6-2. 掩体壕
右頬の血を左手の甲で拭うと、ハルトは次元外生体刃を右腕に収納した。この掩体壕を守っていた兵士を見下ろしながら。危なかった、と思う。この人のナイフがもう数センチずれていたら、僕は生きてこうして立っていなかったろう。
掩体壕のドームに足を踏み入れ、ハルトは周囲を注意深く見渡した。動くものは一つもない。〈落日の剣〉でコックピットを破壊した多脚戦車が擱座し、並んだ棚には弾薬ケースと砲弾が積まれてある。これがあれば多少は交渉も有利に運べる、かもしれない。
このまま目当てのモノを探したいところではあったものの、外の様子が気になった。ハルトは掩体壕を出ると、その屋根を成す枯れた芝の生えたドームに登った。小高いここは、この共同体の人々の暮らす公園内がよく見渡せた。
フィムクゥエルの呼び出した無数の幽光霊が、ライフルを手にした兵士たちを翻弄している。異階層の生きものである幽光霊に、銃弾は効かない。なのに生身の人間が幽光霊に触れると、ショックを受けて麻痺を起こす。魔術や超能力の対抗手段がない限り、どうにもならない。
そして並ぶテントハウスのあちこちから、先端が鋭く尖った石の槍が突き出していた。シルエレィドはテント内の人間を傷つけぬよう狙ったのだろう。石の槍はテントとテントの間道を中心に展開し突き出している。が、犠牲ゼロとはいかなかった。石の槍に胸を、腹を貫かれて絶命している者たち―主に銃火器を持った兵士たちはいた。そして全高6mはある巨人、シルエレィドの魔術で造られた泥人形が、公園内を威圧するように練り歩いている。その巨躯を構成するコンクリートと廃車部品は、人が手に持つ小銃火器程度ではビクともしない。
襲撃を受け、多脚戦車を破壊され、この共同体の人々は着の身着のままこの公園を離れ始めている。ハルトたちの目論見どおりに。無事逃げ延びた者は、復興庁のドローンが最寄りの避難センターに誘導する手筈になっていた。
しかしそんなことは免罪符にならない。ハルトは自らに言い聞かせた。僕はここの人たちの平和を破壊した。身勝手で個人的な欲望のために。
「心が痛むかね?」
心を見透かすような言葉、そして枯れた芝を踏む音にハルトが振り返ると、エルフ―メルネヴェびとの魔術師シルエレィドの青灰色の瞳と目が合った。デニムパンツに白のタートルネックセーター、ダークグリーンの防寒ジャケットの簡素な装いも、彼の美貌の故か華やいで見える。暗橙色の長い髪は後ろで結んでまとめていた。
「そうですね……」ハルトは目を、眼下の光景に戻した。「そんな資格、ないんですけどね」
バックパックを背負った母が子の手を引いて、寒空の下の廃墟へと駆けてゆく。いまだ死者と怪物、何より人間の略奪者が跋扈する廃墟のなかで、あの親子が生き延びる可能性はどれほどあるのだろう。
生きるため、という言い訳のできない殺戮と破壊。それでも僕は、その破壊に手を染めると決めた。あのひとに会う。ただそのためだけに。
「飢えもせず同族の生命を奪う行為は、獣にとってさえ禁忌だ」冷然とシルエレィドは言う。が「しかしだ。まあ私も君と同じ立場になったら、たぶん同じことをしたと思うよ」
一転、エルフの魔術師は理解を示すようなことを言った。
軽い驚きとともにハルトは振り返る。疑問が顔に出ていたのだろう。するとシルエレィドは生徒の問いに答えるように
「亡き妻に逢えるとなれば、私もなりふり構わず何でもやるだろう……いや、娘のこともあるから迷うだろうな。あの子を残して魔道は歩めん」
〈帳の司書〉に会うために行動している。ハルトはシルエレィドにそれ以上のことは伝えていない。だというのにこのエルフは、まるで僕とエリさんのことを見てきたようなことを言う。妙なエルフだ、とハルトは思っていた。
