三十六話 変革の赤い雨
「よし」
鏡に映るのはブレザーとスカートを着た俺の姿だ。中学生ともなれば多くの女子は成長を止める頃。150に満たない俺はまだ伸びる事に期待してややブカブカの制服を着込んでいる。
「まぁ……胸はそれなりに隠せるから良いんだが」
俺の胸は大きめとはいえ、漫画やアニメのような飛び抜けたものではない。だが中々視線を集めるもので……今まで同級生に見られる程度なら気にしてこなかったが、流石に成人男性や……女性からも視線を集めることが増えてきて少し気になってきた。
潔は気にならないのか? と本人にそれとなく聞いてみたら「私の場合はまず身長で驚かれるから」と答えられた。
「……中学生か」
小学生の間は本当に色々あった。
特に花苗以外とはあまり仲良くなれずに終わった交友関係は、中学生という環境においてさらに苛烈になるのであろうことが元・男とはいえよく分かる。
そういえば潔が「なんかあったら私に言って」と言っていたが、アイツの事だから暴力で解決しそうだよなぁ。短気だし。
「……『変革の時』まで、あと3年もない」
鏡の中の自分、とっくに見慣れてしまった、兄の時とは全く違う姿の俺。その俺自身に兄の姿を重ねて、俺は言い聞かせる。
「些細な違和感も見逃すな、『アイツら』は絶対……俺の前に来る」
それは天子の『龍眼』による、未来予知だ。
正弦が《ネクスト》と相対したあの事件の後、しばらく紅子達警察や、正弦本人は大学で調べ物をすると言って忙しくなった。それは未だに続いている事だが、その頃に天子が一人で俺の元を訪ねてきたのだ。
『……真守さん。私の龍眼は貴方を前にすると、《誤作動》を起こす……そう思っていました』
二人になりたいと言われたので、偶然家には誰も居なかったが部屋にまで招き入れた第一声がそれだった。
顔色は悪そうで、以前と同じように俺の前にいると徐々に体調が悪くなっていくようだ。
『貴方の前で、龍眼は普段とは違うものを視らせてくる。それが、私にはとても負荷が大きくて……簡潔に、用件だけ、伝えにきました』
体調が悪くなる理由は、どうやら俺と龍眼が合わさると『過負荷』を起こすらしい。それは、妹に宿る兄の記憶……この記憶の逆行が関係しているのだろうか。
『貴方が、すべての中心です。最初から、きっと』
その言葉の意味は、わからなかった。
『《ネクスト》は、貴方の前に必ず現れる。どれほど龍眼が私に様々な未来を視らせようと、そこは変わりません』
『アイツらの狙いが、私にある?』
思い当たるものは、ない。兄の記憶を探っても何も見つからなかった。いつだって兄は、部外者だったはずだ。
ならば、この妹に何かがある……?
『いえ、狙いはむしろ潔さんになるでしょうね』
『なんだと!?』
『落ち着いて下さい』
天子の顔色は悪くなる一方だ、俺が興奮して話が逸れるのはまずいと思い自制した。だが、《ネクスト》が潔を狙う可能性についてはしっかりと気を付けておく。きっと兄の時もそうだったのだろう。まずはそれが何故なのかも調べなければ……。
『どんな未来でも貴方の方から《ネクスト》に首を突っ込んでいる。ただ───何故、それが可能なのか。何故、貴方の周りに《逸れし者》が集まるのか』
『能力者が、集まる……?』
『疑問に思いませんでしたか? 偶然だと思いますか? 《ネクスト》も、強力な能力を持った者達は皆、貴方の近くにいる……私を含めて』
確かに、天子の言う通りなのかもしれない。
記憶を取り戻してから、知っている限り自ら能力者に近付いていたが……近付ける距離にいたとも言える。
