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4-4. 夜に向かって

 停めたクルマの傍らで、ハルトは双眼鏡を覗き込んだ。カムヅミカズラはまだ見えてこない。家屋と集合住宅の間を覚束ない足取りで歩く、ゾンビが2、3見つかる程度だ。

 振り返れば、農場予定地の南西を走る道路に沿って、バリケードが築かれているのが見える。重機で廃車を積み上げて作ったものだ。作戦の発令から実行まで3日もなかったのにすごいな、と思う。同じバリケードが農場予定地の北西にも築かれていた。バリケードには、ほぼ等間隔でクルマ1台が通れる程度の狭間が設けられ、そこをライフルを携えた生存者たちが出入りしている。

 予定ではあと15分も経たないうちに、ここにカムヅミカズラの群れが追い立てられてくる。それを全滅しない程度に迎え撃つのがハルトたちの仕事だった。

「でもよかったんですか?」ハルトはクルマのルーフに立つエリを見上げた。「気乗りしないなら、バリケードで射撃支援に回ってくれても……」

 大人の女性に余計な気遣いだと思わなくもなかったけれど、ハルトは言わずにおれなかった。彼女は夫をカムヅミカズラの襲撃で亡くしている。その原因となったものに直面することは、結構な心の負担になるのではと思う。親しい存在の死は、それが悲惨なものであるほど強く心に残り続け、時に苛む。そのことを知っているから。

「心配いらないわ」エリは青から金に変わる不思議な色の瞳をハルトに向けて「気遣ってくれるのは嬉しいけど。カムヅミカズラについて思うところはないの。野生動物、植物だけど……には悪意も邪心もない。思い煩う意味なんてないもの」

 事も無げに言う彼女の笑みは、やはりどこか硬く見えた。

 ハルトは目をバリケードに戻す。バリケード周辺にいるのは、比較的実力の低い探索者たちと、志願して講習を受け、銃器の扱いを覚えたばかりの生存者たちだった。彼ら彼女らの銃弾でカムヅミカズラの侵攻を押し留め、ハルトたち近距離での荒事に慣れたベテラン勢がカムヅミカズラの足留めをする。一歩間違えば背中から撃たれそうで不安になる。それを指摘すると「ちゃんとコントロールするから大丈夫」とスドオ調査官は請け負ってくれた。それでもやはり不安なものは不安だ。

 ハルトらのような足留め班は他に11作られ、6班ずつ交代で事に当たることになっていた。

 ハルトは農場予定地となる一画を眺めた。並ぶのは主に一般の家屋にアパート。街の中心部からは離れているので、比較的に建物間の距離は空いている。鉄筋コンクリートの建造物はまばらで、あっても3階建てまで。自治体の高さ制限で巨大な高層建築物はない。本来ならば、重機で解体、撤去の予定だったこれらが、果たしてカムヅミカズラの力でどこまで破壊できるか。50%も破壊できれば、時間と燃料(バイオディーゼル)を大幅に節約できる。スドオ調査官はそんなことを言っていたけれど。

 思案するハルトの肩を叩くように、車内に置いた無線機がジーガガとノイズを吐き出す。続いて途切れ途切れにスドオ調査官の言葉を吐き出した。


 ――カムヅミカズラ群が農場建設予定区画に接近。総員行動開始。子、丑、寅班は北西防衛ラインより、辰、巳、午班は南西防衛ラインより区画内に侵入しカムヅミカズラを足留めせよ。繰り返す――


 遠く、銃声が聞こえてくる。北西ラインでは既にカムヅミカズラを捕捉し、戦闘が始まったらしい。

「さて、わたしたちも行きましょうか」

 エリは颯爽とルーフを降り、クルマの助手席に乗り込むと軍装の上にボディアーマーを装着した。

 ハルトも運転席に乗り込むと、呪文を唱えて自身とエリの体を〈冷気の衣〉で覆った。暑さが引いたのを確認してガスマスクを装着する。攻撃的になったカムヅミカズラは花粉を撒き散らす。その花粉を吸い込むと呼吸困難に陥るため、カムヅミカズラを近距離で相手取るにはガスマスクの装着が必須だった。