「そうですか」
とだけ言って、ハルトは雪のちらつく空を見上げた。エリさんも今、この薄暗い空を、舞い落ちる雪を見ているのだろうか。間もなく大転移が実行され、メルネヴェの民はこの次元を去るという。その前に何としても、たとえ僅かな時間であっても、それをあのひとが望まなくとも。
「君は彼女と、〈帳の司書〉とどんな関係だったのだね?」
直球の質問が投げかけられた。が、答えるほどの義理はない。ハルトは無視して暗い空を見続けた。
「ああ、答えなくていい。これは私の中の確認でもある」シルエレィドはハルトの態度を気にした風もない。「君の使うメルネヴェの言葉一つ取ってもわかる。魔術を学んだ者なら、マヴドでもメルネヴェ語の習得はそう難しくないんだが。君の話す言葉は……」
「どこかおかしいのですか」
少し気になって、ハルトはシルエレィドを横目で見つつ、メルネヴェ語で問うた。エリさんが誤りを教えたとは思いたくない。
「それだ。おかしくはない。おかしくないのがおかしい、というべきかな」シルエレィドは少年の反応を引き出せて愉快そうだ。「まだ若干たどたどしいが、君の話すメルネヴェ語は品のある、とても綺麗な言葉遣いなのだ。今どきのメルネヴェの若者は使わない、古い言い回しもある。君に言葉を教えた彼女の意図がわかる気がするよ。君がメルネヴェの民と話す際に、侮られぬようにと願ったのではないかな。こうなってしまった世界で、そんな機会が訪れるかもわからないのに」
それでか。とハルトは納得した。人体拡張装置を体に埋め込んで間もない頃、亜邑人工島の情報を得るために、復興庁の伝手で奥多魔のエルフたちと接触した。その後、御梅市を中心に彼らの依頼をいくつか引き受けた。その際メルネヴェの言葉を使ってみたら、エルフたちになんとも曰く言い難い顔をされたのを覚えている。驚いたような気まずいような。特にシアフィリルさんなんかは、いかにも不慣れな、妙に畏まった口調で言葉を返してきた。自分のメルネヴェ語が下手なせいで、からかわれているのだとばかり思っていた。けれど、どうやらそうでもなかったらしい。
そうか、エリさんが……胸に暖かいものが灯るのを感じつつも、いや待てよ、とも思う。単に僕と話すエルフを驚かせたかっただけ、なんてことも充分考えられる。大人の女然としながら、意外と子どもっぽいところがあるのだ。あのひとは。
「あなた、そんな顔もできるのね」
年若い女の声に、ハルトは振り向く。シルエレィドの娘、フィムクゥエルがこの掩体壕のドームに登ってきたところだった。彼女の年齢は、自分と大して変わらない少女に見える。蜜色、暗めの金の髪が寒風にゆれている。切れ長の大きな目には、エメラルドのような明るい翠の瞳。そしてつんと通った鼻梁。人間のアイドルなどとは一線も二線も画した彼女の可憐さには、かつての世界ならきっと誰もが振り返る。着ているのは黒いレザーのジャケットとパンツだ。そのパンツの腰の切れ目から、狐かコーギーのようなフサフサの尻尾が伸びている。変異の徴だ。そのために亜邑人工島を出たのだと、シルエレィドは言っていた。
「助かりました。フィムクゥエル」ハルトはメルネヴェ語で礼を述べた。「貴女のお蔭で仕事が楽になりました。幾千の感謝を」
「それやめてくれない? なんだか変な感じになるの。皮肉や嫌味じゃないのはわかるんだけど」フィムクゥエルは言った。ハルトが幾度か経験した曰く言い難い表情で。「二ホン語でいいわ二ホン語で。そのほうがあなたもラクでしょ?」
「それはまあ、そうですね」ハルトはフィムクゥエルの反応が面白くて、つい遊んでしまう。「でも助かったのは本当です」
