一話 TS逆行転生
ここまでか。
失った右肘から先、腹に空いた風穴。そこから流れ出る赤い、俺の生命。
「無能力のくせに、よくやったよ君は」
最悪の能力者集団『ネクスト』。その首魁をようやく突き止めたと思えば、このザマだ。まぁ、当然の帰結とも言える。だがしかし、死に行く俺の口から出る言葉とは、やはりこうなる。
「そうか……『お前でもない』のか……」
それは死にゆくものに相応しい、正しく絶望だった。『あれ』からずっと、この命が尽きる今この時まで、費やしてきた全てを賭けてなお……俺は辿り着かなかったらしい。
「……そういえば君は、妹さんの仇を追っていたらしいね。だが残念、ここで終わりだ」
本当に残念だ。もう指先一つ動かない。俺のちっぽけな命では、真実に辿り着くことすら……仇に辿り着くことすらできなかった。
ごめんな、潔……。謝罪の言葉の代わりに俺は血を吐いて、暗くなっていく視界の中より深い、後悔と無念に沈む。
「無能力、いや、真守くん。最後に言い残すことは、あるかい? ぜひ聞かせてほしい」
首魁は、俺よりも一回りは若い男だ。とはいえ成人はしているように見える。そんな彼のどこか子供らしさすら感じる声色に、俺は自らの情けないザマに自嘲気味の笑みを何とか浮かべてから、最後の言葉をこの世界に残していく。
「お前ら能力者は、みんな死んでしまえ」
「君らしいよ」
彼は笑った。とうに視界は真っ暗だが、俺の死を看取るその気配だけを感じて
俺は死んだ。
*
「はぅぁっ!!」
自分の大きな声で、目が覚めた。
寝汗が酷く、布団を跳ね除け起き上がり、荒くなった息を胸を抑えて何とか落ち着ける。
違和感があった。胸を抑える手が、未だ布団の中にある下半身が、呼吸するたびに上下する薄い胸が、全てが小さい。記憶にある、慣れた俺の身体の面影が、まるでない。
鍛えていたはずの筋肉はその全てが失われたように細く、今にも折れてしまいそうで。それならまだ死にかけたけど実は生きていて、何ヶ月も意識を失っていた為に筋肉が削げ落ちた、と考えられるのだが……明らかに身長が縮んでいる。これは、流石に理解が及ばない。
「どうしたの?」
ガチャリ、と。俺が寝ていたどこかの部屋の扉が開かれた。心配そうな顔で扉の隙間から見えた顔に、俺は目が取れてしまうのではないかと思うほど見開いてベッドから飛び上がる。
「潔……!」
そこには十何年も会えなかった妹が居た。何をどうしても会えなくなってしまった、妹の潔が居た。じわりと目頭が熱くなり、自然と涙が溢れている。
短くなった足でもつれそうになりながら、俺は潔に飛び込んだ。何やら彼女の方が身長が高いらしく、胸元に顔を押し付けてしまう。
いや、よく見ると潔も随分記憶よりも小さい、小学生くらいの大きさだった。
そんなことを考えている頭の中で冷静な自分もいるのだが、現実の俺は嗚咽混じりに潔の名を呼び続けていた。
ずっと、会いたかったのだ。もう二度と会えないと思っていた。ここはあの世だろうか? それでも良い。残酷な世界、残酷な戦い。それら全てから、ようやく解放されたんだ。
二度と、離れたくない、離してはならない。妹を、家族を守れなかった俺だからこそ、心の底からそんな思いが溢れてくる。
「ええ〜? もう、なに? 怖い夢でも見たの?」
戸惑った潔の声。怖い夢か、そうだ。怖い夢だ。ずっと、ずっと恐ろしい夢の中にいたんだ。
俺はやっと夢から覚めたらしい。
まるで生きているように瑞々しく《保存》された潔の『首から上』。それを見て狂ってしまった母さん。犯人を探す為に家に帰ってこなくなり、いつの間にか街でのたれ死んでいた父さん。
全部夢だったんだ。
そう思った瞬間、俺の意識はまた闇の中に溶けていった。きっと寝てしまったのだろう。
次に目を覚ました時、俺は焦って一階のリビングに飛び込んだ。そこには、朝食を食べながら俺の方を見て目を丸くさせる父と母が居る。
随分と、若い時の姿だ。ドタバタと階段を降りた音で起きたのか、後ろから潔が……やはり小学生の時の記憶と一致する姿だ。
