3-5. 研究所
すぐ手前、右のドアから順に内部を確かめてゆく。ガラス張りの透明なドアの向こうには、スタンド式の灰皿と飲料の自販機が見える。休憩所だろうか。ハルトはその次のドアを僅かに開けて、手鏡を差し入れ確かめる。幾つものパーティションで仕切られた、ミーティングスペースと思しき大部屋だった。その次の部屋は図書資料室らしく、並ぶ書棚に書籍とファイルが大量が詰め込まれている。
興味を惹かれたハルトはその部屋に踏み込んだ。書棚には、背表紙のタイトルからなんとなく意味を察せる本も何冊かある。
「魔法関連の本もあるみたいですね」
ハルトは一冊を手にとって見た。タイトルは〈転移中の意識様態に関する考察〉。ざっとページをめくると、理力領域の呪文書に載っていた内容と共通する記述、同じ図が掲載されているのがわかる。
「火薬庫ね、ここは」皮肉のこもった声でエリが言う。ハルトの隣で並ぶ本の背表紙を眺めながら。「いえ、火薬庫のほうがまだマシ。そこが吹き飛ぶだけで済むもの」
ハルトは手の本を元の棚に戻した。興味がないではなかったが、のんびり考察している時間はなかった。エリの意味深な言葉についても。きっと彼女は今のこの状況について、ある程度推察できているんだろうと思う。
「ここは、何をする場所だったんでしょうか」
「これからわかるわ」
エリが図書資料室を出る。ハルトはその背を追った。
廊下突き当りのT字路に出る。道は左右に分かれていた。迷っていても仕方ないので、ハルトは右に進んだ。今度は廊下の左右ともに、ドアのない白い壁が続く。徐々に空気中に消毒液と消臭剤の匂いが漂い、進むにつれて濃くなっていく。〈審判の日〉前は喘息で、幼い頃は病院通いだったハルトには嗅ぎなれた匂いだ。
やがて左の壁に、両開きのスライドドアが見えてきた。
ハルトがドアの前に立つと、ドアは自動で左右にスライドして開いた。その瞬間、大小の白ネズミ、ラットとマウスが数匹、ハルトらの足元を駆け抜け、廊下へと散っていった。
室内に目を向けると、向かって左の壁面に液体で満ちた透明なケースが並んでいた。中央のデスクにはPC端末が4台差し向かいに置かれ、書類の束ねられたバインダーが積まれてある。床には空の金網ケージが転がり、割れた水槽のガラスとフレームが散っている。その合間に骸が2体、手足を投げ出して転がっていた。ほぼ骨だけの身に、茶色く汚れた白衣を着て。
「こうなっちゃうと、ゾンビ化したのかどうかわかりませんね」
部屋に踏み入りながら、ハルトは左壁面に並ぶ透明ケースを見た。ケース内には小動物……らしきものの標本が浮かんでいる。1つ目のケースにはマウス。ただし前半身だけが金属片から生えていた。あるべき後半身はどこにも見当たらない。2つ目はやや大きいネズミ、ラットだったが、こちらは体の左半身が黒い金属と、有機的な質感の蛇腹のパイプで構成されていた。3つ目には赤やピンク、白の臓物で形作られた小さな人型が浮かんでいる。
何これ? と思ってハルトは、ケースの隅に貼られたシールの記述を読んだ。20089号検体。カニクイザル、メス、4才3ヶ月、20XV/03/11、試行転移10046回で……
「これが、サル?」
ハルトは改めてケースの中に目を戻す。が、とてもカニクイザルには見えない。毛も皮もなく、内臓だけで形を成して見える。まるで肉体の内と外が入れ替わったような。
「転移実験の成果、かしらね」エリはいつの間にかハルトの隣に立ち、同じものを眺めていた。「これが時空をオモチャにした結果よ。わたしたちの種族のもたらした知識によるものか。この世界に流れ着いた漂着物から読み解いたのか。その両方か」
