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1-1. 錬馬市在住高校中退脱法魔術士

 エルフ―今から400年ほど前、この島国に魔法をもたらした長命な種族。姿形は人とほぼ同じ。違うのは笹穂のように長く尖った耳と、その際立った美貌。彼ら彼女らに比べれば、どんな美男美女でも二ホン人の範疇なら背景モブ程度にしか見えない。

 その数は、〈審判の日〉前の国内でおおよそ一万五千人程度。首都圏内で暮らしていても、都心でもなければそうそう見かけることはなかった。せいぜいTVやネットの番組を通して眺めるだけ。ハルト自身、生きて動いている姿を見たのは一度だけ。都立魔法高等専門学校の推薦入試の時に、面接で教師らしいスーツ姿のエルフ男性と対面したくらいだ。

 なのに。だというのに。

「ん……」

 鼻にかかった甘い声とともに、彼女の吐息が首筋にかかる。暖かさを求めて、眠る彼女はその白くしなやかな身体を押しつけてくる。ほぼ夜ごとの日課となってしまった情事。その名残の汗がしっとりと体にからみついてくるも、不思議と不快に感じない。

 貪り、貪られ、彼女の中に幾度となく注ぎ込んで。熱が鎮まるにつれ頭は冷静になっていく。そこでハルトは自問した。どうしてこうなった? カーテンの隙間から射し込む月明かりが、彼女の―エリさんの顔を柔らかく照らし出す。豊かに波打つ銀色の髪が、月光を受けてかすかに煌めく。そこから覗くのは長く尖った耳先。閉じた瞼の向こうには、やや吊り目がちの、瞳孔に向かって青から金にグラデーションする不思議な色の瞳があることを知っている。

 エリさんはエルフ。つまりとんでもない美人の女性が、今はベッドの上の自分の隣で眠っている。訊いてみれば、エリさんは亜邑あむら大の図書館司書。自分は第一志望に落ちた元高校生。多くが魔術士、魔術師として社会上層にいるエルフの女性と、中層にさえ届くか怪しい無学な人間の未成年。本来ならば一生涯接点がなくて当たり前なのだ。本来ならば。

 ハルトはベッドに横たわったまま、首を捩じって壁にかかったカレンダーを見た。今日は二〇XX年四月七日。あと三日、日付は跨いだからあと二日でまる一年になる。


 〈審判の日〉。世界の人々の推定90%が死に絶え、大地に生ける死者と怪物が満ち溢れたその日から。


 世界人口の90%、というのも復興庁の発表に過ぎず、実際にどうなのかは確かめようがない。その手段もない。

 ただあの日以来、平和な都市は死者が立ち歩いて人を襲う地獄さながらの場所になった。変異し大型化した生物と異常な存在が徘徊する、コンクリートのジャングルへと一変した。

 ハルトは思い出す。内科クリニックの待合室にいた自分は、何度も死ぬような目に遭い実際何度も死にかけて。それでもどうにか生き延びて。最近はささやかながらも、飢えに苛まれない安定した暮らしができるようになったのだ。そんな時




「ミ=ゴの掃討?」

 ハルトが訊き返すと、錬馬ねりま市役所避難センター臨時職員のエンドーことドワーフのエンドゥリンは頷いた。

「ああ」答えるエンドーの視線は、査定台から取り上げたホグバイト鉱塊から離れない。「石神夷しゃくじい公園は知っているだろ? あそこの林の中に奴らの拠点ができちまってな。物資の回収と商工会トラックの通行が難儀してる」

「それを僕にやれと?」拒絶の意志を込めて、ハルトはエンドーの伸び放題の黒ヒゲ面を睨みつける。確かに今の自分なら、たぶんやってやれないことはない。でもアイツらはゾンビ系の敵よりも遥かに速いし強い。掃討となればヤツらの拠点内を叩く必要がある。労力に見合った報酬が得られるとも思えない。「嫌だよ。ゾンビ掃除とはわけが違う。死にに行くようなもんじゃないか」

 エンドーはホグバイト鉱塊を脇に置くと、査定用のテーブルに臨時紙幣の束を置いて見せてきた。かつての一万円札サイズのそれには、蹄鉄を図案化した錬馬市章が特殊なインクでプリントされている。

「手付にこれだけ。成功したら300万払う」

 一束10万が8束ある。少しだけハルトの心がゆれる。80万あれば、向こう三か月は探索せずともそこそこ良い暮らしができるけど……ダメだ。それでも割に合わない。虹色の甲殻を持つ個体がいた日には撤退一択だ。燃料、労力、武装の損耗……支払うコストに見合わない。

