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3-2. 夏の午後

 窓辺に吊るした風鈴が、りぃんと涼やかな音を鳴らす。音は束の間、聞く者の耳に涼をもたらすものの、すぐにジージーと賑やかな蝉の合唱に溶けていった。

 死者と怪物が蔓延る世界になる前は、とんと聞かなくなっていた蝉の声。それも今は昔、蝉たちはかつての個体数を取り戻し追い越す勢いで繁栄している。

 人間が減ったからだよな、やっぱり。ハルトはそんなことを考えながらシャーペンをノートに置くと、ぬるくなったコップの水を飲んだ。ちょうど学び始めた森羅ペルヒトの魔術領域は、自然、世界の生命との調和を術の根幹に据える。世界がこうなる前の人類は、他の生命の生存域を壊して顧みなかった。自業自得なのかもな、今の状況。とも思う。森羅の思考法に影響されたわけでもないけれど。

 案外、今のほうが人類以外の生命には棲み良いのかもしれない。空気が汚れなくなったせいか、喘息の症状もなくなったし。ハルトが地球環境について思いを馳せていると

「ハルトぉ」力ない女の声が、背後から聞こえてきた。「あつぅい……」

 ハルトが椅子にかけたまま振り向くと、エルフの女が寝椅子に横たわって溶けていた。文庫本を持った右手がフラフラと力なく垂れている。

「まあ、夏ですからね」

 ハルトは壁にかけた針式温湿計を見た。現在31℃。今は七月初旬で暑いは暑い。しかし〈審判の日〉前は三〇度代後半まで行く日もざらにあったことを考えると、さほどひどい暑さとも思えなかった。Tシャツと短パンだけになれば、耐えられないこともない。これも人間の活動が減ったお蔭か。

「なんとかしてハルト」ぐったりと弱々しい声でエリが乞う。彼女は実に暑がりだった。「このままじゃ煮えて死んじゃう」

「地下室行ったらどうです? 少しはマシですよ」ハルトは言った。拠点としているこの豪邸には、倉庫として使っていたと思しき地下室があった。「この間、ベッド置いてライト引き入れましたし。晴れ続きだから電力も気にしないでいいですよ」

「静かすぎてなんか嫌」

 しょうがないなあと苦笑しながら、ハルトは椅子から立つと、広間の窓際まで行って呪文を唱えた。

 空気中の水分が集められ冷やされ、拠点の中庭に冷蔵庫大の氷柱が顕れる。氷焔クトゥギズムの魔術領域を学んでいてよかったと思うのはこんな時だ。

 風鈴が鳴り、広間に低温の空気が流れ込んでくる。

「生き返った気分……」うっとりと冷気を浴びながら、エリは体をハルトに向けた。「ハルトといられてよかった。そうでなきゃ暑さで死んじゃってたわね。何よりお風呂も入れない生活なんて無理」

「僕は家電ですか?」

 少しムッとしてハルトが言うと

「そう、とっても素敵な家電」エリはころころ笑いながら、ハルトを見つめる。「なければもう、生きていけないもの」

 不意の真剣な眼差しに、ハルトは胸を撃たれたような衝撃を受けた。いつものからかい、と思い込むには、女の不思議な色の瞳は真っ直ぐすぎて。どう受け留めたものか、どう返したらよいのかわからなくなる。

 違う。そうじゃない、と思う。僕はどうしたいのか。僕は彼女とどうなりたい? 湧き上がった衝動のままに、ハルトは言葉を紡ごうと口を開きかけた。のだけれど

「あなたの剣の師はかき氷を所望です」すぐにエリの瞳はいたずらなものに変わる。「立ってるついでにお願いできる?」

 ハルトはくっと言葉を呑み込んだ。うまくはぐらかされてなんだか悔しいものの、こうして手のひらの上で転がされるのも悪い気はしない。

「まあ、僕もちょうど休憩するつもりでしたし」言って、ハルトは広間に置いた冷蔵庫に向かう。「食べ過ぎておなか壊さないでくださいね」

 ハルトは冷蔵庫横の手回しかき氷器を作業机に置いた。ついこの間、街の探索中に見つけたものだ。エリと暮らしていなかったら、きっと持ち帰ろうとは思わなかったろう。

 呪文を唱えて飲料水のタンクから氷塊を造り出し、装置にセットした。ミルク氷だったらもっと美味しいものになるのかな、とは思うものの、この時代、牛乳はまず手に入らない。粉ミルクでも代用効くのかな? それにしても

「エリさん、去年とかどうしてたんです?」レバーを回しながら、ハルトは気になったことを訊いてみた。「今年なみに暑かったと思うんですけど」

「わたしがいた避難民キャンプ、エアコン完備だったのよ。コンテナハウスでね。千与多ちよた市は、災害対策に力を入れてたみたいだから」

 地盤や建物の関係で地下にシェルター建築できない地域は、地上に避難施設を設けている。それはハルトも知ってはいたものの、驚いた。裕福な自治体はすごいな、と思う。

「エリさん、イチゴとブルーハワイとメロン、どれにします?」ハルトは二つの皿に氷を盛ると、かき氷器と一緒に回収したシロップの瓶を取り出した。「違うのは色と香りだけで、味はみんな同じなんて聞きますけど」

