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6-1. 老兵

 もう午後も遅い時間なのだろうが、朝から暗いせいで今が何時頃なのか判然としない。最近では時間の感覚も鈍くなっていた。マキオはつい癖で腕時計を確認するも、時計の針は、あの日、死者が立ち上がった日の13:42を指したまま停まっていた。

 冷たい風に頬を刺され、マキオは薄暗い空を見上げた。ここ数日、雲は太陽を厚く遮ったまま留まり続け、動く気配がない。雲と廃墟の間に目をこらすと、小さく白いものがチラチラと風に舞っているのがわかる。雪だ。人類の大半が死に絶え、死者が大手を振って太陽の下を歩み始めてから2度目の冬が、本格的にやってきた。

 防寒コートの襟を立て、マキオは背後を振り返った。枯れた芝生で覆われたコンクリートのドームから、九八式甲種多脚戦闘車両の砲門が覗いている。52口径105mmライフル砲1門、7.62mm機銃2門を備えた、ビルの林を難なく歩き回る鋼鉄の怪物だ。

 コイツのお蔭で、俺たちは生き延びた。マキオはここに至った道程を思い返す。亜里明ありあけの物流倉庫で働いていて、あの災厄に遭った。あの日の午後、同僚たちが突如として身悶えしながら倒れていった。何事かと同僚の一人に近寄ると、その男は途端に跳ね起き、目を赤黒く染めて襲いかかってきた。咄嗟に躱してカッターで殴り返せたのは、かつて軍で受けた訓練の賜物だったろうか。

 気づけば、幾人もの元同僚たちが倒れた後に立ち上がり、こちらに向かって歩んでいた。濁った声で呻き、血に染まった赤黒い眼に憎しみを募らせて。さながら往年のゾンビ映画のように。

 マキオは駆け出し、倉庫の外でアイドリング中だった軽トラに乗り込むと、迷わずアクセルを踏んだ。そのまま倉庫街を抜け、レインボウブリッジを渡って本土を目指した。その途上で、欄干を越えて運河に飛び込んでゆくクルマ、衝突し炎上する無数のクルマに行き当たるも無視した。点けたラジオはノイズだらけ。スマホでネット番組を観るといくつかやっていたものの、すぐに出演者たちの悲鳴と奇怪な叫び声にとって代わられた。

 生存本能に衝き動かされるように、マキオはある場所を目指した。陸軍の兵士として麻霞あさか駐屯地にいた頃、頭に叩き込まれた掩体壕のある場所へ。掩体壕には武器弾薬、そして食料が備蓄されている。そして大災害等の非常時には、避難民に開放されるはずだった。

 妻子はいない。唯一の肉親だった母は闘病の末に昨年逝った。守るものとてないのに、体は勝手にかつての義務を果たそうとした。国民を守れ。かつて拠り所としたものが、軍を辞しても行動の核となって駆り立てた。守るためにには力が要る。だから……

 停まって動かないクルマ、衝突炎上するクルマを縫うように走り抜けた。足取りの覚束ない死者―ゾンビを跳ね、轢き、ゾンビの群れを引き連れて。しば公園の掩体壕―一般には防災用備蓄倉庫―が見えてきたものの、マキオのクルマはビルの横合いから現れたゾンビの群れに、行く手を阻まれた

 もうダメか。と観念しかけた時、コイツは現れた。その機銃掃射でゾンビの群れは一瞬にして挽肉に変わった。多脚戦車は6本の脚で蜘蛛のように器用にビルの合間を進みながら、生存者を脅かすゾンビを排除していった。

 やがて柴公園掩体壕周辺のゾンビが一掃され、多脚戦車のパイロットが姿を現した。

「ご無事ですか!」

 キャノピーを上げて出てきた下士官の顔は、随分と若かった。

 それがタクマ。後にこの柴公園キャンプで〈大佐〉を名乗り出す男だった。

 初めは、彼の志は高いものだったのだろう。襲い来るゾンビを掃討して安全圏を確保し、頼ってきた避難民に食料とテントを分け与え、政府と軍の救援を待つ。その間、軍経験のあるマキオは、避難民のうちで動けそうな者に銃火器の訓練を施した。マキオは苦味とともに思い出す。〈隊長〉などと呼ばれて喜んだのもその頃か。

「隊長~」

 酔いの回った声に呼ばれ、マキオはその方角を見た。

 避難テントハウスの一つから若い男が向かってくるところだった。ズボンのジッパーを上げ、ベルトのバックルを締め直しながら。

「ソウタロウか……」

 マキオは言った。男の名はソウタロウ。熱心に訓練を受け、ここの安全を維持し、戦えぬ者を守るために戦う好青年……だった。

「あ、雪じゃないっすか」ソウタロウは空を見上げ、視線をマキオに戻した。「歩哨、代わりますよ。隊長も楽しんできてくださいよ。この間の探索でけっこう女を捕まえられたんで、ちゃんと全員に回る分あるんすよ」

