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第三章 きみの癒しはわたしの支配、もふもふは沈黙の装置

「じゃあ、もふもふはどうなの」


わたしは、議論の対象を、物語のもうひとつの重要な要素へと移した。イザベラに懐く、白くて、大きくて、ふわふわの毛皮を持つ、伝説の聖獣。読者からは、そのまんま「もふもふ様」と呼ばれ、マスコット的な人気を博しているキャラクターだ。


「もふもふ聖獣。あれこそ、この物語の欺瞞性を象徴する、最悪の存在だとわたしは思うんだけど」


「最悪、とまで言う?」沙耶は、すこし意外そうな顔をした。「まあ、さっきも言ったけど、感情労働を担わされている、都合のいい動物だってのは、その通りだと思うけど」


「それだけじゃない。あれは、もっと狡猾で、たちの悪い役割を担っている。昔の植民地の独裁者が、いかにしてグロテスクで、奇妙な儀式を通じて、自分の力を保ってきたかを書いた学者がいたけど、それに似てる。『俺を愛せ』って、支配者が人々に無言で命じる、あの感じ」


「もふもふが、独裁者の儀式?」沙耶は、さすがに眉をひそめた。


「そうだよ。考えてみて。イザベラが辺境の村で成功をおさめ、その名声が高まってきたころ、この聖獣は、まるで彼女の功績を祝福するかのように、天から遣わされてくる。そして、だれにも懐かなかったはずの聖獣が、イザベラにだけは、まるで子猫のように喉を鳴らして甘える。このシーンは、物語の大きな見せ場だよね。村人たちは、それを見て、『おお、イザベラ様は、聖獣にまで愛される、真の聖女様なのだ』と、彼女への帰依を絶対的なものにする。これは、奇跡を見せつけることで、カリスマ的な支配を確立する、すごく古典的な政治の手法だよ。聖獣を愛することが、イザベラへの忠誠の証になる」


「なるほど。聖獣の『もふもふ』は、イザベラの力を神聖なものに見せかけて、正当化するための、すごく効果的なプロパガンダになってるわけだ。村人たちは、彼女が作った経済的な仕組みだけじゃなくて、この『もふもふ』っていう逆らえない魅力によって、感情的にも完全に支配されてしまう。彼女を疑うことは、この可愛い聖獣を疑うことにもなっちゃうから」


「そう。しかも、この『親密さ』は、すごく一方的だ。イザベラは、聖獣を撫でて、癒される。村人たちは、聖獣の姿を見て、癒される。でも、聖獣自身が、なにを感じ、なにを望んでいるのかは、まったく描かれない。彼は、ただ、もふもふで、かわいくて、人間に癒しを与える、という役割を押し付けられているだけ。彼の心の中は、完全に空っぽ。これは、支配する側が、支配される側を、同じ生き物としてではなく、たんなる道具や記号として扱う、あのまなざしそのものだよ。動物を、自然を、人間にとって都合のいい資源としてしか見ていない」


わたしの熱弁に、沙耶は腕を組んで、静かに耳を傾けていた。そして、わたしが話し終えるのを待って、ゆっくりと口を開いた。


「海紅の言う、力を神聖に見せるための装置としての『もふもふ』。その分析は、すごくよくわかる。でも、わたしは、やっぱりこれを感情の政治として捉えたい。『幸福』っていう感情が、どういうふうに社会で使われるかっていう、そういう観点からね」


「この物語において、『もふもふ』に触れて癒される、という経験は、ひとつの『正しい幸福』のかたちとして示される。もふもふを愛で、そのかわいさに微笑むこと。それが、この共同体にいるべき人間の、あるべき姿、正しい感情のあり方だとされるわけ。イザベラが作り出す『幸福な共同体』の、感情のルールみたいなものね。この『幸福の脚本』に乗れない者は、仲間外れにされる」


