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5-3. 痕

 エレベーターの扉が開く。ハルトが歩いて扉を出ると、椅子にかけたドワーフのでっぷりした背中が目に入った。椅子がクルリと回りこちらを向く。ボサボサの黒髪と伸び放題のひげの合間から、驚いたような呆れたような何とも言えない目が覗いた。

「そこからあの女以外が出てくるとはな」市庁舎臨時職員のエンドーは、ハルトの姿を見ると驚きに目を丸くした。しかしどこか落ち着いて見えた。まるでこの日が来ることを予期していたように。「まずは助かって何よりだ。が、こう訊かなきゃならんのだろうな。地下はどうだった?」

 いの一番に問われるだろうとは、ハルトも予想していた。何をどこまで話すかは一任されていた。ハルトが地上に上がる直前、スドオ調査官は言っていた。


「隠し続けるのも限界だ。ここで知りえたことを、外の誰にどう話そうと構わない」

「暴動が起きるかもしれませんよ?」

 ハルトが問うと

「その時はその時さ」事も無げに言って、スドオ・ミコトは微笑んだ。「そうならないよう信頼関係を築いてきたつもりではあるがね。今後どうするかは諸君が決めてくれ」


 ハルトはここに至って、面倒を押しつけられたことに気づいた。僕を使ってワンクッション置こうって魂胆だ。

 まあ、なるようになるか。そう思いなし、ハルトはエンドーに話し始めた。地下にはもう人間はいないこと、地下に逃げ込んだ人間は地上を劫焔兵器で焼き払おうとして、コンピュータに処分されたこと、今はそのコンピュータが復興事業を管理していることを。変容因子については、いま一つ確証が持てなかったため、省いた。

 ひと通りのことをハルトが話し終えると、エンドーはむっつりと押し黙った。そして何かを呑み込むように深く頷くと、存外に平静な口調で言った。

「まあ、そんなところだろう思っていた」

「あまり驚かないんですね」

「ああ、ここで一年以上働いていればな。なんとなく想像はつく」エンドーはハルトをじっと見つめた。「おまえさんもそんなところだろう? ここいらで地下行きを待ってた連中だって、きっとそうだ」

「皆さん、どうするでしょう」

 この市庁舎のすぐ外には、地下シェルターに入るために今も待ち続ける人々がいる。

「さあな」ハルトに問われ、エンドーは椅子の上でクルリと一回転した。「反乱でも起こしてあの女をどうこうしたところで、今さら何が変わるもんでなし。死んだ家族や仲間が生き返るでなし。良くも悪くもここの生活は安定しちまってる。離反者はそれほど出ないんじゃないかと思うね」

 そんなものかと思いつつ、ハルトは査定フロアを後にして市庁舎エントランスに向かった。1階ロビーを歩く間、換金や査定、仕事の受注に来た探索者たちとすれ違う。ハルトが目を向けると、皆一様に目を逸らし、パートナーや仲間とひそひそ小声で話し始める。性奴隷にしてたエルフ女に刺されて逃げられ……亜邑のエルフたちと揉め事を……地下に……そんな声が聞こえてくる。

 あれから十日ほど経過していた。その間に様々な噂が流れたらしい。そのどれもが、ハルトにはもっともらしく聞こえた。

 エントランスを出て階段を降りると、地下シェルターの開放を待つ人々の居住区に出る。農場が稼働を始めた時から、そこの住民は激減した。しかし今なお50人程度が待ち続けている。

 そんな人々に、ハルトは瞬く間に囲まれた。

「おたく、地下に運ばれたんだろ? 地下シェルターが開放されるのか?」

「地下はどうだった? 金持ちたちが暮らしてるのか?」

「病院に入れる?」

 矢継ぎ早に質問が浴びせかけられる。

 ハルトは彼ら彼女らを宥めようと落ち着いた言葉で、しかしはっきりと、地下で知りえたことを伝えた。語り終えた後の反応は二つ。

「ちくしょう! あの女、俺たちを期待させるだけさせて、地獄に突き落としやがった!」

 騙されたと憤慨する者と

「いや仕方ないよ。あの時、ああ言ってもらわなきゃ、あたしら今日まで生きようと思えなかった」

 ハルトやエンドーのように納得する者と、おおよそ半々に分かれた。

 憤慨した者の多くはあーだこーだと怒りを露わに不満を述べたてる。しかし、この錬馬市避難センターを去ろうと言い出す者はほぼ皆無だった。エンドーの言ったとおりに。

 地下シェルターについての話が、これから市の内外に広まっていくのだろう。それからどうなるかは、まだわからない。

 さて、これからどうしよう。ハルトはぶらぶらと行く宛を定めず商店街を歩く。電器店のカミウチや武具店の赤ひげドワーフ、ゴンドーの同情混じりの視線のほか、行き交う客たちの好奇の視線を受け流しながら。