それこそ、《変革の時》が過ぎるまで……兄の時に調べた記憶の限りでも、有名で強力な能力者は皆『日本』にいた。
『……私にも分からない事ばかりです。ですが、《変革の時》を止める為には、貴方の力が必要になってきます』
『私に、そんな力があるとは……』
思えない。
俺には何も力がない、《変革の時》を止めることができるとすれば、きっと警察に潔や対魔のメンバー達だ。俺はその手助けが少しでもできれば良い。
だから、天子の言葉に含まれたニュアンスほどの働きを俺は俺に期待していない。
『……そろそろ限界なので帰ります』
顔を真っ白にしながら立ち上がろうとして、ふらつく天子を慌てて肩で支える。目を瞑り、ゆっくりと息を吐く天子に何も言えずにいると、少し落ち着いたのか自ら離れていく。
そのまま帰ろうとする背中に、ふと……ずっと聞いてみたかったことを口にした。
『天子さんは、どうして《ネクスト》を止めようと思ったんですか?』
アイツらは危険だ。それをもう、天子達もよく分かっているはずだ。透だって、不動の怪我を見てよく痛感したはずた。お遊びで、戦うような相手じゃない。
俺の問いに、天子はゆっくりと振り返り……柔らかい笑みを浮かべて答える。
『透と、明るい未来を生きたかっただけ』
でも、と。天子は悲しげに顔を俯かせた。
『不動さんにも、酷い怪我をさせてしまった。間壁さんも心に大きな傷を負った。透も……全部、私の中途半端な予知のせいです』
『……それでも、まだ天子さんは戦うつもりですか』
きっと、様々な葛藤はある。彼女の代わりに戦ったのは透や不動に間壁達だ。自分の無力さから来る申し訳なさが、顔に滲み出ている。その気持ちはよく分かる。
『私には《変革の時》を越える予知がありません、だから───ワガママでも、縋るしかないんです』
例え、友人達を死地に送り込むことになろうとも。自らも飛び込む覚悟を持って、しかし天子は唇を噛む。
『……何故、急に私の元へ』
透達も自ら龍眼の予知を覆したいと選んだ道だ、不動もあの怪我の後なのに……戦うと言っていた。幼い彼らに対して大人の精神が止めるべきではと囁くが、俺には何も言う権利はないだろうとその点には触れない。
なのでふと考えた、何故今日になって突然訪ねてきたのか、について聞くことにする。
『龍眼が、視せるもの。真守さん、貴方に対して私は貴方が中心だと言いましたよね』
意味は理解できなかったが、そんなことを確かに言っていた。
『それを私が視れたのは、ごく最近でした。急に、視えたんです。何か……真守さんも、キッカケなようなものに心覚えはありませんか?』
*
「真守ちゃん、男子に急に連絡先を聞かれてもすぐに答えちゃダメだよ。中学生男子なんてみんなやらしい事しか考えてないんだから、真守ちゃんみたいに油断してる子なんてすぐ食べられちゃうんだから。そうなりそうだったらすぐ私を呼んでね? 殺すから」
家を出る前に正面から肩を掴まれ、潔に真剣な顔でそんな事を言い聞かされる。俺は何を大袈裟な、と微笑む。何故なら俺にはかつて男として生きた記憶がある。確かにやらしい事を考えやすい時期ではあるが、みんながみんなそうではないとよく知っている。
それに、男の記憶があるからこそ潔の言うような人種なんて簡単に見分けられる自信がある。
「潔、私はそんなに隙が大きくないし、下手な男子よりも戦えば強いから大丈夫だよ!」
両拳を胸の前でグッと握り込みながら笑顔を見せると、潔は訝しげな目でジロリと睨んでくる。
「潔ー、一回痛い目に遭わないと分からないよこの子はさぁ」
後ろからスーツを着込んだ母が呆れた声でそう言ってきた。
……そんなに、俺って男に対して油断してるの?
