4-3. 播神
ハルトは放置車両を避けるためにハンドルを切った。クルマは一路、錬馬市庁舎に向かって都道を南下する。
男はナガセ・カツヤと名乗った。女は彼の妻でハルミ、女の子は娘のコトノ。
「俺たちは、文教市の避難センターに身を寄せていたんだ」ハルトのクルマの助手席で、カツヤは語り始めた。「人口密集地のせいか、生存者は決して多くなかったんだが。なんとかやっていけててな。それが〈魔王軍〉の連中の襲撃で壊滅したんだ。だいだい10日くらい前のことか。あれからカレンダーを見てないからなんとも言えんが」
〈魔王軍〉は湾岸地区で勢力を伸ばしつつある生存者の派閥だ。湾岸だけかと思えば、徐々に内陸に向かって版図を広げている。厄介な、とハルトは思った。
「避難センターには実銃を積んだ警備ロボットもドローンもあった。ゾンビや変異スズメバチくらいなら何とでもなる設備があったんだ。それが……」カツヤの目に怯えが走る。「それが、ほとんど何にもできずに全滅だ。ヤツら、魔術士がメンバーにいたが、それだけじゃない。呪文も唱えずに瓦礫や炎を飛ばしてくるヤツや、とても人間とは思えない姿のヤツばかりでな。そいつらがみんな、みんな……」
〈魔王軍〉は魔術士と超能力者、変異者の混成部隊を擁しているのか。そんなものに襲撃されれば、大概の生存者集団はひとたまりもない。ハルトは思う。侵攻具合からしても、軍が対応しているという噂は、多分に怪しくなってきた。
「調査官含め、抵抗した人間はみんな殺された。降伏すれば命までは取られない、取られないが……」カツヤの顔が苦悶と憎悪に歪んだ。「ヤツら、女はみんな……婆さんと子ども以外はみんな差し出せと言いやがる。だから俺はヤツらの撤収間際を狙って、ハルミとコトノを連れて、隙を見て逃げ出したんだ。動くクルマを見つけた時には、今更ながら神さまご先祖さまに感謝したよ」
噂は本当、ということなのか。ハルトが〈魔王軍〉について聞き知ったのは今から半年ほど前。商工会の輸送トラック護衛を引き受けて、錬馬市-富島市を往還した時のことだ。富島市の避難センターにいた生存者の男が、湾岸の〈魔王軍〉の振る舞いについて語った。魔王は略奪した女たちを、配下の"サムライ"と呼ぶ戦士たちに与える。女に家族や恋人がいようがお構いなしに。そしてサムライの子を産ませるのだと。
鬼畜外道の所業だ。盗賊化した連中といい、社会が崩壊し司法が機能しなくなれば、人はかくも簡単にその精神性、倫理と道徳を放棄し中世以前に退行するのか。現代人の理性的な振る舞いなんてただの虚像で、中身はずっと群れを成した獣でしかなったのかもしれない。ハルトがそんなことを考えていると、ルームミラーに面白い光景が映った。
「ごめんなさいごめんなさい!」後部座席でハルミが平謝りに誤っていた。そして「ほら、コトノ。ごめんなさいは?」
「おねたん、ごめんなさい」ハルミとエリの間に挟まったコトノが、しょんぼりと頭と長い耳とを垂れて「でも、はじめてみたの。コトとおんなじ」
ハルトがルームミラー越しにチラと見たのは、コトノがエリの長い耳を掴んで引っ張ったところだった。
「大丈夫よ、痛くないわ」苦笑しながら、エリはコトノのクシャクシャの黒髪を撫でる。「不安だったのよね? コトノちゃんと同じ人がいなくて」
コトノは俯きながらこっくりと頷いた。
「ずっと、普通の二ホン人、人間だったんです。耳も長くなくて、瞳の色もブラウンで」訥々とハルミが話し始めた。「それがあの時から……避難センターに逃げこんで、ひと月くらい経った頃からか。少しずつ目の色が変わり始めて、それにつれて耳の形も。一年も経った頃にはもう、このとおり。エルフの皆さんと同じような姿に」
「情けない話なんですが、最初はハルミを疑っちまいそうでした」カツヤは言った。「でも顔立ちはなんとなく俺の姉貴にも似ているし。人間とエルフの間で子どもはできないって話だし。もう何がなんだか……」
「そう、エルフと人間の性交で、子はできない。受精はしても着床しない」語るエリの眉根が、かすかに寄る。「だから可能性としてありえるのは変異。あの日、この世界の生命に降り注いだ何か、死をもたらした何かが、この子を変えたの」
