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4-6. 雨

 沈みかけた日の光に、拓けた土地が黒々と映える。カムヅミカズラ播種群との戦いからおおよそひと月が経ち、瓦礫の荒野は整地され、今は一面の畑となっていた。土は耕され、獣やゾンビに入りこまれないよう有刺鉄線の柵で囲まれている。一部ではもうジャガイモやキャベツの作付けが始まっていた。

 夕闇に包まれてゆく農場の一画、資材置き場の小屋の前にぽつんと明かりが灯る。

 なんだろう? 物見櫓で警戒に当たっていたハルトは、双眼鏡を明かりに向けた。明かりは徐々に、赤く黄色く大きくなる。焚火だ。やがて、日中の作業を終えた生存者たちが焚火の周りに集い始めた。男も女も老いも若きも、輪になって談笑し、うち一人の青年がギターを持ち出し奏で始めた。

 ギターの音は小さくも物見櫓まで届いた。それはいつかどこかで聞いた曲。かつてはコンビニで、ネット配信で、どこでも聞けたポップソング。

 死者と怪物が跋扈し、殺し合いが日常となって世界で、ようやく始まった文明人らしい営み。その光景は胸に迫る何かがあった。

 ハルトはこの光景を見られただけでも、今回の農場警備任務を引き受けてよかったと思う。

「たいしたものね」感心を顕わにエリが言った。ハルトの隣で柵の縁に頬杖をつきながら。「この短期間にここまで作ってしまうなんて。魔法もたいして使わずに」

「なんだかんだカツヤさんの呼地クトーニア呪文の力も大きいですよ」

 ハルトは双眼鏡を下ろして言った。ナガセ一家のカツヤは、土木魔術士の資格持ちだった。彼の呪文の力で残ったアスファルトを砕き、この物見櫓を含めた要所の建物の基礎を作ることができた。重機と人力だけでは、この短期間でここまではできない。

「エルフなら、呼地クトーニア森羅ペルヒトの魔術士を何人も動員してやる仕事よ。重労働用のゴーレムも用意してね」そこで一旦言葉を切ると、エリは遠くを見るように目を細めた。「もっと昔、メルネヴェの王国が滅ぶ前なら『昔々、大昔、王様は友たる神秘の馬に頼んで、地平に拡がる荒野の開墾を一晩で済ませてしまいました』なんてお話も伝わってる。〈王さまと七ひきのげんじゅう〉って絵本のおとぎ話のうちの一つ。メルネヴェの古譚を元にしたらしいんだけど、発行部数が少ない上に筆者も定かじゃないの。だから史実かどうかはかなり怪しいんだけど、本当だとしたら夢のあるお話ね」

 今日最後の陽射しが、エリの横顔を照らす。夕闇の向こう、はるかな先を見晴るかす彼女の美しさに、ハルトは言葉を失った。刻が退き、彼女の種族の歩んだ悠久の歴史が、人間には計り知れない神秘が女神の姿で現出したような。

「あら、どうしたのハルト?」神秘の美貌が、笑みを含んで少年を見つめる。「変な顔をして。確か『鳩が鉄砲を食らったような』って表現でいいのかしらね」

 エリの顔が、いつもの親しみのあるものに戻る。そこでハルトは大きく息をついた。あの横顔を見た瞬間から、呼吸まで止めていたらしい。

「あの……」数瞬躊躇するも、ハルトは言った。「ちょっと思ったんです。エリさんは、僕が触れていいひとだったのかなって」

 先ほどの光景は、あまりに地上の造形物とはかけ離れていて。

 するとエリはハルトの右手を取り、自身の左頬に押しつけた。

「もう何度もこうして触れたでしょう?」ハルトの手のひらの感触に集中するように、エリは目を閉じる。「わたしはここにいる。ここにしかわたしはいないの」

 ハルトが謎めいた言葉に戸惑っていると、彼女の両腕が首に回り唇を奪われた。大胆な行為と裏腹に、彼女の舌は躊躇いがちにドアをノックするようで。ハルトはすぐさま迎え入れ、エリと触れ合う。すると待ちかねたように舌を捕らえられた。