 やがて商店街の外れにある古書店に行き当たる。店の奥の暗がりで、ゴブリンの店主アサマツが本から顔を上げてハルトを見た。

「今日はお連れさんはいないのかね?」

 何気ない言葉が、ハルトの胸に空いた穴を吹き抜けた。空隙は冷たく鋭い痛みで存在を主張する。あったものが、もうないことを。彼女は、エリさんはここの上客だった。買う買わないの押し問答、せがまれ困り押し切られて。他愛のないやわらかな記憶が、胸の空隙に溢れてくる。

「ええ、ちょっと前にフラれちゃいまして」冗談めかして言った。苦痛を顔に出さないことに、ハルトは全精力を注ぎこんだ。頬の、顔の筋肉を無理やり動かす。「もうたぶん、ここには来ないんじゃないかな」

「ふむ、それはよくないの。非常によくない」アサマツは言った。ハルトをじっと、日中のゴブリン特有の半眼で見ながら。「もう一度会って、ちゃんと話すんじゃ。お若いの。会ってよく話すんじゃ。メールやSNSではいかん」

「メールやSNSはもう、使えませんよ」

 苦笑しながらハルトは言った。そして思う。アサマツさん、僕のことを聞いていないのか。

「会って話すんじゃ」繰り返し、アサマツは言った。「生きているうちにな。そうしてまた買いにおいで。二人でな」

 話していると痛みが増す。ハルトは軽く会釈して古書店から去った。逃げるように。

 行く当てなく、廃墟を歩む。商店街を出ると避難センターの防衛圏外ではあるものの、掃討が繰り返された結果、一定範囲はほぼ安全な領域となっていた。

 家に、拠点に戻る気にはなれなかった。戻ればきっと、彼女の痕跡に、記憶に苛まれる。考えまいと強いて努めなければ、彼女のこと、あの時のことを思い出し、際限なく考えてしまう。どうしてエリさんは僕を刺した? 邪魔だった? 憎かった? なら何故もっと早くそう言ってくれなかった? 僕の傍を離れることなんて、いつでもできたはず。それともあの時の言葉どおり、迎えが来るまでの護衛、番犬がほしかっただけ? セックスはただのエサだった?

 からん、と石か何かが転がる音に、ハルトは反射的に近くの壁の陰に飛び込んだ。身を低くして様子を覗う。そして周囲がもうすっかり暗く、西の空が茜色に染まっているのに気づいて驚いた。どんだけ考え込んでたんだ僕は。

 全身を目と耳にして感覚を拡げる。すると20mも先の放置車両の陰に、コソコソとこちらを覗う人影を見つけた。市庁舎前でよく薬をせがんでくる、精神感応テレパシーの力を持つ女だ。先の食屍植物戦以来、彼女は売春稼業から足を洗ったとアイベさんが言っていた。名前は確か、レーカ。

「……」

 ひしゃげた車の端から、長い黒髪の端や汚れたズボンの裾が見えている。尾行や追跡に慣れていないのが丸わかりだ。

 精神感応者テレパスなら、僕に気づかれたこともわかるだろうに。ハルトがそう心の中で言っても、レーカはこちらをじっと覗っている。

「……好きにすればいいさ」

 レーカに向かって言い捨てながら、ハルトは廃マンションの柵に手をかけ乗り越えた。




 あなたにメルネヴェのことはわからない――――――――――――――――


 耳元で囁かれた言葉の終わりは記憶の中で滲み、靄がかかったようによくわからない。あの時はもう痛みで頭がぐちゃぐちゃで。見たもの聞いたことが、本当にあったことかどうさえ今は判然としない。目覚め際の夢とも妄想ともつかない世界で、ハルトは繰り返し同じ声を聞いた。小さく掠れた、彼女の声を。

