第八話 そしてやりなおしが幕を開ける
「これは、どういうことだ!?」
宿屋へ、様子を見に来てくれたらしいヴィルヘルム殿が、驚きの声を上げる。
ちょうど空へ舞い上がっていた私は、ゆっくりと彼の前へ降下する。
「ありえない。ありえないが……アンリ嬢、まさか、これは君が……?」
否定して欲しそうに訪ねてくる彼へ、私は少々の疲労を感じながら、しかし首肯して見せた。
「おお、神よ……」
祈りの言葉――個人的には不愉快だが、信仰の自由を害するほどではない――を唱える彼。
たしかにそういう気持ちも生まれるだろうか。
なにせ、第三王子殿の目前に広がる町並みは、昨晩から大きく変貌していたのだから。
崩れかけだった建物は新品同然……とはいかないが、割れた窓は直され、ドアだって立て付けが直されている。
荒れ果てた凸凹道からは大きな石が全て取り除かれ、馬車がなんとか走れるような様子に。
悪臭を立ちこめさせていた側溝からは、汚泥が取り除かれ、地面に落ちていた汚物と吐瀉物は綺麗さっぱり消えている。
落書きは消されて。
壁は鮮やかに塗り直され。
家の前に積み上げられていたゴミは、全てが土へと変わり、建物の前に撒かれていた。
その土を持ち上げて、にょっきりと双葉が伸びる。
促成の魔法を受けた種が芽吹いたのだ。
伸びる子葉はすぐに本葉となり、日光を受けてすくすくと成長。
最後には色とりどりの美しい花を咲かせる。
安らぎと爽やかさを心に与えるといわれている、薫り高い花だった。
さすがに家なしで暮らしている人々をなんとかすることは出来なかったが、せめてその身体についた汚れを落とし、感染症にならないように髭や髪の毛を整えてみせることは出来た。
様変わりした町並みを見て、人々は驚き、目を丸くして。
……これが、いいことなのか、悪いことなのか、私には判断がつかない。
ただ、放っておくことが出来なかったのだ。
なにせ私には、なんとかする力があったのだから。
「割れ窓の論理だ。窓が壊れたままにしておくと、それを誘い水にしてどんどん区域の治安が悪くなる」
ヴィルヘルム殿へ語って見せたのは、以前賢者を訪ねたとき教わった知識。
これが正しいのなら、昨夜の破落戸――冒険者たちが荒れる理由も、町の景観にあったのではないかと思った。
思ってしまった。
そうしたら、止まれない。
だって私は――
「アンリ嬢、これはダメだ」
「なに?」
見遣れば、第三王子がこれまでになく難しい顔をしている。
確かに、内政干渉だったかも知れない。
けれどもだ、住民達の生活を思えば――
「あなたがどれほど優れた魔法使いで、どれほどの地位にいる令嬢なのか、自分は知らない。だが、これはダメだ」
「……なぜだ」
「仕事を奪ったからだ。民の、生きる糧を」
その一言に、私は愕然となる。
奪った、誰が?
私が。
誰から、人々から?