自分一人でもこの依頼は完遂できたろう。けれど、犠牲者ももっと出しただろう。
「……どうかしらね」フィムクゥエルはハルトから顔を背けた。彼女の尻尾がフワフワと揺れている。「観測霊を飛ばして観たけど、この公園にはもう誰も残ってない。みんな散り散りに逃げ去った」
ではこれでこの依頼は完了か。ハルトは復興庁からの依頼内容を思い返す。この共同体を維持している多脚戦闘車両の破壊と、人員の非武装化。あとに残った物資の扱いは一任されていた。
エルフに関する情報収集と活動資金集めのため、これまで復興庁の依頼を受けてきた。ハルトは思う。きっと復興庁にはお見通しなのだろう。僕が何をしようとしているか、そのために何を求めているのか。それを理解して復興庁、即ち〈誘彌〉は僕を利用している。より大きな目的、恐らくは"人類の復興"とやらのために。
ハルトにとっては、人類の復興など別段興味はなかった。ただエルフたちが住まう亜邑人工島へ行くためには、他に選択肢もなかった。僕を利用したいなら好きにすればいい。そう思うものの
「でも本当によかったんですか? シルエレィドさん」ハルトは改めて問うた。「僕の仕事を手伝うなんて」
娘を人質に〈帳の司書〉のいる塔の所在を詰問した人間など、エルフにしてみれば憎みこそすれ、手伝う理由などないだろう。ハルトも知りたいことを聞き出した後は、このエルフの父娘に復興庁を頼って奥多魔を目指すよう提案したのだ。なのに
「私は娘かわいさに同胞の未来を君に売ったのだ。その顛末は見届けねばなるまいよ」シルエレィドの答えは同じだった。そして彼は薄く微笑む。「まあ、計算もある。こうして復興庁に恩と顔を売っておけば、今後のこの世界での生活も、多少は融通が利くようになるだろう。フィムについてはわからんがね」
ニヤニヤと笑みを含んだ視線を父に向けられ、フィムクゥエルは目を丸くしたり眉根を寄せたり、表情をクルクル変える。
「わ、わたしは……」彼女の視線が、父とハルトを行ったり来たりする。すると突然、意を決したように毅然と言い放った。「そう! わたしがあなたといるのは復讐のため! わたしをあんな、あんな……」
フィムクゥエルの顔が羞恥に赤くなる。あの時のことか、とハルトは思い出す。漏らしてたよね確か。寒い夜だったし、別にそんなに気にしないでもと思わなくもない。五体満足で無事だったんだし。と思ってしまうのは、今の世に毒され過ぎたのか。
「とにかく! わたしがあなたに思い知らせるまで、あなたに死なれたら困るの! そういうこと!」
「と、いうことらしい」クスクスと声を立てて笑うと、シルエレィドはハルトを見た。とてもやわらかな視線で。「変異、〈播神の相〉故に亜邑を離れたこの子に、友人はもういない。よければ仲良くしてくれると嬉しい。この子と君は歳もし近いしね」
「そうなんですか?」
ハルトは思わず訊き返す。平均寿命400から500年と言われるエルフだ。外見どおりの年齢とは考え難かった。
「エルフ、メルネヴェびとは、性成熟まではマヴドより若干発育が遅いくらいなんだ。この子はこの世界の公転周期で、今年で24歳になった。成熟度合いは、人間だとおおよそ十代半ばから後半くらいかな」
そうなんだ。初めて知る知識に驚きつつ、ハルトは自分がエリの年齢を知らないことに思い至った。そんなことも知らなかったのか、僕は。エリさんは見た感じ20代くらいには見えた。会ったら訊いて……訊いていいのかな年齢。
「父さまうるさい。でもあなた、ここに限って、どうしてこんな回りくどいやり方したのよ?」フィムクゥエルはハルトに問いかける。「光線呪文やあの、次元の復元作用を使ったアレを使えば、こんな場所一瞬で消せるでしょ?」