「いくら積まれてもやだね」

「復興庁のご指名なんだがな」

 エンドーはなおも食い下がってくる。

「高校中退のガキにやらせる仕事じゃないよ」復興庁の語にちょっと引っかかるものを感じたものの、ハルトは拒絶した。「帝国軍はどうしたのさ? 復興庁の統制下にまだまだ残ってるんだろ?」

「こんな時代だ。どこも人手不足でな」溜息をつきながら、エンドーはハルトに向かって頭を傾け声を潜めた。「軍の部隊は〈魔王軍〉の討伐にかかりきりだ。噂じゃ港東市の避難センターが地下のプラントもろとも押さえられたらしい。復興庁のあの女が言葉を濁していたから、間違いない」


 〈魔王軍〉。半年ほど前から生存者の間で噂されるようになった、略奪者の集団だ。死者も生者も見境なく殺し、奪う。財産資源を差し出して命乞いをした者は奴隷にする。自らを魔王と称するトップは、対物ライフルで撃たれても死ななかったらしい。


 東に遠く離れた統京湾岸の勢力なので、ハルトはさほど関心がなかった。今の今までは。

 しばしハルトは思考に沈む。魔王軍については、静観だけではまずそうだ。復興庁がいまだ潤沢な近代装備と魔法武装を持つ軍を動員しても、制圧できずにいるらしい。もしかしたら、この辺りにも勢力を伸ばしてくるかもしれない。遭いたくないなあ。見つけたら装備と物資を車に積んで逃げるかな。うん。

「そうそう、あの地上調査官サマはオマエさんが渋ったらこう言えと言ってたな」エンドーは髭面にうすら笑いを浮かべた。「『閲覧したい呪文書、魔法書籍があれば、電子版で良ければできる限り提供する』と」

「なんのことです?」ハルトは顔に動揺を浮かべまいと努めた。自分自身、あまり取り繕えた自信はなかったけれど。「僕は最終学歴中学校卒ですよ。魔法なんて使えるわけないでしょ」

「オマエさんが魔術士だってのは、とっくにバレてるよ」エンドーの目に憐みがこもる。「復興庁の連中は、地下からドローンや観測霊を飛ばして地上を見てる」

「そういうことか……」バレたら面倒だと今まで隠してきたけれど、その努力はすべて無駄だったらしい。まあちょうどよかったかもしれない。造技テクノロス領域の術で研究に行き詰まっている部分もある。復興庁に貸しを作るのも悪くない。「無資格での魔法の行使は違法じゃないか。復興庁からのお咎めはなし?」

 エンドーはニヤリと笑う。

「今のこの地上で、司法が機能してるように見えるか?」

「……わかった。引き受けるよ」ハルトは紙幣の束をバックパックに収めて言った。「それはそれとして、そのホグバイト鉱塊の査定額、いくら?」




 工場跡で回収したホグバイト鉱塊に付いた値は24万円。以前、同じようなサイズで20万だったから、相場は少し上がっている。

 地下で需要があるって話だったけど、前より入手が難しくなってる? そんなことを考えながら、ハルトは市庁舎エントランスの階段を下った。

 テントや掘っ立て小屋が密集する一帯を、自分のクルマに向かって縫うように進む。ここは去年まではクルマの行き交う大通りだった。それが今は、市庁舎敷地内にある避難シェルターからあぶれた避難民が暮らす小さな集落のようになっている。少し離れればまだまだ雨風を凌げる建物もあるのに、多くの人々は市庁舎の近くから離れたがらない。少し目を遣れば、アスファルトに敷いた段ボールに寝転ぶ者や、談笑する者、フラフラと覚束ない足で市庁舎に向かう者の姿が目に入る。

 皆一様に汚れ、疲れている。〈審判の日〉の翌日、シェルターの定員オーバーと収容施設拡充中のアナウンスが為されてからもうすぐ一年。今日まで収容再開の兆候はない。

 ハルト自身、命からがら市庁舎に辿り着いたものの門前払いされたクチだ。復興庁は、この国の政府は本当に国民を救うつもりがあるんだろうか? そもそも地下にシェルターなんて……

「おにーさんおにーさん」

 思いに沈みかけたところで肩を叩かれ、ハルトは後ろを振り返った。

 煤と埃か何かで汚れた赤いダウンジャケットの女が、ぎこちない笑みを向けてくる。たまにこの辺りで見かける顔ではあった。年齢は二〇代半ばくらいか。薄汚れた顔はまあ綺麗な部類なものの、その大きな目の焦点がいまいち合ってない。ダウンジャケットの其処かしこから羽毛がはみ出し、彼女の歩みに合わせて散り舞った。