「メロンがいいわ」

 ハルトはエリの氷にグリーンのシロップをかけ、スプーンをつけて手渡した。自分の氷は大きめのコップに流し入れ、冷蔵庫から出したスポーツドリンクを注ぎ込む。

 スポドリ氷を咀嚼しつつ、ハルトはエリを眺めた。

 寝椅子の上で体を起こしたエリは、嬉しそうに氷を口に運んでいる。下着だけ、グレーのスポーツブラとショーツのみという格好で。

「エリさん、さすがにその、もう少し服着ましょうよ」

 日中の明るさのもとで見る彼女の姿態と肌は、何だかんだと目の毒だ。

「いいじゃない別に。他に誰が見てるわけでもないんだし」エリは言った。じぃっと笑みを含んだ目でハルトを見ながらかき氷を飲み込む。「それにハルトは見慣れたものでしょう?」

 エリが豊かで形の良い胸を強調するように突き出して見せてくる。ハルトの脳裏に昨夜の記憶がまざまざと蘇った。圧しつけられたり挟まれたり。いろいろ。

「……油断してると風邪ひきますよ」

 負け惜しみのように言うと、ハルトはデスクに向かって魔法の勉強を再開した。今度は理力ウムラタウィルの領域、世界の法則の支配について。

 蝉の声と風鈴の音を背景に、ノートに書き込むペンの音と、文庫本のページが捲られるかすかな音だけが広間に響く。

 集中していると時を忘れる。ハルトが半ば溶けたスポドリ氷を喉に流し込んでいると、ふっと顔のすぐ横からうっすら甘い匂いが香った。

「何を勉強してるの?」

 ハルトのすぐ真横に顔を並べて、エリが机に広がった魔術書を見ていた。

「空間転移の呪文ですよ」ハルトは開いた頁の記述を指さした。「この前〈白熱の手〉の呪文でシャッターを溶断しようとして、うっかり中を燃やしちゃったじゃないですか。座標を指定して転移できれば、探索も色々捗るかなって」

 エリ自身は魔法を使えない。と言いつつも、魔法そのものに関する知識は豊富で。こうして勉強していると、あれこれ理解の助けとなるアドバイスをくれる。ハルトは元々正規の魔法教育を受けていない。そのため、この世界の魔法の祖たるエルフの講釈はありがたいことこの上ない。

「座標の指定は熟達しないとできないみたいなんですが。そこまでできなくて転移先がランダムになっても、緊急退避にも使え……んむっ?」

 言葉の途中で、ハルトは口内に甘く冷たい氷の欠片が流し込まれた。何かを言おうとする舌はエリの舌に絡めとられる。

 こくこくと溶けたかき氷を嚥下しながら、ハルトは舌でエリに応えた。絡み合う舌から伝わる甘い感触に思考を邪魔されながら、それでも考える。急にどうしたんだろう。エリからの唐突な誘いは珍しいことでもなかったものの、何かに集中している時は初めてだった。

 エリの手が首に巡ってくるのに合わせ、ハルトはエリの腰に手を回した。薄布一枚あるかないかで触れ合う。互いに汗ばんでいるのに、全く不快に感じない。それどころか触れ合う箇所がしっとりと溶けあうような感覚に陶然となる。

 椅子にかけたハルトにまたがるように、エリが圧し掛かる。ひとしきりハルトの口内を蹂躙した後、彼女は口を離してハルトの首筋に顔を埋めた。そして彼の左耳に口を寄せると

「転移を弄ぶのは止しなさい」冷厳ともとれる声で、言った。「時空の操作は定命者モータルの手に余るの。メルネヴェの、エルフの過ちを繰り返しては、だめ」

 どういうことですか? と訊き返したい気持ちが湧き上がるも、ハルトはそれを押し留めた。エリの声は半ば懇願も帯びていて、彼女に触れた手からはかすかに震えが伝わってきたから。

 エリさんが、怯えている? これまでにないエリの様子にハルトは戸惑う。エリさんのことは何もわからない。これまでに何をしてきたのか。どう生きて来たのか。出会う前の過去のことは、何も。

 何事にも動じなさそうなひとが、何にそこまで怯えているのか。気にならないと言えば嘘になる。でも自分がそれを訊いていい人間だとも思えない。

 この行為には誤魔化しがあるのかもしれない。けれどハルトはエリを抱き締めた。こういう時は、きっと寒いものだから。

 するとエリも、ハルトの首に回した腕に力をこめて

「ありがとう」

 と囁きながら、またハルトの唇を奪った。

 理由はどうあれ、求められて嬉しくないはずもなく。ハルトはエリの体を抱えると、一緒にベッドに倒れ込んだ。口を離してエリの首筋に顔を埋め、髪とうなじのほのかに甘い香りを楽しみながら、背から腰へと撫ぜさする。