 ひとしきり味わい合って、抱き締め合って、離れる。互いの額をつけて、見つめ合いながら。

「わかった?」

 問いかけるエリの笑顔は少し怖い。

「わかりました」

 わからされた。否応なく。

「よろしい」何かに納得するように頷くと、エリは言った。怖い笑顔のまま。「夕べもあんなにわたしを鳴かせておいて、触れていいも悪いもないじゃない」

「それはまあ、そうなんですけど」

 それを言われるとハルトは返す言葉もなく。物見櫓で二人、そんなやり取りをしていると

「おぅい二人とも! 交代の時間だ!」

 櫓の梯子の下から呼びかけられる。ハルトが見下ろすと、鉄筋槍を担いだ男女二人の探索者がこちらを見上げていた。腕時計を見ると、そろそろ19:00。巡回に移る時刻だ。

「今行きます!」

 櫓上から声をかけ、ハルトは梯子を降りる。エリも続くと、ハルトが地上に着く前に梯子から跳んで着地した。

 男女の探索者が梯子を昇ってゆく。後になった女の探索者は梯子に手をかけると、振り返って

「お熱いのもほどほどにね」

 ニヤリと笑みを残して昇っていった。

 見られていたのか。恥ずかしい。ハルトが若干の非難を込めてエリを見ると

「ハルトが悪い」エリに睨まれた。「あなたがあんなことを言い出すからよ」

 どうもそういうことらしい。ハルトは思う。トアの館の時といい、エリさんにはこういうところがある。負けず嫌いというのか。

 二人並んで、巡回コースを歩き出す。農場を囲む廃墟の一区画を確認。変わったモノを見聞きしたら報告。敵性体に遭遇した場合、排除可能であればそれを実行。困難な場合は、早急に農場事務所の通信機から市庁舎へ連絡。農場警備任務はそんな段取りになっている。

 住む者なき家々の間を、二人分の足音だけが響く。心地よい風が頬を撫ぜてゆく。夏の暑さが過ぎ、これから秋がやってくる。世界を死者が満たしてから迎える2度目の秋が。

 ハルトは去年の秋のことを振り返る。避難センターで栄養バーをもらえるとはいえ、あんなものだけ食べ続けていたら精神が参ってしまう。あの頃は、味と歯ごたえのある食料を集めるのに必死になって駆け回った。

 それもこの農場の存在で解消される、のだと思いたい。肉類は野生化した豚や山から下りてきた鹿でなんとかなっても、野菜や果実はそうはいかない。そこでハルトは昨日、避難センターを訪れた時、スドオ調査官からされた話を思い出した。

「そういえばあのカムヅミカズラの苗木、無事根付いたそうです」

 ハルトが〈氷華の庭園〉で破壊した黒いカムヅミカズラが守っていた、蔦と枝の塊。蔦と枝で編まれた繭の中で〈女王の若木〉は生きていた。

 それをアツロウが取り出し、スドオ調査官の依頼で砦北公園に植えた。それからひと月、徐々にカムヅミカズラの林が形成され始めている。

「調理法を研究中ってことで、ちょっと試食してきました」

「どんな味?」

「ゆでただけの状態だと、食感はブロッコリーの茎をやわらかくした感じですね。味はまあ、調味料次第というか」

「なんか見たままって感じね」そこでエリは眉根を寄せて「わたしは……ちょっと遠慮するわ」

 まあそうだよね。とハルトは思う。夫を喰われ、自分も散々な目に遭ってるのだから無理もない。

 他愛ない話をしていると、ふと湿った匂いがハルトの鼻を衝いた。見上げた空に星はなく、月は雲の向こうにうっすらとある。

「雨になるかもしれませんね」

 風が強まり、空をゆく雲が勢いを増して厚くなってゆく。

「今日はこの巡回で終わりだし、寄り道せずに帰って映画でも観ましょ」エリが小走りに前に出て、身を翻してハルトを向いた。「今夜は思いっきりロマンチックなやつがいいわ」

 ハルトはこれまでの探索で溜めたDVDとBlu-rayディスク、動画ファイルのリストを思い浮かべる。そういえば、この前見つけた誰かのコレクション、まだ確認し終えてなかったな。『ローマの休日』のパッケージ見かけたから、期待できるかも。

