9.ベルンシュタイン邸
次に目を開けた時、アストリアは荘厳な屋敷の玄関にいた。
ルカの転移魔法で、ベルンシュタイン家の屋敷へと飛んだのだろう。
アストリアは玄関内を見回し、その広さに驚いていた。
(これは、なんというか……)
まるで城のような広さだ。玄関だけで部屋がいくつも作れそうである。
「ただいま。帰ったよ」
ルカの一声に、すぐさま老年の執事と年若い女性がやってきた。
「おかえりなさいませ、ルカ様」
「おかえりなさいませ! 旦那様!」
老年の執事は、白髪を丁寧にまとめあげた紳士然とした人物だ。丁寧で柔らかな物腰から、彼の人柄が伺える。
一方の女性は、赤毛に赤茶の瞳の可愛らしい人物だ。ハキハキと元気な話し方の彼女は、にこにこと満面の笑みを浮かべている。
「二人共、こちらがアストリアだ」
ルカに紹介され、アストリアは二人に挨拶をした。
「はじめまして。アストリアと申します」
ウォーラム公爵家を勘当された身なので、姓を名乗るわけにもいかない。いつもと違う挨拶に、何とも慣れない気分だった。
「お初にお目にかかります、アストリア様。私はこの屋敷の家令を務めております、ギーゼル・バーシュと申します」
恭しく一礼した家令に続き、彼の隣に立つ女性もにこやかに一礼する。
「お目にかかれて光栄でございます、アストリア様。私はアストリア様の侍女を仰せつかっております、テレサ・キュフナーと申します。ぜひテレサとお呼びください」
専属侍女がいるということは、この家に住むことが決定しているということだ。アストリアは、王城でのルカの発言でずっと気になっていたことを彼に尋ねた。
「ルカ様、わたくしを妻にするという話は本当なのですか? 公爵家を追い出された今、わたくしを妻にしてもルカ様にメリットなど何も……」
訝しげなアストリアに、ルカは気遣うような視線を向けた。
「驚かせてしまってごめんね。色々と説明したいところだけど、今日はもう休もう。何日もろくに眠れてないでしょ? 明日の朝は好きなだけ寝てていいから、ゆっくり休んで。この屋敷の案内も、明日にしよう」
彼にそう言われ、自分が今にも倒れそうだったことを思い出す。思い出した途端、緊張の糸が切れたのか、一気に疲労感が体を襲ってきた。
クラリとめまいがしてふらついたアストリアを、ルカがしっかり抱きとめる。
「おっと……このまま部屋へ運ぼうか」
そして彼は、アストリアをそのまま横抱きにした。
「えっ!? あの、大丈夫ですので、下ろしてください……!」
男性に抱えられたことなどないアストリアは、突然のことで気が動転してしまった。ルカの美しい顔が目の前にあり、余計に心が乱される。これなら転移魔法で運んでもらったほうがマシだ。
対するルカは、とても上機嫌に笑っている。彼はがっしりとアストリアのことを掴んでおり、離す気は一切ないようだ。
「いいから、いいから。テレサ、彼女に湯浴みを」
「承知いたしました。既にご用意が出来ております」
そう返事をするテレサも、そばに控えているギーゼルも、実に微笑ましそうにルカとアストリアのことを見つめている。
(ああ……穴があったら入りたい……!)
アストリアは恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆うのだった。
その後、湯浴みを済ませたアストリアは、早々に寝台に潜っていた。
与えられた部屋は白を基調にした落ち着いた内装になっており、備え付けられた家具はどれも一級品だ。
隣は夫婦用の寝室で、そのまた隣はルカの自室らしい。つまりこの部屋は、ベルンシュタイン家夫人の部屋、ということだ。
結婚の話は気になるが、明日には全てが明らかになるだろう。
(枕に安眠と吉夢の魔法……ルカ様がかけてくださったのね)
彼の気遣いが心に染みた。
ほんの数時間前までは路頭に迷うところだったのに、今は実家よりもずっと豪華な部屋で最上級の寝具に横になっている。それもこれも、全て彼のおかげだ。
目を閉じると一気に睡魔が襲ってくる。気持ちの良い眠気に身を任せ、アストリアはルカの優しさに包まれながら眠りについたのだった。
翌朝、アストリアは日が昇った頃に目を覚ました。
ルカには「好きなだけ寝てていい」と言われたが、早起きの習慣が染み付いてしまっているため、いつもこの時間に起きてしまうのだ。遅く寝て早く起きなければならないほど、アストリアは膨大な仕事を各所から押し付けられていた。
もうひと眠りしようかとも思ったが、ルカがかけてくれた安眠の魔法のおかげでぐっすり眠れ、随分と疲れが取れた。このまま起きてしまおうと、アストリアは寝台から出て軽く身支度を整える。
喉が渇いたので水を取りに行きたいところだが、いかんせんこの屋敷のことはまだ何も知らない。ひとまず誰か使用人を探そうと部屋を出ると、ちょうどルカも自室から出てきたところだった。
彼はアストリアを見るなり、とても驚いたように目を丸くした。
「あれ? もう起きたの?」
「ルカ様、おはようございます。早起きの習慣が抜けなくて。ルカ様もお早いですね」
アストリアが近づきながらそう言うと、ルカは少し照れたように苦笑する。
「いつもは日が高くなるまで寝てることが多いんだけど……君がそばにいると思うと、なんだか緊張してソワソワしちゃってね」
「えっ……?」
それはどういう意味だろうと尋ねようとした時、ルカが誤魔化すようにはにかんだ。
「少し早いけど、朝食にしようか。その後、君に全てを説明するよ」
そしてアストリアは、そのまま食堂へと案内された。食堂もかなりの広さで、この屋敷全体の大きさが計り知れない。
出される料理の数々は非常に美味で、どれもこれも好みの味だった。ここ数週間は食事の時間を削るほど多忙を極めていたので、まともな食事を取るのは久しぶりだ。
よく眠りお腹も満たされたアストリアは、幸福な気持ちで満たされていた。
「何から何まで、本当にありがとうございます。ルカ様がいなければ、今頃どうなっていたことか」
「僕がそうしたかったから、そうしただけだよ」
微笑むルカはそう言うと、仕切り直すように続けた。
「さて、いい加減、色々と説明しないとね。長くなるから、食後のお茶でも飲みながら話そう」
丁度そのタイミングで、給仕が見計らったようにお茶を運んできた。ルカはそれを一口含んでから、いたずらっぽい笑みを浮かべて尋ねてくる。
「アストリア。突然だけど問題。僕、何歳に見える?」
急に年齢を当てろと言われて面食らったが、アストリアはすぐに答えた。
「ええと、二十歳前後かと思っておりましたが……」
「正解はねえ……」
ルカは依然として笑みを浮かべながら、右手の人差し指と中指を立てた。
「にじゅう……」
アストリアがつぶやくと、彼は今度は左手の人差し指と中指を立てる。
「に……」
大体思った通りの年齢で納得するが、ルカはさらに左手の薬指を加えて立てた。
「さん……?」
二十二歳と二十三歳の間の時期だということだろうか。アストリアが首を傾げていると、彼はにこりと笑って答えを述べた。
「正解は、二百二十三歳」
「二百二十三歳!?」
思わず大きな声を上げてしまい、ハッとして口元を手で抑える。その答えがにわかには信じられず、アストリアは大きく目を見開いた。
「ハハッ! いい反応。僕の家系はかなり特殊でね。順を追って話すよ」
そうしてアストリアは、ルカから今回の事の経緯とベルンシュタイン家の謎、そして自身の正体を聞かされるのだった。