14.不穏な動き
アストリアは、自分に出来ることが見つかりホッとした。
しかし、瘴気の浄化の仕事も毎日あるわけではない。もう少し役割が欲しいところだ。
「よければ領地経営もお手伝いさせてください。実家での経験もありますし、それなりに心得があります。ルカ様のご負担を少しでも減らせればと」
「ありがとう。でも、領地経営に関しては本当に大丈夫。一人で十分こなせてるし」
「お一人でやっていらっしゃるのですか!? こんな広い領地なのに!?」
アストリアはあまりのことに目を丸くした。実家のウォーラム公爵領でもかなりの仕事量があったというのに、にわかには信じられない。
対するルカは、
「そうだよ。国からの仕事もないし、毎日暇だからね」
と言って笑っていた。
すると、控えていたギーゼルが重々しく進言する。
「ルカ様。ぜひアストリア様とともに領地経営をなさってください」
「ギーゼル?」
「私も同意見です。旦那様」
「テレサまで……」
使用人から提言されたルカは、一体どうしてと言わんばかりに訝しげな表情を浮かべている。
一方のテレサは、耐えかねたようにアストリアに訴えかけた。
「聞いてください、アストリア様! 旦那様ったら、帳簿も税収記録もその他諸々の書類も、なーんにも残していらっしゃらないのですよ!? 信じられます!?」
「ええっ!?」
ルカは一切の記録もなしに領地経営をこなしているというのか。これには流石のアストリアも唖然とした。
そして、テレサが困ったように眉を下げながら続ける。
「いかんせん仕事は完璧なので、書類を残してくださいと進言しても、全く聞く耳を持ってくださらないのです」
余程ずさんな管理になっているのかと思いきや、どうやらそうではないようだ。一体どうやってこなしているのか非常に気になるところである。
ギーゼルもギーゼルで、苦笑しながら補足してくれた。
「代々、ベルンシュタイン家の当主は、なんと言いますか……奥様にベッタリでそれ以外のことには無関心と言いますか……とにかく面倒くさがりなのでございます」
ベルンシュタイン家がこれまで国を持たなかったのは、代々の当主が非常に面倒くさがり屋だったからだという噂があったが、まさか事実だったとは。ギーゼルの話ぶりからすると、ルカも例に漏れず、らしい。
使用人に言いたい放題言われたルカは、不服そうに唇を尖らせた。
「帳簿とか記録とか、そんなの必要? 全部僕の頭の中に入ってるんだからいいじゃないか」
その言葉に、アストリアはまた驚かされた。
両親に大部分の仕事を任されていたので、領地経営に付随する記録の膨大さは身に沁みてわかっている。それを全て記憶しているとは、大魔法使いは普通の人間と脳の作りも違うのかもしれない。
しかし、流石に何の記録もないのはまずいだろう。
「ですがルカ様、それでは今後、大変困ったことになるかと」
「どうして?」
心底不思議そうに尋ねるルカに、アストリアは答えた。
「ルカ様のお体は、わたくしと婚姻を結んだことで時を取り戻しました。ということは、いずれは家督を引き継ぐときが来るはず。その時に、次の当主が困ってしまいます」
「あ……確かに」
ルカは目から鱗が落ちたように目を丸くし、ポンと手を打った。
二百年以上も変わらぬ体で生きてきた彼にとっては、そのあたりの時間感覚が麻痺してしまっていたのだろう。
「そうか、それもそうだね。僕達の可愛い息子が困るのはよくない。うん」
ルカは何度も頷きながら、しみじみとそう言っていた。
次の当主が自分と彼の子供だということは重々理解しているのだが、改めて言葉にされるとなんだか照れてしまう。
余計な思考を振り払うように軽く首を振ってから、アストリアは彼に提案した。
「ではまず、ルカ様の頭の中にある情報を、紙に起こすところから始めてみませんか?」
「うん、わかった。その間はずっとアストリアのそばにいられるね。嬉しい」
にっこりと満面の笑みのルカに、アストリアの胸はきゅうっと締め付けられた。彼の笑顔は本当に眩しい。
そして、アストリアは決意した。
いつの日か、「光の巫女姫」ではなく「アストリア」として必要としてもらえるよう、自分にできることを精一杯こなそうと。光の巫女姫としての役目が終わった後も、彼の隣にいられるように。
しかし、このときのアストリアはまだ気づいていなかった。ベルンシュタイン家の当主が、どれだけ妻に甘々なのかを。
* * *
一方その頃、ランドル王国では。
「クソッ!」
口汚い言葉とともに、ランドル国王が荒々しく執務机を叩く。ドンッという音に驚いた宰相が、肩をビクリと跳ねさせた。
「ベルンシュタイン家の当主が娶ったということは、アストリアこそが光の巫女姫だったということだ! こんなことなら愚息の婚約破棄など認めなんだわ!」
大瘴気や巫女姫の存在は、一般的には知られていない。加えて、それを知る国王と宰相でさえも、巫女姫の特徴までは知らなかった。
だからまさか、あの出来損ないのアストリアが巫女姫だったとは夢にも思わなかったのだ。
そんな彼女を寄って集って蔑み、国から追い出すような真似をするとは、とんだ愚か者で笑いものではないか。
「巫女姫を手中に収めれば、我が国に莫大な利益がもたらされる。何としてでも連れ戻せ。よいな!」
国王が怒鳴りつけると、宰相は恐る恐るといった様子で進言した。
「ですが、国王様。アストリア様を連れ戻そうとすれば、ベルンシュタイン家の不興を買うのは必至。我が国が滅ぼされる可能性も……」
「そんなことは言われなくともわかっておるわ!!」
再び国王が机を叩き、宰相がビクリと肩を跳ねさせる。
「よいか。あのベルンシュタインの小僧に文句を挟む隙を与えるな。あくまでアストリア本人の意思で戻ってくるよう仕向けるのだ。それに、一度連れ戻せればこちらのもの。魔法で顔を変えてしまえば、ヤツも追ってこれまい」
ニヤリと笑う国王に、宰相は内心「悪魔のようなお方だ……」と思うのだった。