十話 キャパオーバー
神楽アツキがいずれ起こすボヤ騒ぎ。
紅子には場所が分からないと伝えていた。彼女は『嘘を見抜く能力者』であり、俺は彼女に信用してもらうためにも下手な嘘をつくつもりはない。
なので、今俺が半年ほど先に神楽アツキが起こすとされている騒ぎの現場に立っているのは───俺ですら予想できていなかったことが起きたからだ。
俺の『記憶』。それはどうやら『刺激』によって活性化するものらしい。人間の記憶とは曖昧なものだ。過去は忘れるものであり、忘れることで前に進むことができる。
神楽アツキの情報は、『兄』の後輩である松太郎が独自に調査していた資料を盗み見た程度しかない。そんなもの、一週間もすればまともに記憶なんてできていなかった。
なので週末に家族で車に乗って遊びに出かけた時、偶然見かけた地名。走行中に外を見ていた時に目に入った看板の文字。
はっきりと鮮明にとまでは言えないが、思い出した。
別の日、俺は紅子にも言わずにその地を訪れていた。電車に乗らないと行けない場所なので、潔と一緒だ。
潔の体格は中学生にも劣らない、『兄』のときも同年代よりもガタイが良かった彼女は『妹』の時でも同じ成長をするらしい。なんだか微笑ましい気持ちになった。まぁ、その代わり色々と発育の良い彼女は男からの視線に悩むわけだが……。
「真守はなんでここに来たかったの?」
「んー? この前車で外を見た時に、なんだかすごく気に入ったというか」
場所は、田園の広がる農村とでも言いたくなるような田舎だ。視界いっぱいに広がる田んぼの合間に、家がぽつりぽつりと立っているような。
神楽アツキの起こす事件、松太郎の調べた限り最初の事件はここで起きる。
田んぼの近くにはよく管理用の資材等が置かれた小屋があるのだが、その一つから発火する。火元が不明で放火とされていたが被害者もおらず、人気のない場所の為ニュースになる事もなく松太郎が調べなければ俺の目に入ることもなかっただろう。
「確かに良い景色だね〜緑がいっぱいで、真守ちゃんザリガニ取りもすごく楽しそうだったし、こういう自然が多いとこ好きなんだね」
ザリガニの件は周囲から随分と引っ張られるな……。俺は見た目もさることながら雰囲気が大人しそうに見えるらしく、亮太達とはしゃいで遊んでいると意外そうな顔で見られることが多い。最近は、もう皆慣れてきたのかそういう視線も減ってはきたが。
「なんだか、懐かしい気持ちにならない?」
「まだ小学生なのに?」
ちょっとコメント間違えたな。
大人になってくると、たとえ田舎に住んでいなくても田舎から懐かしさを感じるものなのだ。この体小学生だけど。
ちなみに俺達の住んでいる地域は、地方都市と言った発展具合で、決して都会ではなく田舎寄りの方だ。
その為少し車で走れば田園風景なんてものもすぐに広がっている。
しかし、こうやってのんびりとした時間、自然を見つめるなんてしばらくしていなかった。
米だろうか、田植えが終わりそれなりに経ったくらいに見える成長度合い。どこを見渡しても青々とした景色が目に優しい気がする。
風が通り抜けると、土や水の匂いが鼻をくすぐる。目的が達成できずとも、このようなところで潔と共に時間を過ごせた事自体が価値のあるものになった。
「もう少し歩いてみる? 体は大丈夫?」
「うん、だいぶ体力もついてきたしね。ちゃんと帰りの分も考えるから大丈夫」
そんな会話をしながら、周囲を散策する。少し歩けば家が固まっている地域もあり、その辺りまで行ったほうが手掛かりがあったりするだろうか? と考える。
神楽アツキが何故ここで能力を使ったのかが分かっていない。松太郎はそこまで調べたのかもしれないが、残念ながら俺はそこまで彼の資料を読んでいない。
失敗した、と今は思っている。まさか過去に戻れるなんて思ってもいなかったし、そもそも神楽アツキは潔の死には何も関係がない。あの時の俺が興味を持つはずがなかった。
なら今回も放っておけば、とは思えない。紅子に対する情があるのは認めるが、それを抜きにしても紅子という能力者であり警察官の協力は、できればこの先も欲しい。
故に、ここで死んでもらうわけにはいかない……。
だから、今回『記憶』を思い出したことを俺は紅子に言わずに来ていた。本人にバレたら怒られる可能性は高いが、とある懸念からつい言い淀んでしまい、先に行動を起こしてしまった。
