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5-5.浪愚

 炎が夜空を赤々と照らし出し、廃ビルの壁面に狂宴の影絵を映し出す。ケイコが拠点とする警察署ビルの前の駐車スペースで、略奪者たちが愉しみに耽っていた。鋼の巨人の傍らで大きく燃え上がる炎を囲んで。年端もゆかぬ少女が、白髪交じりの男に圧し掛かられて泣き叫んだ。屈強な女がボトルの酒をラッパ飲みしながら、組み敷いた青年の下半身をまさぐる。青年は少女を見つめて唸り、憎しみと絶望の涙を流した。刺青の男が夫の前で、その妻の胸を揉みしだきながら貫く。でっぷりと太った男はその様を笑いながら夫の尻を抱えて犯した。

 男が女を、女が男を、男が男を……奪った者が奪われた者からなお奪う。喰らい、求め、放ち、舐め回す。その狂喜と快楽、苦痛と絶望の声は、シルエレィドが軟禁された一室にまで届いた。

 シルエレィドは外で行われる宴の音が頭に入らぬよう、思考に集中した。これが人間マヴドか。万物の霊長などとこの世界では名乗っていたが、やっていることはサルにも劣る。獣とてもっと慎み深い。更にこの建物の中では、ケイコが悍ましい"お愉しみ"を、捕らえた見目良い男たちを使ってやっている。あのマヴドの怪女は、その愉しみにフィムクゥエルを伴うのを好んだ。

 シルエレィドは幾度もケイコを殺し、娘を解放しようと目論んだ。目論むだけで終わった。どう状況を仮想しても、呪文を完成させる前にフィムクゥエルの首を捩じ折られてしまう。ケイコは並みのマヴド、メルネヴェびとを遥かに超えた膂力と素早さを持っていた。更にその捻じれた手指の鉤爪は、耐火金庫の装甲すら貫く。ああ、神々の残滓は何たる力をあの者に与えたのか。

 今更ながら、個の戦いに長けた魔術領域を学んでこなかったことが悔やまれる。造技テクノロスの〈神経賦活〉や招嵐ハストゥーラの〈雷光疾走〉を使えれば、また状況は違っただろうに……

「おぅい、やってるかー」

 開け放たれたドアの向こうから、間延びした野太い声が聞こえてきた。声はシルエレィドの見張り、ドアの脇に控えた痩せた小柄な男にかけられたものだ。

「いいなあそっちは。オレもさっさとそっちに行きたいぜ」見張りの男が羨まし気に言う。「お、可愛い子じゃん!」

「だろう? だったら俺みたいにもっと戦場で活躍してみな」

 得意げに言う野太い男の声の下、小刻みに、掠れた女の声が漏れ聞こえた。

 若い、恐らくフィムクゥエルと同じくらいの年頃か。マヴドとメルネヴェで実年齢のズレはあろうが。シルエレィドは目を向けまいと努めたが、僅かに湧いた憐憫の情に衝かれ、見張りの男たちを見てしまった。

 即、悔やんだ。そこに何があるか、わかりきっていたはずなのに。野太い声の男の名は、確かミツノブ。元警官で屈強な体を誇っていて、今もその肉体を見せつけるように全裸だ。ミツノブは若いマヴドの娘を正面から抱えたまま、貫き腰を蠢かせていた。娘の服はもうその役目を果たしていない。彼女の片頬は打たれ脹れ、口の端には血の垂れた跡がある。

 若い娘はミツノブの蠢きに合わせて力なく揺れながら、定まらぬ視線を虚空に彷徨わせていた。その口から掠れた声が漏れ聞こえる。だれか、たすけて、おねがい。その三語だけが繰り返される。

「今は法も規則も何もない。強ければ女も飯も食い放題……っ、う、おっふぅ……」

 ミツノブは話しながら達し、小刻みに震えた。見るも悍ましい弛緩と愉悦に、呆けた顔で涎を垂らしながら。そして若い娘を抱えた腕を解いた。使い終えたタオルを放りでもするように。

 若い娘は力なく床に落ちた。股の間から白濁を滴らせて。

「反応がつまらなくなってきたな。くれてやるよタカトシ」そこでミツノブはシルエレィドに見られていることに気づいた。「お、せんせいもついでにどうだい? ずっと女日照りだろう?」