「なるべく無傷でここ、この足下にあるものを手に入れたかったんです。光線呪文を使うと、一緒に焼いてしまう可能性がなくもなかったんで。〈落日の剣〉は言わずもがなです」ハルトは足下の枯れ芝を見た。その先にあるものに期待を向けて。この依頼を受けた時に見た備品目録のとおりなら、あるはず。「行ってみましょう」
ハルトはシルエレィドとフィムクゥエルを伴ってドームを降りると、掩体壕の入口をくぐった。厚い雲を抜けてきた弱々しい光しか入らないため、昼だというのに内部は暗い。多脚戦車が前面キャノピーもろとも、コックピットをくり抜かれて鎮座している。壁に据え付けられた棚には銃火器と弾薬ケース、砲弾が積まれている。改めて見ると、弾薬ケースは空のものが多い。一年以上、無補給でここを守備し続けたのだから無理もない。
奥へ進むと燃料入りのドラム缶が並ぶ空間に出た。外の光が届かなくなったので、暗視呪文を唱えつつ、ハルトは目当てのものを探した。ドラム缶の他は、装甲板やフレームの端材があちこちに積まれてある。ここの状況的に、既に使用済み、ということはないと思う。しかし何処を見回しても、それが入ってそうなケースやスペースが見つからない。気ばかりが焦る。あれがあるかないかで、作戦、と呼べるかも怪しい企ての成否は大きく変わってしまう。
「ちょっと待ってよ!」ハルトを追って、フィムクゥエルが小走りに駆けてきて「何をそんなに急いで……って、んきゃ!」
何かに躓いて転んだ。すると続いてガラガラと重ねて積まれた装甲板が崩れ始めた。
「ちょっと待っ……キャアアアアア!」
単音節の〈神経加速〉呪文を唱え、ハルトはスローに動くモノクロームの世界を駆ける。腰を落としたフィムクゥエルの脇に腕を入れ、更に駆ける。その時、落ちる装甲板の端が右上腕を掠めた。〈神経加速〉解除。続けて〈痛覚鈍化〉詠唱。痛覚を騙す。〈神経加速〉も〈痛覚鈍化〉も、体内の歪次元発電機の電力を少量使って、自身の神経を制御する。魔術と人体拡張技術の混成技法だ。
長く降り積もった埃が立ち昇り、いっとき、周囲の視界が閉ざされた。
「大丈夫かフィム!」
シルエレィドが慌てて駆け寄ってくる。
「ええ、なんとか」抱えたエルフ娘の代わりに答えながら、ハルトは訊いた。「立てそう?」
「ちょっ! いつまで触ってんのよ!」
「あ、ごめん」
ハルトは手を放しつつ、余所を向いて鼻血を拭った。〈神経加速〉は造技呪文の〈神経賦活〉と効果が似るためか、副作用も似通った。呪文の練度が上がって、短時間の使用なら副作用も軽くなってはきたものの、いまだゼロにはなってくれない。
「まったく油断も隙もあったもんじゃない……ほんとに」服と髪の埃を払いながら、フィムクゥエルは立ち上がった。すると先ほどまで装甲板のあった一点を見つめて。「? そこに何かあるみたい」
煙る埃が落ち着いてくると、ハルトにも見えてきた。装甲板が積まれてあった空間に、濃緑色のコンテナケースが。
足下に注意しつつ、ハルトはコンテナケースに寄って確かめた。SAFU-0074。ラベルの記述を見て、安堵で膝から崩れ落ちそうになる。あった。これで……と思うも安心するのはまだ早い。ケースを開けようとすると鍵がかかっていた。即座に解錠呪文を唱えて開ける。中身は無事だ。仕様どおりなら、燃料もこの多脚戦車のもので問題ない。
「お手柄です、フィムクゥエルさん」こみ上げてきた安堵に泣きそうになりながら、ハルトは礼を述べた。「ありがとう。これで最後の課題に取りかかれる」
「そんな、わたしはそれほど……それほどでもあるわね。感謝なさい」
開き直って得意げなフィムクゥエルの顔を見て、ハルトは随分と久しぶりに、小さくも声を立てて笑った。