「俺は、いらん」

 無邪気に言う若者から目を逸らし、マキオは再び曇り空を見上げた。こうなってしまったのはいつのことだったか。この柴公園掩体壕に人々が集まり初めて3か月も経つと、食料の備蓄が尽きてきた。軍本部と通信はつながらず救援も来ず。やむなく希望者を募って探索に出ると、他の生存者集団と食料を巡って争うことになった。銃火器の充実したこちらが断然有利で、食料・資源を容易に奪い確保することができた。

 それから柴公園の避難民が、銃の暴力にものを言わせた略奪者になるまで、さしたる時間はかからなかった。ゾンビを殺すための銃は人間に向けられた。人殺しの禁忌は「相手は違う集団で違う人間」という欺瞞に塗りつぶされた。略奪に赴く男たちは、殺し殺されのストレスを捕らえた女で発散するようになった。ここで暮らす女たちも、身の安全と食料確保のためにそれを黙認するようになっていった。

 こんな状況は果たしていつまで続くのか。マキオは考える。恐らく遠くない将来、自分を含めてここの生存者は破滅する。昨年から、湾岸で勢力を拡大する〈魔王〉ことタケハヤ配下の者たちと、小競り合いが散発している。ヒグマや狼の如き異形の怪人や、超能力者、魔術士を抱えた〈魔王軍〉を相手に、何とか勝負になっているのは多脚戦車あってのことだ。しかしその多脚戦車の主砲と機銃の弾、自分たちの銃火器の弾薬も、もう当初の備蓄の10%を切っている。〈魔王軍〉の手勢を相手に戦えるのは、せいぜいあと2回。長引くなら1回でも怪しい。

 賢明な指揮官なら、撤退、逃走か降伏を選ぶのだろう。しかし現在のここの事実上の最高指揮官である〈大佐〉タクマにそんな気はさらさらないようだ。復興庁とやらを名乗るドローンの協力要請も蹴り続けている。

 タクマはもう何を言っても聞かないだろう。今も多脚戦車のコックピットに座す彼の頭は、ここを守り抜くことで凝り固まっている。「救援は必ず来る」それが彼の口癖だった。

 何か動くものがセンサーに引っかかったのか。ヴン……と小さな駆動音を立て、多脚戦車の砲塔と機銃が廃墟に向く。

 その様を見てマキオは思う。終わるのだろう、もう間もなく。余人は知らず、少なくとも守るべき国民を殺し続けた俺は。そんな予感がした。すると不意に嫌な音の耳鳴りがした。何か、自分のいるこの空間が無理やり捩じられ歪められ、軋んで悲鳴を上げるような。

 ほんの一瞬、瞬きにも満たない間、マキオの直上の空間を一条の赤い閃きが通り抜けた。目の錯覚かと思いつつも、マキオは記憶に残った赤い閃きの軌跡を視線で辿る。視線を前方から、後方にある掩体壕のドームへ向けてゆく。

 そして目の前の光景に息を呑んだ。まさか、在り得ない。これこそ目の錯覚だ。そう思い込みたいマキオに、ソウタロウが現実を突きつけた。

「隊長……」マキオと同じものを見るソウタロウの声は震えている。「コック、ピットが……」

 多脚戦車のコックピットは消えていた。機体の真正面から円筒形に、あったはずの座席とレバー類、コンソールがごっそり消え失せている。

 中にいた、この鋼鉄の怪物を操れる唯一の存在とともに。

 異変はそれだけに留まらなかった。掩体壕のドームを挟んだ反対の敷地、避難民たちのテントハウスのある方角から銃声が鳴り響く。そして混乱する守備兵たちの声が聞こえてきた。

「な、なんだよこれ!? ヒトダマ? ちくしょう! 当たらな……」

「待て! 迂闊に近づく……うわっ!」

「また〈魔王軍〉の連中か!?」

「エルフのゴーレムがどうして!?」

 敵襲。多脚戦車を破壊したのはこのためか。〈魔王軍〉の兵に対抗できる唯一の武器を失った今、敗北は必至だ。残る兵たちに指示を出し、まずは女たち子どもたちを逃がさねば。