 鬱陶しくなって目を開ける。窓から射し込む陽射しが強い。昼の前くらいか。ハルトは重い身体を無理やり起こし、ベッドに腰かけた。今が何時で、何月何日か。まったくもって興味が湧かない。ただ腹だけは減るので、ベッド脇のテーブルに手を伸ばした。腹が減ること自体より、そのせいで軋むように胃が痛くなるのが不快だった。

 不快を打ち消すために栄養バーを手に取ろうとするも、ない。破れた包み紙がクシャクシャになって転がっているだけ。

 仕方ないので、ペットボトルの水を飲んで紛らわせる。ぬるい水が胃に浸みる痛みに、ハルトは顔を顰めた。

 ざっと周囲を眺め渡す。ここはワンルームマンションだった廃墟の一室。ここで暮らしはじめてもう何日経ったろう。ハルトは今になってようやく、ここが学生、恐らく男子学生の部屋だったことに気づいた。目の前の勉強机には数冊の参考書と、ノートPCが乱雑に載っている。

 ハルトは〈審判の日〉の前のこと、自分がただの学生、高校生だった頃のことを思い出した。しかし高校入学後数日で〈審判の日〉の厄災が起きたせいで、高校生活の記憶はほぼない。頭に浮かぶのはその直前の記憶、受験のことだ。魔術士を目指して公立の魔法高等専門学校を、その全学費免除の推薦枠を狙った。学業成績、内申点ともにクリアし面接試験を受けた。さあ合格かと喜んだところで職員室に呼び出された。そこで担任教師から告げられたのは


 今年度からうちの学校からの推薦枠が減らされててね、そのことに気づかず申請してしまったんだ。君の成績は充分だったんだが……


 枠は他の教員担当クラスの生徒たちに回された。平謝りに謝られたものの、枠がこちらに来なかった理由の説明はなかった。

 一気にやる気をなくしたものの、中卒無職になるわけにもいかず、適当な公立高校の普通科を選んで受験し合格した。普通科を選んだのは、やりたいことが特に何もなかったから。

 魔法を学びたいと思ったのは、治療魔法の研究が進めば、自身の鬱陶しい喘息を治せるのではないかと期待したから。そして警察特殊急襲部隊《SAT》の活動ドキュメンタリーを観たからだ。テロリストが山荘に人質と立てこもった事件があった。解決のためにSAT隊員が転移呪文で山荘内に突入、ショットガンやライフルの銃撃をものともせずに制圧し、人質を無事保護してのけた。至極単純に、不思議な力を操る魔術士の颯爽たる活躍に憧れた。魔法の力があれば何でもできると思った。現実の魔法はそうでもなかったのだけれど。

 以来、魔術士となって魔法の力を役立てる仕事に就きたい、その一心で勉強を続けた。推薦が取り消されても、そう簡単に心と頭を切り替えることはできなかった。

 いつもこんなだな、とハルトは思う。上手くいっている時に限って、理不尽な目に遭って失う。

「まあ別に物事が上手くいってなくても、理不尽な目には遭うか」

 〈審判の日〉には、きっと上手くいっている人もそうでない人も、等しく大勢死んだ。

 ハルトは重い腰を上げた。市庁舎に栄養バーをもらいに行かなきゃならない。玄関に向かってドアを開けると

「…………」

 目の前にあの少女が佇んでいた。相変わらずの、クルクルと模様パターンの変わるドレスを着て。

 近頃は完全に目が覚めていても見えるようになっていた。目をこすっても瞬きしても消えてくれない。神経賦活呪文の使い過ぎで、とうとう脳がダメになり始めたかと思う。

 少女は眉根を寄せて困った風にハルトを見上げた。エリとよく似た目で。このところずっとそうだった。話かけても返事はない。ただ見つめてくるだけ。

 ハルトは少女を無視してドアを通り抜ける。振り返って見ると、彼女の姿はない。またどこかのタイミングで現れるのだろう。このところずっとそうだった。彼女は何なのだろうと思う。僕の未練が生んだ幻覚か。なら名前でも付けてみよう。紗枝とエリから取って、サエリ、とか。安直だなと自分でも思う。

 すると道を行くハルトの前に、少女はまた現れた。

 少女は「それでいい」とでも言うように頷くと、消えた。

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