第2話エイリアンのライバル(2)
「オロロロロロロロロロロ…。」
オーナーと食事に行った翌日、僕はトイレで吐瀉物を垂れ流し続けるだけの、汚いマシーンと化していた。
今日も失敗ばかりで、せめてお客さんを喜ばせようと、ミスをするたびにシャンパン一気をした結果、この様だ。昨日オーナーに奢ってもらった中華料理は、すべて便器の奥へ流れていった。
便器の水溜まりに、吐いたあと特有の青白い顔をした自分が映る。なんとも情けない顔だ。
惨めな心境のまま、嗚咽を繰り返していると、洗面台の方向から話し声がする。誰か入ってきたようだ。
「いやぁ〜、やっぱ人間相手の接客は最高だな!」
「ホントそれな!マジでエイリアン専門とか選ばれなくて良かったわ〜。」
話す声と内容から察するに、自分が入店したばかりの頃に業務を教えてくれた先輩たちだ。個室にこもっている自分に気づかず、明るい声で談笑を続ける。
「そういやコメットのやつ、最近見ないな。辞めたんだっけ?」
「いや、あれだよ。エイリアンの…。」
「あー!そうだった!あいつも可哀そうにな。TERUさんのパシリだろ?」
「パシリっていうか奴隷だな。まあ俺たちは楽だけどw」
「それな!マジであの人いないだけですげー楽しいわw」
「ホントホント!No.1だかなんだか知らねーけど調子乗りすぎなんだよ。」
明るくカラッとした声色とは裏腹に、ジメジメとした陰口が続く。その内容の陰湿さに、更に気分が悪くなる。さっさと出て行ってくれと願っていたが、どんどんとエスカレートしていく。
「あいつ、あんなんだから友達いないんだよなw」
うるさい。
「そうそうwだから女に媚びて承認欲求満たしてるんだろw」
黙れ。
「恥ずかしげもなく姫~とか呼んじゃってなwあんなやつ本気で好きになる奴なんかいねーっての!」
バンッ
嘲笑混じりの会話に限界がきた。頭で考える前に、身体がドアを蹴破っていた。突然飛び出してきた自分に驚き固まっている2人と目が合う。
「あんたら…」
2人を睨みつけながら、神妙な面持ちで喋りだす。自分の様相に慄きながら、2人は次の言葉を待っている。
「TERUさんは…」
凄みをつけて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ごのっ、びぼぼびっ、ばべぼびぼろろろろろろ。」
ダメだった。ここで限界が来た。決め台詞を吐く前に腹の中身を吐いてしまった。
「うわあああー!何してんだ!」
「便器に戻れバカ!」
こうして、言いたいことも言えないまま、今日は終わった。介抱してくれた2人に、不服ながらもお礼を言った後は、ゾンビのような顔色で1人締め作業をしていた。
「うっ…また吐く…。」
トイレまで我慢できず、近くに置いてあるゴミ箱へと向かう。
「オロロロロ…ん?」
ゴミ箱の近くに手帳が落ちていた。スマホで何でもできるようになった時代では、あまり見かけることのない革でできたブランド物の手帳だ。
「今時珍しいな…。名前は…書いてないな。」
他人のプライバシーを侵害するのには気が引けたが、ブランド品が持つ特有の魔力のような何かに惹かれてページをめくった。
「なんじゃこりゃ。ひどい走り書きだ。」
手帳には、びっしりとメモが残されていたが、そのすべてが判読不可能なほど汚い字だった。もはや日本語であるかも判別できない。適当に事務所へ置いておくかと思ったその時、後ろから声を掛けられる。
「あっ新入り!それ俺の手帳!」
私服に着替えたTERUさんがいた。一度帰った後に、また店へ戻ってきたようだ。
「ああ、そこに落ちてたんすよ。どうぞ。」
「おう。…中見たか?」
「いえ、大丈夫っすよ。読めなかったんで。」
「見てんじゃねーか。」
「…あっ!すんません、つい…。」
「チッ。まあイイよ別に。No.1の秘密を暴きたいって気持ちは当たり前だからな。」
「全然そういうのは興味なかったんですけど…。それ、何が書いてあるんすか?」
「これか?しょーがねぇ。特別に見せてやろう。」
そう言いながら、TERUさんは手帳をめくり一つずつ説明を始めた。
「これが3日前に来店したお客様の趣味とか好きなものをまとめたページで、これが今日来店したお客様の情報で…」
「え、これ全部お客様のメモなんすか⁉」
「おう。暗記とかするなら、メモに残した方がいいって前に働いてた学生が言っててな。やっぱ学生って頭いいんだな。これと同じメモが家にあと14冊あるぜ。」
平然とした顔で、TERUさんはメモの続きを説明する。説明されたうえで、文字は読めなかったが、そこにはTERUさんが今まで接客してきたお客さんの情報が、事細かに記されていた。
「すげぇ…!すごすぎてキモいっすよ、TERUさん!」
「ガーハッハッハッ!そうだろう!これがNo.1の仕事術だ!…今キモいって言った?」
「やっぱり、TERUさんって誰よりも仕事が好きなんすね。」
「ん?」
「女の子を喜ばせるために、全部の情報をメモしてまとめておくなんて…。仕事が好きじゃなきゃここまでやれないっすよ。俺、初めてエイリアンが来店したときのTERUさんの接客見て、絶対同じようにはできないって思った反面、めちゃくちゃかっこいいとも思ったんすよ。」
