5.君が望むなら
翌朝、アストリアは気持ちの良い陽光で目を覚ました。
寝台から体を起こして、少し驚く。良く眠れたおかげか、とても体が軽いのだ。
この一ヶ月は大抵が外で野宿をしていたので、こんなにぐっすり眠れたのは本当に久しぶりだった。
アストリアはルカが用意してくれた服に袖を通し、身支度を整えてから、朝日を浴びようと外に出る。するとそこには、既にルカの姿があった。
「おはよう。昨日は良く眠れた?」
キラキラとした陽光に照らされた彼の笑顔が眩しい。アストリアも釣られて笑顔になってしまう。
「はい。それはもうぐっすり。ルカ様が安眠と吉夢の魔法をかけてくださったおかげです」
「それは良かった。僕の魔法も、たまには役に立つものだね」
彼はそう言いながら、泉のほとりで何やらせっせと準備を進めている。ガーデンテーブルのセットが置かれているが、わざわざ家から運んで来たのだろうか。
「ええと、ルカ様は何をされているのですか?」
「泉を見ながら朝食なんてどうかなと思ってね」
「え!?」
思わず駆け寄ると、アストリアは美味しそうな料理の数々に目を輝かせた。
ガーデンテーブルの上には、トロトロの卵とチーズが挟まれたホットサンドに、かぼちゃのポタージュスープ、新鮮なカットフルーツが並んでいる。
「素敵……! これ、ルカ様がお一人で?」
「うん。口に合うといいんだけど」
「嬉しいです。何から何まで、本当にありがとうございます。あの、少しでもお礼をさせてください。服も大層なものをいただいてしまったので。これでは足りないかもしれませんが……」
アストリアは礼を言って、銀貨が入った麻袋を渡そうとする。しかしルカは片手でそれを制し、優しい微笑みを浮かべた。
「僕がやりたくてやってることだから、本当に気にしないで」
「ですが……この服は相当高価なものなのでは……?」
「それほどでもないよ。それよりも僕は、君が楽しそうに笑ってくれるのがとても嬉しいんだ。君の笑顔が、服のお代ってことで」
ルカはそう言ってにこりと笑う。
そんなことを言われたのは生まれて初めてだったので、アストリアは思わず頬を赤くした。ここ数年、冷たい言葉を浴び続けてきたことも重なり、自然と心が動いてしまったのだ。
動揺を隠すように俯くと、ルカが「冷めないうちに食べちゃおう」と言って食卓につくよう促した。
椅子を引いてくれた彼に礼を言ってから、アストリアは席につく。
そして、朝日をキラキラと反射する美しい泉を見ながら、二人で楽しく朝食を取った。
「浄化の任務は、あとどのくらい残ってるの?」
「あと一箇所だけです」
「じゃあ、護衛として僕もついて行ってもいいかな?」
食後、そろそろ出立しようと席を立った時、ルカからそんなことを提案され、アストリアは困ってしまった。流石に無関係な人間を危険な瘴気の元に連れて行くわけにはいかない。
「大変ありがたいお申し出なのですが、お断りいたします。やはり一般の方を連れて行くのは危険ですので」
「僕、一般人に見える?」
ルカはいたずらっぽく笑いながら、指をパチンと鳴らした。
すると、なんということだろう。一瞬でガーデンテーブルのセットが消えて無くなってしまったのだ。
気づけばログハウスも綺麗さっぱり無くなっており、アストリアの荷物だけが地面の上にちょこんと置かれている。
その光景を見て、アストリアは呆気に取られた。
昨日から様々な魔法を見せてもらったが、彼の魔法の才はこの国一番の魔法使いより上だと言っていいだろう。
結界を全身にまとえるという話も恐らくは本当だ。彼を連れて行っても問題ないことは良く理解できた。
ここで頑なに断っても、彼のこの様子だと引かないだろう。そう思い、アストリアは諦めたように苦笑した。
「一般人には見えませんね」
アストリアの返答に、ルカは満足そうに笑う。
「決まり。場所、どの辺り? 地図ある?」
「ここから少し南下した、このあたりです」
荷物の中から地図を取り出し、ある一点を指し示すと、ルカは「了解」と言って徐ろにアストリアの腰に片腕を回した。
「ひゃっ!」
「じゃあ、行こうか。僕から離れないで」
「え、あのっ!」
これはどういうことですか、と聞こうとした瞬間、足が地面から浮くような感覚がして思わず目を閉じた。そして次に目を開けたときには、そこに泉はなく、全く別の場所にいたのだ。
辺りは瘴気に満ち溢れ、空気の淀みを感じる。ここが恐らく、最後の浄化ポイントだろう。
(転移魔法まで使えるのね……)
転移魔法はこの国でも数人しか使えない高度な魔法だ。それをこんなに容易く、それもこんなに正確に扱えるとは。
隣の彼を見上げると、濃い瘴気の中でも平然としていた。
「瘴気の影響はありませんか?」
「大丈夫だよ。僕のことは気にせず、君は浄化に専念してくれていいから。防御魔法も僕に任せて」
そう言ってルカはアストリアを離すと、辺り一帯に防御魔法を展開し、少し離れたところで待機していた。
今のところ、周囲に魔物の気配はない。この隙に急いで片付けてしまったほうが良いだろう。
ここは、昨日浄化した場所よりもさらに瘴気が濃く、なかなかに時間がかかりそうだ。
いつものように手を合わせ、目を閉じる。
アストリアから光の粒が広がるにつれ、ゆっくり、だが確実に瘴気が浄化されていった。
浄化中は高い集中状態にあるため、時間の感覚がなくなる。終わったと思ったところで目を開けると、先程より太陽が高い位置にあった。一時間くらい経ってしまっただろうか。
ルカを随分と待たせてしまったことに気づき、アストリアはすぐに彼に駆け寄った。
「すみません、時間がかかってしまって。退屈でしたよね」
「ううん。とても綺麗だったから、ずっと見惚れてた。浄化してるとこ、見せてくれてありがとう」
そう言う彼は、慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。まるで、愛しい人に向けるような。
アストリアは驚きと動揺で何も言えなくなってしまって、口を小さく開けたまま目を泳がせた。なんと言葉を返すのが正解なのかわからない。
自分の心臓がドキドキとうるさくて、それを抑えるのに必死だった。
「転移魔法で家まで送るよ。地図見せて。場所を示してくれたら、そこに飛ばすよ」
ルカが話題を変えてくれて、正直ホッとした自分がいた。あの甘い雰囲気のまま沈黙が続いていたら、恥ずかしさでいたたまれなかっただろう。
アストリアは落ち着きを取り戻し、彼に自分の家の場所を伝えた。
「何から何まで、本当にありがとうございました。落ち着いたら、必ずお礼に伺います」
「お礼なんていいよ。僕が好きでやったことだから」
そして、ルカが指を振る。すると、アストリアの足元に魔法陣が浮かび上がった。
アストリアが転移する間際、彼は最後にこう告げた。
「これだけは忘れないで。君が望むなら、僕はいつだって君を攫いに行くから」