第九話 第一級災害〝呪詛竜〟
衛兵が声を張り上げたとき、ダンスホールに籠もっていた〝呪詛〟が、窓を突き破りに逃げ出した。
否、思えばそれは、合流のための行動だったのだろう。
反射的に視力を極限まで強化すれば、王都へ迫るドラゴンの姿は即座に見て取れた。
こんな至近距離に近づかれるまで、私は気が付きもしなかったのだ。
心身の衰え、呪詛による隠蔽、なによりも第三王子殿たちとのふれあいが楽しくて。
奥歯をぎしりと噛みしめて、私は即座に呪詛を追い、窓の外へと飛び出す。
背後で私を呼び止めるヴィルヘルム殿の気遣いと。
取り乱した衛兵が叫ぶ、王都まで続く街道沿いの街々が壊滅したこと、ドラゴンは辺境伯領から現れたという情報だけが、耳の奥に残った。
そうして飛翔魔法で王都を出て。
私は今、第一級災害と向き合っている。
見上げるは、災厄の化身。
竜。
ドラゴン。
全身に濃緑色の鱗を持ち、呪詛の炎を纏う破滅。
私は、硬く拳を握る。
大陸に住まう人類。
その生存を大きく脅かす災害が、幾つか存在する。
都市を呑む生きた砂漠。
空より降り注ぐ溶鉄の雨。
他生物を苗床に増え続ける寄生植物。
それらの頂点に立つ、第一級の災害。
迷宮の奥底、深山幽谷に棲まい。
その地が暴かれたとき、目につくあらゆるものを皆殺しにする圧倒的暴力。
それが竜。
それが、ドラゴン。
当然、このような人口密集地に現れてよいものではない。
見よ、かのものが一歩を踏みしめるたび、大地は恐怖に身震いし、吠え声を上げれば、天をゆく鳥が、虫が、雲さえも落ちて大雨となる。
通り過ぎた後は、万物が破壊され、ただ剥き出しの焦げた地層だけが覗く。
轟々と燃える、村々の様子。
逃げ惑う人々と、その背を舐める血色の炎。
これを見て、ドラゴンは嗤笑っていた。
愉快そうに。
そして、喰らう。
人々の嘆きを。
王宮から飛来した呪詛を。
己の巨体を、さらなる暴力で染め上げるため。
「……妻よ」
私は竜を見上ながら、胸元の指輪を、震える手で握りしめる。
恐怖だ。
この私が、怖れに支配されかけていた。
かつて一度、私は竜と見えた。
その時は話し合いによって命を繋いだが、此度も同じようには行かないだろう。
ドラゴンが私に気が付き、見下してくる。
呪詛の燃える黄金の瞳に宿っていたのは、嘲笑と嗜虐。
唐突に、風のような速さで。
竜が、前足を繰り出した。
巨大赤熊の全身に匹敵する大きさの足が、私を踏みつぶさんとする。
防御魔法で受ける?
自殺行為だ。
即座に飛び退き、相手が動き出すよりも早く、まだ侮られているうちに、最大威力の魔法を叩き込むよりほかない。
竜の侵攻先は人口密集地。これより先にあるは王都。
侵入されれば、失われ命は計り知れない。
ならば最早、躊躇など出来ぬ!
「『其なるは万物を蝕み喰らう貪食の飢餓――極大超重虚空縮退孔』!!!」
現在使用可能な魔法のうち、ただ相手を滅ぼすためだけに特化された、外法中の外法を使う。
回避不可能たる、絶対重力圏。
触れたものを片っ端から潮汐力によって分解し、縮退させ、この世からも、事象からも消し飛ばす渦動破壊!
ほとんどの魔力を費やして放った極大暗黒点は。
ドラゴンを飲み込み、そして――
「ギャーギャッギャッギャッギャ!」
禍々しい高笑いによって、容易に雲散霧消させられる。
竜は、傷ひとつ受けていなかった。
馬鹿な、有り得ないことだ。
いかに竜、いかに第一級災害とはいえ、この技を受けて無傷でいられるものか?
「ならば、古流魔法拳術!」
外見がどれほど頑健であっても、中身までは伴わないもの。
私は全身に魔力を充実させ、竜へと肉薄。
当然の迎撃。
やってきたのは噛みつき。
魔力を真横に放出し、勢いで強制回避。
すれ違いざま、竜の眼球へと掌底を叩き込む!
