<第三十話・今、予定調和に石を>
最初に起きた大きな爆発音から暫く。
周囲は、異様なほどに静まり返ったままとなっていた。少なくとも、大きく争うような音は聞こえない。マチルダ達魔法学校の支援部隊は、ただ固唾を飲んで古城を取り囲み、待機を続けるのみである。この間にと古城周辺に僅かに張ってあった罠は撤去してあるが、だからといって油断していい状況ではないと誰もが分かっているからだ。
音がないならば、考えられる可能性は二つ。
アシュリーとジョシュアが揉めることなく問題なく、魔王まで到達して討伐したか。
あるいは――彼らが、魔王と話し込んでいるか、だ。
魔王ファウストがどんな状況であるのかは、実のところ此処にいる全員が知っていることなのである。魔法学校の教員勢は、とうに魔王という存在の正体を理解した上で政府に協力してきたのだ。理由は簡単、学校そのものが貴族と政府からの多額の寄付金支援金で成り立っているから。特に、勇者本人と勇者にほど近い者なら尚更に。自らが余計な真似をすれば、身内が人知れず危険に晒される現実を理解しているからに他ならない。
自分達は、身内を危ない目に遭わせたくないという名目で――世界のためと偽り、ただ一人の人間を生贄に捧げ続けてきた共犯者だった。
いや、生贄にされたのは魔王だけではない――勇者もである。
自らが勇者であったマチルダは知っている。勇者となり、意気揚々と魔王退治に向かった果てにその真実を知り、こんなことのために勇者になったんじゃないと涙を流した者達の苦悩を、痛みを。
『こんなことが許されるんですか、マチルダ先生!』
泣き叫び、マチルダを糾弾した勇者の少年は。罪もない人間を殺したくなんてないと、そう必死で訴えた。
『あっていいことじゃない……間違ってるのは、この国の方なのに!街の人たちを殺した本当の“魔王”を匿って、冤罪を当たり前のように作って、貶めるだなんて!これこそ悪魔の所業だと、そうは思わないのですかっ!!』
嫌がる彼に、無理矢理刃を握らせたのは自分達だった。どれほど受け入れがたい真実であっても、そこに牙など剥いてはいけない。そうしたら最後、殺されるのはあなたとその家族なのだから、と。
彼は泣きながら、苦しみながら――罪なき“魔王”の首を落とした。
そしてその罪の重さに耐え兼ねて、自ら命を断ったのである。
――私達は、悪魔だ。……わかっています。国王も政府も許されないけれど……私達とて、その悪魔と同じ存在に成り果てているということくらいは。
冤罪と国王軍に追い詰められ、疲弊した魔王達は。何故か多くが、魔法学校の近隣の森や町に潜伏し、最期の時を迎えることになる。その理由を、マチルダ達は正しく理解していた。彼らはあくまで普通の人間だ。世界からやってもいない罪で指をさされ、誰も彼もに刃を向けられ、満足に働くことも食料を手に入れるアテもなく――そんな状況で、長生きしたいなどと思える人間などそうはいないものなのだ。
ゆえに、彼らは早くトドメを刺して貰えることを願って、あえて見つかりやすい場所に潜むことを選ぶのだ。今回のファウストの場合は、無抵抗であることによって娘を安全に引渡し、彼女の未来と引き換えに命を差し出す交渉をしようとしたという理由もあったのだろうが。
――かつての貴女は、ただ目に見えるものをそそのまま信じるだけの娘でした。己の幸せと誰かの幸せが異なっている可能性を考えることもできず、己の常識が誰かの常識と同じだと疑うこともせず。……でも。
マチルダは魔導書を開くと、そのページをビリリと一枚破って――スペルを唱えた。すると破れたページがふわりと光を纏って浮き上がり、パタパタと折れて鳥の形となり羽ばたき始める。
すい、と指を動かせば、魔導書の鳥はそのまま空へと羽ばたき始めた。与えられた、自らの役目を果たすために。
――今の貴女なら、きっと……見るべき真実が見えるはず。私はそう信じて、貴女とジョシュアを送り出したのですから。
「マチルダ先生」
背中に、かけられる穏やかな声。長い立派な髭を蓄えたトール校長と、落ち着いた紳士然としたカノン教諭である。
「今飛ばしたのって、あれですよねえ。まだあまり、世間一般には普及していませんが。やはりまだまだ、紙の新聞と写真の方が一般的ですし」
「多くの魔力が必要ですから、まだまだ扱える者も少ないのでしょう。私も年ですし、少々疲れるのは事実ですがやむをえません。動きがあった方が説得力が出るのは事実です」
「それは間違いない」
彼らもまた、元勇者であった者達である。ゆえに、マチルダと同じ苦しみを共有していると言っても過言ではない。
特にトールは――魔法学校という組織、そのものに対して憎しみに近い感情を抱いていたことを知っている。勇者を作るために魔王を産み出し、魔王を仕立て上げるために勇者が送り出される世界。この世界の歪みを知りながら協力し続けてきた魔法学校を、いつか自らの手で変えねばなるまいと考えて校長の地位まで上り詰めたのである。
彼が校長になるまで、五十年。そして、校長になってからチャンスが訪れるまで、さらに二十年が必要だったというわけだ。政府から、トール校長そのものが信頼され、多少の無茶が押し通せるようになるまで。そしてアシュリーとジョシュアという、原石が揃う時を待つ時間のなんと途方もなく長かったことであるか。
