第八話 楽園王式薬膳クッキング(巨大赤熊の胆嚢を添えて)
巨大赤熊の解体した肉、そして毛皮は、ギルドへと提出した。
証拠品であるし、素材としてブラム氏たちが報酬を得るための品物だ。
しかし私は、そこから数点、現状を見越して臓器などを失敬していた。
それが、胆嚢と掌である。
……まあ、ギルド側も解っていて黙認してくれているのだろうが。
逆説的に、冒険者の間ではこうしたお行儀の悪い真似が、日常茶飯事という証左でもあった。
というわけで、胆嚢の処理をはじめる。
他の臓器と繋がっていた管の部分をたこ糸で結び、中身があふれないようにして、臭み消しと速乾の魔法をかけていく。
そうしていくと熟成され、消化器を活発にさせる薬が出来上がる。
ついで、熊の掌だ。
針のような剛毛を、一本一本引き抜く。
残っていると物理的に食べられないし、焼却も出来ないのでたいへんな作業だ。
なので魔法で代用。
出来たら煮込む。
とにかく煮込む。
魔法でブーストしつつ、半日ほど湯がき、皮を剥ぎ、爪をもぐ。
とんでもない獣臭が立ち困るので、換気を忘れてはならない。
実際、立ち会っていたブラム氏は非常に辛そうな顔をしていた。
気持ちはわかるとも。
それから処理の終わった掌を、今度は臭み消しである香草や酒とともにもう一度火にかける。
酒はブラム氏に準備してもらったが、香草……というよりも薬草の類いだが、こちらは私のストックを用いることにした。
ゴートリーは食の町。
集めようと思えば貴重なスパイスも手に入るのだが……なにぶん物入りだ。
ここは貯蓄を吐き出しておこう。
そうしてコトコトとやっている間に、胆嚢が乾いたため、これを煎じ詰めていく。
いっしょに煮るのは、同じく乾燥させたトウキ、ローズマリー、セージ、桂皮、甘草、それから秘蔵の絶叫人参の根。
これを煮詰めていくと、漆黒の液体が出来上がる。
ここに魔法を加えると、青く輝きだし、さらに圧縮することで爪の先ほどの液体になった。
あらゆる毒を消し去る力を持った魔法薬、魂の一滴だ。
私とブラム氏は頷き合うと、ルルさんのもとへ急いだ。
意識があるかどうかもあやしい彼女へと、兄が語りかける。
「ルル、薬だ。おまえを治せる薬が手に入ったんだ。口を開けてくれ、ルル」
彼女は答えない。
もはやそれだけの体力もないのだろう。
薄い胸を上下させている呼吸も弱々しく、いまにも消えてなくなりそうで。
「ルル!」
「強硬手段を執る。妹さんの身体を、しっかり押さえつけておくんだ」
「なんだと?」
「いくぞ」
私は、ルルさんの口を無理矢理に開かせると、その口腔へとソウル・ドロップを流し込んだ。
さらに魔法で強制的に嚥下させる。
すると彼女が、カッと目を見開く。
その瞳の中に貯まっていたのは、緑色のモヤで。
「ブラム氏!」
「ええい、ままよ!」
私たちは、彼女の四肢へと飛びついた。
刹那、少女は絶叫をあげる。
その痩せ細った身体のどこにそんな力があったのかというほど、ルルさんは激しく暴れ。
やがて、両目と口から、大量の緑色の煙を吐き出した。
即座に換気の魔法を打てば、煙は雲散霧消し、外へと消えていく。
あとに残ったのは。
「にい、さん……?」
おぼろげな様子で、ブラム氏を見遣り、困ったように微笑むルルさんの姿だった。
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「おおおお……ルルが、ルルが起きて、飯を食っている……! こんな光景をまた見れるなんて、俺ぁ、感激だ……!」
おいおいと泣きはらし、鼻水まで垂らすブラム氏。
彼の眼前では、つい先ほどまで半身を起こすことも出来なかった娘が、熊の掌にむしゃぶりついていた。
咀嚼のたび、薄いほっぺたが、もっ、もっ、と動いて回る。
「どう感謝すればいいか……ああ、神よ、アンリお嬢よ……」
顔から出る体液をすべてだし、その大柄な身体でこちらに抱きついてくる彼。
「よかった、よかったとも……!」
私も号泣しながら感動のハグを返す。
それはそれとして、神の横に並べられるのだけは遠慮願いたい。
信仰の自由は、もちろん尊重するが。
「アンリさん、とってもおいしいです」
控えめながら、元気な声を返してくれるルルさん。
胆嚢で作った魂の一滴。
加えて、旨味たっぷりの魚醤をいれて、甘辛く煮付けた熊の掌を彼女は食べていた。
ふむ、美味しいのなら、作り手として安堵する限りである。
着実に減っていく料理を見詰めながら、そう思う。