「転移を行うと、こうなる?」ハルトは金属片から生えたマウスの前半身を、"裏返った"サルの標本を改めて見た。腹の底に冷たいモノを刺しこまれたように感じてゾッとなる。「転移呪文は魔法学校の呪文書にも普通に載ってました。以前から使う魔術士だって……」
「転移呪文の行使や研究で『戻らない』魔術士、魔術師は常に一定数いるのよ」エリは淡々と告げた。「これは一般のエルフにも秘されてる。転移、時空の操作には、この三次元の先にある〈方向〉を知覚しなければならない。三次元の住人であるマヴド、人間は、概念は理解はできても体感としての知覚はできない。昔のエルフには少しだけその〈方向〉を知覚する力があったけれど。今は人間と大差ないわ」
エリの言葉を聞いたハルトの内に、憤りが湧きあがる。正規の魔術士限定とはいえ、空間転移の呪文は流布している。レスキュー隊の魔術士などは、短距離転移の呪文を災害救助に役立てていた。きっと、こんな標本のようになる危険も知らずに。
「じゃあなんで、転移呪文の使用と研究が許されてるんですか?」
強い語気で、ハルトは問うた。エリが悪いわけではないことはわかっているのに、止められない。
「恩恵もあるからよ」エリの視線が、半身が黒い金属とパイプになったラットに移る。「たぶんだけど、ここの実験の目的は同次元内の空間跳躍じゃない。かつてエルフたちがいた次元があったように、この次元を越えた先には別の次元、異世界があり、そこにはこの世界にない知識と技術、物質がある。転移で空間を跳躍する際に通る"どこでもない場所"〈次元の狭間〉は……」
その時、室外から甲高い女の悲鳴が響いてきた。
「生存者がいる?」
ハルトはエリを顔を見合わせる。話はいったん休止、とばかりに互いに小さく頷き合うと、二人は自動ドアを飛び出した。再び悲鳴。今度は途切れ途切れに。声に向かって廊下を駆けてゆくと、先のT字路の交差部分に、腹ばいになった女の姿が見えた。
「誰かっ、た、助けて……」
白衣を着た若い女が上体を起こし、顔を上げる。乱れた長い黒髪の間から覗く顔は血まみれだ。
駆ける速度を速めるハルトは、額に今まで感じたことのない熱を感じた。防御紋が反応してる? 女が助けを求めて、こちらに向かって手を伸ばす。視界の女の姿が徐々に大きくなる。それにつれて、額の熱も増した。
女のひとの近くに何かがいる? エリの言葉が確かなら、異次元の存在か、混沌寄りの生きものとやらか。T字路の左、見えない廊下側からバタバタと大きな足音が聞こえてきた。この女のひとを怯えさせているのはそいつか。
はてさて鬼が出るか蛇が出るか。ハルトはロッドケースを落として女の前に飛び出すと、足音の方角に向かって魔力の剣を構えた。
そして絶句する。目の前に現れた異形の存在は、かろうじて人のカタチに見えはした。2m近くある大きな体躯は、つなぎの作業着めいた衣服に包まれてはいる。頭の位置には軍のものと思しきヘルメット。しかしその下の顔貌は青黒く、てらてらとした粘液に濡れ、鼻があるべき位置から喉にかけて幾本もの太い触手が垂れ蠢いていた。大きな2つの目に瞼はなく、隆起した黄色い眼を黒く長い瞳孔が縦に走っている。首から上だけなら、殻の替わりにヘルメットに棲まうオウムガイのようだ。
いつかの夢で見た巨怪めいた生きものが、太い両腕にコイルとパイプ、謎の機械からなる、銃器のように見えなくもない装置を抱えてそこにいた。
装置の銃口がこちらを向く。その銃身を叩き落すべく、ハルトは反射的に剣を振り上げて
降ろされてゆく銃口に驚く。あれ、僕を撃つんじゃ……と思った瞬間