「新入り…。」
「TERUさんの陰口言ってるやつもいますけど、僕は仕事に誠実なTERUさんのこと、尊敬してます!」
先ほどまでの吐き気はどこかに飛んでいき、夢中になって喋っていた。
そんな僕を見て、TERUさんはゆっくりと口を開く。
「いや…そんな好きじゃないけど…。」
「あれ⁉」
「え、てか俺、陰口言われてるの…?」
「あ、いや、それは…。てか、噓っすよね⁉ホストの仕事が好きじゃないって!」
「いや、マジで。人間嫌いだし、俺。」
「そ、そんなぁ!じゃあ、何でこんなに頑張ってるんすか!」
「それはな、一種の復讐ってやつだな。」
「復讐?」
「ああ、今でこそ欠点のない完璧なNo.1である俺だが、昔一度だけ俺の告白を断ってきた女がいるんだ。」
「へー。」
「それで誓ったんだ。ちょうどナキオがホストクラブのオーナーをやってたし、No.1ホストになって、モテモテになって、あの女を見返してやろうって。」
「へー。で?」
「ん?」
「いや、続きは?」
「いや、終わりだけど…。」
「…えっ、終わり⁉これで⁉︎しょーもな!なんすかその動機⁉」
「うるせぇ!立派な動機だろうが!きっと、あの女は成長した俺を見て、今すぐにでも結婚してくれとせがんでくるだろう。だけど俺は、クールにこう言ってやるんだ!『お前なんかお断りだ』ってな!」
「いや、振られた女にそんなこと言うのダサすぎでしょ!あの日、タクシーで『お店の中だけでも夢を見せるのがホストだ!』とかかっこいいこと言ってたくせに!ちょっと憧れて損した!返してくださいよ!俺の尊敬の眼差し!」
「知るかぁ!大体馴れ馴れしいんだよてめー!」
ギャーギャーと人のいないフロアで騒いでいると、オーナーがやってきた。
「なんだコメット。前はあんなこと言ってたのに、すっかり仲良しじゃないか。」
「オーナー!聞いてくださいよ!この人ただのアホっすよ!」
「あっお前!アホって言う方がアホなんだぞ!」
オーナーが来ても変わらず言い合いは続く。そんな僕たちの様子を見て、オーナーは嬉しそうに話し出した。
「いや~いいねぇ。2人が友達になってくれて俺もうれしいよ。」
「あぁ⁉友達じゃねえよ!」
「そうっす!友達じゃないっす!」
「あれ?そうなの?」
「そうっす!俺は決めました。俺はTERUさんの———」
「TERUさんの?」
「ライバルになります!」
「はあ?」
TERUさんだけでなく、オーナーもきょとんとした顔をしていた。構わずに続ける。
「こんなアホな人がNo.1のクラブなんて、そのうち潰れちゃいますよ!僕がNo.1になって、このLUNA・LUXを守って見せます!」
「なっ…生意気な!お前なんかNo.1になれるかよ!」
「い~や!なってみせます!」
「アッハッハ!良きかな良きかな!気に入ったよコメット!頑張れよ!」
「ありがとうございます!オーナー!」
「おいナキオ!お前どっちの味方なんだよ!」
唐突なライバル宣言に、TERUさんは怒り、オーナーは涙を浮かべて大笑いしていた。
「いや~、面白い。こんなに笑ったのは久方ぶりだ。そうだ、2人とも。これで乾杯しないか?」
そう言いながら、オーナーはバーカウンターから、高そうな酒瓶とグラスを持ってきた。お酒はお店のメニューに載ってる銘柄ではない。TERUさんが怪訝そうに伺う。
「なんだよこれ?」
「俺が勝手に置いてる酒。」
「僕、注ぎますよ。」
オーナーから酒瓶とグラスを受け取り、まずはオーナーの分を注いで渡す。TERUさんは、注ぐ前になぜかグラスを手に取っていた。仕方なくTERUさんにお酌をしながら、再度宣言する。
「いつかTERUさんを超えて見せますからね。」
「新入り…。」
しばらく、睨み合う沈黙の時間が続いたが、TERUさんの一言によって破られる。
「こぼれてる!こぼれてる!」
お酒はグラスに並々と注がれ、ボトボトと床に零れ落ちていた。
「あぁ~ごめんなさい!」
「何やってんだバカ!」
「アッハッハ!No.1になる前に、まずそのドジをなおさねぇとな!」
「うぅ…言葉も出ない…。」
「ったく…。おい、コメット!」
「はい!」
「間違ってもお前には負けないからな!まずはちゃんと仕事を覚えろ!」
「…!はいっす!」
この時、何気に初めて名前を呼んでもらえた事実に感動する。嬉しさをはぐらかすために、照れ隠しで大声をだす。
「よぉ~し!じゃあ今日は僕とTERUさんのライバル記念ということで!かんぱーい!」
「なんでお前がしきるんだよ。おら、乾杯!」
「いや~青春だねぇ!乾杯!」
3人でグラスをぶつける。お店のものとは一味違う、芳醇な香りを楽しみ、一気に胃へ流し込む。アルコールが喉を通り過ぎたくらいで、身体があることを思い出した。
「あっ…飲みすぎで吐いたばかりなんだった…。」
「え?ちょ、うわあああ待て待て!」
「ぎゃー!バカコメット!せめてゴミ箱に…あー!やりやがった!」
せっかくの高いお酒も汚物に変わってしまい、閉店後のお店には男の雄々しい悲鳴が響き渡った。TERUさんのライバルを名乗るには、もっと肝臓を鍛える必要がありそうだ。
掃除を終え、家に帰れたのは、うっすらと朝日が昇る時間帯だった。