「なんでしょう、端っこはトゥルトゥルに柔らかくって、歯を立てるとプツンと切れるんです。でも、中央に行くと、すごく濃厚なお肉の味がして、ほろほろ食感で……やだ、頬が落ちてしまいそう」
強い活力作用があるからだろう、血色が戻った彼女は、桃色に染まった両の頬を押さえて身もだえた。
巨大赤熊は怖ろしい魔物であると同時に、その強靱な生命力から薬の素材、強壮剤として重宝されてきた歴史がある。
いま、少女ルルを救ったのもまた、その力だった。
もちろん私の魔法と知識。
なによりも彼女の兄であるブラム氏の献身があってのことだが。
「よせよ。俺はなにも出来なかった。ただ、あんたに全部任せただけだ」
「どこの馬の骨とも知らない私に任せる英断を下したのは君だろう。それは誇るべきことで、私にとっても喜ばしいことだ」
だが、当然気になっていることもある。
ひとつは、ここまで治療が難しい毒を、ルルさんはどこで摂取したのか。
そして、この半裸のブラム氏が、決して手放さない胸元の人形がなんであるのか。
……まったく気は進まないが、いつまでも棚上げして、美しい兄妹愛に涙ぐんでいる場合でもなさそうだ。
「ごちそうさまでした」
ようやく人心地がついたといった様子で、満足そうに息をつくルルさん。
その瞳には生への渇望が宿っている。
よし、いまならば大丈夫だろう。
「改めまして、ルルさん。私はアンリという、魔法使いだ。今日は君の兄君から頼まれて治療をやらせてもらった。どこか、辛いところはないかね?」
「兄さんが、わたしのために……大変ご迷惑をおかけしました。ええ、まだちょっとだけ身体が重いですが……うん、すごく調子がいいわ」
それは重畳。
命に勝るものはない。
死の運命はここに断ち切られた。
否、それは定められた死ではなく、意図的に誰かが与えたものだと証明された。
「ルルさん。そしてブラム氏。幾つか質問をしたい。まだ彼女は危機を脱していないかも知れない。つまり、根治のための問診だ」
問えば彼らは頷いてくれる。
よかった、協力を得られなければ、自力で情報を集めなくてはならないところだった。
まあ、私の人徳あってのものだろう。
……いや、いや。
こんな驕り高ぶっていたから、処刑されたのでは? 猛省しよう。
とかく、まずは質問だ。
「ルルさんは、毒を誰かからもらったはずだ。その覚えがあるかな?」
「……えっと」
「おっと」
話を飛躍させすぎたか。
答えから前提を逆算しようとするのは私の悪いくせだ。
これも見直していかなければ。
順を追って、事情を説明する。
彼女の肉体が毒に冒されていたこと。
それは自然界にあるものではなく、誰かから与えられなければ身体を蝕むことはないこと。
解毒したいまも、内部で燻っている可能性があること。
完全な治療のためには、元を断つしかないこと。
「わかりません」
しょんぼりとしながら、うなだれてしまうルルさん。
「いくら恩人とはいえ、俺の妹に哀しい顔をさせるなど許せん!」
「待て待て」
ブラム氏よ、そう小突いてくるものじゃない。
解るが、家族が大事なことはよく解るが!
「では、問いの向きを変えよう。ブラム氏」
「おう」
「その、胸元の人形は、どうしたものだね?」
「どうって」
彼はまたそれを蔑ろにされると思ったのか、眼差しを鋭くし、人形を握りしめながら、ぶっきらぼうに告げる。
「これはルルが作ってくれたものだ。それを馬鹿にするなら、いくら恩人のあんたでも」
「解っているから、そう殺気を向けないでくれ。二回目だぞ?」
いい加減、防御魔法が反射で出てしまう。
「いつ、妹さんから?」
「ひと月ほど前だな」
「……考えたくないことだろうが、答えて欲しい。その直後から、トラブルが増えなかったかね。たとえば破落戸に絡まれるようになった、たとえば君にその意志がなくても喧嘩に発展するようになった、たとえば」
妹さんの体調が、急激に悪化した。
「おい、それは、おまえ」
「ああ、だいたい解った。では、次にルルさん。この人形の作り方は、どこで学んだのかね?」
「作り方?」
「かなり特殊な材料を用い、特別なやり方をしている。でなければ、もっと普通の人形を作れたのではないかな」
それは妹の美的センスが悪いということかと突っかかってくるブラム氏を一端宥めつつ応答を待てば。
ルルさんは困ったような顔で。
「それは、兄さんの冒険者仲間さんから――」
衝撃。
彼女が言い終えるよりも早く。
小屋が、爆発した。