「クラス一緒だね」
途中で一緒になった花苗と共にクラスを確認して、二人とも一緒だったことに安堵した。流石に彼女無しで新生活は心細かったからだ。
そのまま一旦教室に案内され、頃合いを見て体育館で入学式だ。それまで僅かにしか時間がない。俺は配られたクラス分け表にとある名前を見つけて、教室に入って早々辺りをキョロキョロと見渡した。
その姿が不審だったのか、すでに教室にいる子達から随分と視線を集めてしまったのは少し恥ずかしい、だが目当ての人物を見つけて我ながら明るい笑顔を浮かべてしまう。
「松太郎!」
わあっ、と。俺は手を振りながら椅子に座って友人らしき男の子と喋っていた松太郎の元へ向かう。
松太郎の側に辿り着くと、友人らしき子には会釈をする。流石に喋っていたところに割り込んだのは申し訳ないしな。
「クラス、一緒だね! 一年よろしく! それでー、ほら、こちらの美人さんが私の友達の岬花苗ちゃんです」
とりあえず挨拶をしてから、早足でさっさと行ってしまった俺の後をニコニコしながらついてきていた花苗のことも紹介する。
松太郎は、花苗のあまりの美人さに怖気付いたのか口を半開きにして目を見開いている。
「お、おああ」
そして口からよく分からない鳴き声を出した。すぐには使い物にならなさそうなので、松太郎の友人の方を見てこちらにも挨拶をしておこうと考える。
「えーと、急にごめんなさい。私は周防真守と言います……松太郎とは、旧知の仲なんですけど、これから同じクラスだしよろしく」
「あ、うん。よろしく」
松太郎の友人も驚いた顔が張り付いたままで、一瞬固まってからそう答えてくれ、そのあと「あ、俺の名前は」と自己紹介を忘れていたことを思い出したのか俺に名前を教えてくれた。
でもすぐに、自分の席に戻ると言って離れていってしまった。これは……急に知らない奴が話しかけるもんだから気まずくなったかな?
「松太郎くんって、真守ちゃんがよく話してる紅子さんの?」
「そうそう、紅子さんの従兄弟」
花苗からの質問に答えていると、花苗の美人さに見惚れている松太郎がようやく復活した。
「お、おお、真守久しぶりだなぁ! それで、花苗さん? よ、よろしく」
……めっちゃ声上擦ってる。挙動不審に花苗に握手を求める松太郎は本当に見惚れていたらしい。
花苗はサービス精神旺盛なので、差し出された手を優しく両手で包み込み、上下に軽く振った。
「よろしくね」
松太郎は硬直した。口をパクパクとさせて言葉を探しているらしい、だが上手い言葉が浮かんでこないのかいつまで経っても音が出てこない。
俺の時も少し女慣れしていないのか、緊張しているような素振りあったけどここまでだったかぁ? やっぱり美人相手だと男の反応は違うんだな……この身体の容姿もかなり整っていると思うんだけどな。
「……おい、松太郎? 何とか言いなよ」
「セクハラにならない?」
「何を言うつもりだったんだ……」
俺が呆れ顔を松太郎に向けていると、彼は慌てた顔で手を振り回して弁解してくる。
「違う! 僕は反省したんだ……女性への言葉は、きちんと選ばなければならないと!」
「花苗が可愛くて見惚れてましたって言えばいいだろ」
「見惚れてない!」
松太郎とは、紅子と一緒に遊びにいったあの日以降もたまに会っていた。基本的には紅子とも一緒だが、故に俺の狭い交友関係……特に同年代相手にしては我ながら砕けた口調で話しており、花苗はそれを少し物珍しそうな顔で見ていた。
「ふふ、松太郎くん。真守ちゃんと随分仲が良いんだね」
「え? ああ、はい。紅子、は知ってるんだっけ? たまに一緒にご飯とか行くから……」
「花苗とも仲良くしたいですと言え」
「したいけどさぁ〜……あっ!」
松太郎はこの年齢にしては珍しく素直なところがある。なのでこうしてついつい横から口を挟んで失言を引き出そうとしてしまう。
兄の頃は、俺自身に冗談を言うような余裕がある精神状態ではなかったため……今になってからの方が彼と打ち解けている、と言えるかもしれない。
「……私も仲良くしたいな、これからよろしくね松太郎くん」
*
「真守ももう中学生か……大きくなったなぁ……」