懸念とは『兄』の時、紅子は神楽アツキと戦って死んでいるという『歴史』だ。俺達の方が先に相手のことを知っている、という既に大きな歴史改変は起きているが、それでも紅子と神楽アツキが対峙した時に何か確率の収束のようなものが起きて、再び紅子が死ぬという『歴史』が繰り返されないとは言い切れない。
(時間逆行ものでは歴史の強制力とかよくあるものな)
つまりはそういう心配だ。それならば、紅子が一切神楽アツキと関わる事のない未来を選択した方が良いのではないか、そういった考えが頭によぎってしまい、ついつい紅子に黙ってしまっている。
かといって、神楽アツキに子供の体で勝てるのか? という心配が大きい。斉藤カズオキの時に、大人の力と子供の力の差を思い知った。男と女の差もある。
武器だ。やはり武器が必要だ。
しかしこの法治国家において警察官から銃を盗めるわけでもなし、あまりに物騒な刃物が持ち歩けるわけでもない。
どうしたものか……。
悩みながら歩く俺を、潔が不思議そうな顔で見つめていることにも気付きつつ、何も収穫はなく今日は家に帰った。
*
パチンカチン。
目の前で亮太とよく遊ぶクラスの男子の一人が、手の中でとあるものを弄んでいる。俺や亮太達はそれを物珍しそうに見つめていた。
「ほら、すげえだろ。大分慣れてきたんだ。ほら! カッコよく使えるようになってきた」
バタフライナイフ。
中学生の兄が隠し持っていたものでこっそり遊んでいるらしく、収納された状態から器用に振り回して刃先を出してドヤ顔をしている。
「すげえ! 俺もやらせろよ!」
亮太が興奮して触っているが、初めてではやはり上手く扱えない。俺はそのやりとりを参加することなく、ニコニコと見つめていた。
後日、そのバタフライナイフはこっそり盗んだ。
「ナイフ無くなっちゃったんだけど、誰か知らねぇ? 兄貴に殴られちゃうよぉ」
皆が口々に知らないと言う。
当然、俺も笑顔で「知らなーい」と答えた。本当は俺の部屋にある。すまんな、でも小学生に刃物は危ないからな、没収だ。有効に使ってやる。
別の日。
それを見かけたのは偶然だ。
習い事の帰りに潔と本屋に寄った時、見知った顔が居たので少し目で追っていたら、その相手は慣れた手つきで漫画本をカバンに入れそのまま店の外へ行ってしまった。
「潔、ちょっと学校の知り合いがいたから待ってて」
「そうなの? あんまり遠くは行かないでね」
なるべく急いで追いかけて、後ろから肩を掴むと一瞬ぴくりと身体を震わせるが、すぐに素知らぬ顔で振り返ってきた。
「ゲッ、お前かよ。触るな」
俺の顔を確認した瞬間、露骨に嫌そうに顔を歪めて肩に置いた手を振り払ってきた。この子は、以前ミヨちゃんの好きな男の子があーだーこーだと詰め寄ってきたアカネちゃん……の後ろでミヨちゃんを慰めていたスミレちゃんだ。
あの一件以来嫌われているのか避けられているし、視線や口調がキツいので俺からも避けていたのだが……。
「盗人が何を偉そうに口を聞いているの?」
ピシッと、スミレちゃんは表情を凍らせた。俺は出来る限り友好的な笑顔を浮かべ、なるべく優しい口調で続ける。
「さっき、漫画盗んでたよね。しかも6巻目かぁ〜、多分さ、1巻からまともに集めてないだろ」
肩を組み、耳元に口を近付けていく。
彼女は顔を真っ青にさせ、小さく震えていた。悪い事だと分かってるなら、やらなければいいのに。
「黙っててあげるよ」
「えっ」
バッと驚いた顔で俺の方を見るスミレちゃん。ニコニコと、俺は笑顔を浮かべたまま続けた。
「一回だけ、言う事聞いてくれたらこの件は黙っておいてあげる」
俺の顔を見て、一瞬目を見開いたスミレちゃんは瞳の中に僅かに恐怖を見せる。俺は気にせず、言う。
「盗んできて欲しいものがあるんだよね」
万引きの手つき、慣れたものだった。俺では上手くいかない。大丈夫、そんな高価なものではない……と思うから。でもちょっと、俺やスミレちゃんでは買うのに違和感があるんだ。
それに、購入だと足がつくからね。
*
武器としては心許ないが、この小さな体でしかも周囲から違和感なく隠せるサイズのものとしては上等なものがいくつか揃った。
それを普段から持ち歩く鞄に作っておいた隠しポケットに入れておく。
よし。後はもう何度かあの場所に通って情報を集めないといけない。
しかし、仮に奴を見つけたとしてどうやって殺してやろうか。
潔を殺した能力者を見つけるためにも、今はまだ俺自身が捕まるわけにはいかない。
あの田舎なら、水路に落として溺死させるとかそのような手段の方が良いのだろうか。だがこの身体でどうやって……。
薬、か?
