4.温かな時間
「うわぁ……なんて素敵なの……!」
不思議なことに、ログハウスの中にはキッチンや照明、家具まで揃っていた。
ダイニングテーブルにソファ、それにフカフカそうなベッドもある。そのどれもが可愛らしく、木の温もりと調和したデザインになっている。
アストリアの反応に、ルカは満足気だ。
「気に入ってもらえてよかった。すぐに夕飯の準備をするよ」
彼はそう言って羽織っていたローブを脱ぎ、ソファの背もたれにかける。それから腕まくりまでして、気合い充分だ。
「いえ、そこまでお世話になるわけには! こんな素敵な場所をご用意していただけただけで十分です」
キッチンに向かおうとするルカを慌てて止めると、彼は振り返ってにこりと笑った。その笑顔からは、とても温かい優しさを感じる。
「僕もお腹減ってるんだ。気が引けるなら、一緒に作る?」
そう言っている間にも、ルカは手品のように手からポンポンと食材を出している。じゃがいもに人参、バターに小麦粉に牛乳。どうやらシチューを作る気らしい。
キッチンに並べられた食材を見て、アストリアは諦めたように苦笑した。
「そういうことなら、お言葉に甘えます。野菜の皮、剥きますね」
アストリアも彼に倣い、脱いだローブをソファの背もたれにかけ、袖をまくった。
そして、ルカとキッチンに並び立ち、一緒に夕食を作ったのだ。
彼と会話をしながらの料理は、とても心安らぐものだった。野宿の際は当然ながら一人で料理をするので、こんなに楽しい時間は久しぶりだ。
ルカの手際は非常によく、手慣れている様子だった。こんな森の奥に住んでいるなら、彼も普段は一人で生活しているのかもしれない。
そうこうしているうちに料理が完成し、二人は食卓についた。メニューはホワイトシチューとバゲットだ。
アストリアはスプーンでシチューを掬い、ぱくりと頬張る。温かく濃厚な味わいが口の中に広がり、心がホッとした。
すると、ルカがなぜか不安そうな顔で見つめてくる。
「ごめん、料理、不味かった? 味付け失敗したかな……」
「え……?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。そう思った時、自分が泣いていることにようやく気がついた。
頬に触れると、涙で濡れた一筋の跡がある。
無意識に泣いていたことに動揺し、アストリアは涙を拭いながら慌てて口を開いた。
「い、いえ、違うのです。こんなに美味しい料理をいただくのも、誰かと一緒に食事を取るのも、あまりにも久しぶりで……とても、嬉しくて……」
五年前から、家族と一緒に食事を取ることがなくなった。膨大な量の仕事を押し付けられるせいで目が回るように忙しく、ゆっくり食事を取る暇もなかったからだ。
定期的に開催されていたジェフリーとの食事会も、いつの間にか消滅してしまった。だから、誰かと食事を取るのは本当に久しぶりなのだ。
(急に泣いて、面倒な女だと思われたかしら……)
そんな思考が一瞬頭をよぎったが、ルカはとびきり優しい笑顔を向けてくれた。
「そっか。それなら、勇気を出して君に声をかけてよかった。僕も君と一緒に食事ができて、とても嬉しい」
(なんて、優しい人……)
出会ったばかりなのに、どうしてこんなにも心が安らぐのだろう。初めて会ったとは思えないほど、アストリアは彼に安心感を覚えていた。
その後、二人で楽しく会話をしながら食事を取った後、ルカは食後にハーブティーまで出してくれた。
「ねえ、アストリア。君はこの国での生活、つらくないの?」
不意にそう尋ねられ、アストリアは言葉に詰まった。
光の巫女として、王太子の婚約者として、公爵家の娘として、本来なら「つらい」など口が裂けても言えない。
でも彼には、どうしてか本当の気持ちを話してしまう。
「つらくないと言えば、嘘になります。ですが、浄化の力を持って生まれた者として、役目を全うしなければとも思っています」
