第0話 前編 凪のココロ
人類は何故宇宙へと探究の道標を向けるのか。
永続的な発展や科学の進歩に必要な目的探しだったり、秘密結社の陰謀だったりあるのかもしれない。
理屈めいたものから、突拍子もない都市伝説まで色々と考えられるだろう。
どれも僕からは遠い世界の話だ。
僕は唯の高校生、何処にでも居る平凡な学生。
そしてこの物語は、僕と一人の少女の物語である。
波が微笑う様に踊る音
ウミネコが談笑をする鳴き声
夏休みが始まり、いつもより少しだけ遅い時間に目が覚めた。特に予定も無い休日。
しかし、時間はもう昼過ぎ。
流石に寝過ぎたようだ。
僕は布団から出て、ぎらついた陽光が差し込む窓を開ける。
部屋の中に熱気が入って来たけど、気持ちの良い風が入ってくる。
この町の風が好きだ。
パステルカラーの水彩絵具で色を塗った様な、胸を包み込んでくれる潮の香りがする風。
僕はベッドに座って、目を閉じて風の音を聞く。
今日はとても良い天気だ。
少し経って朝食を摂った僕は、何か理由がある訳でも無いが海岸へと向かっていた。
実家を出て5分も経たない場所にある浜辺。ちょっとした散歩にはうってつけの、僕のお気に入りの場所。
その海岸の堤防に腰を掛けて海を眺めるのが好きだった。
ただ腰を掛けて物思いに耽る様に振る舞う、そうしている間は"いやな事"から切り離される様な気がするんだ。
僕の胸に溜まるいやな事。それは誰かから悪意を向けられているとか、攻撃的な何かに触れたから感じるものではなかった。
否、それらが一切無い訳ではないけども、僕の胸の内を殆ど埋めたソレは違う物だった。
--繊細過ぎなんじゃない?--
「多分、その通りなんだろうなぁ。」
僕は一人ぼっちの海岸で空でもない海でもないところを見つめて、ぼそりと声を漏らした。僕の頭の中で響く言葉は、まるで僕自身の声では無いみたいに聞こえる。
夏休みに入り遠方から帰省した僕は毎日ここに来てはそんな事を考え、反芻を繰り返している。
いやな事を忘れられる気がするから、ここに来ているのに。
しばらくぼーっと青い色を見つめた後、日が傾くまで散歩をして家に帰る事にした。
特に何も無い。けれども今の僕にはそれが一番心地いい。
そんな事を思いながら、玄関を開けた。
「ただいま。」
「おかえり。ご飯出来てるよ。」
胸いっぱいに広がる揚げ物の匂いに、幸せな空腹を感じた。
二人で過ごすと広く感じるリビングで、母さんと唐揚げをつまみながらテレビで夕方のニュースを観ていた。
「ボイジャーは日本時間の明日をもって、其の役目を終え"グランドフィナーレ"の遂行を迎えます。」
ナレーターが読み上げる。テレビに映っているのは宇宙を旅する無人の探査機の写真。
「ボイジャー、本当に居なくなるのかな…」
僕がぽつりと呟いた言葉に、母さんが答える。
「十何年も前に打ち上げられた探査機よね。お努めご苦労さまって、労ってあげたいわね。」
Voyager…自律思考無人宙域探査機。それは人類にとって未だ神秘の域を出ない"宇宙"を知る為に、
目覚ましく発展していたAI技術を結集して創られた宙域探査機だ。
15年前に地球を飛び立ち太陽系を渡り歩いたその探査機は、航行の中で見つけたものを僕ら人類に共有し、
"未知"を学ぶ事で得た経験に基づき自由に経路を選び宇宙を気ままに旅をしていた。
そして旅立ちから15年…まさに今、長い長い役目を終えたそれは、海王星へと突入し消滅する事で全ての使命を全うする事となっている。
何てことは無い、"探査機"として与えられた役目をこなすだけの事。
でも僕は、そんな"機械の一生"に心を揺さぶられていた。
生まれた時から自分の命が終わる瞬間まで、全てを理解しているのに、
色々な事を学んで、考えて、健気に自分のするべき事を全うして…
そんな"存在"がもうすぐ消えてしまうという事実が、なんだか寂しく感じてしまっていた。
機械なのに。造られたモノなのに。
僕は"ボイジャー"に対して、何か特別な感情を抱いている様だった。
その感情の名前は分からない。それは、とても悲しい事の様に思えた。
そんな事を思う度に、高校の友人の言葉が頭に浮かび上がってくる。
「繊細過ぎなんじゃない?」
自意識過剰かもしれない、けれども確かに自分でもそう思う。
感傷的過ぎるよな、と。
夕食を終えて、僕は二階の自室に戻り窓を開けた。
昼間とは違う風。少しだけ涼しくなった気持ちの良い風。
窓辺から海辺を眺めながら、僕はまた物思いに耽る様にぼーっとしていた。
ここしばらく、色んな事にセンチメンタルになってしまう。なんだろう、何に対しても考え込んでしまう。
だからだろうか、余計にボイジャーについて寂しさを"余計に"感じてしまっていた。
「ボイジャーは怖く無いのかな。自分がもうすぐ死んでしまうって事が…」
つい、ため息が溢れる。
赤の他人の命の話、ましてや人ですらない機械に対してこんな感傷的になっている僕は、他人からみれば繊細過ぎる幼稚な情緒の未熟人なんだろう。
僕はそんな自分の事が少しだけ、嫌だと感じていた。
感傷的な感情だけじゃ、誰かの痛みを消せる訳じゃない。それが僕にとって酷く理不尽で、受け入れるのが辛いから。
僕はもう一度、ため息をついた。