なにを――機会を。
頭が真っ白になりなにも考えられない私へ、彼は懇々と説く。
「人はたやすく堕落する。不労の味を知れば働かなくなり、衣食住が足りればもっと欲しいと傲慢になる。身の程など、容易く逸脱する。民を導くことと、甘やかすことは違う。貴女には、それすらわからないのか?」
「――――」
「もっと端的に言おう。あなたがしたことで、彼らは今日やるべき仕事を、そして得るはずだった対価を失ったのだぞっ? 金をばらまくよりよほどひどい、生きる術も糧も奪ったのだからな。公共事業、そんなことさえ知らないのか」
冷静な叱責。
一瞬激昂しそうになるが、だが、すぐに悟る。
こんなことを、私はこれまでずっと繰り返してきたのだと。
だから国民から愛想を尽かされた。
私は、再び過ちを犯したのだ。
ああ、なんと罪深い……。
「……もうしわけ、ない。どうやら私は、またやらかしてしまったらしい」
唇を噛みしめ、両手の爪が皮膚を食い破るほど握りしめて、謝罪の言葉を口にする。
ヴィルヘルム殿へ。
なによりも、町の人々へ。
「申し訳ない」
まったくもって、私はなんと愚かで、迷妄で。
これでは、魔王と誹られても、なにひとつ反論などできない。
だから国を追われて、民を、不幸に――
「おねえちゃん」
自己嫌悪に打ち震える私へ、舌足らずな声がかけられた。
顔を上げれば、そこには小さな――私よりも幼い子どもたちがいて。
彼女たちの背後には、親と思わしき人々。
そこにあるのは、笑顔と清々しさ。
「これ、あげるっ」
幼い娘が、なにかを差しだしてくる。
それは、花冠。
魔法によって育ち、あちこちで咲き誇っている薫り高き花を摘み、束ね、編んでつくられた冠で。
「私に?」
どうしてと眼差しで訊ねれば。
童女は、舌足らずな声で教えてくれる。
「おかあさんからきいたの。おうちを、まちを、みんなをすてきにしてくれたって。今日ね、すっごくきもちがいい朝だったの、おめめぱっちりで。だから、おれい!」
「――――」
「よい、っしょ」
背伸びした彼女が、私の頭に花冠を乗せた。
そして、一言。
「ありがとう!」
弾けるような笑顔が、いくつも咲いて。
「あ――ああ――ああああ」
決壊する、堪えきれずに。
あふれ出す、これまでずっと胸の奥へ押し込めていたものが。
「ああああああああああああああああ……!」
「アンリ嬢!?」
慌てた様子でヴィルヘルム殿が肩へ手をかけてくれるが、もう我慢出来なかった。
私は。
蒙昧な元王は、泣きじゃくっていた。
嬉しくて、嬉しくて。
顔をくしゃくしゃにして、恥も外聞もなく、歓喜の涙をこぼしていた。
胸が張り裂けそうだ。
涙が一向に涸れてくれない。
だって、心がこんなにも叫んでいる。
しあわせだと、あたたかだと。
感謝の言葉。
たった一言、それをもらっただけで。
……ああ、そうだ、三十年間、一度も受け取ることのなかったもの。
それをはじめて、私はあの幼子から与えられたのだ。
報われたような、気持ちだった。
「ちょっと、そこのお兄さん。こんな可愛らしい娘さんを泣かせるんじゃないよ!」
「説教たって言い方があるんじゃないかい!?」
「え? いや、自分はなにも」
「言い訳の前に慰める!」
「は、はいっ!」
周囲に集まってきていた親御さんやおばさまがたから、どやされた第三王子殿があたふたと、私を泣き止ませようと言葉を尽くす。
「泣き止んでくれまいかアンリ嬢。その、あなたぐらいの年頃の娘は、すぐに癇癪を起こすのも解るが……」
オロオロと戸惑う彼。
きょとんとしている幼子。
そうだな。
わかるとも。
涙を流してばかりではいけない。
けれど、もう少しだけ味わわせて欲しい。
この大いなる。
優しい、喜びを。
§§
そうしてたっぷり泣きはらした私は、決意を固めた。
ヴィルヘルム殿へ謝罪し、心配だからまた見に来るとまで言われて――要するに監視だろうが――重ねて謝り。
いま、涙を拭って思いを口にする。
「学ぼう」
ソドゴラへは帰れない。
出来る出来ないの話なら別だし、私の国が気にならないかといえば嘘になる。
しかし、なにより大切なことがここにはあった。
私はずっと知らなかった。
感謝することの意味を。
他者を慮ることの、実情を。
だからここで知り、学び、励むのだ。
いつか、民達へと感謝を還せるように。
この国の、この街の人々と触れあいながら。
ゆえに、まずは一つ。
冒険者。
彼らのことを知らねばなるまい。
この国の大きな問題を。
ひいては、世界が抱える悩み事を。
私は宣言する。
ソドゴラ王アルカディア・ハピネス・アンリーシュとしてではなく。
一介の魔法使い、アルカ・アンリとして。
「私は、冒険者になる!」
そう、何事もやって覚えるのが近道だ。
60年間、そうしてきたじゃないか。
此度もまた、体当たりでいこう。
かようにして、二度目の生。
私の新たなる学びと鍛錬の日々は、喜びとともに幕を開けたのだった――