「ハルト!」
エリの警告に弾かれるように。振り向いたハルトは見た。
血まみれの女がいつの間にか身を起こしていた。その頭の鼻から上が花咲くように割れる。顔があった場所から白い触手が生え、鞭のようにしなりながらハルトに襲いかかった。
「くっ!」
あまりの速さに反応できない。触手は魔力の鎧の隙間を縫ってハルトの首に巻きつくと、狩人の矢のように返しの付いた先端をハルトの顔面に向けた。
ハルトは咄嗟に魔力の剣を振るって触手を切断する。すると女だったものの顔の残り部分から、同じ触手が次から次へと飛び出してきた。
「伏せるんだ!」
背後の人型の巨怪から、男の声が発せられる。
何がなんだかわからないまま、ハルトは少なくとも人間らしく聞こえた言葉に従った。横に倒れこむように転がる。
エリが身を低くしてハルトと場所を入れ替わり、女だったものにライフルの銃口を向け引き金を引いた。
同時に巨怪の手にあった装置が光弾を放つ。ともにフルオートで連射された銃弾と光弾は、女だった生きものの触手を千切り体に無数の穴を穿った。
すると女だった生きものは、半ば粉砕された身をくねらせながら後退した。両脚に見えたものは一本の太く長い黄褐色の軟体で。その軟体は5、6m先にある瓦礫の山の穴ぐらへと続いていた。
軟体は銃弾と光弾を避けながら、千切れた女の体を引きずって瓦礫の山の穴の中に潜り込む。
巨怪の光弾とエリの銃弾が瓦礫の山に注がれるも、瓦礫を成すロッカーやデスクの残骸がどういう仕組みか弾いてしまう。二人が撃つのを止めると
「任せな!」
若い女の声とともに、巨怪の陰から小さな姿が飛び出した。人のカタチをしているが、身長は1mもない。子ども?ゴブリン? 巨怪とよく似たつなぎの作業着からは、青灰色の毛並みが覗く。ヘルメットの下の顔は毛に覆われた獣のものだ。
小さな獣人の女は裸足で壁を駆け上がる。そのまま瓦礫の真上の天井にぶら下がると、頭足類頭の巨怪のものとよく似た装置の銃口を穴に向け、光弾を叩き込んだ。
光弾が撃ち込まれる度に瓦礫の山が震え、やがてその震えが止んだ。
「一丁あがり、っと」意気揚々と、獣人の女が逆さのまま天井を歩いてくる。「おたくら、研究所ははじめてかい?」
研究所。薄々察していたことだったが、実際に告げられると多少の衝撃はあった。ここは企業の、恐らくはKBC社の秘匿された研究施設。ハルトは立ち上がると、目の前の二人を交互に見た。天井に逆さに立つ獣人の女と、頭足類めいた頭の巨怪を。獣人の女は恐らく〈審判の日〉後に現れた変異者だ。巨怪のほうも、恐らく同じ。見た目のインパクトがあまりに凄まじいが。
「ありがとうございます。助かりました」ハルトは礼を述べた。首に巻きついたままの触手をむしり取って落としながら。「ここには仕事で来ていて」
ハルトはほどほど曖昧に表現した。受け答えは問題なさそうな二人組ではあっても、今の世の中その程度では信用できない。
「我々も似たようなものだ」巨怪は、その頭からは想像し難い流ちょうな言葉で言った。「こういった施設を専門に探索している。主に復興庁の依頼でね。彼女と私、こんなナリだ。あまりおもての廃墟をうろうろできなくてね」
笑った、のだろうか。ゴフフと水中音のような音が喉の辺りから聞こえてくる。
確かにそれもそうだろうとハルトは思う。獣人女性のほうはともかく、この人?と外で遭ったら自分でも即、攻撃しかねない。
「不快な思いをさせてしまったならすまない。市庁舎に出向く時はマスクを付けていくのだが、こういった場所では開放的な気分になってね」
「いえ……」