「おっ、真守早いな、珍しい」
「なぁに? もしかして寝坊したって勘違いしたんじゃない?」
どうやら父と母は、俺の起きる時間がいつもより早くて驚いていたらしい。俺が焦っているものだから、時間を勘違いして慌てて飛び起きてきたとでも思われたのだろうか。
確かに、昔の俺はギリギリまで寝ようとする子供だった。
「真守はねぇ、昨日怖い夢見て泣いてたんだよぉ〜それで私に抱きついてわんわん大変だったんだから」
「ええ? 気付かなかったなぁ」
後ろからきた潔がニヤニヤと俺を見ながら食卓に座った。父が母の方を見ると、母も首を傾げて気付かなかったという素振りを見せる。
「二人ともどんだけ熟睡なの? あんなに泣いてたのに真守ちゃん可哀想だよ」
「部屋ちょっと離れてるからなぁ、まぁお姉ちゃんがあやしたのなら、それでいいだろう?」
「それ何時の話よー」
俺の瞳に、三人が食卓で顔を見合わせている姿が涙で歪んで映る。
父も母も、潔がああなった時以来一回も見ることの叶わなかった明るい笑顔を浮かべていた。
声も、何気ない会話がとても穏やかで暖かくて、この光景もまた───もう二度と、見ることが叶わないと思っていたものだ。
「あれぇ? まだ真守ちゃん泣いてる!! すごい泣き虫なんだけど! また怖い夢見たのかな?」
潔の声に、また涙が溢れ出て止まらなくなる。自然に喉から嗚咽が漏れて、俺はそのまましばらく泣き続けるのだった。
*
三日後、俺はようやく今の状況を整理できるようになった。
どうやらここは、過去の世界らしい。
とりあえず今は小学校の夏休みのようで、潔は四年生、一つ上だった俺は五年生……と言いたいところだが、何故か俺の方が一つ下になっていた。つまり小学三年生らしい。
妹が姉になってしまったこともそうだが、もっと大きな差異が俺にはあった。それは、俺の身体が女になっている事だ。
三日もあれば、風呂にもトイレにも慣れてきたのだが……それでもやはり三十年以上男として生きてきた記憶がある為、生活における違和感がすごい。
名前も、真守という漢字は同じだが、マモルと読んでいたのがマモリになっている。そこはまぁ、大して気になるほどではないのだが。
この三日間、俺は幸せの日々を送っていた。
毎朝父と母を仕事に見送り、潔とダラダラと宿題をしたりテレビを見たりして過ごす。何気ない日常であり、以前の俺が渇望していた日々だ。
このまま、いつまでもこの世界に浸っていたかった。『兄の世界』の時のような地獄には、もう二度と戻りたくないと思った。
中学三年生の潔が、『能力者』に殺される……あの世界には。
『…………は、何らかの方法で殺害されたものとして警察は捜査を……激しく損傷して……不可解な点が多く……』
だからこそ、夕食の時につけていたテレビでそのニュースが流れた時、俺は思わず持っていた茶碗を落としてしまった。
床に叩きつけられて割れた茶碗から米が周囲に飛び散っていく。
「ああっ! 真守っ! 何してるの!?」
母の驚く声すら耳に入らず、俺は目を見開いてニュース画面に釘付けになっていた。
脳裏に、かつて調べた事件の資料が思い起こされる。これは、この事件は
俺の知っている『能力者』が起こした事件だ。
脳内で素早く計算をする。
潔が四年生ということは、『兄』の俺が五年生の時の事件。当時はまだ意識していなかったが、その後に能力者を追い始めた時に過去の事件を調べた際、それがいつ起きたものか逆算したはずだ。
頭の中で整理が終わった時、その事件が『兄の記憶』と時系列が合致する事に気付いてしまった。
ここは、過去の世界だ。
しかし俺が『妹』になっていたとしても、『記憶』の通り『能力者』は存在して───同じ事件を起こす。
それはつまり、数年後、潔が中学三年生になれば『また』、殺されてしまうのか?
終ぞ見つけることのできなかったあの能力者に、『また』!!?
殺してやる。
ドロドロとした殺意が、胸の内から溢れ出た。
あの時、『兄』は守れなかった。だからこそ、『妹』の俺はそれを許さない。
「今度こそ、護ってみせる」