しみじみと紅子が俺の頭に手を置きながらまるで親戚のような発言をしている。とはいえ俺は大人の男として生きた『記憶』を持つし、能力者の台頭で荒れた時代だったとはいえ、関わりになった相手が子を持っていた事なんていくらでもあり、紅子と同じような感想を覚えた事だってある。
なので、もはや自分自身が自分に対して「確かに大きくなったよなぁ、俺」なんて考えてしまった。
性別が変わったせいで、いまだにどこか自分の事を他人行儀に考えてしまうことがあるのだ。
「紅子さんとは、長い付き合いになってきましたね」
思い返せば、俺が真守として生きるようになってすぐに関わるようになった相手である紅子とは随分長い付き合いに感じてきた。
大人の感覚で言えば四年程度あっという間だが、流石に色々とあったこの四年近く……あっという間だが、短いとは思えない。
俺の持つ『記憶』で彼女はすでに死んでいたはずの存在だ、だが今もこうして元気に生きている。数少ない、俺が『未来』を良い方向に変えられた事例の一人だ。
「松太郎とも同じクラスになりましたよ」
「ああ、らしいな。岬花苗ちゃんとも一緒で、なんかすげえ美人でオーラがあったとかなんとか……微妙に濁していたが」
「見惚れてましたね」
「真守というものがいながら?」
どういう意味だよ……。
そんな会話をしているのは、またしても超能力者対策部だ。勝手にお邪魔して、勝手に雑談をしている。
今は何故か紅子しか部屋にいない。彼女に出してもらったお茶を飲みながら、ソファに座りため息を吐いた。
「捜査の進展はどうなんですか?」
「正弦くんのか? 彼も独自に調べているらしいが……まぁ、中々足取りは掴めていないな。《ネクスト》の連中も、どうやらしばらく大人しくしているようだし」
正弦が巻き込まれた事件、その時に判明した……《ネクスト》への手掛かり。大学の教授であった岸村、そして彼が口にした『札木』という名前……。
かつて岸村の生徒だったのではないか? と予想を立て、ずっと同じ大学に所属していた岸村の経歴を鑑みて……札木はかつて正弦と同じ大学に通っていたのではないか、という結論に至った。
だとすれば、大学に何か『札木』に繋がる資料が残されているかもしれない。正弦は大学に通いながらそれを探し続けている。
「そう言えば美南という子は、まだ復学には至ら
ないそうだ」
美南とは正弦と共に能力者犯罪に巻き込まれた女性だ。正弦と違い普通の感性を持つ彼女は、目の前で起きた凄惨な悲劇を前に心を壊してしまった。今は自宅で療養中だ。
「まぁ、まとめるとだな……何も進展はなし、という事だな」
「そうですか……」
俺の『記憶』の限り、《変革の時》はおそらく後数年で起きる。忘れてはならないのがそれよりも以前に発生した潔の死まで約二〜三年だという事、そしてその二つには───天子が少し漏らした『龍眼』による予知、《ネクスト》の狙いはむしろ潔にあるという言葉から、何かしらの関連があるのはもはや間違いないだろう。
困ったことに、兄の記憶は潔の死後しばらく曖昧なこともあって、対魔が目標とする《変革の時》に対しての残り時間はよくわからない。
結局、潔の死に対する手掛かりも見つけられていないし……。
「私の記憶だと、《ネクスト》は新興宗教のような雰囲気を持っていたと思うんですよね、なんていうか……陶芸師や荒波と言った能力者を幹部に据えて、一般人の信者が……いやもしかしたら次世代能力者だったのかも……」
「宗教なぁ、数は多いし、証拠もなしに捜査の手を入れるわけにも行かないしな」
例えば潜入捜査とかどうなのだろうか? と提案した事はあるが、じゃあどの組織に潜入するんだ? と言われて何も言い返せなかった。
「そういえば次世代能力者と原種についてもよくわかっていないよな、大吾郎さんは次世代の方でいいとして、他にそれらしき奴はいたっけ? 病院で暴れた兎城はどうなんだ?」
あくまでも予想だが、自然発生した能力者が原種。それに対して人工的に能力を発現させた者が次世代だと俺達は考えている。
じゃあどうやって人工的にそれを為しているのか、大吾郎が言っていた『赤い液体』とは、なんなのか。それを体内に入れる事で力が発現するのか?