「無用だ」

 言い捨てて椅子から立ち上がると、シルエレィドは窓の外を見た。こんな光景は今日が初めてではない。ケイコの徒党に囚われてから、略奪の度に、略奪がなくとも見せつけられてきた。

 娘とこの世界に残ることに後悔はない。が、先は長くなさそうだ。シルエレィドは亜邑に残る同胞のことを思った。もう間もなく、船出がはじまる。この次元を越えて、メルネヴェの民は続くのだろう。いつか、神々の手の届かぬ理想の地に辿り着く日まで。

 そんなものがあるとすれば、だが。

 窓の外はでは相変わらずの狂宴が繰り広げられている。いっそ、あの中に混ざるべきなのかもしれない。この世界で生きると決めたのなら。そんな考えがシルエレィドの頭をよぎったその時、外に立つ鉄屑巨兵スクラップゴーレムから思念通話で警告が入った。


 警告 不明ナ熱源1 接近


 ゴーレムの観測範囲に、先の城砦勢力の生き残りでも紛れ込んだのか。シルエレィドは思念で放置を命じた。今になってたった一人を殺しても致し方ない。殺す義理もない。そう思っていると


 警告 熱源ノ温度 上昇中


 火でも炊いたか? この徒党の者に見つからねばよいのだが。生き残りらしきマヴドに対して、シルエレィドは慈悲めいた感情が湧くのを自覚した。どうやらマヴドの元で長く惨状を見過ぎたらしい。亜邑にいた頃なら、こうは思わなかったろう。

 そこで不意に、何かが軋むような嫌な音の耳鳴りを感じて彼は顔を顰めた。


 警告 熱源ノ温度 下コッ……


 唐突にゴーレムの警告通話が切れる。同時に窓の外をほんの一瞬、瞬きのタイミングによっては見逃しかねないほどの僅かな間、一条の赤い光が閃いた。

 目の錯覚か、それとも外の炎を目の端で捉えたか。シルエレィドが確認するため窓の外を見直すと

「な、なんだよこれ!」

「知らないよ! でも今のうちに早く!!」

 戸惑いの声に続いて、先と質の異なる悲鳴と逃走の声が方々から上がる。

「な……?」

 眼下の光景にシルエレィドも愕然となった。スクラップゴーレムが両脚だけになっている。その両脚は自重を支えきれず徐々に傾き始めた。それを見上げた略奪者と被略奪者たちが、下敷きになるまいと慌てて逃げ惑う。

 スクラップゴーレムの両脚から上が消失していた。呪文の効果が切れて崩れたわけではない。その体積を成していた素材も、見渡す限りどこにも存在しない。

 地響きを立て、スクラップゴーレムの両脚は倒壊した。

 何だ? 何が起こっている? シルエレィドは状況の把握に努めるも、地面で砕けたゴーレムの脚の残骸からわかることはない。

 続いて青い光が夜の廃墟から閃いた。青い閃光は駐車スペースにたむろしていた略奪者の男の一人を貫くと、その半裸の胸に穴を開けた。男は何が起きたのかわからないといった表情で、己の胸の穴を、血を流さぬ焦げた穴を見て、倒れた。

 青い閃光は一度では終わらない。果ての見えない暗黒の廃墟群から、次から次へと駐車スペースに、警察署建物の窓に射し込んだ。閃くたびに略奪者の頭を、胸を、腹を手足を消し飛ばしながら。

「ヒィッ!」

「お、おれの足がああぁぁぁあ!」

 狂宴は一瞬にして、恐慌のるつぼと化した。窓外から死角になるよう、シルエレィドは体を屈める。何だあれは? 強いて言うなら招嵐呪文の〈稲妻の槍〉に近い。しかしあの青い閃光は〈稲妻の槍〉のようなゆらぎを持たず、ただ一直線に破壊をもたらす。大気との調和を旨とする招嵐とは真逆の、より人工的な。まるでマヴドの間で開発が進んでいたという光学兵器のような。

 開け放たれたドアがシルエレィドの視界に入る。見張りの男は顔面を半分にして倒れていた。その顔の断面が炭化し煙を上げている。若い娘はうわごとを呟きながらドアの外へと這いずって行き、ミツノブは逃げ去ったのかいなかった。

