2.嫌われ者の巫女
アストリアがたどり着いたのは、西の国境沿いにある小さな街だ。
この街に来るのは初めてだが、果たして、どうだろうか。
「あの、一人なのですが、お部屋は空いてますか?」
最初に目についた宿屋でそう尋ねると、店主はアストリアの顔を見た途端、渋い顔になった。
「悪いが、今日は満室でね。他所を当たってくれ」
カウンターの奥には、使われていない客室の鍵がいくつかぶら下がっている。明らかに嘘だった。
「そうでしたか。お忙しいところすみませんでした」
アストリアは特に食い下がるようなことはせず、丁寧に頭を下げてから宿屋を去る。
(この街は……難しいかもしれない)
他の宿屋にも赴いたが、アストリアが泊まれそうな場所はひとつもなかった。
とある宿屋では、明らかに客がいるのに、
「今日は休業日だ。帰ってくれ」
と言って断られた。
また別の宿屋では、アストリアの顔を見るなり、気まずそうな顔で、
「あー……あんたは、ちょっと……」
と言って追い返された。
こうして宿泊を断られるのは、よくあることだった。国民からのアストリアの評判は、五年前から地に落ちている。
無能の光の巫女。役立たず。のろま。出来損ない。
王族や貴族が揃ってそう評するので、平民たちもそれに倣ってアストリアを詰るようになった。
この国はここ数年、国政があまりうまくいっていないこともあり、国民の不満が大きい。アストリアは体よく不満の捌け口になっているのだ。
たまに宿泊できるときは、店主がアストリアの顔を知らないか、店主が法外な宿泊料をふんだくろうとしてくるかのどちらかだった。
(今日は森で野宿にしましょう)
アストリアは気を取り直し、来た道を引き返すことにした。ここでいちいち落ち込んでいても仕方がない。
すると、もうすぐ街を出ようという時、子供たちのはしゃぎ声が聞こえてきた。
「おい! 出来損ないの巫女だぞ!」
「痛っ」
硬いものが頭に当たり、アストリアは思わず顔を顰めた。石を投げられたのだ。
「ほんとだ! やーい! のろま!! 役立たず!!」
「さっさと出てけよ! 無能の巫女め!」
罵声を浴びせながら、少年たちは揃って石を投げつけてくる。
アストリアは街の出口まで走ったが、少年たちは執拗にアストリアを追いかけ、石を投げ続けた。
背中に何度も石が当たり痛みが走ったが、それでも足を止めず、逃げるように街から抜け出した。
街から遠ざかり、森に入ってしばらく進んだところで足を止める。一度木の根元に座って息を整えながら、自分に治癒魔法をかけた。
(……少し、疲れたわね)
体の傷は癒せても、心についた傷は消えずに残る。アストリアの心には、五年分の見えない傷が蓄積されていた。
(今日はここで野宿にしましょう)
火を起こすために薪になる枝を拾いに行こうと立ち上がった時、アストリアはふと違和感を抱いた。背中に走る嫌な感覚。瘴気に近づいたときの感覚だ。
(おかしいわね。この辺りの瘴気は今日払ったはずなのに)
瘴気の発生源は、ここからさらに進んだ森の奥にありそうだ。瘴気を見つけたなら今日中に片付けてしまおうと、アストリアは瘴気の気配を辿って森の中を歩いた。
森の奥に近づくに連れ、次第に瘴気が濃くなっていく。遠くから魔物の鳴き声が聞こえてくるが、アストリアは恐れることなくずんずん進んだ。
そして、一際濃い瘴気が漂う場所で足を止める。普通の人間なら倒れてしまいそうな強さの瘴気だが、光の巫女は瘴気の影響を受けないので問題ない。
辺りを見回すと、ここはどうやら泉のようだ。しかし瘴気のせいでどんよりと空気が重く、泉の水も濁ってしまっている。
アストリアは泉のほとりに立つと、まず自分の周りに防御魔法を展開した。浄化の最中に魔物に襲われないようにするためだ。
浄化中は高い集中状態になり周りが見えなくなるので、防御魔法で自分の身の安全を確保することが重要なのである。
そして、祈りを捧げるように手を合わせ目を閉じ、自分の内に流れる魔力に意識を集中させていく。
(自分の魔力を、空気に溶かしていくように……)
浄化を始めると、アストリアを中心として、光の粒が周囲に広がっていく。キラキラと黄金色に輝く光は、夕焼けと相まって何とも幻想的な風景を作り出していた。
浄化を進めるにつれ、次第に空気は澄んでいき、水は清らかになっていく。そして、しばらく浄化作業を続けた後、完全に瘴気の気配が消え去ったところで目を開けた。
すると目の前には、夕日を映し出す美しい泉が広がっていた。先程までの濁りが嘘のように、泉の水は澄み渡っており、キラキラと輝いている。
形容し難いほど素晴らしい光景に、思わず頬が緩んだ。沈んでいた心も少し軽くなった気がする。
アストリアは、浄化した後の美しい景色を見るのが好きだった。まるで頑張ったご褒美をもらった気分になるのだ。
(よし。今日はこのくらいにして、残りは明日片付けましょう)
アストリアの任務はほぼほぼ終わっていたが、あと少しだけ浄化しなければならない箇所が残っていた。明日は早起きして、森を少し南下した辺りを浄化する予定だ。
(せっかくこんな素敵な場所に出会えたのだし、野宿はここでしようかしら)
そう思った時、不意に後ろから声をかけられた。
「ねえ、君。こんなところで、何してるの?」