「そんな!」母であるハルミは悲愴な声を上げると、コトノを抱き締めた。「じゃあこの子は死んでしまうと言うんですか?」
「わからない。わからないのよ」困惑するように、エリは僅かに目を伏せる。「狭間から世界に入り込む毒。播神については」
播神。その言葉はハルトの記憶を掘り起こした。播神、播き散らされた神々。そう、音ともつかぬその記号を、どこかで頭に入れた気がする。
「確証はないの」エリは続けた。「わたしも随分昔の記録、ざっと8000年ほど前、今のこの世界とよく似た事態に遭った祖先の遺した記録を読んだだけだから。予見者バリムザードは書き残してる。
〈エドゥウィンのレンズ〉を通して私は見た。次元の狭間に漂うもの在り。獣を逃れし神々の塵芥、播神は、棲み処を求めて生命あるものに入り込む。時に殺し、時に自らの似姿に変える。神々を滅ぼさんとする〈夜明けの風〉が放った猟獣を恐れ、一部の神々は自らを希釈したのだ。〈影の獣〉に捕捉されぬように、薄く、存在濃度を下げて。そしてあまりに希釈してしまったために、自我すら保てなくなった。
と。彼の説に拠るなら、今のこの世界の変異者たちは、神の似姿を持っていることになる」
「エリさん」ハルトはルームミラー越しに問う。「それは神話、ですか?」
神々を滅ぼすもの。逃れる神々。壮大過ぎて現実味がない。ただ、とハルトは思う。僕は、神、と言えるかもしれない存在とほんの僅かに接触したのかもしれない。あの次元の穴を巡る攻防で、こちらの次元に入り込もうとした存在は僕の頭に言葉を流し込んできた。そこには確か「播神を云々」とかそんなイメージと意味があったと思う。
「そう、もう神話ね」エリは頷いた。「バリムザードの生きていた当時は相当の混乱があったみたいで、残ってる記録がほとんどないのよ。検証資料が無さ過ぎて、史実はおろか伝説とすら呼べないレベルの話ね」
薄まった神々が人に入り込んで殺し、時に劇的に変貌させる。蘇ったゾンビが死ににくいのは、半端に神の似姿に変異しているから? 生き残った僕らはただ幸運なだけだったのか。
「今を生きてる人々は、毒、播神と共存していると言えるかもしれない。良きにつけ悪しきにつけ」エリはハルミの腕の中でもぞもぞと動くコトノを撫でた。「だからこの変化が原因で死に至る、ということはないと思う」
ハルミは強張った腕をゆるめて
「そう、願います」
言って、安堵の微笑みを浮かべた。
「ありがとう、俺もハルミもずっと不安だったんだ」礼を述べると、カツヤは続けた。「エリさん、だっけ? そういえば、〈魔王軍〉は亜邑のエルフたちとも何度もやりあってるらしい。ヤツらの一人が言ってた。『あの島にはお宝が山と眠ってるんだが、人工島の防壁を突破できずに攻めあぐねてる』ってな」
「あら、意外としぶとい。そんなことになってるのね」さして動じた様子もなく、エリは言った。酷薄とも呼べる笑みを浮かべて。「共倒れがきっと世のためよ」
エリさん。エルフのこと本当に嫌いなんだな、同族なのに。ルームミラーに映るエリを見ながら、ハルトは思う。まあ、僕も似たようなものか。同じ人間を、総体としてはあまり好きではないかもしれない。
ただ事情を知らないカツヤは、エリの反応に困惑していた。
「皆さん、錬馬市の避難センターでいいですね?」ハルトは行き先について、ナガセ一家に改めて確認した。「行けばとりあえず食料と水は支給されます。エビ風味のパサパサですが。農場建設計画が開始されたので、今後は幾分マシになりそうですけど」
「ああ、もちろんだ。ありがたいよ」カツヤは明るく答えるも、すぐにその顔が曇った。「ただ気がかりなことがある。ここまで来る途中のことだ。池部黒駅の辺りで、でかい植物の群れがゾンビを喰らいながら移動しているのを見た。アレのお蔭で〈魔王軍〉の追っ手もゾンビも振り切れたんだが……」