 抱き合いながら、ハルトは思う。彼女と体を重ね始めてもう3ヶ月以上経つのに、飽きるどころか日増しに性感が鋭敏になっているように感じる。磁石に触れ続けた鉄片が磁力を強めてゆくように。世の恋人同士や夫婦は皆、こうなるのだろうか。

 ハルトはエリに覆いかぶさると、その背に手を回した。エリの手がハルトのTシャツをまくり上げて放る。互いに抱き締め合い、汗ばんだ肌と肌が密着する。溶け合うような感覚に、ハルトは大きく安堵めいた息をついた。こうして肌を重ね合うと、欠けた何かが埋まるように感じる。元は一つだったものが二つに分かたれ、再び一つになったような。僕とエリさん、二人、種族も異なれば所属していた社会の階層も違う、きっとお互いに相応しい年齢でもないのに。

 エリが誘うような目で見つめ、舌をチロリと覗かせる。

 砂漠で果実を見つけた渇いた旅人のように、ハルトはエリの口を貪った。そのまま心の赴くままに、快感を、気持ちよさを伝え合う。体を重ねて絡まり合い、快感の奔流に浸され溺れそうになりながら思う。このまま溺れて、何もかもわからなくなってしまうのもいいかもしれない。エリさんとつながったまま、一緒に痛みもなく溶けて消えていけたなら。

 子もできない、快楽だけの不毛な行為を繰り返す。このことに意味はあるのだろうかとも思う。けれど僕らは、他に相手の痛みを遠ざけるすべを知らない。

 二人、目を見交わして笑い合う。こんな時だけ、言葉にしないでも伝わってしまう。ねえ、気持ちよくなって。もっと気持ちよくして。人とエルフの築いた文明は崩壊し、世界は終わりに向かっている。今の僕らに、わたしたちに、他にやるべきことなんてない。

 互いの体内でマグマのように溜まった熱が、出口を求めて荒れ狂う。二人、心を伝え合って至った頂の快感は、一瞬にも永遠にも感じられて。

 大きく息をつくと、ハルトはエリを抱えたままベッドに仰向けに倒れ込んだ。いまだ重なったままのエリの体を感じながら、心地よい疲労感に浸る。耳元で聞こえるエリの荒い息遣いが、満足感を更に高めた。

 ハルトはエリの背に手を回すと、ゆったり撫ぜさすりながら余韻に浸る。最中に咬まれた左肩がくすぐったい。何だろうとそちらを見ると

「ごめんなさい、ハルト」ハルトの左肩の傷を舐めて、エリが言った。すまなそうに目を伏せて。「また、やってしまった……」

 エリは昂ると咬む。本人が意識してやっている行為ではないようで、彼女はこうして事が済むと謝罪してくることがあった。

 ハルトとしてはさほど気にしていなかった。いやむしろ

「気にしないでというか、その、マーキングされるのは悪くないというか、エリさんに独占されてるみたいで嬉しいというか」

 足りない言葉でハルトは満足を伝えた。するとエリはハルトの頭を両手で挟み、唇を重ねる。情事の真っ最中のように舌を激しく絡め合うのではなく、彼女の舌はそっとハルトの口内を撫でてゆく。

 口から口に労りに満ちた熱が伝わる。互いの汗にまみれた体はぴったり隙間なく重なり、つながったままの下半身にはゆるゆると熾火のような快感が続いている。その一体感に、ハルトはエリとの自他の境界さえ曖昧に思えてきた。閉じた瞼の裏を一瞬、万華鏡模様の裾が翻って通り過ぎるのが見えた気がした。

 窓からの風に風鈴が鳴る。風が氷柱を過ぎて広間を吹き抜け、二人の火照った体を冷ます。そして涼やかな風はハルトの頭も少し冷ました。

 時空の操作は定命者、命に限りがある者の手に余る、か。エリさんがそう言うなら、きっとそうなのだろう。ハルトに疑念は全くなかった。ただ今後の活動のためにも、壁やら塀やら金庫やらを抜ける、あるいは破壊する手段は持っておきたい。そもそもエリを助け出せたのも、トアさんの何でも壊せるハンマーのお蔭だ。

「どうしたのハルト」キスを止め、ハルトの耳に顔を寄せてエリが訊いた。囁くように。「考え事?」

「ええ、ちょっと買い物に行こうかなと」ハルトは横を向いて、エリと目を合わせる。「ちょっと高い……というか、どんな難題を頼まれるかわからないんですが」

 きょとん、とエリは不思議そうに目を丸くする。

「そう遠くもないんで。日が落ちて、涼しくなったら行きましょう」言いながら、ハルトはエリの手に手のひらを合わせ、指を絡めた。「もう少しだけ、こうしていていいですか? 後でお風呂用意しますんで」

 エリは言葉の代わりに手を握り返すと、ハルトの首元に顔を埋めて目を閉じた。

今回のパート、もうちょっと力をこめて書いたバージョンをノクターンノベルズに公開しています。18歳以上でご興味のある方は、作者名「しんのきつぬ」かタイトル「ゾンビアポカリプス世界で少年がエルフのお姉さんと過ごす夏の日」で検索ください。

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