「兎城は……わからないですね……確かアイツは学校でいじめに遭って入院していたんでしたっけ?」
兎城についてはいまだ行方不明だが、あの病院に辿り着くまでの経歴を調べる事はできた。
「それを苦にして飛び降り自殺を図った……けど、アイツが飛び降りたらしい場所を見たところ、とてもじゃないけど入院で済むとは思えない高さなんですよね」
「となると、やはり───」
「ええ、『斥力』の能力で落下の衝撃を和らげたと考えた方がいいと思います」
だがそうなると、疑問が浮かんでくる。
「でもそうだとしたら、アイツの能力出力を考えるとむしろ怪我が重すぎるんですよ。入院歴から両足の骨が折れて頭部にも損傷があった。それで意識混濁……」
外傷は陶芸師が治したのだろう。いつどのタイミングでなのかはわからないが、紅子や大観はあの日陶芸師と会っているし、脳のような複雑な機関まで治せるのかは分からないが骨折の方は間違いない。兎城は両足骨折しているとは思えない動きだったし。
「建物を容易に粉砕するほどの力だからな」
なので、考えられる可能性は一つ。
同じ結論に至った紅子が椅子にもたれながら続けて口を開く。
「入院してから、『強化』された。方法としては大吾郎さんを能力者に変えた方法と同じだろう。そしておそらく、それが『龍血』の力。だがそうだとしても大吾郎さんの時を───」
*
赤く染まった空。それは降りしきる赤い雨のせいだ。どこか鉄臭い、どこかで嗅いだことがあるような匂い。
血の雨だ。
それは視界いっぱいに降り注ぎ、しかし俺を濡らす事はなかった。
痕跡は一切残らず、集団幻覚だったのではないかとテレビで騒がれている。
だが、明確にあれ以来世界は一変した。
あれこそが《変革の時》だったのだ。
*
「真守?」
急に脳裏を掠めた『記憶』。紅子に呼ばれるまで俺は心ここに在らずといった様子だったらしい。ハッとして、記憶を刺激した紅子の言葉を考える。
「リュウケツ……? 紅子さん、それは、なんの話ですか」
「え? あー、そ……そうか……」
気まずそうに顔を顰める紅子に、俺はなんとなく事情を察する。これはもしや潔あたりが口止めしていたな……?
今更誤魔化しきれないと思ったのか、紅子は話し始める。
それは兎城が起こした病院の事件だ。潔と荒波の戦闘中、外へ逃げ出したサトウは足を負傷した。
そこに天子と透が居合わせたらしい。だが二人にはそこでサトウを始末する覚悟が無かった。俺はそれを責めるつもりはない。確かにそこでサトウが死んでいれば《ネクスト》の厄介さは随分と、落ちる。
だが同じ状況で、即座に命を取る選択肢を選べるのは……自分で言うのはなんだが、俺くらいだろう。普通は簡単に人を殺せない。
(あの時は潔が能力者だと判明した事、その使い方に苦言を呈して説教されたせいでいっぱいいっぱいになってたんだよなぁ)
病院事件の後は、別の事柄に意識を持って行かれすぎていた。だからこそ俺は見落としていたのだ。
足を負傷したサトウの前で天子と透が躊躇っている時、一人の男と少女が現れたらしい。
そして、少女が自らを傷付け……溢れた『龍血』が、サトウの《力》を底上げした。
「今にして思えば、病院絡みの広域記憶障害はサトウの力にしてはあまりにも出力が高い……そうか……そういうことだったのか……」
男の方は、おそらく『札木』だろう。紅子もそうあたりをつけている。少女の方は、知らない。『龍血』という能力を兄は知らない。
注射器を満たす赤い液体、そしてそれを投与された結果、能力に目覚め……錯乱した大吾郎。同じように錯乱していた病院での兎城、彼の能力も出力が上がっていたのではないかという推測……そして今聞いた、サトウの《力》の底上げ……。
その全てが、『龍血』という能力に繋がるのか。少女の血を媒介した、《能力》に対して何かしらの効果を発揮する《能力》。
「降り注ぐ、赤い血の雨」
