7.愚かな王太子
今のルカは、森で会ったときと異なり、黒の燕尾服を見事に着こなしていた。きらめく白銀の髪と黒の対比が何とも映える。
以前の魔法使い然とした装いも素敵だったが、今の服装は彼のスタイルの良さをより一層引き立てていた。
この場にいる誰よりも素敵なのは明らかで、令嬢たちは絶えず黄色い歓声を上げている。
するとルカは、アストリアの耳を塞いでいた手を離し、いたずらっぽく笑った。
「会いたいって言われたから、来ちゃった」
「ルカ様……」
会いたい人が突然目の前に現れて、まるで夢を見ているかのようだ。アストリアは驚きと嬉しさで、しばらく言葉が出てこなかった。
「アストリア、久しぶり。せっかくお互い着飾っているし、このまま踊りたくなってくるね」
おどけた調子のルカに、アストリアは思わずフッと笑みをこぼした。彼の声が、言葉が、眼差しが、その全てが、アストリアの壊れかけの心を癒やしてくれる。
しかしアストリアは、すぐに表情を暗くした。自分の今の服装を思い出し、いたたまれなくなったのだ。
「……わたくしとルカ様では不釣り合いですわ。ルカ様はとても素敵でいらっしゃるのに、わたくしはこの流行遅れのドレスですから……」
その言葉に、ルカは不思議そうに首を傾げた。「何を気にすることがあるの?」とでも言いたげだ。
「君は何でも着こなしてしまうから、今もとても素敵だと思うけれど。でも、君がそう言うなら、そうだな……じゃあ、こんなのはどうかな?」
ルカがパチンと指を鳴らすと、アストリアのドレスが胸元から足元に向かってみるみるうちに変化していく。そして気づけば、古めかしいドレスが淡い水色のドレスに変わっていた。
そのデザインは実に洗練されていて、アストリア本来の美しさを自然に際立たせている。ところどころに散りばめられた小さな金の刺繍は、生地が揺れるたびにキラキラと様々な様相を見せてくれた。
「とっても素敵だわ……」
思わず心からの感嘆の声が漏れた。今やアストリアは、この会場にいるどの令嬢よりも美しく着飾っていたのだ。
その時、遠巻きに二人を眺めていた令嬢たちが口々に声を上げる。
「魔法使いの方なのね。一体どこの家の方なのかしら!」
「なんて素敵な方なの! ああ、かっこよすぎてめまいがしそう!」
「どうしてアストリア様が――なのよ!」
「ほんと――、――のくせに!」
アストリアはそこで気づいた。聞こえてくる言葉がおかしい。まるで、自分に向けられた暴言だけが聞こえなくなったかのようだ。
先ほどルカに耳を塞がれた時に、何か魔法をかけられたのかもしれない。
「誰だ! 貴様は!!」
「何をしている衛兵! さっさと捕らえんか!!」
ルカの突然の登場に呆然としていたジェフリーや国王が、ようやく声を上げた。見知らぬ男が勝手に城に侵入したなら、怒って当然ではある。
すると、主君に命じられた衛兵たちが、ルカを捕えようと慌てて駆け寄ってきた。が、見えない壁にぶつかり、みな揃って尻もちをつく。
どうやらルカが一定以上近づけない結界を張ったようだ。
そして彼は、アストリアからジェフリーの方に視線を移す。
「せっかくの生誕祭に邪魔して悪いね、ランドルの王太子。僕はフレーベル帝国ベルンシュタイン家当主、ルカ・ベルンシュタイン。君たちには、辺境の大魔法使いと言ったほうがわかりやすいかな?」
ルカの言葉に、貴族たちが一斉に騒ぎ出す。
「辺境の大魔法使いだと!?」
「大魔法使いって、フレーベル帝国の、あの辺境伯のこと?」
「ベルンシュタイン家の当主がこんな若い青年だって!?」
(ルカ様が、ベルンシュタイン家の当主……!?)
これにはアストリアも心底驚かされた。
ベルンシュタイン家は、ランドル王国と西の隣国フレーベル帝国の国境沿い一帯を総べる大貴族である。
そして、ベルンシュタイン家には代々、強大な魔力を持つ男児が生まれ、当主となるのだ。その魔法の実力が他と比べ物にならないほど圧倒的なので、それ故にベルンシュタイン家の当主は別名「辺境の大魔法使い」と呼ばれている。
ベルンシュタイン家には謎が多く、当主が社交界に姿を現すことは滅多にない。帝国の人間でさえルカの素顔を知る者は少ないというのに、ここにいる全員が彼の顔を知らないのは当然だった。
ルカがあれだけ魔法を使えたのも、アストリアのことを知らなかったのも、今の説明だけで全て納得がいった。
「ルカ様……ベルンシュタイン家の当主ともあろう方が、何故ここに……?」
隣の彼を見上げてそう問うと、彼はこちらに向き直って優しく微笑んだ。
「言ったでしょ? 君が望むなら、僕はいつだって君を攫いに行くって」
森で別れる間際、彼から言われた言葉。
アストリアはその言葉を懸命に忘れようとしていた。それが、あまりにも魅力的な言葉だったから。
本当は、攫って欲しかった。今のつらい日常から逃げ出したかった。でも、そんな無責任なこと許されるはずがなかった。
自分は光の巫女で、公爵家の娘で、王太子の婚約者で。
それを願うには、あまりにもしがらみが多すぎた。
だから懸命に、忘れようとした。無駄な希望を抱かないために。
「僕はアストリアの意思を尊重したい。君はどうしたい? 君は僕に、どうして欲しい?」
でも今は。今なら――。
アストリアは、ポロリと涙をこぼしながら、眉を下げて笑った。
「わたくしを……攫っていただけますか?」
「もちろん、喜んで。愛しき人」
ルカはアストリアの手を取ると小さく口づけをした。そして、とても愛おしそうに笑いかけてくるのだ。
ルカの言動にアストリアが思わず顔を赤らめていると、ジェフリーが青筋を立てながら怒鳴りだした。
「おい、貴様! 何を勝手に話を進めている!? アストリアは我が国の人間だ! それを攫うなど、許されるはずがないだろう!!」
うるさく喚くジェフリーに、ルカはあからさまな嫌悪感を示していた。彼はひとつ溜息をついてから、やれやれというように口を開く。
「ランドルの王太子、ええと、ジェフリーだっけ。君、さっきアストリアとの婚約を破棄しただろう? それに、ウォーラム公爵もアストリアのことを勘当した。彼女はもう自由の身だ。彼女がどこに行こうと、彼女の勝手だろう」
「そっ、それはそうだが……!」
口ごもるジェフリーに代わり、国王が険しい表情で言葉を放つ。
「ベルンシュタイン卿。我が王城に無断で立ち入り、この暴挙。流石に黙ってはおれませんな」
「勝手に入ったことは謝るよ。でも、無駄な争いはしたくないな。面倒だから」
国王はルカを鋭く睨みつけているが、ルカはフッと余裕の笑みを浮かべていた。
すると、国王の言葉に調子づいたジェフリーが勢いを取り戻す。
「そうだ! 帝国に抗議文を送りつけてやる。そうなれば貴様もタダでは済まないだろう。俺の生誕祭をブチ壊した罪は重い!」
ジェフリーは勝ち誇ったような顔をしている。が、ルカは耐えられないというように吹き出し、思いっきり嘲笑を浴びせた。
「ハハッ! 君は馬鹿なのか? 僕は帝国の管理下にないし、僕に帝国の法は適用されない。だからいくら帝国に訴えても無駄だよ。そんなことも知らないとは、よほど頭の出来が悪いと見える」
「なんだと!?」