毒のような、何かで身体の自由を奪い川が水路に放り込む。
いやダメだな。どこで調達するんだそんなもの。人に害があるレベルのものを手に入れようにも俺の立場じゃほぼ不可能だ。
それに検死すればすぐにバレてしまう。そこから俺に辿り着くなんて警察からすれば簡単だろう。
やはり、一度事件を起こさせるしかないのか?
(そうすると、紅子が間違いなく関与することになる。それこそ、『記憶』をなぞる結果になるんじゃないか?)
頭をガシガシと掻いて俺は苛立ちを募らせる。
今は授業中なので勉強が分からず苦悩している子に見えているだろう。授業中は考え込むのに最適だ。
その結果、俺のことを心配した教師からどこが分からないか質問されまくって捗らないのであった。
授業が終わりに近づいた時、すっかり考えることをやめていた俺はふとしたことを思い出す。
(毒、か。毒を操る能力者がいたな)
それは『記憶』の中にある、最悪の犯罪能力者集団『ネクスト』のメンバーの一人。身体から『毒性』のある体液を自在に生み出すことの出来る能力者。
その力で多くの人間を不幸にし、その命を奪った凶悪な能力者だ。『ネクスト』の首魁の忠実な僕で、妖艶な容姿と能力から『毒婦』と名付けられ恐れられた。
(『毒婦』……今の年齢だと、いくつくらいだったか)
あの時の『兄』よりもかなり歳上だったはずだ。それなのに見た目はいつまでも若く、そして人目を惹く美人だった。
通称『毒婦』、と呼ばれた能力者が表舞台に現れたのは、『兄』が二十代前半の頃。
つまり『私』からすればまだ十年以上先の話になってくる。しかし『毒婦』は今の時点で子供を持つような歳のはず。
(子供……?)
ビリ、と。脳に電気が走るような錯覚。何かに、気付いたような。
(そうだ……『毒婦』が能力を悪用し始めたのは……《復讐》がきっかけだ)
『毒婦』は『兄』の記憶の中では討伐されている。『兄』と対・悪性能力者集団が協力して、多大な犠牲を払ったうえで追い詰めて───殺した。
『私にとって、死などもう、どうでも良いのですよ。ただ、リーダーに恩があるから従っていただけです』
もう自分が殺されるだけだという状況で、『毒婦』は恐怖の一つも見せず、ただ疲れたようにため息を吐いてそのようなことを言った。
『とうに、私の目的なんて終わっているんです。あのゴミどもを────娘を汚した汚物どもを処分した時点で。なので殺すのなら早くして下さい』
そうだ。毒婦は、自らの娘の復讐のために『ネクスト』に入り、そして目的を達成した後はただ組織への義理を果たしていただけだった。
思い出してきた。
彼女の娘は、殺された。その方法は母親ならば、より悍ましく……恨めしく、感じたはずのものだ。だが、それは『今』よりもまだ先のはず。
つまりまだその娘は生きていて、『毒婦』は今の時点では善性を保っている可能性が高い。あの死に際の顔を見る限り、彼女の本質はむしろそちら側に感じる。
俺とて、『毒婦』のやったことは許していない。だが、『この時代』ではまだ罪を犯していないかもしれない。
(味方に、できるか……?)
じわりと、心の奥底から滲み出すような怒りがそれを否定する。過去の記憶が、奴らの悪行を許していいのかと問うてくる。
しかし、斉藤カズオキとは違う。まだ罪を犯していない能力者を、防ぐことができるかもしれない悪への道を、その可能性の一切を考慮せずに俺の『記憶』で決めつけていいのか? 将来、必ず悪になると断じて裁いていいのか?
(裁く? 何様のつもりだ。俺は正義の味方じゃない。偉そうに他人を断じる資格なんて無い。『お前』に出来るのは、その命続く限り能力者を殺すことだ)
「大丈夫?」
ハッとした。
気付けばとうに授業は終わっており、休み時間になっていたようだ。背中は汗で濡れており、今まで遮断されていた周囲の音がドッと耳に入るが自分自身も何故か息を切らしている。
声のした方を見るとそこには岬ちゃんが立っている。何やら心配そうに俺を見つめていた。
「顔色悪いけど……」
彼女の顔を見て、俺は思わず眉を顰めてしまう。『毒婦』は、とても人目を惹く容姿をしていた。
その娘も、きっと彼女と同じように人目を惹いたのだろう。だから悍ましい犯罪と被害に遭ってしまった。
脳裏に『毒婦』の顔がよぎる。彼女の本名は知らない。過去は完全に抹消されており、そして『ネクスト』の誰もそれを語ることはなかった。
「保健室、行く?」
岬花苗は、類稀な容姿をもつ少女だ。きっと将来はとびきりの美人になるだろう。
その、少女の顔に『彼女』の顔が被って見えて。
「い、いや、私は、大丈───」
けぷ。と、俺は嘔吐して貧血でぶっ倒れた。