ゾンビを喰らい移動する植物の群れ、食屍植物。ハルトも幾度かその小規模な群れと遭遇し戦ったことがあった。"カムヅミカズラ"の名は後にスドオ調査官より教えられた。調査官曰く、元は食用油の原料として国内で試験栽培していた遺伝子組み換え植物だったらしい。それが今や、生きものは何でも、生きた人間もゾンビも見境なしに捕らえて殺し養分とする怪物と化していた。
そのこと自体は別にどうということはない。今の世界のありふれた事象の一つだ。準備を怠らねば困難な敵ではない。
ハルトはルームミラーを通して後部座席のエリを窺った。大丈夫だろうかと思う。彼女の夫は、カムヅミカズラに殺されたと聞いていたから。鏡に映るエリに、特に変わった様子はなかった。ただ心なしか、その整った面立ちが硬い気がする。
「あのね、うーんとみどりのにょろにょろがね」
そんなエリは、身ぶり手ぶりでカムヅミカズラを表現するコトノを相手に、僅かに目を細めた。
「なるほど! それは面白い!」ハルトがカムヅミカズラの目撃情報について話すと、スドオ調査官は開口一番そんなことを言った。「早速観測ドローンを飛ばすよ。状況次第で、計画の工期を大幅に短縮できる!」
言うが早いか、彼女はタブレット端末を操作し始める。
ハルトは隣のエリと顔を見合わせた。何を言ってんるでしょうかこのひと。ハルトが口に出さずに目で言うと。さあね。人間、まして役人の考えることなんてわからない。そんな目線で返された気がした。
ナガセ一家を市庁舎受付まで案内した後、ハルトらは掃討作業の進捗報告を兼ね、執務室のスドオ調査官の元を訪れていた。
エリを伴って市庁舎を訪れたのは初めてのことだった。ハルトは色々勘ぐられるのが面倒で、エリの存在についてはこれまで何とはなしに隠してきた。結局のところ、避難センターにあまり現れないアツロウやライカにまで知れ渡っていることを知って、隠すのは止めにした。妙な噂の是正も期待して。
今回の対面が、エリとスドオ調査官の初顔合わせだった。
「あなたがエリさんだね。噂どおりお綺麗な方だ」スドオ調査官はミラーグラスを外し、右手を差し出す。「ボクはスドオ・ミコト。調査官とは名ばかりで、復興庁と避難センターの中継ぎ、使い走りのような仕事をしている」
「あなたがスドオ調査官ね」エリはスドオ調査官の手を取ると笑みを浮かべた。「ハルトから聞いているわ。わたしはエリ、噂どおりのエルフかしらね」
「いやはや、ハルトくんも隅に置けないね」
スドオ調査官はハルトを一瞥する。
ハルトはどうも居心地が悪かった。男装の麗人の色素の薄い瞳に、何もかも見透かされているように思えて。
そうしてナガセ一家の見たカムヅミカズラの群れの話に至るも、意外なスドオ調査官の反応にハルトは戸惑う。即刻、撃退、ないしは殲滅を要請されるとばかり思っていた。
「工期を短縮って、どうしてそんな話になるんです?」ハルトは率直に問うた。元より、あれこれ勘ぐれるほど知識を持ち合わせていない。「カムヅミカズラは危険ですよ。他の探索者も集めて、さっさと焼きましょう」
カムヅミカズラは移動中ならまだしも、下手に根を下ろされるとそこを中心に増殖を始めて手がつけられなくなる。
「まあ待ちたまえハルトくん」スドオ調査官の声に喜色が滲む。まるで遠足を楽しみに待つ子どものような。「カムヅミカズラの群れは進行ルート上の建造物を破壊する性質を持つ。ただ破壊には大量にカロリーを消費するものだから、できるだけ障害物のないルート、都市部においては国道、幹線道路を辿る傾向にある。川御会街道を進んでくれれば、農場の建設予定地にぶち当たる。ここは比較的建物の少ない区画だが、皆無ではない。ここにカムヅミカズラが来て、しばし留まってくれれば……」
スドオ調査官は、タブレットに農場建設予定地と周辺の地図を出して見せた。
「カムヅミカズラに家屋やビルを破壊させる、と?」驚きと、疑念を隠さずエリが言った。「そう都合よくコントロールできるかしら」
「彼らには知能がある。確認できた限り、ハチやアリといった社会性昆虫に類似したものだが」
スドオ調査官はタブレットの映像を別のものに変えた。そこに、浮遊するドローン群に銃撃されるカムヅミカズラの群れの動画が映し出される。