「それじゃあ……」

 ハルトが言いかけたその時、こちらを向いたエリの表情が変わった。弾けるような笑顔から、急転、感情の兆しの一切がかき消える。その不思議な色の瞳はハルトを見ず、彼の背後を見据えていた。

 敵? と考えるには何かがおかしい。敵を前にしたなら、彼女は警告を発するなり攻撃なりの行動を開始する。エリの視線の先を確かめるべく、ハルトは振り返った。何かおかしい。嫌な予感に〈魔力の鎧〉の呪文を唱える。

 廃墟の陰から、人影が一つ進み出てきた。暗視呪文の効果のもと、背の高い男に見える。人影はゆっくりと、しかしゾンビと異なる確固たる足取りで歩んでくる。やがてはっきりしてきたその姿に、ハルトは驚き息を呑んだ。

 男は、魔力の鎧を纏っていた。ハルトのものに近いが、屈強な体躯に合った、より洗練された形状のそれを。兜には面頬がありその顔は見えない。

 鎧の男は両手持ちの大剣をゆったりと上げる。そしてその切っ先をハルトに向けると、猛然と突進してきた。

「エリさん下がって!」

 言い終えるや否や、ハルトは〈魔力の剣〉を唱えた。造成された剣が右手に顕れると同時に、打ち込まれた大剣を受け止める。その重さに崩されそうになり、反射的に左手も柄に添えた。

 斜めに踏み込み受け流しながら、刃を返して男に打ち込む。それを更に受け流され、打ち込まれる刃を躱し切れずにまた受け止める。

 強い。一瞬にしてわかる技量の差に感嘆もする。そして気づく。この技術は、僕と、エリさんと同じ……!

 続けざまの打ち込みを、突きを、ハルトは受けることしかできない。この男が何なのか、考える暇は欠片もない。明らかに格上の敵。しかしここで討たれるわけにはいかない。背後にはエリさんがいる。そしてきっとエリさんは何かの行動を起こしているはず。

 しかしそんな期待と裏腹に、背後にいるはずのエリからはなんの声も物音もなかった。

 彼女に何が起きてるのか。様子がおかしかったから、急に体調を崩したのかも。なら……この敵は呪文を唱える隙を与えてくれない。ハルトは首の左に打ち込まれた大剣を剣で受け止めると、男の篭手に覆われた手を左手で掴んだ。同時に右手からはみ出た自身の剣の柄を、男の大剣の刃に引っかけ、引き剥がそうとした。エリから学んだ剣奪取の技術だ。しかし

「!?」

 引っかけた感触が消失した。男の大剣が突如として短剣サイズに縮んでいた。

 男は短剣を左手に持ち替え、ハルトの首を、兜の隙間を狙う。

 ごく近距離の、目で捉えられない一撃。それを躱せたのは、これまで死者や異形の怪物たちと戦い続けた経験あってのものか。ハルトは反射的に膝の力を抜いて自ら崩れると、転がって距離を取って立ち上がる。

 目の前の男は悠然と立っている。ついさっき短剣と化していた大剣を手に。大剣はぐにゃりと歪み、今度は重く硬い鎚鉾メイスに変じる。

 何なんだあの武器は。造技テクノロスの魔術ではあるのだろう。けれどハルトはあのような武器を造る呪文を聞いたことも読んだこともなかった。

 男が鎚鉾を自身の肩に置く。無駄のないその動きは、むしろゆっくりに見える。多彩な武器に精通した、技量も上の敵。かくなる上は、トアにもらった〈夢幻の鎚〉を……ハルトは恐れを押し殺し、剣を構える。チャンスは一度。なんとか鎚鉾を受け止めて。

 背骨まで砕かれそうな一撃を、剣で受け止める。鎚鉾と剣。僅かに生まれた拮抗の中、ハルトは左手をポーチに滑らせて

 頭に猛烈な衝撃を受けて吹き飛ばされた。アスファルトに体を打ちつけながら転がり、民家の塀にぶつかって止まる。ドクンドクンと鼓動に合わせて激痛が頭を襲う。何が起きた? 鎚鉾を受け止めた剣が突然消えたような。その認識を裏付けるように、自身の魔力の鎧も消えていた。