ポツリと、先程見た『記憶』について呟く。《変革の時》が、その後の世界の変容が、見えてきた。
「なんの話だ?」
突然意味不明な事を口走った俺を見て首を傾げる紅子。俺は、なんと説明すればいいものかと頭を悩ませる。
「ふと、思い出した『記憶』があるんです。あれは多分……《対魔》が止めようとしている《変革の時》、その記憶です」
「なにっ? 一体どんな記憶だ!」
見たものをそのまま伝える。見えた景色、記憶に基づく思考。そしてその後の混乱の時代。すなわち能力者がその数を増し、皆が錯乱して欲望の限りを尽くした……最悪の記憶。
「『龍血』には能力者を目覚めさせる力があり、それを雨のように降らせる事でその対象を───!!?」
「恐らく、そしてそれは全世界規模に及ぶはずです、それなら辻褄が合う」
そして、二人で首傾げ合う。
「「で、それをどうやって……?」」
話を聞く限り、『龍血』はその少女の血液を媒介にした能力だと考えられる。だとすれば普通に人間が外に出せる血液の量なんて知れている。だからこそ今のアイツらはみだりに能力者を増やしたり強化したりなんて事をしないのではないか? できないのだ。
もし、『龍血』を制限なく生み出せるなら……奴らのいう次世代能力者がもっと増えていてもいいはず。
「『龍血』で目覚めさせた能力者は大吾郎さんや兎城のように我を失うとして、そんなことが起きれば私達の耳に全く入らないなんてことはないくらい、目立つはずだ。だが、ここ最近特にそういった事件は聞いていない……意図して情報封鎖しているとしても、出来る程度にしか増えていないと取れる」
「やはり『龍血』はその少女の血液量が使用限度に直結していると考えて良さそうですね」
少女というくらいだし、身体は大人と比べて大分小さいのだろう。どれほどの量でどれほどの効果を得られるのかは分からないが……。
「使い所が限られるなら、相手をある程度選んでいるんだろうか。大吾郎さんが陶芸師の親戚というのも、何か関係が───」
「……あ」
紅子の考察を聞いて、ふと思い出したことがあった。紅子には伝えていない、情報のことだ。しかし、言っていいものか。
「なんだ? 真守、何か気付いたのか?」
「ああ〜、まぁ……伝えていないことを一つ」
俺が作成した能力者一覧を取り出し、ページを開く。紅子と俺の書き込みで作られたお手製のものだ。
そのページの一つを開いて紅子に見せた。
「『毒婦』……? こいつらしき能力者はまだ情報がないけどな」
「この人、私知ってるんです」
「は?」
目を丸くする紅子。俺は続けた。
「あの、私の友達……岬花苗って子の話何度かしてますよね? 彼女の、母親です」
「岬……花苗……」
ポカンとした顔のまま花苗の名前を復唱して、何かに気付いたのかギョッとした顔をして俺を見てくる。何故、言わなかったのか? だけでない他の感情もこもっていそうだ。
紅子は嘘を見抜く能力者だ。だから俺の言葉を疑うことはない。
「な、なんで言わなかった……」
「外見から確証は得ていたんですが……何度も接触して、現時点で能力者とも思えないし、性格も……そこに書かれている人物とはまるで別人なんです。でも、『毒婦』になる条件もなんとなくわかっていて───」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……わかった。一旦、電話してくる」
慌てた様子でスマホを持って部屋を出ようとする紅子、俺は思わずその背中に声をかけてしまう。
「あ、あ、花苗は友達だから、あんまり言い触らさないで欲しい……」
記憶を取り戻してすぐの頃と違って随分と日和ってしまったな、と自分でも思う。だが、花苗とも花苗の母のはるかとも、付き合いが深まるにつれ俺はもう彼女に対して非情になれないかも知れないとは思っている。
「いや! 違う! ちょっと潔に確認したいことがあるだけだから!」
「なんで潔……?」
潔のやつ、俺にまだ何か隠してるの……?