「これまでの観察でわかった習性だが、移動中のカムヅミカズラの群れは攻撃に晒されると、脅威に対して反撃する。更に攻撃を受け続けると、回避のために別方向へ移動する。根を下ろすには危険と判断するのだろうね」スドオ調査官はタブレットの映像を錬馬市東部の地図に戻した。「大まかなボクの考えはこうだ。まずカムヅミカズラの群れを農場建設予定地に誘導。これはドローンで何とかなると思う。後、農場建設予定地に封じ込め、カムヅミカズラに暴れてもらう。ヤツらの根と蔦の力でアスファルトを剥がし、ビルと家屋を崩させるんだ。これには生存者諸君の力を借りたい。そしてそれが済んだ後は、北の阿良川方面へ追いやるか……できれば砦北公園に封じ込めて利用したい。あそこなら東から来る敵対勢力への抑えにもなる」
農場予定地の建物解体に利用、まではハルトにも理解できなくはなかった。攻撃的になったカムヅミカズラの根や蔦は、アスファルトやコンクリートを破壊するくらい強力だ。しかし
「砦北公園に封じ込めなんできるんですか?」
ハルトが疑問を口にすると
「カムヅミカズラは植物だからかね、土と水、日照がある場所を好む」予想した問いだ、と言いたげにスドオ調査官は淀みなく答えた。「石神夷川が内部を横切る砦北公園はその条件に合う。場所も都道の交差地点の一画だ。ここに群れの運ぶ〈女王の若木〉を根付かせてやれば、近寄るゾンビを喰らって森を成すだろう。〈魔王軍〉への牽制も兼ねられる」
「殖え過ぎて、群れを分けてまた移動を開始する可能性は?」
気づけば錬馬市、否、統京都全土がカムヅミカズラの森に呑まれかねない。ハルトはそれを危惧した。
「可能性はある」スドオ調査官は即答した。「が、過剰な養分供給や全滅の危機的状況がない限り、播種行動は起こさないことが確認できている。先々を考えもせず殖えた人類とはえらい違いだね。監視を怠らず、ほどよく剪定を行えば対処可能だろう。それにカムヅミカズラの内種子からは油が、茎の髄はビタミンも豊富で食材に適している。一定数刈り取ることで、市民の栄養問題も解決できる」
「食べられるの?」エリが驚きに目を丸くした。「ゾンビから養分を摂取するのだから、その感染物質、毒性は……」
「地下で分析し動物実験を繰り返したが、異常はないよ。ボクも何度か実食しているが何ともない。味も悪くない。元々食用を目的として遺伝子操作された植物だからかね」何ともない、と表現するようにスドオ調査官は両手を広げた。「取り込んだゾンビの毒性を分解できるよう適応したらしい。いや、進化と呼ぶべきか。生命の神秘だね。地下では、カムヅミカズラの成分を元にした消毒薬の研究開発を進めているよ」
「ゾンビ化した人を治療して元に戻すとかは?」
ハルトは一縷の望みを口にした。が
「それは無理だ」スドオ調査官は首を左右に振った。「無理だった。ボクらも試しはしたんだ。でも、感染し変質した脳と脊髄組織はどうにもならなかった。むしろカムヅミカズラの成分で破壊された。ゾンビには猛毒なんだ」
ゾンビには人間の部分がほとんど残っていない、ということなのか。ハルトは落胆と安堵の入り混じった複雑な気分になった。ゾンビ化した人は戻らない、という落胆と、殺し壊し続けた存在がもう人間ではない、という安堵と。
「そんなわけだから、近いうち、数日中にはまた皆に集まってもらうよ。使いを出す」スドオ調査官は言った。期待の籠った眼差しでハルトを見つめて「調査結果次第だがね。ハルトくん、君には是非協力してほしい」
「やるなら、かなり大がかりになりますね」ハルトとしても、協力はやぶさかではなかった。エリのことが気がかりではあったものの。農場は期待できるし、何よりカムヅミカズラは少々厄介でも気楽な相手だった。「群れの規模にもよりますが。一定期間、殺し切らずに暴れさせるとなると、ガスマスクにフィルター、銃火器に弾薬が大量に要る」
「そこは安心したまえ」スドオ調査官は待ってましたとばかりに得意げな笑みを浮かべた。「こんな時のための陸軍錬馬駐屯地だ。あそこの物資を確保している。こんな時こそ大盤振る舞いと行こうじゃないか」




