17.愛ではないとしても
領民たちに笑顔で見送られた後、アストリアはルカと共に残りの領地を巡った。徒歩だと日が暮れてしまうので、ところどころルカの転移魔法を使いつつ、だ。
そして、夕暮れ時になった頃、ルカは街が一望できる時計台の上へと連れて行ってくれた。
夕日がキラキラと街を照らしていて、何とも美しい光景だ。
「あの尖った屋根の建物が教会。準備が整ったら、あそこで挙式しよう」
ルカが指差す先には、白壁が美しい尖塔が見えた。夕日を浴びて、建物全体がオレンジ色に染まっている。
「素敵な建物ですね。本来ならわたくしも準備をお手伝いすべきところですのに、全ておまかせしてしまって申し訳ございません」
「いいんだよ。僕も好きでやってるんだ。待ちに待ったアストリアとの挙式だから、気合いも入るし、何より楽しくて」
彼はそう言うと、視線を街からアストリアに向け、少しバツが悪そうに苦笑した。
「今日はたくさん連れ回してごめんね。みんなにアストリアを紹介できて、つい舞い上がっちゃって。みんなに自慢したかったんだ。僕はこんなに素敵な女性と出会えたんだって」
領民たちはルカの事情を知っている。ルカが光の巫女姫を妻に迎え、時間が再び動き出したことを、みな心から喜んでいた。
そんな彼らに、ルカは直接報告がしたかったのだろう。
アストリアは、ルカの夕焼け色の瞳を見つめた。夕日に照らされたその瞳は、煌々とまぶしく輝いている。
「いいえ、ルカ様。連れてきてくださってありがとうございます。ルカ様が領民たちを愛し、愛されていることがよくわかりました。今日はそれが知れて、とても嬉しいのです」
「アストリア……」
ルカの瞳がわずかに揺れたかと思うと、彼はアストリアのことをぎゅっと抱きしめた。
「ル、ルカ様……!」
「一生……一生大切にするよ、アストリア」
ルカはしばらく離そうとしなかった。彼の鼓動の音だけが、耳に響いてくる。
アストリアは、恐る恐る彼に腕を回した。とても、とても温かかった。
「アストリア。キスしてもいい?」
「……聞かないでください」
その返事に、ルカは抱きしめる力を弱めた。アストリアが見上げると、彼が愛おしそうに見つめている。
彼の形の良い薄い唇が目に入り、思わず俯いた。しかし、彼に顎をつままれ、優しく上を向かせられる。
そしてぎゅっと目を閉じた時、彼の唇が自分の唇に重なった。
心臓が止まりそう。うまく呼吸ができない。
すぐに離れたいのに、ずっとこうしていたい不思議な感覚。
アストリアはこの時、確かな幸せを感じていた。
今はこれが、「アストリア」への愛ではないとしても。それでも良いと思った。
ただ、彼の隣にいられるだけで、それだけで良いと思った。
* * *
ランドル王国の王太子、ジェフリーは、激しく後悔していた。アストリアを手放したことを、だ。
あのルカとかいう、いけ好かない男が王城に乗り込んできた翌日、国王である父から全てを聞かされた。
この世界には、数百年に一度、大瘴気というものが発生すること。
それを唯一浄化できる力を持つのが、星の祝福を受けた光の巫女姫という存在であること。
代々ベルンシュタイン家の当主が光の巫女姫を娶っていることから、恐らくアストリアが光の巫女姫であるということ。
(それがわかっていれば、あんな女と婚約を結んだりはしなかった……!)
シェリルはジェフリーと婚約した途端、この国で唯一の光の巫女であり未来の王妃だからと、誰に対しても横柄な態度を取るようになった。
王城に用意された彼女の部屋は、着尽くせないほどのドレスで溢れている。彼女が王太子妃用の予算を好き勝手に使ったからだ。
買い過ぎだといくら注意しても、「将来王妃になるのだからこれくらいは必要よ」と言って聞かなかった。
そのくせ、王太子妃になるための教育は真面目に受けない。頭脳に関してはアストリアの方が優れているということはわかっていたが、シェリルがこれほど勉強嫌いだとは知らなかった。
(俺も勉強が苦手だというのに、これでは未来の王である俺を誰が支えるというのか!)
それに加えて、シェリルは姉のアストリアを陥れるために、度々嫌がらせをしていたらしい。バッツ公爵への招待状を捨てたのもシェリルだったようだし、なんて性格の悪い女だ。
婚約前はシェリルのことを優秀で美人で愛らしい素敵な女性だと思っていたのに、今ではワガママで扱いにくい性悪女という印象に変わってしまった。
元々アストリアからシェリルに乗り換えたのは、アストリアが無能の出来損ないだと思っていたからだ。次期国王の自分に無能な人間は相応しくない。そう思ってシェリルを選んだのに、すっかり騙されてしまった。
父からは「アストリアを取り戻す極秘計画を動かしているから、シェリルと別れアストリアと結婚しろ」と言われている。父の判断に全く異論はなかった。
やはり、自分を支えてくれるのはアストリアしかいない。
(あいつだってきっと、俺のところに帰りたいと思っているに決まってる。あの身勝手な男から救ってやれるのは俺だけだ。しかし、勝手にベルンシュタイン領に入って連れ帰るわけにも……そうだ! 逃げ出して来いと手紙を送ろう。あいつも俺が待っているとわかれば、自分の足で帰ってくるだろう)
アストリアと結婚する未来を想像してニヤニヤしていると、うるさい女が自室に入ってきた。シェリルだ。
「ジェフリー様! そろそろ新しいドレスが欲しいわ! 昨日、瘴気を浄化してきたし、そのご褒美に、ね? 買ってもいいでしょう?」
媚びるような声に嫌気が差し、ジェフリーは怒鳴った。
「うるさい! お前はこれ以上何も買うな! 金の無駄だ! それに、そんなことのためにわざわざ俺のところに来るな!」
「なっ……! そんな言い方、あんまりですわ!」
シェリルは傷ついたような表情をするが、正直何とも思わない。
そもそも、こいつがアストリアのことを無能だなんだと言い始めなければ、こんなことにはならなかったのだ。こいつが周囲に「アストリアは無能の出来損ないだ」と散々言いふらしたから、国民中がそれを信じてしまったのではないか。
「もうジェフリー様なんて知りませんっ!」
うるさいシェリルが部屋から出ていって清々したジェフリーは、再びアストリアとの未来を想像し、ニヤニヤするのだった。