「あら涼しい」言いながらエリもガスマスクを装着する。彼女の声がくぐもった。「助かるわ。でもわたしにまで呪文を使って、魔力は大丈夫?」

「これ、大量に支給されたから大丈夫です」ハルトはポケットから樹脂製の小瓶を出して見せた。「軍用の魔力回復剤。駐屯地に大量にあったそうです。魔術士は少ないから在庫を気にせず使えって。ついでに前線の他班のフォローも頼まれました」

「いいように使ってくれるわね」

 溜息まじりにエリが言う。エネルギーライフルにバッテリーパックを叩き込みながら。

「ま、その分もらうものはもらいますし」

 ハルトも研究所で確保したエネルギーSMG(サブマシンガン)のバッテリーをチェックした。長丁場になるため、予備武装として持ってきたものだ。エリの分と合わせて、予備のバッテリーパックもクルマに積んできた。

 そして聞こえてきたのは、アスファルトの上を何ががズルズルと引きずられるような音。徐々に近づいてくる音に目を遣れば、丸太のような太さの茶褐色の根で這う、巨大な蔦植物が曲がり角を越えてきたところだった。

「辰班、カムヅミカズラと遭遇。足留めを開始する」

 ダッシュボード上の無線機に向かって大声で言いながら、ハルトはクルマを後退させて目前のカムヅミカズラから距離を取った。ミラーを確認。周囲に敵影なし。目前のカムヅミカズラは自在に動く蔦でゾンビを巻き取り、引き裂いている。

「あそこの家に引きこみましょう」エリが銃口で左方を指し示した。「あそこを起点に誘導できれば、あの通り沿いの家並みを続けて壊せるかも」

「それでいきましょう」

 ハルトはクルマを停め、エネルギーSMGを手に降りた。そのままカムヅミカズラに向かって光弾をばら撒く。

 カムヅミカズラがゾンビを裂くのを止め、長い蔦の先をハルトのほうに向けた。その先をしばし思案するようにゆったり振ると、茶褐色の太い根を触手のように這わせ猛然と突進してくる。同時にアスファルトに穴が開き、ハルトに向かって根が飛び出す。

「こっちだ!」

 ハルトは跳び退いて根をかわすと、目標の家に向かって駆けた。彼をカムヅミカズラが追い、エリが更にその後を追う。

 人対植物の乱戦が始まった。




 銃声と怒号が渦巻く廃墟のなか、エリィルラルは二階建て家屋の屋根から屋根へと駆け抜ける。後ろからの轟音に振り返ると、太い緑の蔦が、後にしてきた家の屋根を突き破って飛び出してきた。

 蔦はそのまま屋根のスレート材を砕き、柱に巻きついてこれをへし折った。家は傾き、そのまま粉塵を巻き上げて沈んてゆく。

 エリィルラルは屋根の縁を踏み切って跳ぶと、狭い路地を挟んだ向かいの屋根に着地した。そのまま振り向きエネルギーライフルの照準を合わせ、カムヅミカズラの蔦を狙って光弾を撒く。

 カムヅミカズラは撃たれ焦げた蔦を引っ込め、その場で動きを止めた。

 こんなのは面倒なだけで雑草刈りと変わらない。感慨もない。エリィルラルは照準越しにカムヅミカズラを観察しながら思う。カムヅミカズラについて思うところは本当に何もない。ハルトは心配してくれるけれど。


 だって夫を、リーヴィルトを殺したのはわたしだもの。


 コンテナハウスの薄い壁越しに聞こえてきた音は、悲鳴と怒号に、遠く鋼の板がひしゃげる耳障りな音。

 エリィルラルは狭いベッドで目を覚ました。まだ真夜中だった。隣で寝ていたはずのリーヴィルトがいない。室内を見渡すと、彼は窓際に立って一人、小声で誰かに呼びかけていた。油断なく外を窺いながら。造技(テクノロス)の遠隔通話呪文を使っているのだろう。今からおおよそ2ヶ月前、たまたま仕事で夫婦そろって本土にいて、共にここに避難してからずっとそうだった。機能しているのか怪しい亜邑の評議会本部に呼びかけている。恐らくは今も。

 エリィルラルはベッドから起き上がると、夫に近寄っていった。

「リーヴィルト、何かあったの?」

「ああ、ちょうど起こそうと思っていたんだ」リーヴィルトはエリィルラルに向けて笑みを浮かべた。「マヴドの作った肉食植物にキャンプが襲われている。ここから離れよう。すぐに支度するんだ」