「ソウタロウ、行くぞ!」

 マキオはライフルの安全装置を外しながら、若者に言った。が、反応がない。いつもなら即、威勢のいい「了解!」の応えがあるはずなのに。

 身を屈めて振り向くと、ソウタロウが横向きに倒れていた。アスファルトに拡がりゆく血溜まりのなかに。その喉には包丁が柄元まで刺さっていた。

 いつ?どうやって? 近づく人影などなかったはず。〈魔王軍〉の兵の魔術か超能力か? しかし……違和感を覚えながら、マキオはドームに向かって駆けた。敵が何処にいるかわからない以上、足を止めるわけにはいかない。ただのでかい置き物になった多脚戦車でも、身を隠す遮蔽の役には立つ。

 ぞわり、とうなじの毛が逆立つ。軍にいた頃の過酷な訓練と、度重なる戦闘経験の賜物か。マキオは考えるよりも早く振り向くと、ライフルを自身の前面に押し立てた。

 ギィン! 金属と金属のぶつかり合う激しい音が鳴る。その衝撃に、マキオはたたらを踏んでよろけた。何だこれは? とにかく高速で金属の物体が飛んできたことしかわからない。

 しかし来た方向はわかった。マキオはそこにライフルの銃口を向けかけて、ライフルごと手放した。同時に黒い何かが閃き抜けて、ライフルが半ばから両断される。

 あのまま撃とうとしていたら、首から上がなくなっていた。ぞっとなる間もなく、旋風つむじのように現れた人影がマキオに襲いかかった。人影、襲撃者は小柄で、男女どちらかはわからない。ヘルメットにフェイスガードの姿は、軍装ではあれ何処のものとも知れない。しかしその動きは、〈魔王軍〉の兵どもと明らかに異なる。よく訓練されたものだ。

 襲撃者の右腕から伸びる黒い刃が迫り来る。拳銃は間に合わない。マキオは左手を襲撃者の右内腕に当てて刃を反らし。同時に右逆手で抜いたファイティングナイフを人影の首へと繰り出した。

 案の定、襲撃者は体を傾けてナイフを外す。マキオはそこへ、ナイフの"引き"の軌道で追撃した。ブツっと切れる確かな手応え。やったかと思うも、襲撃者は後ろへ跳び退き距離を取った。

 そのフェイスガードが外れて、襲撃者の頬から血が垂れ落ちる。浅かったか。と思うと同時に、マキオの中には賞賛の気持ちも湧いてくる。若いのによくぞここまで。フェイスガードの外れた襲撃者の顔は、まだ幼い、せいぜい高校生がいいところの少年のものだった。

 そして直観する。ああ、おまえが俺の"運命"か。

 颶風ぐふうと化して迫り来る少年を、マキオは迎え撃った。黒い刃が前髪を掠め、小さく煙が上がる。ライフルを切断した謎の黒い刃だが、触れねばどうということはない。元よりナイフコンバットは刃に触れることなどない。(やいば)持つ手首を腕を互いに弾き、反らし、致命の刃を繰り出し合う。

 少年と戦いながら、マキオは自分の口の端が笑みに吊り上がっていることに気づいた。ああ、楽しいな。学び鍛えた殺しの技を思う存分振るうのは。こんなに楽しいのは軍の競技会以来だ。そうだ少年、ナイフは退く動きでも切る。よく覚えたな。それでいい。

 マキオが戦いに楽しみを見出す一方で、少年の顔は強張り表情一つ浮かんでいない。

 それはいかんぞ、少年よ。マキオは自身の身勝手を笑いながらナイフを操る。老兵の葬送だ。おまえももっと楽しんでくれ。でないと俺が殺してしまう。

 一瞬、少年の姿がブレて見えた。俺も老眼か。と思う間にも、マキオはファイティングナイフを少年の脇腹、ボディーアーマーの隙間を狙って繰り出した。

 が、そのナイフの切っ先に手応えはなく。

「ぐ、かぁっ」

 背を貫いた衝撃に、マキオは身を丸めて転げて血を吐いた。何が起きた? 背中から胸まで灼熱の刃が通り抜けたのはわかった。予感どおり、ここで俺は死ぬ。その前にこの手品の種くらいは知りたいもんだ。

 アスファルトに横倒しになり、血溜まりにもがく。傾いた視界で、少年が佇んでいるのが見える。確かに俺は刺したはずなのに。

 そして背後から足音が聞こえた。影が落ち、マキオが見上げるとそこにも少年がいた。

 マキオは思い出した。空気中に術者そっくりの鏡像を作り出して、デコイにする魔法がある。そんなことを耳に挟んだことがあったっけ。確か、特殊作戦群とくせんでその呪文を採用するとかしないとか……特戦、試験に挑もうと思った時に、母さんが癌に罹っちまって……ああ、クソ。そういやこの時計、軍に入隊する時に母さんが―

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