 フィムクゥエルはどうなった? 愛娘はケイコの〈舞台〉のある部屋いるはず。だが向かおうにも、うかつに立ち上がれば青く閃く破壊のいい的だ。

 それでもタイミングを見計らいながら、シルエレィドは少しずつ匍匐前進でドアへと這い進んだ。ドアをくぐれば、あの閃光の射線を切れる。なんとかドアまで辿り着き、壁に身を添わせて立ち上がった。左右の廊下に人影がないことを確かめ、一気に駆け出す。ケイコの座す広間、元の大会議室へ向かって。途中、窓越しに青い閃光に穿たれたと思しき、あちこちが焦げた死体が幾つも転がっていた。

 気づけば視界をよぎる青い閃きは、いつの間にか途絶えていた。広間が近づくにつれ、ディーゼル発電機の騒音に混ざって激しい争いの音と悲鳴が聞こえてきた。次いで逃げ惑う人々の慌ただしい足音が。そして

「た、助けておくれよ。ほら、このエルフの娘をくれてやらぶぽっ」

 懇願するケイコの声を最後に、争いの音は止んだ。

 目の前に開け放たれた両開きのドアから、血と臓物の悪臭が流れてくる。ドアの手前に折り重なる死体を踏み越えて、シルエレィドは広間の中へと突入した。

「フィム! 無事か!?」

 広間の中央に、業務机を並べて派手な色の布を敷いただけの陳腐な舞台があった。その上に、照明代わりのスタンドライトに照らされた2つの人影がある。1つは全裸の元警官、ミツノブ。もう1つは小柄で、大柄な体躯のミツノブの陰になって姿がよく見えない。

 小柄な影はミツノブの背後に立ち、この元警官の後頭部を左手で掴んでいた。

「ボスをやったんだから、もう、や、やめ……」怯え切ったミツノブが、視線だけを後ろに回して乞う。「あ、ああっ、ア゛ア゛ア゛アア゛ッ――」

 元警官の言葉が聞こえているのかいないのか。小柄な人影の左手がバチバチと青白い火花を散らす。するとミツノブの頭が湯気を放ち、その眼球が煮えて溶け落ちた。屈強を誇った巨体が膝からくずおれる。

 フィムクゥエルは、舞台の手前にいた。舞台上の奇怪な劇を前に、呆然と立ち竦みながら。

 娘の顔が父シルエレィドを向き、その瞳に生気が戻る。

「父さま!」

 ああ、と打ち震えながら、シルエレィドは胸に飛び込んできた娘を抱き締めた。安堵と嬉しさに涙が溢れる。よかった。本当に。そしてひとしきり娘の無事を喜んだ後、近づいてくる人影に気づいた。

 小柄な、体格からして人間マヴドの男。その顔を覆う二ホン軍のヘルメットとゴーグル、そしてフェイスガードのせいで年齢はわからない。気になったのはそのフェイスガードだ。それはアルカ・ィム・ダウェアラ―アルカ評議会直属兵団兵士が装備する、呼吸と詠唱を阻害しない魔術士仕様の特殊なものだった。上下の服は、軍用のものか。前腕と脛に鋲と金属板プレートを打った革の装甲を、胸部にはアルカ・ィム・ダウェアラのボディ・アーマーを加工したものを装着している。彼の手を覆うグローブは指が露出していた。戦闘呪文を使う兵士はよくこういう加工を施したものを使う。呪文を使う際の印形を結びやすくするために。そして武具の類は一切手にしていなかった。

 この人物は魔術士なのだろう。しかしそのチグハグな装備からは、何処の勢力に属する誰なのか皆目見当がつかない。

 小柄な魔術士の男はシルエレィドたちの前で立ち止まると、右手に掴んでいたものを放ってきた。

 どちゃりと湿った音を鳴らして、サッカーボール大のものが足元に転がってくる。見れば、小さな黒い目を恐怖に見開いたケイコの頭だった。

「君がやったのか?」シルエレィドは目の前の魔術士に目を戻した。この状況的にそれ以外にありえない。「ありがとう。娘を助けてくれて。この子の拘束を解いてくれたのも君だな?」

