始されるという亜邑への再々侵攻。これを逃せば、巧く亜邑人工島内部へ入る機会は二度と訪れない。ハルトは緊張に唇が乾くのを感じた。
「我が妃から話は聞いている。強力な破壊の技を持っているそうだな」
「はい。陛下が手こずる亜邑への進軍。お手伝いできるかと」ハルトは言った。声が震えぬよう、僕はやれると自身に言い聞かせながら。「人工島西岸の北にある第1ゲート、南にある第2ゲート。お望みの方を指定してください。私がゲートを破壊してご覧に入れます」
防御壁に囲まれた亜邑に攻め込むには、人工島と本土を結ぶ2本の橋、鯨背橋と竜脊大橋のいずれかを通ってゲートを突破する必要がある。〈魔王軍〉はこれまでの侵攻で、ゲートも防御壁も突破できずに撤退していた。
「橋の本土側もエルフどもが占拠しておる」タケハヤは言った。「よしんばこれを越えられたとして、橋の上を行くなら、防御壁上から火器と呪文を撃たれ放題となろう。どのようにしてゲートに接近するのだ?」
「接近しません」ハルトは答えた。「接近せずに、ゲートを破壊します。私が使うのはそのような技です。使えるのはその日その1回限りとなりますが」
その距離と範囲で2回以上使えば、恐らく数時間は立つこともできなくなる。それは何としても避けたかった。
魔王タケハヤは大きく息を吐き、黙考した。ハルトも俄かには信じ難いことだろうと思う。魔術によって強化され、戦車砲の直撃にも耐える亜邑の防御壁を、300m以上離れた位置から破壊できると言っているのだ。早々に信じられるはずがない。
デモンストレーションでもやるしかないか? 気は進まないものの、ハルトがそう覚悟した時
「ならば任せよう」タケハヤは目を上げ、ハルトを見据えた。「よほどの確信がなければ、畏れも恐れもせずに余の前に立つことなどできまいよ」
「ありがとうございます」
ハルトは表情に出さず、ほっと胸を撫でおろした。これである種の協力関係を確立できた。と思う。あとは、やるだけだ。
「して見返りに何を求める?」魔王はハルトに向かって玉座から身を乗り出した。獣の右眼がぎらりと光る。「物資か? 女か? 余の軍団ので地位か? 首尾よく行けば、望みのままに取らせよう」
「特に何も。陛下たちには存分に戦い、略奪してもらえれば、それで」
最低なことを言っているな、とハルトは声に出さずに自身を嘲った。亜邑にはシルエレィドさんやフィムのようなエルフもまだいるだろうに。
「それは高くつきそうだな。言うであろう?『タダより高いものはない』と」タケハヤは口の端を吊り上げ、鋭い犬歯を覗かせた。「まあよい。少し話さぬか? 斯様な身となると、外の者と話す機会もなくてな」
「よろこんで」
タケハヤは玉座を立ち上がると、窓辺に歩んでゆく。ハルトもその後に続いた。
壁一面を占める窓ガラスからは、城下―市庁舎の周囲に築かれた街が見下ろせた。学校を改装した練兵施設に、変異者を中心とした兵士たちが集う。商店、あるいはスーパーだった建物がそのまま居抜きで今も商店として利用されていた。避難センタ―のように貨幣は使われておらず、取引は物々交換で成り立っている。公園などの土の露出した場所を中心に耕作も始まっていた。
サムライと称する武装した兵士たちが、威風堂々と道を行く。その一方で、非戦闘員と思しき男たちは背を屈め、道の隅や端を選んで歩いている。ハルトも市庁舎に至る前にすれ違った。彼らの顔に表情はない。ただ時おり、こちらを見る落ちくぼんだ目に怒りと憎しみ、そして妬みの混ざった濁りが浮かんで消えた。
そりゃそうなる。とハルトは思う。強者に伴侶や娘を奪われれば。そしてこうも違うのかと思う。タケハヤ、この人はたぶん……
「何か言いたげだな。ハルトよ」
魔王の視線と言葉に、ハルトは顔を強張らせた。しまった。不興を買う真似はしたくなかったものの、考えが顔に出ていたらしい。
「いえ、陛下の統治による発展に驚いているだけです」
「心にもないことを申すな」苦笑しつつ、タケハヤは言った。「言いたいことがあるなら、はっきりと申せ。余は聞きたい」
「では……」ハルトは観念して言うことにした。半端な取り繕いのほうが不興を買いそうだ。「生存者の女たちを、その意思を無視して強者の男たちに与え子を産ませる。陛下のような聡明な方の所業とは思えません。強者による過度の独占は軋轢を産み、いずれ集団を割ります」
さあどうなるか。緊張にハルトの鼓動は早まった。交渉決裂ともなればここまで積み重ねた全てが無駄になる。
「かような時代だ。強き男が率先して戦い、女を得て子を成さねば生き残れぬ」魔王タケハヤは、市庁舎に隣接した隣の建物を指さした。その窓に、バスタオルにくるまれた赤ん坊を抱えた女が数人、見える。「貴様とてわからぬではあるまい。女だけではない。食料、水、薬、燃料……今の余らにある資源は、前の世と比べるべくもない。弱き者、力なき者に回せる分はごく僅かだ」
「女も資源、ですか」