「何の用?」

 ハルトが問うと

「アスピリンかロキソニン持ってない? ちがくても鎮痛剤、眠剤なら何でも」言いながら、女はダウンのジッパーを胸元まで下げた。そして自分の胸を、その両手で寄せて見せつけてくる。「お金はないけど、くれたらイイコトしたげるよ」

 薄汚れた白いセーターを豊かな胸が押し上げて、それがふにゅんと形を変えている。目で見てわかるやわらかさに一瞬、負傷用に回収しておいたロキソニンがバックパックにあったっけ……と考えかけて、ハルトは欲望を振り払った。ダメだ。このところ抜いてないけど、これはダメだ。このご時世、病気をもらったら対処のしようがない。臆病だからこれまで生きてこれた。

「ゴメン、ないんだ」

 そう言ってハルトは歩き去ろうとするも、女は追いすがって袖を掴んできた。

「あるんだろ? ピンときたね。あたしにはわかるんだ」女の目が灰色の光を帯びる。「こう見えても病気なんて持ってないからさ。色んな声が聞こえて辛いんだよ。ねぇ……」

 女がバックパックを奪おうと手を伸ばしてくる。

 精神感応者テレパスか? 厄介な。ハルトは女の手を阻もうとする。しかし思いのほか力が強くてなかなか振り払えない。思い切ればできるのだろうけど、こんなことで怪我をさせるのも後味が悪い。

 しょうがない。薬だけあげて立ち去るか。諦めたハルトはバックパックのベルトに手をかけた。その時

「エントランス周辺デノ窃盗、恐喝コウイハ禁止デス.繰リ返シマス.エントランス周辺デノ窃盗、恐喝コウイハ禁止デス」

 けたたましい警告音声を発しながら、2台の警備ロボが四脚をせわしなく動かしながら寄ってきた。

「タダチニ制止シテクダサイ.10秒ノ猶予ヲ与エマス.10,9,8……」

 ガシャンと音を立て、警備ロボがショックガンの銃口をこちらに向けてくる。

 ヤバい。と思って女を見ると、その姿はもうなかった。最初の警告音で逃げ去ったらしい。ハルトは両手を上げて無抵抗のポーズを示す。

「ゴ協力,感謝シマス」

 そう発して、警備ロボはショックガンを収納すると歩き去った。

 ほっと息をついて、ハルトはバックパックを背負い直す。色々心臓に悪い。ショックガンで死にはしないけど、あの警備ロボはゾンビ掃討用の機銃も装備している。銃口を向けられていい気はしない。

「災難だったね、ボウヤ」

 そこでハルトの頭上から、ハスキーな女の声が降ってきた。

 聞き覚えのある声に、また面倒な、と思いながら、ハルトは声の主を見上げた。

「アイベさん……」

「そっちも生き延びてるようだね。けっこうけっこう」

 ハルトを見下ろし笑う彼女の身長は、190cmを下らない。金属板を打ちつけた革のジャケットの下に、隆々とした筋肉があるのがわかる。よく日に焼けた褐色の肌。顔だちは思いのほか整っているものの、彼女の四角い瞳孔と羊のように渦巻いた角は、美しさよりも畏怖を感じさせる。その巨躯を支える足にブーツはなく、替わりに金属めいた艶の黒い蹄があった。

「あんまり面倒そうならコイツで」アイベはボルトと鉄塊の混合物のようなハンマーを肩から下ろした。「追っ払ってやろうと思ったんだけどな。それはそうと、決めてくれたかい?」

「チーム加入の話ですか?」

 当然その話題だよな、と思いながらハルトは言った。断ることも決めていた。

 以前、商工会トラックの護衛を請け負ってゾンビの大群に遭遇、共闘して以来、アイベは何かにつけて自身の探索者チーム〈牛鬼〉に勧誘してくる。

「僕みたいな貧弱なの、アイベさんのところじゃやっていけないですよ」

「ふーん、そうかい……」アイベの目が、何かを見通すように細められる。「ま、気が変わったらいつでも声かけな。歓迎するよ」

 アイベは巨躯を翻すと、ひらひらと手を振りながら市庁舎エントランスに向かった。

 一人より二人、二人より五人。多人数で協力すれば、生き延びられる可能性は格段に高まる。ハルトもそんなことは重々承知していたし、アイベ個人についても好人物だと思っていた。

 それでも彼女のチームに入る気にはならなかった。彼女の、ではなく自分自身の問題で。

「一人のほうが面倒ないもんな。生きるのも死ぬのも」

 誰にともなくつぶやくと、ハルトは物乞いの避難民に捕まらないようにクルマへと急いだ。

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