 このマヴドの魔術士が何者かはわからない。しかしどれだけ感謝してもし足りない。こうして無事、娘と会わせてくれたのだから。

 マヴドの魔術士は無言のまま歩み寄ってくる。

 シルエレィドが重ねて礼を述べようとすると

「っ! 父さ……うぐっ」

 マヴドの魔術士はフィムクゥエルの首に右腕を回して、シルエレィドからもぎ離した。

「何をする!」

 シルエレィドの制止など意にも介さず、魔術士の男はフィムクゥエルの首に腕を回したまま後退する。そして

「シルエレィド・ゲーヌンドゥム・ウルファサスだな」存外に若い声で言った。「アルカ評議会の魔術師。だった」

 娘の心配もそこそこに、シルエレィドは驚いた。マヴドに名と過去を知られていることに。アルカ評議会の存在は、マヴド社会ではごくごく上層の一部にしか知られていない。それも構成員の個人名など決して知らされない。マヴドたちが知るのは極めて限定的な知識のみだ。

 それを何故この男、声からしてまだ若いマヴドが知っているのか。警戒するシルエレィドが黙っていると

「訊きたいことが、ある」

 沈黙を肯定と受け取ったのか。マヴドの魔術士は問いを続けた。

 ここまで来て、またフィムクゥエルを人質に取られるか。シルエレィドは迂闊な自身を責めた。しかし今はケイコを相手にしていた時とは違う。私は魔術師だ。若いマヴドの魔術士に後れを取るものではない。

「フィム、閃光呪文を唱える。目を閉じるんだ」

 シルエレィドは小さくメルネヴェの言葉で伝える。娘が頷き目を閉じたのを確認し、即座に単音節の呪文を唱えた。元々メルネヴェの女こどもの護身用途の側面が強い呪文だ。簡便かつ効果が大きい。

 閃光がシルエレィドの目前を起点に広間に拡がり、止んだ。光を直視すれば数秒間は視力が失われる。マヴドの軍用ゴーグル程度で防げるものではない。シルエレィドは足元の死体の脇に転がった大ぶりのナイフを拾い上げ、マヴドの魔術士に突きかかった。

 が、シルエレィドはナイフを止めた。刃の前に、無防備な娘の体を突き出されたから。

 どういうわけか、このマヴドの魔術士は閃光呪文を逃れていた。タイミングよく目を閉じたか。フィムクゥエルの体を盾にでもして、自身の両目を覆ったのか。いずれにせよ、考えられることは一つだ。

「わかるのか、メルネヴェの言葉が……」

 閃光呪文を唱えることを、事前に知っていたのなら。そうとしか考えられない。

 マヴドの魔術士はフィムクゥエルの膝裏を蹴ると、床に圧しつけ腕を捩じり、その背に置いて膝で踏みつけた。フィムクゥエルの顔が苦痛に歪む。娘の頭上で、マヴドの魔術士の左手が青白い火花を散らした。フィムクゥエルは恐怖に身を震わせる。母と同じその翠の瞳に涙が溜まってゆく。

 警告。次はない。ということか。シルエレィドはナイフを放ると、両手のひらを空けて降参の意を示した。

「訊きたいことがあります」

 マヴドの魔術士は今度はメルネヴェの言葉で言った。内緒話は通じないと言わんばかりに。そして右手でベルトポーチからスマホを出して操作し、シルエレィドに向かって床を滑らせた。

 シルエレィドは床のスマホを取り上げ、画面を見て驚きに目を丸くした。そこには亜邑人工島の地図が、ところどころ抜けはあったが、一般のマヴドには決して流布しないレベルの情報が表示されていた。マヴドの魔術士に手で促され、更にスワイプすると、人工島内塔群上階層の三次元図まで網羅せんとしている。

 こんなものをどうやって? シルエレィドの疑問の視線を気にした素振りもなく、若いマヴドの魔術士は続けた。更に驚くべき内容を。

「〈帳の司書(フェイアラ)〉がいる場所と、彼女が大転移、帳の技を執行する場所を教えなさい。貴方は知っているはずです。さもなくば……」

 何故この若いマヴドの男が、メルネヴェの民の秘中の秘を知っている? それにこの男の言葉遣いは……シルエレィドが尽きぬ疑問に翻弄されている間にも、マヴドの魔術士の左手の火花が強くなる。フィムクゥエルの蜜色の髪の端が焼けた。

 それも足りぬとばかりに、マヴドの魔術士は右手をフィムクゥエルの顔に寄せる。彼の右腕からぬらぬらと粘液のしたたる黒い刃が突き出し、フィムクゥエルの目前の床に突き刺さった。

「ひっ!」

 フィムクゥエルは失禁した。彼女の下半身から冬の夜気に湯気が昇る。

 シルエレィドに考えている時間はなかった。

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