「余を含め、男とてそうだ。種の存続のために、今は戦えるものが必要なのだ」タケハヤは己の異形の右手、その鉤爪に目を落とした。「〈誘彌〉のやり方では、人間は殖える前に死に絶えかねん。アレは、ミコトは今の状況を楽観し過ぎておる」
やっぱり、とハルトは驚きとともに納得した。彼、タケハヤの整った左の顔。それは錬馬市避難センターのスドオ・ミコト調査官と、性別は違えどそっくりだったから。
「ハルトよ、そなたはゾンビや変異生物以上の脅威に遭遇したことはあるか?」タケハヤは唐突に問うてきた。「近づいただけで、この世界の生きものとして直観的に理解できる。この世界、この次元の埒外の存在だ」
「はい」ハルトは頷いた。「一度だけ、ですが」
答えながら思い出す。ショッピングモール最上階に秘匿された研究所で遭遇し、戦った。エリさんの帳の技とトアさんのハンマー、アツロウ先生とライカさんの協力があってようやく追い返せた。今でも生還できたのが不思議に思える。
〈魔王〉タケハヤ、恐らくはスドオ調査官と同じ〈誘彌〉由来のこの人も、遭遇したのだろうか。この次元を狙う狂える神々に。
「ならばわかるであろう? 備えが必要なのだ。強力な戦士が。あれら次元外の生物、高位存在への手立てが」タケハヤの言葉に熱がこもる。「亜邑には、次元を旅したエルフどもが蓄えてきた知識が、他次元からの漂着物が、未だ明らかならざる遺産がある。その中には、高位存在に対抗する術が、その手がかりがあるやも知れぬ。あやつらがこの次元を去るのは構わぬが、それは置いていってもらう。この世界への賠償としてな!」
魔王タケハヤが執拗に亜邑を攻めたのは、それが理由か。
「ならば理解はできます。陛下が強い兵と軍備を、次元外の知識と技術を求めることは」ハルトは率直に言った。もう取り繕っても無駄だろう。なるようになってくれ。「人の意思を蔑ろにすることに、納得はできませんが」
「……余とて、かような体制が長続きするとは思っておらぬ」タケハヤは声を鎮め、城下の街を見下ろした。「外次元存在の侵入を防ぎ抗う術が手に入れば、農耕に畜産、地下プラントで生産される物資……今後、資源が充実してくれば、徐々に元の世のように、自由に伴侶を得て暮らせるようにできるだろう。だがそれは今ではないのだ」
あなたは間違っている。と、当たり前の倫理感で言うのは簡単だった。しかし今はもう、そんな当たり前を生きることが難しい。死者と変異生物、異次元からの怪物が跋扈し、狂える神々が虎視眈々と侵入を覗っている。生きることが、比喩的表現抜きに戦うことに直結している。
ハルトは思う。タケハヤたちの是非はこれから問われるのだろう。そして今、彼らを利用しようとしている僕は、彼らを問い詰めることも断じることもできない。だから
「願います。そんな日が一日でも早く訪れることを」
ハルトはそうとしか言えなかった。ただ仮に、狂える神々への手立てが、充分な物資が確保できたとしても、そう簡単に"元の世"にはならない。そんな確信めいた予感があった。蔑ろにされた人々の目……ブリキの玉座の王。
そして、魔王の言葉は唐突に
「貴公、余の家臣とならぬか?」
「っ!?」
一瞬、変な声が出そうになり、ハルトは慌てて飲み込んだ。家臣? 僕が魔王の? 聞き違いかと思うも、じっと見つめてくるタケハヤの目は、異形でありながら真摯で。人を見下す気配もなく、うっかり頷いてしまいそうになる。これがカリスマか。恐いなと思う。
「西門での戦い、見事だった。貴公ほどの戦士であれば、求めるままに妻を持つことを許そう」
力を評価され、思うままに女を得る。そんな生き方に憧れる男は多いんだろう。でも、とハルトは思う。僕には向いてない。たった一人ともちゃんと向き合えているか怪しいのに、何人もなんて到底無理だ。それに
「僕に、貴方に許されなきゃならないことはない」
誰かを上にいただき、その下で生きる。今の時代、安全や報酬と引き換えにそれを望む人は少なくない。でも僕はご免だ。これでタケハヤが憤慨するなら、一人で亜邑に向かおう。生きることも死ぬことも、自分自身で決めたいから。
「そうか……そうであったな」ハルトの予想に反して、タケハヤは笑った。唸るような、それでいて清々しい声で。「そなたも一人の王なのだな。自分、という小さくもままならぬ王国の」
「きっと誰もがそうなんです。でも人はそれを忘れてしまう。辛く苦しい時ほど」
言いながら、ハルトはこれまでを思い返した。世界が変わったあの日以来、逃げ込んだショッピングモールで、物資を求めて彷徨う廃墟で、自己の決定を他人に渡してしまう人の姿をずっと見てきた。
「では共に亜邑のエルフどもに立ち向かおうか」タケハヤは変異のない左手を差し出した。「同盟、ということになろうか。王と王の。貴公の働きに期待している」
「畏れ多くはありますが」ハルトも左手を出し、タケハヤの手を握った。「死力を尽くします」