「『極大震電雷撃掌』!」
以前出会った竜でさえ、傷みにのたうち回り、回復に専念するしかなかった一撃が。
「なっ」
なんのダメージも与えられず、四散する。
「グルゥアアアアアア!」
それどころか再び噛みつき、追撃に爪、羽ばたき。
爪牙を強引に回避し、風防結界で風圧を打ち消すが、極度の疲労で肉体が悲鳴を上げ、膝が笑う。
やはり、有り得ない。
どんな存在であっても、ここまで魔法が無意味であるなど考えられず。
ならばこれは――
「はい、そもそもこの竜に、魔法は通用いたしませんので」
しわがれた声が響いた。
竜の放つ尻尾の、かすっただけで全身が砕かれるような一撃を回避しながら視線を廻らせれば。
竜の背に、ローブを目深にかぶったものが跨がっているのが解った。
顔は見えない。
だが、漏れ出す呪詛で解る。
ブラム氏の弟分を唆し。
ルルさんに呪詛人形を与え。
辺境伯領にて邂逅した、あの呪詛士。
すなわち、
「どうぞわたくしのことは、改めてミルタとお呼びくださいませ。さて、それよりも大魔法使いアンリーシュ王、わたくしはあなたさまの疑問に答えるため、参上したのですよ?」
「私の正体を知っている訳か」
「別段、隠されていたわけでもございませんでしょう? ならば、呪詛士が暴くなど容易いことですとも。だってわたくしたちは」
そう、呪詛士は、偽りによって世界をねじ曲げる。
私がどれほど真を語ろうとも、身分を沈黙していたことは彼女たちにとって偽りと判じられた。
だから、嘘はすべてバレる。
「ならばなおさら、私がおまえに問うことなどあるものか。呪詛士とは、虚言しか口にしないものであろう!」
竜が羽を広げ一扇ぎすれば、暴風が吹き荒れ地表が捲れ上がり、周囲の木々が吹き飛ぶ。
風防結界で再度耐える私を、ミルタはクスクスと笑った。
「いえ、聞いておいた方がきっとよろしいですわ。なぜならこのドラゴンは」
「ゴートリー建国の逸話、その竜だろう」
「ご名答! さすがは楽園の賢王、この程度、造作もありませんか」
うるさいと怒鳴りつけてやりたいところだ。
だが、私の脳髄は、とっくに状況の分析をはじめていた。
こちらのことなど気にした様子もなく、王都へ向かって突き進むドラゴン。
その正体は、伝承の再現。
ゴートリー建国神話において、この地を脅かしていたドラゴンはこう定義された。
木、岩、刃、乾いた物、湿ったもの、魔法のいずれによっても傷つかず、昼も夜も自分を殺すことはできない。
この呪詛士は、伝承に宿る想念、情念、怨念、思念、あらゆるものを対価としてこのドラゴンを再現したのだ。
ゆえに私の魔法は通用せず、古流魔法拳術すら痛痒を与えることは叶わない。
「そうか、そのために国中の宝物を狙ったかっ」
「そちらもご名答でーす」
いちいち癇に障る呪詛士の言葉。
だが、間違いない。
これで推論は組み上がる。
この呪詛士は、ドラゴンを甦らせるために暗躍していたのだ。
まず、ゴートリーの各地に呪詛の種火を捲き。
それによって人々の不和、冒険者と住民達の関係悪化を目論んだ。
私が人々に受け容れられたのは、純粋に呪詛を受け付けないだけの魔力があったからだ。
巨大赤熊を暴走させたのも、自在鴉に都市部で宝石を漁らせたのも、なにより宮廷へ呪詛を忍ばせたのも、理由はただひとつ。
「ドラゴンの卵」
宝石や貴金属によって覆われた、竜の継嗣。
次の世代へ繋げるために、壊されないために宝石で覆うなどは嘘八百。
実際の所は、人類生存権の奥深くに、貴重品として入り込み、そこで羽化。
なにもかもを破壊するための偽装手段。
本来は王城に保管されていたはずの、その宝玉は。
極秘裏に、ある場所へと移されていた。
それは――
「辺境伯領に卵が保存されていたのは、計算違いだったか?」
「はい、なので余計な苦労をしちゃいました。たいへんだったんだゾ」
こいつと辺境伯領で顔を合わせたとき、やはり放置すべきではなかった。
辺境伯閣下は仰った。
あの地は、敵を封じるためにあると。
それは物理的な外敵だけでなく、休眠に着いた竜の卵、その逸話自体を指していたのだ。
選択を誤った。
その悔恨が、身体を一時硬直させる。
「っ――しまっ!?」
これを竜が見逃すわけもなく、口腔が大きく開かれた。
放たれるのは、竜が持つ最大の一撃。
破滅の具現。
竜の吐息。
煌々と灯った緑色の獄炎が、私に向かって放たれる。
避け――ることはできない。
なぜなら背後には、もう、王都の外壁が迫っており。
「おおおおおおおおおおおおおおおお! 『極盾形大気防護圏形成!!!」
残り少ない魔力を燃焼させ、最大限の防壁を貼る。
直撃するブレス。私はこれを受け止め。
だが、防御結界は端からひび割れ、砕け散り。
頭に乗せた花の冠すら、散ってしまいそうになり、そして――
ゴートリー王都。
その外壁が、破壊される。
いま、ドラゴンが、破滅が、街へと一歩を踏み入れた。
人々の、悲鳴が上がる――