 どこぞの研究機関で実験中の肉食植物が、混乱に乗じて施設を這い出し都市を彷徨っている。そんな噂は、エリィルラルもここの避難民から聞いたことがあった。

 状況が状況なので、寝る際もすぐに動ける服装のままでいた。エリィルラルは非常用品―携帯食に飲料水のペットボトル、救急医薬品―の入ったバックパックを背負うと、窓際で外を見張る夫を眺めた。

 彼の癖のない黄金の髪が、その横顔が、窓の外で時おり上がる炎の明かりで照り映える。今の状況を憂う涼やかな蒼い瞳は、絵物語の貴公子もかくや。同族の中でも美貌で知られたその顔は、見る度に嬉しくなれた。彼が傍らにいることが誇らしく思えた。


 あの日、大書庫であれを読んでしまうまでは。


 今はもう、彼のすべてが色褪せて見える。〈帳の司書〉の資質を持つ女を未来へつなぐための種付け役にして、護衛。それが彼だ。エリィルラルは思い返す。仕事や用事で亜邑から外へ出ようとするたびに、彼は何かと理由をつけて行動を共にしたがった。その度に彼の職場から都合よく休暇や出張辞令が出た。初めは、つい先ごろまでは、愛されているのだと、彼にも可愛いところがあるのだと喜んでいた。

 気づいてみれば何のことはない。大事な雌が事故や災禍に遭わぬよう、護衛として付いていただけ。彼は造技(テクノロス)森羅(ペルヒト)の魔術に長けた優れた戦士だった。

 それでも、とエリィルラルは思う。それでも、幼い頃から共に過ごした三十余年の時は決して軽くない。そのすべてが、心の通った時が嘘だったわけじゃない。例え始まりが嘘だったとしても、これから本当にしていけばいい……

「いつでも出られるわ」エリィルラルは言った。「それで、何処へ向かうの?」

「それは……」

 リーヴィルトが言いかけたその時、すぐ隣のコンテナハウスからギィギィと軋む異音が聞こえてきた。続いてマヴドたちの悲鳴と絶叫が。

「とにかく急ごう!」

「ええ!」

 頷くと、エリィルラルはリーヴィルトに手を引かれるままコンテナハウスを飛び出した。

 リーヴィルトが呪文を唱えると、彼が右手に持った木の棒が毒の滴る槍に変じる。

 コンテナハウスの並ぶ避難キャンプは、混乱の渦中にあった。5、6mはあろうかというサボテンとも樹ともつかない奇怪な植物が、無数の太い根を肢にしてコンテナ間を這い回る。キャンプを囲む有刺鉄線はとうに倒され、無用の長物と化していた。植物は逃げ惑う人々を自在に動く蔦で捉え、締め殺してバラバラに千切ると中央の円形の口に運ぶ。四脚で走り回る警備ロボに撃たれると怯むものの、次の瞬間には蔦で警備ロボを薙ぎ払って明後日の方向に飛ばしてしまう。

 所々で破壊された車両が炎を上げている。避難民たちの統制は全く取れておらず、皆、右往左往しながら各々が信じる方向に走っていた。子連れの夫婦は幼な子もろとも、待ち構えた奇怪な植物の蔦に捕らえられた。その反対方向に向かった若者の一団は、巨大化したスズメバチの群れに毒針を打たれ、麻痺した体を何処かへ運び去られた。

 騒ぎを聞きつけたのか。遠く、悍ましい吠え声がいくつも上がっている。

「ねぇ、リーヴィルト」

 手を引かれて駆けながら、エリィルラルは不安にかられて話しかけた。その声が聞こえていないのか。聞こえても無視を決め込んでいるのか。リーヴィルトは振り向きもせず走り続ける。倒された有刺鉄線を踏み越えて。

 灯火ひとつない、漆黒の廃墟の街並みに向かって。

「ねぇってば!」夫の態度に苛立ち、エリィルラルは掴まれた手を強引に引き離して立ち止まった。「ちょっと、どこへ行くのかくらい教えてよ!」

「私にわかるものか!」振り向いたリーヴィルトは激昂して叫んだ。その激情に見開かれた目は色こそ違えど、まるで今、廃墟を歩む死者のようで。「本部とは連絡が取れない。他に同胞もいない。どこへ行けばいい? 今のこの次元に安全な場所など何処にある?」