 あまりの痛みに起き上がれない。消えそうになる意識が痛みに連れ戻される。途切れ途切れのハルトの意識に、交わされる言葉が聞こえてきた。二ホン語ではない。それはエリから学んだエルフの、メルネヴェの言葉だ。

 一方は、戦っていた場所から離れた位置から聞こえてきた。

「お戯れが過ぎますぞ。〈帳の司書(フェイアラ)〉」

 男の声がゆっくり近づいてくる。声の質は若く、語調は優美。なのにハルトには、ずっと堆積した地層の底から響く声のように聞こえた。

「……暇つぶしに芸を仕込んでみたのよ。大したものでしょう?」愉快そうなエリの言葉が続く。「迎えが遅いから、私、自ら番犬を育てねばならなかった。恥を知りなさいリーヴェロン。アルクトゥス師に反呪文など使わせて」

「師よ、反呪文の必要などなかった」

 非難を込めたもの言いは男のもの。恐らく、あの変幻する剣の使い手だ。

「そなた、活死者の相手に飽いて、遊んでおったであろう?」

 男、リーヴェロンに向けた言葉は、最初の地の底からのもの。確か、エリさんはアルクトゥスとか呼んだ。

「我らにマヴドの子ザルをいたぶっている暇などない。〈帳の司書〉が見つかった以上、早急に生き残った同胞たちを集めねばならん」

 頭上の会話の主たちは皆、エルフだ。現れた二人は、エリさんの知り合い以上の間柄で。彼らは何を言っている? 何しにここに現れた? クソ、痛くてものが考えられない。ハルトは苦痛の呻き声を出さずにいることだけで、全精神力を使い果たしていた。

「さ、参りましょう〈導きの司書(ル・フェイアラ)〉エリィルラル。我らの旅に導きを」

 地の底の言葉は希望に満ちていた。

 しかしその言葉は、ハルトを絶望に突き落とす。あいつは今なんて言った? 次元の穴を塞いだあの日、エリさんは自分を〈帳の司書〉だと言った。自身の刻と引き換えに、民を新たな次元に導く。

「……ちょっと待って」

 エリの声に、ハルトは意識を今に引き戻される。言いたいことが、訊きたいことが胸に溢れかえる。しかし動くのは目だけ。手足は鉛のように重く動かせない。

 エリに上体を抱き起される。彼女の汗と混ざったほんのり甘い匂いに、ハルトの体は勝手に安堵し弛緩する。そんな場合じゃない、動かなきゃ。動け。ハルトの意識は己の肉体に叱咤するも、痛みと衝撃に破壊された筋肉はピクリとも動かない。

「エ……ざ……」

 ようやく発せられた言葉は、もう言葉の体を成しておらず。

 エリはやさしい手つきでハルトを抱えると、顔を彼の首筋に埋め、その耳に口を寄せて

「あなたにメルネヴェのことはわからない、――――――――――――――――」

 小さく、こちらにしか聞こえない掠れた声で言った。

 頭が朦朧として聞き取りづらい。エリさん、何を? 問いかえすため、ハルトは喉に全勢力をつぎ込む。が、腹部を襲った灼熱に意識を刈り飛ばされた。更なる激痛に言葉は形になる前に砕け散り、体を丸めて蹲る。何も考えられない。熱が失せ、急速に体が冷えてゆく。まともに息ができない。

 喘ぎ、見開いたハルトの目に、エルフたちのもとへ向かうエリの後ろ姿が映る。それを見ても、ハルトはうまく認識できない。ただ眼球に光景が流れてゆくだけ。エリの右手から血濡れの銃剣が落ち、アスファルトの上を転がった。

 雨粒がひとつ、ハルトの頬を伝う。それが血溜まりに落ちて弾けた時には、少年はもう動かなくなっていた。

 そしてひとしずく、握りこまれた女の右手から血が垂れ落ちて、雨に呑まれて消えていった。


ここで第1クール終了。まだまだ続きます。

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