「幸福の同調圧力、か。イザベラの味噌汁を飲むことがからだのルールだとすれば、もふもふを愛でることは、心のルールになる、と」


「そういうこと。じゃあ、もし、この村に、動物が苦手な人がいたら? もふもふを見ても、なにも感じない、冷めた人がいたら? あるいは、動物アレルギーで、聖獣に近づけない人がいたら? 彼らは、この共同体の『幸福の輪』から、はじき出されてしまう。『なんて可哀想な人』『心がすさんでいるのね』って、レッテルを貼られてね。彼らは、幸福を感じることができない『心の障害者』として、扱われることになる。幸福であることの強制は、幸福じゃない人々を罰するの」


沙耶の言葉は、現代社会にあふれる「感動ポルノ」や、SNSでの「リア充アピール」が持つ暴力性を、的確に言い当てていた。幸福であること、感動することが、いつのまにか義務になっている。


「さらに言えば」と、沙耶は続けた。「この『もふもふ』は、すごく安上がりで、効率的な、感情の管理ツールでもある。今の社会は、人のからだだけじゃなくて、その感情や心まで管理して、最適化しようとするでしょ。感情が、商品になり、管理される。『もふもふ』は、究極の感情の商品よ」


「もふもふは、歩く抗うつ剤、みたいなものか」


「まさに。村人たちは、日々の労働で疲弊し、新しいシステムに組み込まれることで、いろんなストレスを抱えるはず。でも、その不満や怒りは、もふもふを撫でる、という行為によって、きれいに消されてしまう。彼らのネガティブな感情は、もふもふという名の巨大なスポンジに吸い取られて、無害なものにされる。その結果、イザベラの支配に対する、どんな批判や抵抗も、生まれる前に防がれてしまう。もふもふは、もっとも効果的な、革命の鎮圧装置なのよ」


情動資本。わたしは、心の中でそう呟いた。イザベラは、発酵食品という物質的な資本だけでなく、「もふもふ」という、人々の心を癒し、管理するための、強力な情動資本をも手に入れている。彼女の帝国は、盤石だ。


「結局、この物語が提示する解決策って、すべてが、個人的な問題にすり替えられてるんだよね」と、わたしはため息をついた。「社会の仕組みの問題、たとえば貧困とか、格差とか、搾取とか、そういうものを、みんなでどうにかしよう、とはならない。そうじゃなくて、イザベラというすごい個人が、魔法みたいな知識で物質的な豊かさを与え、もふもふという奇跡みたいな存在が、魔法みたいな癒しで心の平穏を与える。そして最終的には、すごい騎士との結婚っていう、恋愛と家族っていう究極にプライベートな場所に、すべての問題が閉じ込められていく。これじゃ、なにも変わらない」


「そう。そして、その麻薬が効いているあいだは、わたしたちは、自分たちが置かれている本当の状況、つまり、いつ追い出されるかわからない不安定な暮らしをしていることや、つねに『役に立つ』ことを求められ、少しでもそこから外れれば『ダメなやつ』の烙印を押されるという現実から、目をそらすことができる。この物語は、読者にとっての『もふもふ』でもあるのよ。つかの間の癒しを与え、現実と向き合う力を奪う、甘い毒」


沙耶は、そう言って、空になったカフェラテのカップを見つめた。その横顔は、まるで、世界のすべての欺瞞を見通してしまったかのような、深い哀しみを湛えているように見えた。


わたしたちは、この物語を、登場人物たちを、そしてそれを読むわたしたち自身を、いろんな難しい言葉のレンズを通して、ばらばらにして、分析して、批判してきた。でも、その先に、なにがあるんだろう。すべてが嘘で、欺瞞で、暴力的な装置だとしたら、わたしたちは、なにを信じて、なにを語ればいいんだろう。


そんなわたしの迷いを見透かしたかのように、沙耶が、ぽつりと言った。


「でもね、海紅。わたしは、それでも、この物語に、ほんのすこしの可能性も、感じなくは、ないんだ」


その言葉は、あまりにも意外で、わたしは、思わず沙耶の顔をまじまじと見つめてしまった。

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