第二話 この悍ましき伏魔殿で腹芸を!
改めて、ヴィルヘルム・ゴートリーという人物が、第三王子であることを実感する。
彼の身辺は、なんといっていいのか、つまり、ああ――伏魔殿だ。
国力増強に余念の無い現王、穏健派で現王の政策を肯定する第一王子、野心家の第二王子、そして美術に目のない第一王女、その下に位置するのが彼だ。
王位継承権でいえば、予備の予備といった具合だが、上の兄姉がもし不運な事故にでも遭えば、容易に立場など変動しうる。
これを見据えて、宮殿の人間たちは、ヴィルヘルム殿を自分たちの意見を代行する存在として、担ぎ上げようとしている。
同じく、貴族たちもまた、付けいるならば人情家であるヴィルヘルム殿と考えているらしく、それはそれは甲斐甲斐しく、自分の娘や贈り物をしてくるのだとか。
事実、いま目前で繰り広げられているのは、そんな光景で。
「ご機嫌麗しゅう、ヴィルヘルム殿下」
屋外、ガーデンの内側に設置されたテーブルと椅子。
そこで催される茶会の席で待ち受けていたのは、大人しげな印象のご令嬢だった。
彼女は伊達眼鏡の君に気が付くと起立し、礼を取る。
麗しの所作。アトロシアを彷彿とさせるほどの気品だ。
応じるヴィルヘルム殿だが、表情は硬い。
なにせ、彼の住まいたる王宮で。
王族でもない娘が。
茶席の準備を整え。
主催の顔をしているのだ。
どうあっても、心穏やかではおれないだろう。
「あら、今日はお一人と聞いておりましたが?」
令嬢の視線が私に向く。
静と視線を落とし、仮初めの主人たるヴィルヘルム殿にすべてを任せる。
というのも、いまの私はメイドの格好をしていたからだ。
同伴者として許されるギリギリが、このラインだったわけである。
言うまでもないことだが、私は抵抗した。
難色を示したとも、私は男で、老人という自認なのだから。
だが、彼は言うのだ。
「アンリ嬢ならば着こなせるだろう」
……そう言われてしまえば、話が違ってくる。
重ねて言うまでもないことだが、修行の日々と結婚生活を経て、私は女性の所作というものに精通していた。
貴人の従者、メイドの振る舞いなど造作もない。
完璧にやってのけるとも。
そうしておだて上げられた結果がこれだ。
「素敵だ、アンリ嬢」
「もっと言うべきことがあるのではないかね……」
「キュート、清楚、なによりもビューティフル」
「ふむ」
まあ、私ほどにもなれば、当然この程度の衣装を着こなして、美々しさは発揮出来るわけだが?
いいぞ、もっと褒めたまえ。
……というのは、無論建前だ。
目的のためならばどこまでも全力でひた走る彼の姿に、やはりかつての自分を投影してしまっただけ。
だから、ここは譲った。
「失礼、オリアンナ・エスカリテ嬢」
そう思い返していると、第三王子殿はオリアンナさんとやらへ微笑み、穏やかに言葉を返す。
それでいい。出来なければ私が代わっていたところだ。
「いま、自分の身辺を入れ替えているんだ、それで新人の教育をしなくてはいけなくてね。ああ、安心して欲しい。決して彼女は粗相をしないと約束しよう。ロイヤルなメイドだ」
「そうでしたか」
にっこりと微笑んだオリアンナとやらは。
笑顔の形は変えず、視線だけを刺すようにしながら、私へ告げた。
「励みなさいね?」
「……はっ」
すっと頭を垂れ、一歩後ろにさがる。
……まったく、私が元王でなければ、心胆震え上がって、とっくに冷や汗にまみれている。
先ほどの会話を読み解いてみれば、じつに剣呑な話をしているのがよく解る。
第三王子は、自分の世話役たちを信用できないので一掃しようとしていると語り、その上でこの私を、そういった物事に対処できる人材だと仄めかした。
一方でオリアンナ嬢の言葉は、一聴すれば主人に恥をかかせないようにしろと語っているだけに見えて、その実、職務以外はなにもするなと釘を刺しているのだ。
つまり、万が一にでも伊達眼鏡の君のお手つきになるような色気を出すなよという警告である。
貴族たるもの、腹芸の一つぐらいは嗜んでいるのが普通だろうが、これを王宮の、自分の庭でやられるとは、ヴィルヘルム殿が憐れでならない。
「どうぞ、殿下。お茶のご用意は出来ています。あなた」
ピッと指示を飛ばされて、さっと私は椅子を引く。
そこにヴィルヘルム殿が腰掛けられて。
追って令嬢も元の座席に落ち着く。
あくまで主は第三王子殿、しかし場の主導権はご令嬢というわけか。
「すぐにお茶をいれさせますわ。東方のよい茶葉を手に入れまして。なんでも、寒暖差が味わいを深くするのだとか」
「東方といえば」
「はい、当家は融通が利きますので」
他国との交渉材料を提示しつつ、優位に振る舞えると明言。
その上で、嗜好品に金をかけられるレベルで領地が潤っているため、私兵の士気は高く、いつでも投入可能と仄めかす。
その上で、自分たちはいつでも対応が出来ると申し出ているのだから。
つまりこれは。
挙兵はされないので?
という、じつにストレートな、謀反のお誘いと言うことだろう。
現王権を打ち倒して、二人で次の時代を築く用意があると言っているわけだ。
このようなご令嬢ばかりが周辺に集まってくるなら、ヴィルヘルム殿の心痛は察してあまりある。
彼を王に仕立てるためなら国家転覆を辞さない。
そんな危険人物の集合は、さすがに肝が冷えるだろう。
事実、第三王子殿の笑顔は硬く。
逆にご令嬢の瞳には、荒れ狂うような情熱が見て取れた。
もしもその熱情の名が恋というのなら、なるほど、彼が疲弊するのも頷ける。
その後もお茶会はしばらく続き、最後にオリアンナさんは、持参したというプレゼントを置いて、じつに優雅に去って行った。
「いつでもお声がけください。わたくしたちは、殿下に忠誠を尽くしております」
去り際の一言のなんと怖ろしいことか。
王政の国で、国王ではなく第三王子に忠誠を尽くすなど、もはや狂気のような宣言である。
オリアンナさんの姿が完全見えなくなったところで。
伊達眼鏡の君はテーブルに突っ伏した。
精根尽き果てたという顔で、口からは生気が漏れ出しているようですらあった。
「ヴィルヘルム殿」
「……わかっているが、あとしばらくだけこうさせていてくれ」
「結構。しかし今しがたのプレゼントとは」
「ああ、先ほど飲んだ茶葉らしい」
彼が気軽に手渡してきた包装物を受け取ると。
背筋を、悍ましい寒気が走り抜ける。
「殿下」
顔を近づけ、声を潜め、彼にだけ聞こえるようにして、私は呟いた。
「この茶葉、毒だな」




