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5-1. 巨兵繰りの魔術師

 魔術師が印形を結び呪文を唱えると、硬い石の防壁が崩れ落ち、砂塵となって冷たく乾いた冬の風に舞った。鋼の巨人が地響きを立てて歩み、穏健なマヴド勢力の城砦に迫る。巨人に続くのは肉食獣の群れのごときマヴドたち。連中は廃材でできた棍棒に槍、斧にピストルを手に歓声を上げてバイクを駆って進撃する。

 また、性懲りもなく略奪か。メルネヴェびとの魔術師シルエレィドは溜息をついた。高台の上から苦々しい思いで人間マヴドたちの争闘を眺めながら。もう何度目になるのか、このような形で魔術の技を振るうのは。都市開発のために学び磨いた技が、今は血塗られた欲望を満たすためだけに使われている。

「ヒャッハー! 女は殺すな! お楽しみが減っちまうぞ!」

「男もイケメンは残しておけよ! ボスの命令だ!」

 今まさに攻め込まれているマヴドたちの生活拠点は、強固な城砦と呼んで差支えないものだった。廃校舎を改修したそれは、外周を呼地(クト―ニア)呪文の石壁で囲い外敵の侵入を拒んでいた。活死者はおろか盗賊とて、少々の銃器程度では攻め落とせなかったろう。

 しかし今、城砦は防壁を失い丸裸となった。遮るもののなくなった廃校舎は、略奪者の雄たけびと下卑た笑い声、銃声、そして略奪者に抗う生存者たちの怒号と苦悶で埋め尽くされている。石壁から鑑みて、城砦校舎の側にも魔術士はいたのだろう。しかしいくさ向きの呪文は学んでいなかったのか。シルエレィドが廃車と重機のスクラップで造った泥人形ゴーレムを前に為す術もない。

 クレーンのアームでできたゴーレムの左腕が、廃校舎の窓を薙ぎ払う。窓辺で弓とライフルを構えた男たちが、窓枠ごと潰されていった。

 いつまでだ。いつまでこんなことが続く? 自身を見舞った理不尽に思いを馳せ、シルエレィドは自嘲した。ああ、私だ。私が悪いのだ。私さえ、油断せずにいたなら……

「浮かない顔だねぇ、せんせい」シルエレィドの頭上から、媚びたような女の声がかかった。「もっと楽しみなよ。せんせいの魔法でずいぶん仕事がラクになったんだ」

 シルエレィドは声の主を見上げた。マヴドの中では秀麗な―メルネヴェの男に比べれば凡庸な―全裸の男奴隷たちの担ぐ輿の上から、獣面の女がこちらを見下ろし嗤っている。女の体は大きく、肩幅広く骨張っていた。しかし半裸のその体には、一切の体毛がない。女の顔は大きな前歯と牙に唇がめくれ、鼻が突き出て目は黒く小さい。獅子と鼠を混ぜ合わせたような奇怪な顔面だった。

 変異、〈播神の相〉が強く出た顔だ。シルエレィドは思う。初めて目の当たりにした時は憐みさえ覚えた。しかし容貌を越えたその凶暴さと陰惨さを目の当たりにして、憐みなどは秒ともたず消え去った。

「メ……エルフに同胞を嬲り殺して愉しむ精神性などない」

「それはご立派。でもあんた、言ってたよねぇ」

 獣面の女、ケイコは耳元まである口の端を吊り上げると、大型犬用のチェーンリードを引っ張った。

 シルエレィドの顔が苦渋に歪む。チェーンリードの先の首輪は、輿の上にいるケイコの左脇に控えた少女、シルエレィドの娘、フィムクゥエルの白くたおやかな頸部に嵌っていた。

「……ゥ!」

 フィムクゥエルの目が苦悶に大きく見開かれる。が、唸るだけで言葉は出ない。マヴドの司法機関が持つ、魔法犯罪者用の詠唱封じ、発声を抑える馬銜はみのごとき器具が顎に付けられていた。

 ケイコはフィムクゥエルの首に、厚く筋肉の盛り上がった左腕を回した。

「この綺麗な娘に変異の兆しが出たから、亜邑あむらを出たって。エルフたって、同胞にひどい仕打ちをするじゃあないか」

 シルエレィドには返す言葉がなかった。娘を人質に取られ、求められるままに事情を話したことを悔やんだ。

 あの日、播神はメルネヴェびとの多くが暮らす亜邑人工島にも風雨を通して入り込んだ。太古に同じ災禍を生き延びたため、今のメルネヴェびとは播神に抵抗力を持つ。それでも3割程度が即、死んだ。錯乱・狂暴化し同胞を襲う者がいた。変異を、相を示す者はごく僅かだった。

 しかしその僅かのうちに、どういうわけか愛娘が入ってしまった。〈播神の相〉を示した者は、大転移についてゆくことを許されない。亡き妻の残した娘一人を、この活死者と生き残ったマヴドの荒れ狂う世界にどうして残しておけようか。

 娘と二人、シルエレィドは亜邑を出て奥多魔を目指した。あそこには、この世界に留まるメルネヴェの一派〈ともし火の掲げ手〉がいる。かつて道を違えたが、気の置けない友人がそこにいる。この世界で生きるべく、彼を頼るつもりだった。マヴドの廃墟のなか、慣れぬ野営で娘と交代で睡眠を取っていて。ちょうど娘の番の時に、ケイコの率いる略奪者の徒党に襲撃された。シルエレィド自身は卓越した魔術師であり、マヴドの夜盗などどうとでもできた。自分一人だけなら。

「あたしは綺麗なものが好きさ」

 ケイコはフィムクゥエルに着せた黒いワンピースの裾から手を差し入れ、頬に舌を這わせる。フィムクゥエルは目を閉じ、顔が苦痛で歪むのを堪えた。

 シルエレィドは顔を背けたくなる気持ちを抑えた。父親として、自身の為したことの結果として、直視せねばならない。情けない父親だが。

「でも綺麗なものが汚され、身も世もなく泣き喚くのを見るのも大好きさ。この娘が男どもに股を割られて、泣き叫んで助けを求めて、その力も失くして、上から下からたんまり精液ザーメン飲まされて腹いっぱいにされるのを想像すると、それだけイっちまいそうになる」ケイコはにんまりと笑みを浮かべた。吊り上がった口の端から今にも涎が垂れ落ちそうだ。「でもせんせいがあたしらに魔法の力を貸してくれる限り、この娘は犯しも殺しもしない。わかってるね?」

 シルエレィドは黙したまま頷いた。娘が囚われている以上、自分に為す術はない。助けなどもう期待できない。このまま野卑なマヴドの女に使い潰されるだけの運命か。その運命の先を暗示するように、廃校舎の方角から悲鳴と絶叫が響いてきた。

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