ハルトは咄嗟に否定したが、後に続けられる言葉がなかった。現に先ほどは敵と間違え攻撃しかけた。
ただ彼らの口ぶりからは、こういった施設の知識が豊富なことが窺える。話も通じそうだ。ここは思い切って情報を開示して、協力を仰いだほうが得策かもしれない。何せ仕損じれば、トアの言葉どおりなら錬馬市が消えるのだ。
ハルトが判断の是非を尋ねるようにエリと目を合わせると
「任せるわ」
とだけ返された。
「僕らはさる人の依頼で、この施設の何処かで開きかけている次元の穴を閉じに来ました。次元の穴が開けば、錬馬市一帯が消えてしまうそうです。手伝ってはもらえないでしょうか?」そこまで言って、ハルトは名乗っていないことに気づいて「僕は……」
「ハルト君、だろう?」頭足類頭の巨漢は訳知り顔、のように感じられる口調で言った。「知っているよ。君は有名人だからね」
「スドオ調査官の懐刀」獣人の女は床に降り立つと、チェシャ猫のようなニヤニヤ笑いを浮かべた。「エルフの美女を侍らせて、要塞化した豪邸で優雅に暮らす。報酬次第で何でもやる、錬馬市最強の魔術士」
「そんな風に言われてるんですか?」
心外だ。必死に生きてるだけなのに。ハルトが同意を求めるようにエリを見ると
「だいたい合ってるじゃない」エリはハルトに向かって意地の悪い笑みで返し、巨躯の怪人と小躯の獣人の二人に言った。「わたしはエリ。はぐれもののエルフ。彼の愛人、みたいなものかも」
凹むハルトを見て、頭足類頭の巨漢はゴフフと笑う。そして意外と若い男の声で言った。
「協力しよう、ハルト君。私はこれでも異次元の事象や生物にいたく興味があってね。こんな仕事を続けているのはそれもあるのだよ」そこで巨漢はリュックから伸びるホースを口に咥える。「失礼、この体になってからひどく喉が渇き易くなってね。こうしてしょっちゅう水を飲まないとやってられない。私はトンジャサワ・アツロウ。こうなる前は大学院で藻類の研究をしていたんだ。そして」
「アタシはライカ。センセーの助手さ」アツロウに促されて言うと、獣人の女はその青い体毛で覆われた右手に紫電の火花を散らせた。「これでも成人してんだ。舐めたらぶっ飛ばす」
招雷の魔術士? にしては呪文詠唱の素振りはなかった。そんなハルトとエリの驚きが伝わったのか
「彼女は操電能力者だ」アツロウが言った。「〈審判の日〉の影響なのか、その後の世界の影響なのか。呪文もなしに事象を書き換える力を持つ者たちが現れた。実に興味深い。私もこの体になってから、頭の回転が良くなったよ。こんなものを造れてしまった。容姿のことなど気にしないから、平和な頃にこの頭脳がほしかったね」
エネルギー火器を手にゴフフと笑うアツロウを前に、ハルトは市庁舎前で薬をねだってきた女のことを思い出す。彼女も精神感応能力者。人の心を読む力を持っていた。
互いに自己紹介とも言い難い名乗りを終えて、改めてハルトは思う。この状況では、二人の危機対処能力は自分以上だ。エネルギー火器を使いこなすその戦闘能力もありがたい。ただこの時代、協力には対価が必須だ。どうしよう。惜しいけど、事が済んだら〈夢幻の鎚〉を分けようか。
まあ、考えるのは仕事を終えてからでいい。
「そろそろ行きましょうか」ハルトは言った。「時間の余裕はあるみたいなんですが、早い方がいい」
「そうだね」アツロウはホースを口から離すと、エネルギー火器のバッテリーと思しき部品を交換した。「この先にロックがかかったシャッターがある。危険度が高いんで引き返そうとしていたんだが。そんな状況なら押し通るべきのようだ。幸い人手が増えた。突破できると思う」