 豹変した夫の姿に、エリィルラルは言葉を失った。何を問おうとしていたかもわからなくなる。

 己が何を言ったのか。今、初めて気づいたかのように。リーヴィルトは愕然とした表情を浮かべると、その目を伏せ、言った。

「取り乱してすまない。でもわかってくれエリィルラル。私は君を護りたいんだ」勇ましい言葉と裏腹に、彼の声は震え、懇願を帯びて「世界の終わりが訪れてしまった。評議会の予測を遥かに上回る速さで。こうなってしまった以上、私は何としても君を護り抜いて……」

 その言葉の先を、エリィルラルは聞かずともわかった。そして理解した。彼がわたしの耳元で囁いた愛の言葉も、わたしを愛撫した唇も、何もかも。全て、メルネヴェの民の存続のため。

 この男にとって、わたしは種族を次の次元へ運ぶための道具の一つ。いえ、メルネヴェの民全てにとってそうなのだ。わたしを、エリィルラルという女を見ている者は一人とていない。

 至極単純で、当たり前のこと。

「さあ、一緒に来てくれエリィルラル」リーヴィトは笑みを浮かべ、エリィルラルに向けて左手を差し伸べた。「まずは隠れられる場所を探そう。そして亜邑を目指すんだ」

 エリィルラルは夫だった男の顔を見つめた。かつては安心できた彼の笑み。それが、今は女を誑かそうとする安っぽい男妾のものにしか見えない。

「どうしたんだい? エリィ」リーヴィルトは殊更にやさしい、子どもでもあやすような口調で問いかける。「行こう。きっと亜邑は無事だ。同胞たちが君を待っている」

 夫だった男から漏れた本音に、エリィルラルは少しだけ自分の口の端がゆるむのを感じた。ああ、リーヴィルト。あなたの実直さだけは本物だったのね。ちゃんと隠しおおせてくれたなら、わたしはあなたについてゆけた。例えその行き先が、上層地獄の彼方であっても、忘却の果ての消滅であっても。

「愛してるよ、エリィ。だから……」

 リーヴィルトは動かぬエリィルラルに向かって一歩、足を踏み出そうとして

 膝をついた。すぐに右手の槍を支えに立ち上がろうとするも、叶わない。

 エリィルラルは彼の視線を追う。すると彼の左足首に、見慣れてしまった植物の蔦が巻きついていた。

「汝に上層地獄の呪いあれ!」

 呪いの言葉を吐き捨てながら、リーヴィルトは槍を逆手に持つと、穂先を使って足首の蔦を断とうとした。が、その手は力なく垂れ、槍が地面に転がった。カムヅミカズラの蔦に生えた棘が、獲物に麻痺毒を注入すると知ったのは後のことだ。

 ズルズルと巨大な何かが地を這う音が聞こえてくる。エリィルラルが音の源に目を遣ると、廃墟の陰から巨大な植物が根を使って這い出してきたところだった。同時に、うっすらと黄色い靄めいたものが立ち込めてくる。

 それに気づいたリーヴィルトは、新たに呪文を唱えようと口を動かす。が、これも叶わず自身の喉を押さえて喘ぎ始めた。彼の目が恐慌に見開かれ、眼球が盛り上がって出てくるかに見えた。

 リーヴィルトの右手が妻に向かって伸びる。左手で胸をかきむしりながら、声にならない声で助けを求めて。

 妻だった女は、立ち尽くしたまま動かなかった。じっと夫だった男を見下ろしたまま。

 エリィルラルはその時のことを思い出す。あの時のリーヴィルトの目は、今も忘れられない。彼の瞳に驚愕、絶望、そして恐怖が浮かんで消えていった。最後に残ったのは、どうして?という疑問だったろうか。

 一歩、また一歩と、エリィルラルは夫だった男の前から退いた。自身でも説明できない衝動のままに。

 蔦が一本、また一本と暗がりから伸び、倒れ悶えるメルネヴェびとの男に巻きつくとその体を宙に持ち上げた。

 蔦に締め上げられ、方々に引っ張られる様は捕獲された虫めいていて。エリィルラルは夫だったモノに背を向けると、脱兎のごとく駆け出した。

 明日の見えない、夜に向かって。

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