「……今までたくさん頑張ってきたんだね。一人で、たくさんのものを背負ってきたんだね」
労るような言葉に、アストリアの心がスッと軽くなる。今までの努力が、苦労が、耐え忍んできた日々が報われた気がした。
「明日、急いで帰らなきゃいけないのは、どうして?」
「父から仕事を頼まれておりまして。あとは……ジェフリー殿下の生誕祭の準備もありますし」
「ああ、君の婚約者の。自分の生誕祭の準備くらい自分でやればいいのに、全部君に押し付けて……許せないな」
ルカの瞳に怒りが宿る。自分のために怒ってくれていることが、素直に嬉しかった。
「君は婚約者のこと、どう思ってるの? その……好きなの?」
ルカがこちらの様子を伺いながら、聞きづらそうに尋ねてきた。アストリアは虚空を見つめ、少し考え込んでから口を開く。
「そうですね……お慕いしているというよりは、王太子の婚約者としてお支えしなければという気持ちが強いです。彼は少々、努力が苦手な方なので」
「アストリアは真面目すぎる。このままじゃ、君が壊れてしまうよ」
眉根を寄せるルカに、アストリアは苦笑して言葉を返した。
「大丈夫です。わたくしが殿下の婚約者なのも、きっとあとわずかでしょうから」
「え、なにそれ。婚約、解消するの?」
「……わたくしは恐らく、ジェフリー殿下の生誕祭で、婚約を破棄されるのだと思います」
あと一ヶ月もすれば、ジェフリーは十八歳になる。この国で男児が結婚できる年齢だ。
本来であれば、ジェフリーが生誕祭を迎えてすぐ、アストリアと正式に婚姻を結ぶ予定だった。
しかし数年前から、その話をパッタリとされなくなったのだ。事実、生誕祭まで一ヶ月を切ったというのに、婚姻の準備の話などまるで出ていない。
だから、ジェフリーは生誕祭の日にアストリアとの婚約を破棄し、妹のシェリルと婚約を結び直すつもりなのだろうと予想していた。
「そんな最低な国、さっさと捨てちゃいなよ。僕が攫ってあげる」
「え……?」
ルカの声は、静かな怒りに満ちていた。その瞳は真剣そのもので、冗談など一欠片も含まれていない。
(国を捨てるだなんて、考えたこともなかったわ……)
この国を去ったところで、他国で生きていける伝手などない。アストリアは、この国で出来損ないの光の巫女として生きていく他ないのだ。
アストリアが言葉を返せないでいると、ルカはフッと表情を緩めた。
「遅くなっちゃったね。僕は一度帰るよ。奥の部屋に浴室を用意しておいたから、良かったら。あと、差し出がましかもしれないけど、服も一式用意してあるから、気に入ったら使って」
彼はそう言って立ち上がると、「明日の朝、また来るね」と言い残して去っていった。
その後、アストリアは温かい湯に浸かり身を清めた。魔法がかけられているのか、いくら時間が経っても冷めない不思議な湯だった。
そして、湯浴みを済ませ、真新しい寝衣に着替える。
用意されていたのは寝衣だけではなかった。新品のワンピースとローブも置いてある。魔法で野菜をポンポン出していたくらいだから、服を用意するのだって造作もないのだろう。
しかし、これはいくら何でも受け取りすぎだ。
寝衣は肌触りの良いシルクの一級品。ワンピースもローブも素朴な見た目ながら、使われている生地が明らかに高級品だ。やはり彼はどこぞの高位貴族なのだろうか。
しかし、明朝に彼がまた来てくれるなら都合が良い。自由に出来るお金はそれほど多くはないが、彼に少なからずお礼を渡そう。
アストリアはその後、早々に寝台に入った。流石に長旅の疲れが溜まっていたようで、眠気が一気に襲ってきたのだ。
すると枕に頭をつけた途端、わずかに魔力を感じた。
(安眠と吉夢の魔法がかけられている……本当に、優しい人だわ)
ルカの温かな心遣いに胸が満たされ、アストリアは幸せな気持ちで眠りについたのだった。