やっと、自分達は自らの罪を贖う機会を得たのである。この長く長く、果てしない悪夢に終止符を打つために。
「国王と政府が気づくまでの時間。そして……僕達以外の先生方を、どれほど説得することができるかどうか。あとは、アシュリー達に懸かっているというわけですか」
「ええ」
カノンの言葉に、マチルダは頷く。もうそろそろ、他の教員達が突入の準備を始める頃だった。アシュリー達が城に入ってこれほどの時間音沙汰がないということはつまり、彼女達が魔王に敗北したか、あるいは丸め込まれたかのどちらかだということになるのだから。
勿論、前者がほぼ実力的に有り得ないことは分かっている。ゆえに、他の教員達が警戒するのは――アシュリーとジョシュアが、魔王に説得されて寝返った可能性の方だ。
此処にいる全員が、魔王という存在が冤罪によって作られた虚構であることを知っている。それでも、魔王を勇者が倒し、ハッピーエンドに持ち込むというシナリオが望まれていることもまた誰もがよく理解していることだ。ここでもし、政府の機嫌を損ねたら。魔法学校は、援助を打ち切られて立ち行かなくなってしまうのである。同時に、地位を約束されている身内に火の粉が降りかかる可能性が高いということも。
本当は、これでいいわけがないと誰もが分かっているのに。自らと、身内の命可愛さで悪魔の声に従い続けてきたのだ。その結果、一部の者達を当たり前のように犠牲にして成り立つ歪んだ世界が、何一つ変わらないまま回り続けていくことを知っていながら。
――もう、終わりにしましょう。……私達はまだ、人であることを捨ててなどいないのだから。
足音。
マチルダはゆっくりと顔を上げる。古城の正面の大扉が、重い音を立てて開いていくのが見えた。その向こうに、複数の人影が立っていることも。
――アシュリー、さあ、貴女の意思を示しなさい。
立っていたのはアシュリーとジョシュア。そしてファウストと、その幼い娘の四人。ファウストは具合が悪いのか、ジョシュアに身体を支えられておぼつかない足取りである。
教員達の間に、ざわめきが広がった。予想できていた者も、いなかった者も、共に衝撃的であることに変わりはない。特に、ジョシュアが勇者になることを反対していた陣営の者達は言葉を失っていることだろう。最悪の事態になった、と本気で青ざめている者達の姿が実に滑稽だった。
最悪の事態というのは、本当の意味で世界が滅ぶことであるというのに。いつから彼らは、人間らしい心を忘れてしまったのだろうか。
「アシュリー。これはどういうことなの?」
真っ先に一歩進み出たのは、マチルダの教え子にして雷魔法の専任教師であるモニカだ。
「貴女の仕事は、そこにいる魔王を倒して世界に平和を取り戻すことであったはず。何故、魔王が生きていて、しかも貴女がそれを助けようとしているように見えるのかしら」
「モニカ先生。……此処にいるということは、貴女も全部ご存知なんでしょう?」
アシュリーは怒り心頭のモニカに怯むことなく、きっぱりと言い切ってみせた。
「私は、勇者です。勇者の仕事は、魔王を倒し、この世界に本当の意味での平和を取り戻すこと。……偽りの、魔王に仕立てられた被害者を殺して、かりそめの平和を演出することではありません。本当に倒すべき魔王は他にいます。皆さんは、それをとうにご存知であるはずです」
彼女ははっきりと、その魔王の名前を口にすることはなかった。それでも、何を指しているかなど言うまでもないことである。
絶句するモニカ。すぐに罵声まじりのヤジを飛ばし始めたのは、ルナシルド信教の信者である教員達だった。その彼らを、きつい視線で睨むアシュリー。
「この国の、この世界の政治が歪んでいることなどとっくの昔に誰もが気づいたはずです。人の命は平等であるはずなのに、誰もが幸せに生きる権利を持つはずなのに、階級という名の歪んだ制度で縛られ、生きることさえままならない人々が多く存在している。ルナシルド信教を信じるのは自由だなどと法律で定めながら、階級というやり方で信者でもない人たちに自分達の常識を押し付けているのです!不満が出るのは当然なのに……それを解消するために、他に憎悪を向けさせるためだけに魔王を人工的に作り出すなど、そのようなことが罷り通っていいはずがありません!」
「貴様!我らが国王と神を侮辱するか!!」
「ルナシルド信教を信じる先生方!貴方がたこそ目を覚まされるべきだ!何故わからないのですか、現国王陛下こそが最もルナシルドの神を侮辱しているということに!!」
「!?」
予想外の切り返しに、罵声を投げていた教員達もあっけに取られたように固まる。
「黒髪黒目の子供が、悪魔の子だと……貴方がたがどうしても思いたいなら、それは勝手にすればいい。でも、それを、他の教えを信じる者や神を信じない者にまで強要し、都合よく命を差別する理由にしていいはずがない。それに……っ」
きっと、アシュリーもわかっていたのだろう。
貴族であったからこそ。皆の信頼を得ていたからこそ。己もまた盲目な一人であったからこそ――この言葉は全て、己の口から言うべきであるということを。
「神を信じさせるために……人間の手で魔王を、悪魔を作り出すだなんて!それが、神への冒涜でなくてなんだというのですか!それが貴方がたの信じる神が、本当の望む平和だと本気でお思いなのですか!?」
真実の平和のために――この世界の、未来のために。




